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紙ふうせんだより

紙ふうせんだより 8月号 (2020/10/26)

自己中心性からの脱却のために

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。お盆が過ぎて夕方の風に秋色が加わり、夜はいくらか過ごしやすくなってきました。体温調整の苦手な方は調子を崩しがちです。体調の変化に目配り気配り心配りをしていきましょう。

死の側から見えてくる「おごり」

お盆には先祖を迎えることによって生者は死者と対面します。もともと日本にあった祖霊信仰に仏教が融合した風習のお盆は、死の側から人生を見つめ直すことにもなります。全ての命は先祖から受け継がれた命の灯であると理解すれば、命への畏敬の念が生まれます。自分もいつかは死んで連綿とした繋がりのなかに還っていくと想像するならば、命を自分だけのモノと錯覚するような自己中心的な視点は相対化されます。死者の側から生を見つめてみることは、現代社会の軋轢によって極限まで狭くなった“自分”という境界線を内側から壊すことにもなるでしょう。若いころにブイブイ言わせてきた人が、高齢になってお盆などの風習を大切にし始めるといった態度の変化には、「今さえ自分さえ良ければ」となってしまってきたこと(誰にでもある過去の一部)への反省があるのかもしれません。

大抵の人は、自分の行為にそれなりの根拠を持っており、それなりに「自分は正しい」と思っています。また、今日の延長線上に明日があり、それがずっと続くような錯覚を持っています。しかし本当にそうでしょうか?『徒然草(つれづれぐさ)』で兼好法師は「我々の死の到来は、今すぐかもしれない。それを忘れて物見て日を暮らすのは愚かだ」と述べています。「死を忘れるな」という警鐘は、西洋伝統絵画の主題の一つメメント・モリや、日本の九相(くそう)図など様々な文化の中で繰り返し鳴らされています。現在の在り様をあえて疑うことによって思索を深め、より確かものを掴み取ろうと努める哲学者たちは、「哲学(※1)を極めることは死ぬことを学ぶこと」としています。シャカ族の王子であったシッダールタ(仏教の開祖の釈尊)は、自身の「若さのおごり」「健康のおごり」「生存のおごり」に気が付いて克服のために出家をします。昨今、コロナをめぐり極端な反応を示す人にもそれらの「おごり」の一端が現れているように思います。当たり前のことですが誰しも生きている自分を中心にして世界を見ています。そのような視点を相対化することは、私たちの内にある「生者のおごり」「健常者のおごり」「自分が正しいというおごり」に釘を刺し、私たちの生の在り様の点検を促すのです。

介護に即して言えば、自身に「生者のおごり」があれば、少しずつ死に赴(おもむ)く利用者さんと本当に向き合うことはできず、無意識の忌避(きひ)が生じます。「健常者のおごり」があれば、心身の衰えに嘆く利用者さんの気持ちに寄り添うことができません。「自分が正しいというおごり」があれば、利用者さんや周囲の人は常に自分より考えが浅いという無意識が働き、無自覚な上から目線となります。死の側からの生を見つめ直す視点は、より良い介護を提供することはもちろんのこと、世界観を拡げ心の余裕を生じさせ、自身の心の豊かさを育むのです。

※1フランスの哲学者モンテーニュの言葉、「死はどこで我々を待っているかもわからない。あらかじめの死を考えておくことは、自由を考えることである。死の習得は、我々をあらゆる隷属と拘束から開放する」とある

歴史的視点から見えてくる「おごり」



 

 

 

 

 

 

 

「はだしのゲン」中沢啓治

 

見えている世界が自分の世界である人は、それでもその限られた範囲の中で自分の行為や考えをよりマシな側、比較対象とする側(自覚せずに見下しているものと比較する)よりも良くあろうとします。「盗人(ぬすびと)にも三分の理(り)」と言うように、暴力団の抗争なども双方共に「我に仁義あり」と主張します。しかし本当に自説が正しいかどうか、客観的に判断する尺度(※2)を持たない限り破綻はやってきます。

1945年8月、そのような破綻が社会全体で起こりました。当時日本は、国家を主語とし国家を目的とする国家主義であり(現在は国民を主語とし国民を目的とする民主主義)、自らが引き起こした侵略戦争を「聖戦」と叫び、戦争遂行が絶対正義でした。戦争遂行のスローガンは「一億玉砕」(一億の国民は、皆戦って死のう!)というものでした。全国民が死んでしまっては何の意味もないと思いますが、そのような視点を戦争指導者が持つことは一切ありませんでした。当時、命の重さは「一銭五厘(※3)」と言われていました。兵隊の命を大切にしない軍部では、司令官の自己顕示欲による乱暴な作戦が横行し、いたずらに前線の兵隊を全滅(※4)させて、戦略的にも愚かな失敗を繰り返していきます。「命を大切にしない者はやがて自身の命を滅ぼす」という道理のごとく、数多の国民や周辺国の人々等を道連れに殺して破滅したのが大日本帝国なのです。どうして日本は暴走を止められなかったのでしょう。それは自身を相対化する視点を決定的に欠いていたからです。戦前の日本は「神の国であり永遠不滅である」と信じ込まされていました。まやかし(※5)の「神州不滅」を信じ込ませた戦争指導者も戦局が悪化すると自分の「死」を直視するのが怖くなったのか、進んで狂信的観念に一体化していきます。日本は「絶対正義のおごり」や「不滅のおごり」に染まって道を誤ったのです。
ある利用者さんの話

