紙ふうせんの想い
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紙ふうせんの想い


“してあげる”介護から、“学ばせて頂く”介護へ―

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「こんなにしてあげているのに…」という、介護に疲れた家族から嘆きの声を聴くことがあります。「そんなに頑張らなくていいですよ、肩の力を抜いてください」と、私たちは考えています。

力み過ぎては、目の前のものが見えなくまってしまいます。認知症の方の“声”は言葉になりにくいものですし、頑固でわがままな方の本音は、実はとても小さな“叫び”だったりするのです。「声を聴くには沈黙が必用だ」という言葉があります。自分の心を鎮めると、相手の心が見えてくるのです。



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あなたが私に教えてくれたこと

人間はたくましい
人間はわが道を生きる
置かれたところがどこであろうとも
咲くのだ。
精一杯歩いた道が自分の道だったと教えるために
あなたはそんなにまでして生きていた。
人間は悲しい
咲いた花は必ず散る
散りかけて初めて花の愛しさを
知るのだ。
あなたの瞳が悲しみを浮かべて私を覗き込む
私はとまどいながら切なくなった。
人間は温かい
自分の命の限りを知る
病床から体に気をつけてと
言えるのだ。
自分の痛みを知り人の痛みを知る
あなたは健康な私を気遣う。
人間は美しい
生き切ったのだ
それがどんな人生であろうとも
美しい花だ。
食べかすやおしっこなどで汚れていても
肌の奥から透明な光が差していてあなたを包んでいた。
人間はズルい
人間はよくウソをつく
また明日ねと言いながらも
約束を破る。
ぼけていてもいなくてもウソついた私たち
それはお互いを守るためだった。
人間は楽しい
ズルくたくましく悲しくて美しくて温かく
いろいろあって、人間は楽しい。
教えてくれてありがとう
「楽しかったね」と
私はあなたに伝えたい。



「自宅で生活したい」という“想い”を支えるために

工夫をすれば、どんな方でも自宅で生活できます。車椅子生活の独居でも、ヘルパーに指示ができる方は、自宅での生活が可能です。寝たきりの独居でも急変時の覚悟ができていれば、可能です。生活リズムや好みや体調などをしっかりと把握できれば、短時間でも適切な介護ができます。

では、認知症はどうでしょうか。自分が何をするべきか解らない、状況が理解できずに混乱する…。そのような本人を見て、周囲の方々もどのように接してよいのか苦しみます。今日、認知症とどのように向き合うかが、介護現場での中心的課題になってきています。

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「ボケてしまって部屋が片付かない、散らかっている、生活しやすように片付けてあげよう」「何かあったら心配だから、引き取って同居しよう」と考えがちですが、もう一度考えてみましょう。

「生活しやすいように」は、“介護しやすいように”という介護者側の都合である場合はありませんか?

「片付いていない」は、必要な物を出しておかないと、どこにいったか解らなくなるため、本人なりの“工夫”の可能性はありませんか?

「散らかっている」は、いろいろな物が目に見える範囲にあることで、本人が、何をしたいか自分の考えを思い出すきっかけにしていたり、忘れてしまう不安を解消している可能性はありませんか?

「何かあったら心配だから」という不安は、ご本人の不安ですか?家族の不安ですか?同居して解消される不安と、生活環境が改変される事のリスクを、比べてみて下さい。

人間は、無意識的にさまざまな行動をしているものです。お腹がすいたら冷蔵庫を開ける。夜中に起きて、寝ぼけながらトイレに行く。日常生活の大部分は体が覚えているものです。もし、住環境が大きく変わったら、おしっこをしたくても自分ではトイレに行けなくなったり、お腹がすいても自分では食べられなくなってしまう可能性があります。どうしてよいか解らなくなった極度の不安は、結果として認知症を急激に進行させてしまいます。

