【紙ふうせんブログ】

令和3年

紙ふうせんだより 3月号 (2021/04/26)

「聴くに値する」声とは・・・

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。桜が咲きましたね。あと何回私たちは桜を楽しむことができるでしょう。
できることなら命の終わりの時まで花鳥風月を愛でる気持ちを抱いていたい。
そう願いながらも心の余裕を無くし何かを楽しむ気持ちは失せ「人生終わりだね」と嘆くようになることは誰にでもあり得ることです。だから「そうなったらそれは意味のある展開で、その時こそ自己変革の時なのだ」と心しておきたいと思います。

「変わりたい」と心の奥底では叫んでいる状態像

「あれができない」「これができない」といった嘆きは過去の自分との比較です。
過去の栄光はもはや遠く、新たな時代や世界に突入してしまっているというのに、その中での自己像は確かな焦点を結ばず、「あれができる」「これをしよう」という
主体としての自分自身が朧に霞んでいるから意欲も失せがちになってしまう…。

このような状態像は、高齢者だけではなく若者にも見られることです。
「スチューデントアパシー」という概念が1960年代からあります。「アパシー」とは意欲低下や無気力と訳します。
大人への登竜門のように大学受験には懸命になったけど、いざ入学してみると「何を学びどのようにそれを将来に活かしていくのか」というイメージが掴めずに、
意欲が停滞してしまう大学生がいます。天真爛漫に遊んだ子供時代はもはや遠く、新たな時代を拓こうと受験勉強に努力し勝ち抜いたのも既に過去の栄光です。
にもかかわらず将来の“夢”は大学に合格しただけでは焦点を結ぶことは無く、「何の為に俺は大学に入ったのかな…」と、落ち込んでしまいます。
具体的な志を持って高校卒業と同時に職人を目指した友達が眩しく見えて、その分だけ自分の思慮が浅く見え、自分は「ただ大学に受かりさえすれば良い」と安易に考えていたんじゃないか、と過去の自分を責めてしまうのです。ざっくりと言えば青年期の心理的課題は「自己確立」で、晩年の心理的課題は「自己統合」です。
不安定な過渡期の期間にあってどちらも「自分とは何か」という「自己」を標的としています。朝日と夕陽が似た色合いなのと同じように、状態像は似てきます。
スチューデントアパシーの研究では、それを「時間感覚が乏しく、生活リズムが乱れ、生活に張りがない」「物事に興味や意欲が湧かず、生活全体が受身的となる」などとしていますが、これらは高齢者にもあります。そして、責任回避的なところや「批判が予想される状況からの選択的回避」の背景には、殻に籠りながらも無意識的には自分を責めている心理が伺えます。

臨床心理学研究の理論と実際-スチューデント・アパシー研究を例として-(1997)下山晴彦(一部抜粋)
・批判が予想される状況からの選択的回避。
・自らが陥っている困難な状況に関してその事実経過は認めても、それを自らが対処していかなければならない深刻な状況として受け止められない。
・問題解決行動を約束しておきながら、その場面になると回避行動をとり、一貫性のない行動を繰り返す。
・感情の動きが乏しく、楽しいとの感覚がない。生き生きをした実感がなく、物事に興味や意欲が湧かず、生活全体が受身的となる。(感情希薄)
・時間感覚が乏しく、生活リズムが乱れ(昼夜逆転など)、生活に張りがない(一日中ボーッとしている)。それに焦りを感じない。(時間感覚の希薄)

自分を責めてしまう硬直した考え方

自分を責めてしまう方は、ある種の“真面目さ”を持っています。“勝手気まま”に生きてきたような方は、責任を強く感じるというようなことは少ないように見えます。
社会的な役割や責任ある立場を得て自己像は安定し「中年期」が始まりますが、この時期の標的は「社会」です。意味のある仕事に取り組み子育てや後継の育成をして、社会の担い手のバトンを次世代に繋いでいきます。そして社会的な役割から降りるところから老年期が始まります。
青年期や老年期になって自責の念が湧いてくるのは、社会的なミッションが見えなかったり、その責任を果たせないと思うからなのでしょう。
苛立ってしまい責める気持ちを他人に向けてしまう人もいるでしょう。
「齢をとるとこんなになるとは思わなかった。がむしゃらに仕事をしてきた自分の思慮は浅かった」などと自分を責めてしまう利用者さんもおられますが、
真面目なのだからこそ地力は持っているはずです。自責のエネルギーを方向転換して狭い自己評価の型を壊し、型に押し込められた自己像を解放していくことが必要です。