「学徒出陣であの雨の壮行会にいました。学徒航空兵となった。訓練中に友人は着陸に失敗して操縦桿が腹に刺さって死んだ。ようやく離着陸できるような状態で、特攻への出撃命令が出た。はじめから特攻要員と決まっていた。断ることなどできなかった。出撃の報告に博多の両親に会いに行ったが、お互いに涙を流し一言もしゃべれなかった。山陽本線の広島で、原爆の焼け野原を見た。新型爆弾のうわさは聞いていた。もう少し早く戦争を終わりにしていれば、大勢の人が死なずに済んだのに!」と怒りに肩を震わせながら泣いていました。
ここまで、自らの生存や正しさを相対化して「死」の側からの自己点検の必要性を述べてきました。「死」からの視点の重要性は「死」の賛美ではありません。自らの「生」の中にある「老病死」をありのまま認め直視してこそ自らの「おごり」に気が付くことができるのです。私たちは、自身に繋がる死と生存の歴史を振り返えるとき、「自分は自分一人で生きているのではない」という気持ちになり、命に対して謙虚になります。同様に、自身に繋がる社会の歴史を振り返るならば、一方的な「正しさ」の危うさが理解できます。あれから75年、今の日本は命を大切にできているでしょうか。恐ろしい時代を生き延びた戦争体験者の肉声を聴けるのもあと僅かです。
※2その最低限の基準は、基本的人権の相互尊重・社会的弱者の権利擁護(命を大切にすること)であると考えます。

※3召集令状の郵便代なので今の63円の価値。

※4伸びきった戦線を維持することができず、司令部は前線の部隊に玉砕命令を出して「全滅」と処理することがあった。全滅の部隊への補給や救援は放棄され、生き残った兵士が地獄の苦しみ(一部では人肉食もあったと言う)を味わった。戦死の通知が届きながら帰還を果たした方が一部におられたのはそのような事情による。

※5「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」三笠宮崇仁親
 

紙面研修

一方通行の「介護観」を点検する

【相対化】そうたいか

一面的な視点やものの見方を、それが唯一絶対ではないという風に見なしたり、提示したりすること。

 

人は誰しも自分中心に世界を見ています。だからこそ自分のモノの見え方や考え方を相対化する視点を持つ事が重要であって、「あなたの意見は唯一絶対ではない」と他者の意見を拒否することは誤った相対化と言えます。しかし、福祉の世界には、支援者側が利用者さんの意見を相対化してしまう一方通行な態度が見られる場合があります。なぜそうなってしまうのでしょうか。構造的な問題を持っている古い福祉の考え方は医療中心の視点であるため、「医療モデル」と言われています。
医療モデル (医学モデル・専門家モデルとも言われる)
支援の着眼点 「診断→治療→回復」を重視し、「人が抱える問題はその個人のどこかに欠陥・歪みがあるため」と考える。服薬やリハビリなど身体機能の改善が大切。
支援の主体者 専門家
支援関係の序列 上下関係がある(医者→ケアマネ→介護職→利用者など)
困難の原因 認知症や障害や病気など、本人の心身の状態が原因

(例)足が無い人が外出できないのは足が無いから
困難へのアプローチ 身体機能の改善を中心に障害の克服や病気の治癒を目指す
望まれる利用者の態度 利用者は専門家の指示に従うこと
解決のメド 解決は難しいことが多く、解決できない場合はあきらめが必要
利用者への情報提供 知らせるべき情報と知らせるべきでない情報を専門家が決める
支援関係のトラブル理由 利用者のワガママなど
社会との関係性 利用者が社会に適応できるように訓練する
対して新しいモデル(と言っても提唱されてから40年以上になる)は、専門家の専門領域からの狭い視点を相対化して、生活や社会全般を視野に入れるようになり「生活モデル」と呼ばれています。
生活モデル (社会モデルとも言われる)
支援の着眼点 「人と環境の交互作用」を重視し「個人と環境の両方」を支援する。

支援者と利用者の関係性の歪みを改めるだけで改善する場合もある。

利用者をいかにエンパワメントさせる(笑顔にさせる)かが大切。
支援の主体者 利用者本人(パーソン・センタード・ケアなど)
支援関係の序列 利用者を中心に支援者同士は対等な関係(チームケアなど)
困難の原因 利用者の認知症や障害や病気に対応していない支援関係や介護環境や社会の在り方などに原因がある

(例)足が無い人でも適切な支援があれば外出できる
困難へのアプローチ 利用者の気持ちに着目しながら、本人ができるやり方を考えたり、環境を改善したりする
望まれる利用者の態度 利用者は自分の困難さや望む生活の希望をのべること
解決のメド 利用者と支援者に信頼関係ができて、利用者の本心が聞かれれば一つ一つ進んでいける
利用者への情報提供 説明責任がある。極力理解してもらえるように伝える
支援関係のトラブル理由 支援者側の説明不足など
社会との関係性 どんな人でも普通に社会で暮らせる(ノーマライゼーション)ように社会に働きかける(ソーシャルワーク※)ことは、福祉従事者の使命
※ソーシャルワークとは、社会に対しては「社会変革」「社会開発」「社会的結束」を、個人に対しては「エンパワメント」「解放」を促進する実践を意味する。また、その実践を発動・継続する根拠(原理)は「社会正義」「人権」「集団的責任」「多様性の尊重」であり、働きかける対象は「社会の様々な構造」「実践を必要とする人々」である。(2014年7月の国際ソーシャルワーカー連盟の定義より)
考えてみよう

「利用者の○○さんは言うことを聞かなくて困っている~」というような嘆きが聞かれる場合、支援の主体者は誰になっているだろう? 支援の関係性に着目した時、何をどのように変えていくことができるだろう?