どんな住環境であったとしても、そこで何十年も生活してきた実績が、ご本人の生きる“強み”なのです。

認知症であっても、心や思考が全部壊れてしまったわけではありません。「危ないからやめて下さい」と周囲が言った時に、本人が怒ったとしても、それは、“プライド”や“自分でやりたい”という想いがあるからです。それらを“強み”として捉え、『危なくないようにやってもらうには、どうしたらよいだろう?』と考えていく事が、介護の工夫です。ご本人の想いや可能性や力を、ご本人と共に“信じて”支えていく介護でありたいと思っています。


“あなた”と向き合う介護を目指して

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認知症と向き合う介護は、不安と向き合う介護でもあります。

かつて、“問題行動”と呼ばれていたさまざまなトラブルは、認知症の直接的な症状ではなくて、認知機能に問題があるゆえに“不安”が高まり、その不安が引き起こしているものと考えられるようになり、現在では「行動・心理症状」と呼ばれるようになりました。

“不安と向き合う介護”は、“あなた”と向き合う介護です。



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“あなた”と向き合う糸口は、もし自分がそのような状況に置かれたら、どう感じるだろうと想像する事です。
自分の心と向き合うと、人間には根源的な不安がある事がわかってきます。この根源的な不安は、“信じる”という希望と表裏一体で、ないまぜとなったこの気持ちは、文化や芸術など、人間の想像力の源泉ともなってきました。
工藤直子さんの素敵な「詩」をご紹介します。(小学校の国語の教科書にも掲載されています)

あいたくて
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた──
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか──
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて

私たちは、生活援助や身体介護のためだけではなく、あなたに会うために訪問します。

 


 


一人の人間として、人間存在の全部を大切にしたい

ある方が退院され自宅に帰ってこられました。病院では十分な療養体制が組まれていたようでしたが、ご本人には在宅生活の希望がありました。伺うと「医療は体の事しか見ない」とおっしゃられ、心と体を切り離して考える傾向にある科学万能主義に疑問を呈していました。

その方は、退院生活の不都合は十分承知の上で、自らの尊厳を守るのは自分しかいないという覚悟で退院を決めたように見えました。



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宮澤賢治の「月天子」という詩に、以下のような言葉があります。

もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに

確かに、人間の本質は「身体である」とか「心である」とか「心と体である」とか、部分部分では言い表せないものがあります。近代科学は、物事を分解・分析し別々に理解することで発達しましたが、それをそのまま人間に適応する考え方(ここに現在の人間をめぐるさまざまな問題の根源があるかと思います)に、宮澤賢治は強い抵抗を示しています。近年、日本スピリチュアルケア学会などが活動を開始しています。スピリチュアルという言葉は少し唐突な感もありますが、体や心を切り分ける事をやめて、「人間存在の全部」へのアプローチの必要性が認識されてきている事には論をまちません。

私たちは、“あなた”という存在全部を受け止めていくには、私たち自身が、人間としての感性を深め発揮していく必要があると考えています。その過程で、私たちも、怒ったり、泣いたりするかもしれませんが、どうぞお許し下さい。
介護職であると共に、ふるえる心を持つ一人の人間として、あなたと出会いたい。
私たちは、“あなた”という一人の人間が生き抜いてきた人生の過程や軌跡を最大限に敬い、あなたらしい人生が全うできるように願っています。



 


老いの価値を見つめて

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デイサービスのお迎えの介護の時、「デイサービスでは何をされましたか?どうでしたか?」と、ある老婦人に尋ねました。

「童謡を歌うんですよ。それにしても不思議ね、皆様もわたくしも、仕事をしていた頃よりも、歌を思い出すの。すらすらと歌詞がでてきて、子供の頃の情景を鮮明に思い出すの。辛い事もあったはずなんですけど、幸せな事しか思い出さないの」とおっしゃられました。


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“老い”は自然の営みです。
介護者が、介護の大変さのみに心奪われている時は、介護者自身が自然の流れを受け止めきれず、“老い”の意味や価値を見失っている時でもあります。
「老いの受容」は、それが真に行われる時、「マイナス面の受容」のみならず「プラス面の発見」も伴っているはずです。真の老いの受容とは、ただ“あきらめ”を受け入れる事ではなく、老いた自分の“肯定”なのです。
私たちは、“介護負担”というような、介護が必要な状況を“負”として受け止めるのではなく、人生の完成をめざして最後の1ピースを見つけ出す為の大切な時期として、受け入れていきたいと思います。