自分の中の「支配的な考え」に疑問を持つ

さて、狭い型に自己像を押し込んでしまう「思考の型」について考えてみましょう。既成概念の中に安住して広がりを持たない思考の型を「垂直思考(※1)」といいます。
垂直思考は意見や価値の上下にこだわります。囚われすぎると視野は狭くなります。権威(法律・会社・学校・先生)や自分の考えからはみ出すことを恐れて、
物事を硬直化(マニュアル化)して理解します。自分が“理解”したことは「こんなの当たり前だよ!」と疑問無く振りかざし、それに反する考えは“誤り”と決めつけてしまいますから、自分の中に新たな考え方を導入することができません。創造的な発想が求められても一般論に終始してしまいまい、経験の範疇外の事象には対応できません。
そして、本当の意味での「自分らしさ」も、自分の中の経験則や「支配的な考え」で塗りつぶしてしまいます。同様に、他人の「その人らしさ」も軽視したり見落としてしまいます。

遂には「支配的な考え」に適合しない自己像に対しては“失格”の烙印を自分で押してしまうこともあるのです。しかしこれは“変わり時”です。
垂直思考から脱するために必要なのは「水平思考」と呼ばれています。水平の意義は、価値の上下を安易に決めつけてしまう意識から距離を置くことです。
権威をうのみにすることも、他人の意見の上に自分の考えを常に置いてしまうこともありません。様々な考えを「聴くに値する」ものとして検討してみることがモットーですから、反対意見にも、多数者の陰に隠れた少数意見にも、立場の低い者の声や声なき声にも耳を傾けようと努めます。もちろん自分の中の小さなしこりにも気を配るでしょう。

だから新たな発想が生まれてきます。
「自己」を標的とする発達課題が生じる時期は、今まで大きく聞こえてきた“自分の声”と思っていたものが実は、
関係性の中で自分に刷り込まれてきた借り物の考えではないかと疑問を抱く時期でもあります。自分の中にある支配的な思考の型を捨てて、
自分の中の自信の無い弱い声にも耳を澄ませてみましょう。大きな否定の声に隠れて小さな肯定の声も聞こえてきませんか。思考の型の創造的解体が行われるならば、
いままで気が付かなった物事の価値や側面、例えば「××が実は自分の〇〇だった」などが見出されるでしょう。そうやって自己存在に関する再評価が行われること。それが自己確立や自己統合なのです。

※1 ※ イギリスの心理学者デノボが提唱した「水平思考」と対概念となる思考方法。一般的には順序立てた論理的思考を指すが、
順序などに囚われると権威主義化し思考は硬直する。そのため「水平思考」では固定観念を取り払い自由な発想からの創造性の展開を目指す。
ランダム発想法・刺激的発想法・挑戦的発想法・概念拡散発想法・反証的発想法などがある。</font size>

 

紙面研修

「水平的思考」の発想法

エドワード・デノボの提唱する「水平思考」は問題解決のために既成の理論や概念にとらわれずアイデアを生み出す方法論です。穴掘りに例えると「垂直思考」は既に掘られている穴をさらに掘り下げることですが、「水平思考」は新しく別の穴を掘ってみることに例えられます。

ランダム発想法

一見関係なさそうな物事を結び付けて検討する。(アイデア発想法としては、辞書をランダムに引くなどして出てきた言葉と関連付けてアイデアを広げてみる)