(その方の自動思考を仮定して検証し、その考えを問い直す模擬会話を考えてみよう)
 

以下の新聞資料は「自分が正しいというおごり」がもたらす暴力性への指摘です。戦時中の“非国民”大合唱の他罰的な雰囲気と合わせて考えていただけるとより理解が深まると思います。

自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする 歪んだ正義   毎日新聞2020.8.23

◇不安から「正義」を振りかざす

「なんでこの時期に東京から来るのですか? 知事がテレビで言ってるでしょうが!! 知ってるのかよ!!」

「さっさと帰ってください。皆の迷惑になります」

東京都内在住の男性が青森市の実家に帰省するとそんな内容の手書きのビラが玄関先に置かれていたという。男性は帰省までに自主的に新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査を2度受けいずれも陰性だった。帰省後もできるだけ自宅で過ごしていたという。

大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学)によると、新型コロナウイルスで顕在化した人間の攻撃性の一つに「制裁・報復」感情や「同一性」(自尊心)を動機とするタイプがある。政府から自宅待機の要請が出ている時に外出している人やマスクをしないで歩いている人を激しく非難する――そんな「自粛警察」がこれに当てはまるという。

「社会秩序や規則順守といった『正義』を振りかざして人を攻撃することは自尊心を満たし、周りの人たちから賛同が得られれば承認欲求も満たされる」(大渕名誉教授)。「規則を守る人」と「守らない人」、「絶対的に正しい自分(たち)=善」(内集団)と「絶対的に間違った他者=悪」(外集団)に社会を二分して上から目線で懲らしめる行為で、通常なら「やり過ぎ」との自制心も働くがコロナ禍という非常事態においては「(内集団から)理解や承認を得られるはずだ」という思い込みから抑制が利かなくなりがちだという。

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にするのだ。


紙ふうせんだより 6月号 (2020/07/31)

鳥ははばたくということ

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。脱水や熱中症にはご注意下さい。利用者さんにも声掛けをお願いします。皆さんの対策は何でしょうか? 私は濡れ手ぬぐいを首に巻いていますが、水が乾くことによって頸動脈が冷やされます。手軽で良いですよ。また、事業所には冷たい飲み物も用意していますので、水分補給や休憩にご利用下さい。

“想定内の自分”の外に出るということ

事故や病気は皆さんも注意をされていると思います。とは言っても、注意していたらその全てを防げるというものでもありませんし、全てを警戒して怯えて生活することも無理です。もちろん事件は未然に防ぎたいところですが、起こってしまった時にどのように対応できるか、ということが大切です。その時、動転せずに対応できるかどうかは、自分自身の失敗も含めて「想定外は起る」という事を心の中に入れていたかどうかにかかっています。強く動転してしまうと、「気持ちがついていかない」というのは有ります。後悔に似た孤独を感じる苦しい時間がやってきます。しかし、その時間もまた気持ちが静まっていく中で自分を振返り、新たな発見をするものとなれば、結果的に良いものに変わっていきます。それらは“想定内の自分”の外側に出るということなのです。

計画通りに行かないということ

危険をいち早く察知し適期を見逃さないことは、生存競争に必須です。やがて先を見越して計画し実行の積み重ねが文明となりました。そうやって人類は発展してきたのですから、見通しが立たないものに人はストレスを感じます。計画は大切です。計画を立てて実行し、結果を評価して課題を抽出して再度改善計画を立て、効率的に成果を求めるPDCAサイクル(Plan計画→ Do実行→Check評価→Act改善)という方法論は、ビジネスや介護保険制度でも使われています。しかしここに落とし穴があります。枠組みをもった計画が“立派”なものであればあるほど、枠組の外に“想定内の外”に出られなくなってしまうのです。例えば子供の頃からマジメで夏休みの宿題は計画通り実行し良い成績を修め難関校に入った人が、もはや何の為の勉強かを忘れて、望み通りの大学合格に拘泥してしまっているところに、失敗してしまったとします。失敗に慣れていなかったばかりに、たった一つのつまずきに人生の計画の一切が終わったと感じて引きこもってしまう、というのはある話です。

介護計画とは何の為にあるのでしょう。利用者さんのニーズを満たし、「その人らしい生活」の実現が目的であって、その為に課題と取り組み内容を明らかにする道具として介護計画書があるのです。計画の目的が“計画通りの実施”ではないことは明らかです。利用者さんが計画から外れていくということは、新しい課題やニーズが生じたという意味では良い展開なのです。(※但し、計画に沿ったサービス内容でなければ給付は下りないので、収まるようにする工夫は大切です。)想定内の外側は、見通しが立たたない不安はあります。しかしそれは新たな成長の幕開けであり、歩み始めれば不安は希望へと変わっていくものです。