開かれた心で、“良くなる”介護を家族と共に

病気になって寝込んでしまい、鬱症状も現れて、家族がどうしたら良いか手をこまねいているうちに、どんどんと体力が衰え、そこで訪問介護のサービス利用となった方がいました。訪問すると、おしりには大きな床ずれができていました。そんな寝たきりの方でも、ヘルパーの定期訪問で気持ちが軽くなり、食事を召し上がる量も増え、清潔を努めた事から、床ずれが完治し、その後元気になって外出もできるようになりました。

年齢や条件を問わずに、回復する力は秘めているのです。


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“良くなる”介護のカギは、その方の“意欲”をいかに引き出すかにかかっています。ご本人のペースにあわせ、できるだけ自分のやりたい事を、自分で選択できるようにしていく事です。例えば、ただ与えられた物を食べるのではなく、自分で食べたい物を選べるようにするなどです。自分で選べる事がわかってくれば、より、多くの事を選びたくなるのが人間の“意欲”です。

 

意欲は、自分らしく生活できている事とも密接に結びついています。日常の出来なかった事やあきらめていた事が、ヘルパーや周囲の方の援助で出来るようになると、もっといろいろな事が出来るようになりたいという気持ちが湧いてきます。そして周囲の人が、一緒に喜んでくれると、さらに喜びは増していきます。人間は本能的に、周囲の人に自分の存在を喜んでもらいたいと思っているものです。


一方で、自身の老いを嘆きたい気持ちも、無いわけではありません。もし、周囲から「勝手にやらないでください」などの言葉が聞かれ、それを“迷惑がかかる”という意味に受け取ってしまったら、「私は迷惑な存在なんだ」という気持ちになり、自分の老いを恨めしく感じるようになっていきます。


老いの波風にさらされて“自分とは何か”が揺らぐ時、自分自身を根底から肯定してくれる人に出会う事は、波濤を越えていく力となります。
「何があっても、あなたはあなた。それは変わらない」
そんな、迎え入れるような温かさを持って、私たちは、かけがえのない“あなた”と家族を支え、よくなる介護を目指します。




自宅でのラストステージを支えます

介護に対する受け止め方は人さまざまです。それを掘り下げていくと根底の課題として、介護が必要な状態や認知症を、どのように評価し人生の中に位置づけるのかという事になってきます。もし“老い”や“死”が忌まわしいものとされているのであれば、その状況は苦痛になってしまいます。生老病死という命の営みの全てを一つ一つを肯定していく事は、旅立つ人にも見送る人にとっても必要な事です。

どんな方でも、最後は自分自身の道を自分らしく歩んでいきます。私たちはその一歩一歩を支えます。

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ある方は、骨盤転移の痛みを訴えつつも、不平も不満も述べることはありませんでした。ただ心配なのは、残された家業を継いでいく奥様や息子様へかけてしまう苦労が心残りのようでした。ヘルパーは訪問してもその方の体をさすったりする事しかできません。抗がん剤の不快な副作用に耐えながら、覚悟を決めつつ何かを待っているようでした。

 

家族は、食事も摂れなくなっていく状況を慌てふためきながら、困惑していました。しかし、ようやく心の落ち着きを取り戻し、ゆっくりと話をする時間が持てました。特に家業については話し合いをしませんでしたが、「マー君がメジャーリーグで投げるところを見られないのが残念だ」とおっしゃったそうです。その話をしたすぐ後に、そんな様子はまったく見られなかったのに、息を引き取りました。

 

その方は、入院生活中に自分が立ち歩いて仕事をしているところを、夢で鮮明に何度も見たそうです。「やっぱり歩きたかったんだろうね~」と天井を見ながらベットで回顧されていました。でも、どうあがいても復帰できない事はご存じでした。家業は息子に託すしかないし、託すからには何も言う事は無いと思っておられたようです。ただ、家族が覚悟をもって乗り越えて行ける気持ちになるまで、痛みに耐えながら待っていたのです。



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