刺激的発想法

物事のある部分を「発展させたらどうなるか?取り除いてみたら?何かと合わせたら?何かと置き換えてみたら?順番を入れ替えてみたら?」などと検討する。(アイデア発想法としては、表を作成して発想を比較して一番刺激的なものを選んでみる)

挑戦的発想法

「それはなぜ存在するのか?」「何のためにそうなっているのか?」など物事の根源を突き詰めたところを源として固定観念をひっくり返してみる。(新しい鍋のデザインの検討会で、「料理を加熱できれば、鍋の形である必要なくね?」)(介護の例:1日3回の薬がうまく飲めないんだけどどうした良い?→そもそも何の薬?3回も飲む必要ある?1回にまとめられない?)

概念拡散発想法

ある概念を他の物事に応用してみる。(介護の例:認知症進行ではなく意欲低下じゃないかな?スチューデントアパシーの状態像に似ていないかな?)

反証的発想法

提示されている考えは間違いであると仮定して、反証を試みることで打開策を検討する。(介護の例:〇〇さん歩けないんだけどどうしたら良い?→本当に歩けないの?介助方法工夫してみた?)

 

例題) 「〇〇さん、食事が全然進まないんだけど、どうしたら良い?」

「刺激的発想法」を参考に検討を深めてみよう。(「ちゃんと食べなきゃダメよ!」という垂直思考オンリーでは行き詰る場合が多々あることに気が付くことが大切です)

 

発展させてみる メニュー内容の発展や介助方法を発展させてみる→
取り除いてみる メニューの中の何か、また食事環境の何かを取り除いてみる→
やめてみる 食事の前の何かをやめてみる。食事や介助自体をやめてみる→
合わせてみる メニューの中に何か、また食事環境の何かを追加する→
置き換えてみる 食事自体を別のものと置き換えてみる→
入れ替えてみる 食事のタイミングを変えてみる→
 
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考えてみよう(担当する利用者さんを事例として)</font size>

①支援が行き詰っている人はいるだろうか?それはどのようなところだろうか。

(そこに「垂直思考」のような支援者側の発想の固さはないだろうか。)

②「水平思考」の発想法などを参考に、自由な発想で打開策を提案してみよう。)</font size>

 

介護保険改定(令和3年4月1日より) ※原則3年に1度の見直しです

【改正の要点】

1.①感染症対策の強化、自然災害時等の業務継続に向けた取り組み強化(BCP等の策定)

感染症や自然災害が発生してもサービス提供が継続できる体制を構築するため、上記について委員会等の設置や指針や計画の策定、研修や訓練等の取り組みが事業所に求められるようになりました。

2.PDCAサイクルと科学的介護の推進として、どんな利用者にどんな取り組みが効果有ったかをデータ化して、国をあげて分析しようという「科学的介護情報システム」(LIFE:ライフ)が作られました。ゆくゆくは分析結果をケアプラン作成等に活用していこうというものです。

3.高齢者虐待防止の推進介護や育児と就業の両立支援の推進(人員基準の一部緩和)。職場におけるハラスメント対策に関する事業者の責任の明確化、会議や多職種連携によるICTの活用等。

4.基本の単位が今回1単位(訪問介護 身体1 249単位→250単位)上がりました。しかし6年前の大幅マイナス改定前の2014年の水準には戻っていません。(2015年改定 身体1 255単位→245単位)

 

【訪問介護としましては、重要事項説明書と運営規定に以下の記載を行いました。】

虐待の防止 (重要事項説明書←利用者へ交付)

「高齢者の虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律(高齢者虐待防止法)」は、介護従事者の虐待行為(身体的虐待、放棄・放任、心理的虐待、性的虐待、経済的虐待)を禁止し、虐待してしまう恐れのある養護者に対しては支援をしなければならないとしています。虐待を発見した場合には、介護従事者は関係機関への連絡義務があります。

(当事業所の「高齢者虐待防止」に関する指針)

・従業者に対して人権の擁護・虐待の防止等の研修・啓発を実施します。

・従業者による利用者への虐待事例が見られた場合には、関係機関に適切に報告を行うとともに、再発の防止のための対策の検討会などを開催し、その結果について従業者に周知徹底を図ります。