 

卵の中からぬけ出ようと戦うこと

ヘルマン・ヘッセの小説『デミアン』は、シンクレール少年が幼年期の自分を脱して思春期へ青年期へと成長していく物語です。世界の破壊のような第一次世界大戦に従軍したシンクレールが敵弾に吹っ飛ばされて担架に担がれて病床に寝かされる劇的な幕切れとなるこの物語には、「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」という一節があります。

生まれるということや生きるということは、一体何でしょう。「生きているのがつまらなくなった」と言う人は、自分の世界の外側への絶えざる飛翔の試みを止めてしまっています。また、自分の価値観に固定された狭い世界から抜け出せない人は、いつかは自分に限界を感じて「生きていてもしょうがいない」とつぶやくかもしれません。若さや美貌、知力や体力、仕事での活躍、社会的地位や財産、愛する人や友人との交流。自分が重きを置いているものから離れなければならなくなってくる時は、必ずきます。その時、自分の世界が崩れ去っていくように感じるのです。しかし、自分の世界の外側にも世界はあります。これは「卵の中からぬけ出よう」とする再生の戦いなのです。そしてその戦いの瞬間、世界の確かな存在に気が付くということ。それが生きているということではないでしょうか。

生きているということ

これから一部を抜粋して引用する谷川俊太郎の「生きる」という詩は、世代を限定したものではありません。誰にでも当てはまります。しかし私には、最後の時間を必死に生きるあの人の姿が重なって見えてくるのです。
 

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

(----中略----)

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

(----中略----)

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

(----中略----)

鳥ははばたくということ

(----中略----)

人は愛するいうこと

あなたの手のぬくみ

いのちということ




※マスクやアルコールが事務所にあります。足りない方は取りに来て下さい。

 

紙面研修

熱中症を防ぐ 

下記の空欄の穴埋めをしてみよう

 

【身体に熱がこもるとどうなるのか】

人間の体の中では、いつも熱が作られています(産熱)。そして体の体温を一定に保つ働きが人間の体にはあります。気候条件や運動量増加により、体内の熱量が増えたにもかかわらず、放熱とのバランスが崩れてしまったときに熱中症は起こります。

体の熱量が増えると、体の表面(皮膚の下)の ① は拡張し血流量は増加します。体内の熱を体の外に逃がしやすくする為です。その時、血液が全身に行き渡るために体内の血液が一時的に不足して ②  が下がってしまう事があります。すると ③ に十分な血液が送られなくなります。 ③ への血液供給が少ないと、脳は酸欠を起してしまい、めまいや立ちくらみや、意識を失ってしまう事があります。これを「熱失神」と言います。お風呂の“のぼせ”と同じ原理です。なお、高齢者がお風呂で亡くなってしまう原因は入浴中の急な血圧低下によって失神し溺れてしまうからだと言われています。

体を冷やすためには、太い動脈が体表近くにあるところ(首、わきの下、太もも等)に、保冷剤や濡れタオルなどを当てるクーリングを行います。

 

【脱水になるとどうなるのか】

体温が上昇した時には体は汗をかきます。汗の ④ によって、体は放熱する事ができます。この時、発汗量が多いにもかかわらず、水分補給が足りないと、体は脱水状態になります。脱水状態が長く続くと、頭がボーっとして全身がだるくなって、水分や食事を摂ろうという“やる気”さえ無くなったりします。

「だるい」「なんとなく手足がツル、痺れるような感じがする」さらには「頭が痛い」「吐き気がする」「めまいがする」ということも起こります。「熱疲労」とも言われます。

これらの症状の怖いところは「ぼんやりとしてしまって、判断が鈍る」事です。例えば、炎天下にちょっと外出して帰宅したけれども、だるくってコップ1杯の麦茶を飲んで寝てしまった。その後、目が覚めても疲れが抜けず夕食を抜いてしまった…。単なる“疲れ”であれば、1食抜いても寝て休めば治ります。しかしこの“疲れ”が脱水に起因するものであれば、寝ている間にも症状は進行します。そして、食事から補給される水分量は多いわけですから脱水の悪化は避けられません。翌朝、脱水状態で一晩過ごしてしまったために脳梗塞を起してしまった!となったら大変です。

そのようになる前に、頭がぼんやりとして身体の危険信号に注意を払えなくなってしまう前に、日頃の意識的な水分補給が大切です。体への吸収の速いポカリスエットなどのスポーツドリンクなどが有効ですが、高齢者などで水分摂取が困難な様子であれば、病院へ搬送し点滴をしなければなりません。独居の方は救急車要請を検討する場面です。

脱水症状の本当に怖いところは、それが心筋梗塞や脳梗塞の原因になる事です。体温が上がると、身体は「放熱」の為に血管を拡張させます。その結果、血圧が下がって血液を送り出す力が弱まります。そのような時に脱水が加われば、脱水症状でドロドロになった血液は「血栓」ができやすくなります。血栓が心臓に詰まれば ⑤ 、脳に詰まれば ⑥ です。どちらも対処が遅れれば命に係わります。

 

【運動中の若者が倒れる「熱射病」】

運動中に疲労はつきものですし、喉も乾きます。だからと言って身体のサインを無視し続けると、熱の影響が脳に出てしまいます。これを「熱射病」と言います。そうなると自分では判断できませんし、意識が遠のいて倒れてしまいます。運動部の練習などで炎天下にトレーニングしていたらぐったりしていたので、木陰で寝かせていたらそのまま亡くなってしまったというニュースがあるように、大変危険な状態です。また、汗の中にはナトリウムなどの塩分(電解質)が含まれていますが、大量の発汗の後に、塩分を補給しないと体の中の塩分量が不足してしまいます。電解質は筋肉の動きを調整する役割も持っているので、塩分が不足をすると手足がつったり、筋肉が ⑦ をおこしてしまうことがあります。これを「熱けいれん」といいます。

【要注意】 ◾元気がない ◾食欲が無い ◾便秘が続いている  ◾尿の色が濃く量や回数が減った

◾居眠りをしていることが多くなった ◾手足が冷たい ◾指の先が青白く冷たい ◾首筋がべたべたする ◾皮膚やわきの下が乾燥している  ◾口の中が乾いている ◾皮膚に張りが感じられない

◾微熱が続いている ◾血圧が低い ◾脈が速い(120回/1分) ◾体温が37℃以上ある

◾爪を押して離した時、赤みが戻るまで3秒以上かかる ◾手の甲をつまむと形が残る(富士山)

◾吐き気がする ◾頭痛がする ◾しびれや痙攣がある ◾受け答えの反応が弱い ◾めまいがする

◾夜間や日中の室温が高い ◾下痢や嘔吐、大量の汗をかくなどを繰り返している(脱水リスク)




熱中症にご注意下さい(自分も利用者さんも)

◎疑いのあるケースは、すぐに現場からお電話下さい◎



自転車移動中のマスク着用は、

よっぽどの人混みでない限り

不要です。

また、利用者さんと適切な距離

の取れている掃除などの時は、

マスクから鼻を出して鼻呼吸

で作業するようにして下さい。

(マスク着用での負荷のかかる作業は、

体温が上昇して熱中症のリスクが高まります。また、呼吸数の上昇・血中二酸化

炭素濃度の上昇によって心拍数も上昇し心臓にも負担がかかります。)

※医療用のサージカルマスクであってもウイルスの空気感染は防げません。現実

的にはコロナウイルスの主な感染経路は飛沫感染と接触感染です。

マスクをする意味は、飛沫感染の予防にあります。(5分間の会話で1回の咳と

同程度の飛沫(約3,000個)がでます。)

※飛沫(原因は咳・くしゃみ・会話)を飛ばさないために、利用者さんとの会話ではマスクを着用してください。

 

◎引き続き、手洗い・うがいの実施をお願いします。

※空気感染(飛沫核感染)とは、ウイルスの単体など(直径0.004ミリメートル以下=4マイクロメートル以下)が空気中を長時間漂うことによって感染を起こすものです。空気感染する主な感染症は「麻疹(はしか)」「水ぼうそう(帯状疱疹)」「結核」の3つです。ほとんどのウイルスは空気感染ではなく唾液や鼻水が微小な粒子となって飛散する飛沫感染(直径0.005ミリメートル以上→重いため1~2メートルで地面に落下する)で感染拡大します。また、飛沫の付着した物を触った手で自分の目や鼻や口(粘膜)を触ることによっても感染(接触感染)します。必要に応じて室内換気を促して下さい。






 

 

 

筆記試験 令和3131日(日曜日)

【申し込み】令和2年8月12日(水曜日)から9月11日(金曜日)まで(消印有効)

筆記試験受験には、「介護職員実務者研修修了」が必要です。(実務者研修修了者は実技試験不要です。)

 

 

(紙面研修 回答) ①血管 ②血圧 ③脳 ④蒸発・気化 ⑤心筋梗塞 ⑥脳梗塞 ⑦けいれん

 


紙ふうせんだより 5月号 (2020/06/29)

未知のウイルスが問うものとは

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。新型肺炎感染拡大予防のためのご協力に感謝します。先の見通しが立たない状況はストレス要因となります。ストレスへの対処方法は、運動やリラックスをして身体に刺激や休息を与えたり、好きなことを行って気分転換したり、“今・ここ”の自分の存在に集中(マインドフルネス)して気分の波を穏やかにするなどが考えられます。是非自分なりの方法を試みて下さい。その上で、もう一つ方法があります。少し大変ですが問題に向き合ってその意味についてよく考え、思考や行動の偏りがストレス要因になってないかなど、今見えていないものを見ようとする試みです。

見たくないものを“無いこと”として退けてしまう風潮

「わからない」これがコロナ禍の特徴です。陽性者数を少なく見積もりたかった願望による不作為なのか、実態は報告の「10倍か20倍か30倍かは誰もわからない(※1)」という状況。検査稼働率は低く正確な検査人数もわからないので、市中感染の本当の陽性率はわからない。本当の死者数(※2)もわからない。症状程度別患者数もわからない。データの信頼性が低いため、非常事態宣言が解除されたとは言え本当の見通しはどうなのか不安は拭えません。行政府の長の場当たり的な“リーダーシップ”は、間違いなく混乱に拍車をかけました。しかし無能な長は脇に置いてより根本的に考えれば、日本の社会が未知の災厄に対して真摯に向き合う姿勢を忘れ、準備を怠ってきたことの現れのように思います。例を見てみましょう。