・利用者の同居者や親族等から利用者への虐待が疑われるような場合には、関係機関に必要な相談を行うとともに、再発の防止に向けて介護環境の改善の検討や対応など、必要な支援や取り組みを実施します。

(職場におけるハラスメント防止) (運営規定←事業所にて閲覧可)

第12条 当事業所は、適切な指定訪問介護の提供を確保する観点から、職場において行われる性的な言動又は優越的な関係を背景とした言動であって業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの(職場におけるハラスメント)により、従業者の就業環境が害されることを防止するために必要な措置を講じる。職場におけるハラスメントとは、利用者等から訪問介護員等に対して行われるいわゆる介護ハラスメントや、上司や同僚からのパワハラ、セクハラ等がある。

(虐待の防止)

第13条 当事業所は、利用者の人権擁護・虐待の防止等のため、利用者等に対して虐待防止法について説明を行ったり、従業者に対して人権の擁護・虐待の防止等の研修や啓発を実施したり、虐待の防止のための指針等を明確化するなど、必要な措置を講じる。</font size>


紙ふうせんだより 2月号 (2021/03/16)

心の中を日々新たに!

へルパーの皆様、いつもありがとうございます。いつもヘルパーさんには感謝しています。日頃の忙しさに皆さんとゆっくり話をする時間を作れないことも多く、伝えきれていない気持ちをここで表明させて頂いているつもりです。それにしても毎回同じ書き出しですから、変えてみる必要もまた一方ではあるんだよな、と思っています。なぜかというと、変えてみることは新しい可能性の発見につながるからです。

 

変わっていく第一歩 自分の「型」と「苦手」を知る
高齢になると「新しい物事に取り組むのが苦手」になるというのはよく聞く話です。一方で、高齢になってから生活の「型」を変えて新境地(※1)を開拓する人もいますから、一概に知力や体力の年齢による衰えとは言えないところもあります。何が「苦手」意識を生じさせているのでしょう。
人には、役割分担をしながら仕事や生活するなかで出来上がった自分の「型」というものがあります。

「型」にのっとったやり方については、誰よりも経験は豊富で上手にやる自信がありますが、反面「型」から外れることを求められると「苦手」となってしまいます。
「型」が形成されることはごく自然なことです。例えば、脳神経細胞同士の結びつき(シナプス)の数が最も多いのは幼児期ですが、認知機能や動作や思考の「型」を作ることによって脳は情報処理の効率化を行い、脳神経回路も簡素化されて10歳頃までにシナプスは半減します。

特定の分野に秀でている人はその分野に必要なシナプスの結びつきは強いと言われています。
このように必要に応じて形成された「型」ですが、「型」に合わない事は、「できない」事となってしまうのでしょうか。

そんなことはありません。例えば、怪我や病気で脳神経回路の一部が損傷しても、リハビリによって健全な細胞がシナプスを伸ばして欠けたところを補う回路が作られますから、「苦手」なことも練習によってできるようになることは事実なのです。自分の「型」と「苦手」を知ることは、自分の可能性の再発見となります。

「できない」ことと「しない」ことの取り違えに気が付く。ある利用者さんは事前情報では「歩けない」という話でした。これを鵜呑みにしてはいけません。
どうして「歩けない」のか、それを誰が言っているのか、介助があれば歩けるのか、必要な介助の度合いはどのくらいか、有効な自助具が使えれば一人でも歩けるのか、問題の分析が必要です。

結論から言うとこの方は、「歩けない」のではなく「歩かなかった」のです。夫が入院して、その状況を上手くのみこめない認知症状もあって、不安などから一人では「外出しなくなった」ようなのです。ヘルパーさんと一緒に外出し、買い物の時に自分で歩いて頂くようになってから、ほどなくして一人で外を歩いている姿を見かけるようになりました。