2020年度の政府予算では、病院のベット13万床削減を目標に削減のための助成金84億円が計上されています。現在でさえ入院患者は短期で退院を迫られていますが、医療費削減を目的に入院患者数を抑制しようというのです。病床数が今よりも13万床も少なくなったときに、もし新型の感染症が起こってしまったら一体どうなってしまうのでしょうか。でもそれは起こるかどうか解らない“未知”のものだからと、考慮に入れる事を排除しているのです。確かに、どのような性質の感染症が起こるかは未知です。しかし、未知のウイルスによる感染症が起こる事は、“既知”であり何度も警鐘は鳴らされてきました。SARSやMERSや新型インフルエンザなどの未知の感染症の蔓延は今までもあったのですから。

東日本大震災から遡ること2年前、福島第一原子力発電所建屋に大津波が直撃する危険性が貞観地震(869年)の最新研究から指摘されていました。しかし東京電力はそれをよく解ってない「歴史上の地震」として、“未知”なものに対しての対策は退けてしまいました。“未知”の地震が起こり得ることは、阪神淡路大震災などで日本は経験済みのはずです。

本来、危機管理の要諦は“想定外”に備える事です。山登りなら天気予報が晴れでも雨合羽を持っていく、旅行なら予算より多めにお金を持っていく、それと同じです。しかし現代の新自由主義的な風潮は、効率のみを追求して“想定外”への備えは非効率としてコストカットして“想定内”に限定した対策や計画に満足し、“想定をし尽くした”として退けた可能性は“無いこと”としてしまうのです。これは社会を主語とした一種の自己欺瞞です。

 

※1専門家会議の尾身茂副座長の5/11の答弁。※2インフルエンザ関連の死亡者数が2月下旬から3月末の期間に例年の平均値を約300人も上回る異常値となっており、新型肺炎による死者(未検査)が相当数含まれるのではないかと疑われている。
 

「どこを生かして、どこを捨てるか」 選別する社会の病理

緊急事態宣言前、発熱があっても解熱剤を服用して出勤する人が後を絶ちませんでした。本人だって本当は仕事に行きたくないはずです。しかし、休むことが許されないような業務の仕組みが個人に矛盾を押し付けます。業務には“想定をし尽くした”計画があって、風邪などの計画外のエラーは自分の評価を下げるため、人も壊れない機械のように“騙し騙し”振る舞わなければなりません。もし壊れてしまえば、自分が捨てられる恐怖があるのです(※3)。

未知のウイルスは、社会の自己欺瞞や矛盾を暴き立てました。既に3月から全国各地の保健所は電話が繋がりにくくなっていました。公務員を削減してきた結果、有事の際に対応できる余剰人員がいなかったのです。現在流行している経済政策や経営の方法論は「選択と集中」です。利益を生みだす分野にリソースを集中し、非効率な分野はカットする。この考えは、コロナ禍で立ち行かなくなる事業者があっても「業界再編や雇用の流動性が進むので、弱い事業者は潰れても構わない」という選別の思想(※4)となります。同様の議論は、介護保険業界再編を視野にささやかれています。曰く、「小さい事業所は潰れて貰って枯渇している介護人材を流動化させ、介護事業を大手数社に集中させた方が、効率的に介護提供ができる」という主張です。この考えは、「医療費や介護費用をもっと削減せよ」「生産性がない高齢者や障害者への税金投入は無駄(※5)」という選別の極論に道を開きます。社会のあり方は、誰もが社会的弱者になり得るとして考えなければなりません。「今だけ・ここだけ・自分だけ」といった風潮は、自分自身も要介護高齢者や障害者になり得るという“既知”の可能性を排除するから成り立つのであって、「今の自分さえ良ければ」という考えは、未来に手渡すべき社会や環境を棄損し、結局は自分の首を絞めるのです。人は、あらかじめ結果が判っていれば自分は愚かな事はしないと考えます。人は、多くの可能性の中から“想定内”の自分を選別して、退けたものは“無いこと”として、自己イメージを形成してしまいます。だから忘れた頃に過ちが繰り返され、それが禍となるのです。

老いや死を忘れた社会に対して

コロナによる混乱は人々の不安を呼び覚ましたが、自分や社会が良く変わっていく機会にもなります。不安とは不確実な未来への恐れです。普段は忘れている可能性が自分の視野に入ってきた時、急に綱渡りをしているような怖さを味わいますが、不確実な未来をただ恐れるのではなく、確実な結果から現在を見つめ直してみるのも一つの手です。例えば自分がどのように死ぬか、それは“わからない事”です。しかし、自分が死ぬことは確実です。運よく若くして死なずに老齢にさしかかったとしても、老いをどのように生きるのかは“わからない事”かもしれませんが、老いていることは確実です。その時、「どうしよう」と慌てるのではなく、今から「こうしよう」と考えておく。見たくないものを考慮に入れてみることは、視野を拡げ考えを深めることとなり、自分や社会を俯瞰して見つめ直すことになるでしょう。

老いや死の側から人生を見る視点は、介護職だからこそ得られるものでもあります。私たち介護職の使命は、人生のラストステージが心の豊かな価値のある時間となるように支援することですが、老いや死を忘れた社会に対してその時間が意味のあるものとして“有ること”を示し、人々の記憶を呼び覚ましていくことにもあるのではないしょうか。

 
※3紙面研修参照 ※4選別の結果「一億総中流社会」と呼ばれた日本は格差社会となり、分厚かった中間層がやせ細り個人消費が低下。結局、日本の経済は活力を失った。※5自民党国会議員の杉田水脈は、LGBTは「『生産性』がない」から支援は「度が過ぎる」と2018.8の「新潮45」に寄稿し批判を集める。「新潮45」は杉田擁護の“差別肯定”の特集を組むがその後休刊。
 
熱中症にご注意下さい(自分も利用者さんも) ◎疑いがあれば、現場からすぐ連絡◎
 

紙面研修

 

認知の歪みに気が付く

 

物事は良い事ところばかりでも、悪いところばかりでもありません。しかし強いストレスを感じると、人は悲観的になりがちで、認知にも歪みが生じてきます。「認知」とは、「ものの受け取り方や考え方」という意味です。その歪みが更なる不安感や抑うつ感を引き起こす悪循環となります。

その時に考えていることはいったん脇に置いて、悲観的にも楽観的にも偏ることなく考えのバランスを取ることが出来きれば、ストレスに上手に対処して過度に自分を追い込んだりパニックに陥らずに、今起きている現実の課題に取り組んでいけるようになります。

先の「自分が捨てられる恐怖」は、社会構造の歪みが個人にも歪みを生じさせている例ですが、社会の風潮も先入観や固定観念となって個人の思考や行動に影響を及ぼしています。繰り返し同じような悩みやトラブルや不快な感情を抱えてしまうようなら、自動的にそうなってしまう“思考や行動の枠組み”があるのではないかと考えられます。「認知行動療法」では、問題が生じた「その瞬間に浮かんだ考え」(自動思考)に着目し、その考えの妥当性などを検証(話し合い)する事によって“自分の心の癖”(認知の歪み)に気が付き、思考の枠組みの修正を助けます。

以下で、認知行動療法の考え方を参考に、ある要介護高齢者の「もうダメだ」を自動思考として検証してみましょう。



 

 

 

 

 

検証は、バランスの取れた考え方を促します。しかし、「それを考えられないから私はダメなんだ」となってしまうかもしれません。そのような時は、「認知の歪み」があるのかもしれません。「認知の歪み」(ネガティブな語感なため「認知の偏り」とすることも)にはいくつかの類型がありますが、歪みがあるだからダメということではありません。悪循環するパターンにはまっている自分に気が付くことができれば、パターンを生じさせる枠組みから脱した思考や行動を自分に促すことができます。

 

【認知の歪み】(⇒気づきを促す「問いかけ」を考えてみました。責めるのではなく、気が付くように促す事が大切です。)

 

1.全か無か思考 (二項対立の思考 グレーゾーンが無い)

『100点でなければ0点と同じ』『理解してくれないないなら、あいつは切る』『若々しくなければ死んだも同然』『遊びでやってるんじゃないんだから、完璧にやらないと』⇒友人やパートナーや親は100点でしたか?0点でしたか?(グレーゾーンに気付く)

 

2.一般化のしすぎ (一つの事例から全部そうだと思う)

『いつも会話が続かなくなって、みんなに嫌われる』『今日は身体がだるい、もうずっと死ぬまで体調が悪いんだろうな』『体を悪くしたら、良い事なんて一つもないよ』⇒昨日はどうでしたか?一昨日はどうでしたか? 会話の続かない時はどんなときですか? それ以外は上手くいっているのですね?(例外に気付く)

 

3.心のフィルター (良いところが見えなくなる)

『ミスが無ければ満点だったのに、ミスが多すぎて自信を無くす』『歳を取ったら全部だめ、何にもできなくなった』『調子が良かったことなんて一度もない』⇒着替えはご自分でされているんですか?昨日はよく眠れましたか(眠れてる前提で)?(良いところに気付く)

 

4.マイナス化思考 (良いことを悪いことに変えてしまう)

『あんなに頑張ったけど、空回りなだけだった』『あの時の業績も運が良かっただけ』『前のはまぐれ、やっぱり失敗した』『皆に笑顔を振りまいてるから私はダメなのよ』⇒どうやってその運の強さを引き寄せたんですか? 頑張れたのはなぜですか?(良いところを掘り下げる)

 

5.結論の飛躍

心の読みすぎ (人の心を勝手に読む)

『あの笑い、私を見て「バカなヤツ」と思ったんだろうな』『ヘルパーさんに迷惑かけているに違いない』⇒迷惑だって言われましたか? 誰が思ったのですか?(事実ではなく自分の考えであることに気付く)

先読みの誤り(最悪の結論に飛躍)

『今日は身体がだるい、もう死んでしまうに違いない』『どうせ頑張ったって、失敗して責任を取らされるに決まってる』⇒お医者さんに言われましたか? 責任を取れ言われたのですか?(事実ではなく自分の考えであることに気付く)

 