これは支援の重要な分岐点です。もし、「歩けない」という伝聞を鵜吞みにして利用者さんに歩いて貰わなかったら、「しない」ことが「型」となってしまい(構造化されてしまい)、やがて本当に「できない」「歩けない」となってしまうところでした。

 

「できない」と切り捨てていることは多い
“料理ができない”という話はよくありますが、本当に「できない」のでしょうか。日常生活動作(ADL)として包丁や菜箸が握れないのでしょうか。

たいていの方はそうではありません。台所に長時間立っていられないとか固い野菜が切れないなどの部分的な困難があって料理をしなくなってしまい、それを「できない」と表現しているのです。椅子に座ったら包丁を安心して握れますし、「できる」要素はたくさんあるのです。

料理の手順の組み立ても同様です。材料を目の前にして「何から始めれば…」と困ってしまう方も、「まず野菜を切りましょう」とまな板と包丁をセットすればできたりします。
自立支援は十把一絡げに「できない」と言ってはいけないのです。

これは健常者も同様です。料理や掃除や洗濯をしない夫は、ADLとして「できない」のではなく「してこなかったから」理解が浅く、これからもする気が無いから「しない」だけということは、「する」妻の側からすれば見え透いています。
私たちはいかに多くの事を「できない」と切り捨てているのではないか、ということに思い当たります。

 

“型破り”から得られる自分自身の再発見
要介護高齢期とは、今までの自分の生活の仕方の「型」が通用しなくなる時でもあります。多くの方が一度はそこで意欲の低下を経験します。
今までの生活の「型」から新しい生活の「型」に移行する中で、なぜ「しない」となったのかについては検討が必要です。

きちんとできる自信がないから、普通の人が手早くやってるのに遅い自分が恥ずかしいから、「危ないからダメ」と言われたから、やってもらった方が楽だから、などといった言葉が聞こえてきます。私たちはそのような方々に「一緒にやってみましょう」ときっかけを作り、「できるじゃないですか!」と褒めて意欲を盛り上げていく働きかけをします。

具体的には、支援の中で本人が活躍できる「型」を作ることになります。
しかしこれは、「今までと同じようにできる」という表面的な「結果」を求めているのではありません。

閉じていくのみと思われた人生にも、別の新たな可能性が開かれていると気が付いていくことに意味があります。
今までの「型」からは接点の無かったような人と出会ったり未体験の体験を通じて、経験してこなかった人生の側面を再発見すること。これは「生老病死」という命の全体性の中で、若い時には知り得ないかった「老」や「死」についての“型破りな学び”(自己統合)でもあります。

利用者さんだけが挑戦するのは“もったいない”
利用者さんにとって「自己統合」は、とても大きな挑戦となります。そのような挑戦を利用者さんにのみやって頂くのは“もったいない”と私は思っています。
利用者さんから勇気を貰って、自分の「やらない」ことを「やってみる」挑戦に変えていくこと。今までの「型」を破ること。

「我らが外なる人は壊れども 内なる人は日々に新なり(※2)」 これはある利用者さん宅に飾ってあった色紙の言葉です。90歳を超える方がしたためたそうで、そう聞くとなおさら励みになりませんか。私たちの頑張りも同時に利用者さんへの励みにもなるはずです。

 

※1 :伊能忠敬は50歳になって家業を引退し、江戸に出て19歳年下の高橋至時に弟子入りして暦学や天文学を学び、地球の大きさを測量するという夢を実現させた。世界最高精度の地図も作成している。高齢になっても挑戦することは可能である。

※2: 新約聖書に収められた書簡の一つ『コリントの信徒への手紙二』の一節。パウロがコリント教会に宛てた手紙。苦難の中の慰めや弱さの中の強さについてなど、教会員への励ましや感謝、教えについてなどを記している。

 


紙ふうせんだより 1月号 (2021/03/12)

はじまりのまくあけ

明けましておめでとうございます。ヘルパーの皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。新年の幕は明けましたが、頭の幕も遅れても良いのでしっかりと開幕していきたいものです。その為にも自分自身の思いを新たにしていきましょう。

どのような生き方が幸せを感じられるのか

皆さん今年の「目標」はなんですか? 新年の抱負など何かありますか。そう問われて「ハテ何にしようか」と迷ったりはしませんか。具体的に行為や事物や数値で「目標」を示せないと、確かに気後れしてしまうものがあります。

「目標を立てて計画を実行し結果を評価する」という方法論はビジネスのみならず介護でも取り入れられています。「結果」が常に評価対象となるところから、目標や計画は「結果を得るための手段」であり「結果が全て」という風潮も出てきました。いかに速やかに「結果にコミット」するか、その為の目標や計画であるという考え方です。

しかし、結果ありきで人生の目標を立てろと言われたら、「ハテ何しようか」と困ってしまうのは当然です。人生における究極の結果は「死」です。その結果を最大限の合理性をもって得ようとするならば「早く死んだ方が良い」となってしまいます。「長生きしたくない、長生きは迷惑をかける」という後ろめたい感情が生じてくるのは、「いくら頑張ってみたところでどうせ死ぬんだから」という気持ちもあるのではないでしょうか。

何かの「結果」を得るための支援ではなく、「過程」に関わる

確かにビジネスなどの分野においては、計画は行為や事物や数値等をできるだけ具体的に検討した方が良いでしょう。「事業を拡大させたい」というのも悪くありません。しかし事業拡大のみを「目標」として悪徳商法に手を染めブラック企業となってしまっては意味がありません。事業で拡大したのは「人の幸福なのか不幸なのか」が大問題だからです。このように考えていくと、「目標」を立てる視点には「どのような生き方が人を幸せにするのか」という人生観が関わってきます。お金も同じです。お金の持つ価値の本質は「交換価値」ですが、お金と何かを交換して「自分は何が得たいのか」というところが問われてくるのです。

私たちの取り組んでいる介護の仕事は、必ず入院や入所や死去などの別れという結果がやってきます。「死ぬのがわかっているんだから頑張って生きるのを支えなくても…」と考えてしまうと、末期癌の疼痛に苦しむ人への支援などは辛くなってきます。私たちの目標は、死ぬまでの間に「どのように過ごすのか」という「過程」に「どのように関わるか」なのです。

若返りさせられないケアや効果の上がらないリハビリは無意味でしょうか。そんなことはありません。ケアやリハビリは人と人を結ぶ接点です。それらを通じて人と人が交歓(こうかん)できることに価値があります。交歓とは「互いにうちとけあって楽しむこと」です。たとえ孤独な人生だったとしても、最晩年に出会った誰かと打ち解け合うことが出来れば、今までの辛さが誰かからの優しさを感じる喜びに変り、寂しかった心も死ぬ前に癒されるのです。

介護の価値の本質は「交歓価値」にある

やがて死にゆく人に健康や生活上の世話をすることの目的は、「長生させる為」にあるのではないことはもはや明確です。本人の意思や気持ちを無視して「安全のため」「健康のため」と、本人の意欲や楽しみを奪ってしまっては、何の為の誰の為の介護なのか解らなくなります。介護の目的はQOL(クオリティ・オブ・ライフ)すなわち、命や生きている価値をあらためて実感することです。人は、独りでは生まれることも育つことも死ぬこともできません。人は、人の助けが無ければ存在できないのです。

ならば、人の助けを借りることがどうして悪い事なのでしょう。人生の最晩年にあって人の助けが必要となってくることは、むしろ恩寵(おんちょう)となり得ます。成人として一丁前の人間のつもりで生きてきた時間が長く続く中で、人は時々「生かされている自分」を忘れ「自分だけで生きている」ような自分優先の気持ちになります。そうして例えば、政治や権力などの腐敗を見ても「皆やってるよ。人間は皆自分が一番大事なんだ。そんなもんだろ?」と、エゴイストであることが当然の様になってしまいます。そのような時、自分の思い通りにならない困難さとそれを支える人間関係が生じてくることは、「自分だけで生きている」のではない命の在り様の再発見となります。

人生の最晩年の目標は「自己統合」にあります。自己統合とはとどのつまり、忘れてしまったもう一つの側面の「生かされている自分」を思い出すことにあります。そうやって、自分だけで生きてきた自分と生かされてきた自分を統合し、「生かされてきた命を自分なりに精一杯生きてきた」と感じられれば、生と死を肯定できるようになります。このような感情は、ヘルプを必要とする者とヘルプをする者との交歓から生じるものです。必要なのは、今この瞬間を利用者さんと共に「互いにうちとけあって楽しむこと」、これが介護の本質的な価値なのです。

助けてもらっているのは介護者の方?

「生かし生かされる」という生命存在の本質から考えると、本当は助けて貰っているのは利用者さんよりも私たちヘルパーの方ではないでしょうか。この仕事は「生かされているお陰で、誰かの役に立つことができた自分」をいつも感じる事ができるのですから。

私が書いている今回の文章も、実は利用者さんの助けによるものです。というのも、この論考はある利用者さんが詠んだ短歌からアイデアを頂いたのです。その短歌はとても味わい深く、いずれまた皆さんと味わってみたいと思っていますが、今日はご紹介だけに留めます。

もう一度若返らせてやると言われても ハテ何しようか神様いじわる

私たちは、死が決定している命を生かされています。そして、生かされているのに「何の為に生きているのか」は、いじわるなのか誰も教えてはくれません。それは、命を精一杯生きてみて自分の人生をかけて、自分なりに掴み取るしかないのです。

 

※コロナ感染拡大予防をお願いします。風邪症状がある場合は原則出勤停止です。

 

 

 

新型コロナウイルスに係る休業等が余儀なくされた場合の

公的な支援内容について以下にまとめました

 



 

 

 

 

※個人申請の公的支援は、有給休暇を含め事業者から休業補償を受けた場合は、申請できません。

(但し、世田谷区の傷病手当の場合は、給与減額でも補償対象となる場合があるようです)

 

「新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金」

コールセンター 0120-221-276 月~金 8:30~20:00 / 土日祝 8:30~17:15

・令和2年4⽉1⽇から令和3年2⽉28日までの間に、事業主の指示により休業した中小事業主の労働者

・その休業に対する賃⾦(休業⼿当)を受けることができない⽅→申請期限:令和3年5⽉31日(月)

①支給申請書、②支給要件確認書、③本人確認書類(免許証の写しなど)、④振込先口座確認書類

(キャッシュカードの写しなど)、⑤休業前および休業中の賃⾦額を確認できる書類

申請方法はWebか郵送です。(郵送先):〒600ー8799 ⽇本郵便株式会社 京都中央郵便局留置

厚⽣労働省 新型コロナウイルス感染症対応休業⽀援⾦・給付⾦担当 ⾏

★日々雇用、登録型派遣、いわゆるシフト制の労働者などについて

これらの方についても、休業前の就労の実態や、下記のケースなどを踏まえ、申請対象期間に事業主が休業させたことについて労使の認識が一致した上で支給要件確認書を作成していただければ、休業支援金・給付金の対象となります。(厚労省)

→労働条件通知書に「週○日勤務」などの具体的な勤務日の記載がある、申請対象月のシフト表が出てい るといった場合

→給与明細等により、6か月以上の間、原則として月4日以上の勤務がある事実が確認可能で、かつ、事業主に対して、新型コロナウイルス感染症の影響がなければ申請対象月において同様の

勤務を続けさせていた意向が確認できる場合

 

 

傷病手当(個人で健康保険組合や居住自治体に申請)

・業務外の病気やけがで療養中であること

・労務不能であること(仕事に就くことができないこと)

・連続する3日間を含み4日以上仕事を休んでいること

・休職期間に給与の支払いがないこと

 

《国民健康保険》世田谷区の場合の条件(世田谷区役所国保・年金課保険給付係)

  1. 新型コロナウイルス感染症に感染した、または発熱等の症状があり感染が疑われ療養のため労務に服することができなかった。(事業者による自宅待機命令は含まない)
 


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