6.拡大解釈と過小評価 (悪いところを針小棒大に 良いところは卑下 ※他人には逆)

『痛くて痛くて我慢できない』『自分なんて大したことない』『あの人は素晴らしいのに、私は全然ダメ』⇒立つ時に痛い?休んでるときも痛いのですか? 救急車呼ぶくらいですか?最大のダメを10としたらどれくらいですか?(客観性や具体性のある尺度に置き換える 極端化したところから思い直す)

 

7.感情的決め付け (自分の感情のみを根拠に、自分が正しいと結論する)

『自分が許せない!もうどうなったっていい!』『嫁が買ってきたものなんて、気持ち悪くて食べたくない!』『とは言ったって、ムカつくものはムカつく!嫌いだから嫌い!』⇒ヘルパーが同じものを買ってきたら食べるのですか? ヘルパーを嫌いになったらどうしますか?一週間前も同じように考えていましたか?(感情に振り回されている自分に気が付く)

 

8.すべき思考 (個別的な状況を考慮に入れずに理想を押し付ける)

『自分の事は自分しなければならないなのに…』『人に迷惑をかけてはいけない』『こっちは困ってんだから配慮すべきだ』『健康でなければならない』⇒人に迷惑をかけないで生きれたら本当に良いですね(「べき」を「ありたい」に置き換える 願いであることに気付く)

9.レッテル貼り (柔軟性のないイメージを貼り付ける)

『挨拶もしないなんて、あいつはろくでもない奴だ』『まったく私はダメな人間だ』⇒常にダメですか?ダメに気が付くのは良いところがあるからではないですか?(見方が狭くなっていることに気付く)

 

10.個人化 (全ての原因を個人に帰属させ、責任転嫁や罪の意識が伴う)

『私が生きていると皆が迷惑するでしょう。国の財政だって悪くなる』『チームが負けてしまったのは

全部私が悪い』『あいつが足を引っ張るから皆が迷惑するんだ』⇒皆とは誰ですか? 全部とは何ですか? 具体的な問題はどこですか?(問題を切り分ける)
考えてみよう(下記の表に記入してみよう)

 ・繰り返し同じような嘆きをされる方に、周囲の人はどのように話を聞いたら良いだろう?

(その方の自動思考を仮定して検証し、その考えを問い直す模擬会話を考えてみよう)
 



 

 

 

 

 
~ヘルパーミーティングは、6月は自粛します~

利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無等の情報共有は、

随時、電話やメールやラインによって行ってまいります。各自、紙面研修を行って下さい。

(紙面研修を記入して提出して下さった方には、研修手当として1370円支給します)

 
※マスクやアルコールが事務所にあります。足りない方は取りに来て下さい。
 

 

 

 

 


紙ふうせんたより 1月号 (2020/02/27)

自分の可能性を拡げるために

ヘルパーの皆様、あけましておめでとうございます。年末年始の稼働・忘年会・新年会等、お疲れ様でした。乾杯のグラスの泡に時の移ろいを浮かべては、せわしない我が身とこの世を飲み干してやろうと思った私ですが、束の間の憩いに酔いながら、これからも皆様と少しだけでも良い交わりをして、困り顔は少しだけでも明るく変えて行ければと願った次第です。

悪くなるのを防いで良くなるために

さて、どうしたら良いでしょう。「智に働けば角かどが立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。」とは、夏目漱石『草枕』の冒頭です。世の中と自分がどのように関わって生きるのか。人の世も人自身も、ひとところに安定して存在し続けられるものはありません。どうせ変わって行くのなら、自分自身に良い事を勧め、悪に流されないようにしなければなりません。

法律と倫理

まず、最低限度の事として「何をしてはいけないか」という事は法律に書かれています。法律は、外的な強制力(刑罰など)をもって悪を防止しています。法律は、誰かの権利を侵害してしまう、もしくはしかねない行為(公共の福祉に反する行為)を禁じています。逆に言えば、誰かの権利を侵害しない限りは何を行うのも個人の自由です。そのような「個人の自由を侵害してはならない」という「基本的人権の尊重」が、法体系の原則となっています。

では、法律を守ってさえいれば人は悪い方向に流されないのか、と言えば答えはNOです。これ以上は罰せられる“犯罪だよ!”という線引きを法律は示しますが、安易さに流されてしまう個人の心の中には、法律は干渉してはならないのです。ここで言う安易さとは、他人の状況などは視野に入れないで「自分の思惑のみを最優先にする」というものです。例えば、移動中に転倒している老人を見かけたとします。助け起こしていては約束の時間に遅れてしまいます。自分の都合を最優先して老人を無視しても法律に触れる事はありません。しかし、そのような“見て見ぬふり”の生活習慣を積み重ねていると日常的に視野が狭くなっていきます。そして「これぐらい良いだろう」「どうせ大丈夫だろう」と、安易に自分の思惑で行動していたら、気が付いたら法を犯してしまっていたという事があるのです。このような自己中心性の罠に落ち込まないためには、法律や他人の目などの外的条件に依存するのではなく、自分で「内的な自律」を育む必要があります。それは、自らの行動を「最善」へと導くために、絶えず自分を問う意志を持ち、そのための判断基準を自分は持っているのか? という事なのです。では、そのような判断基準となる普遍的なものとは一体何でしょうか。

 

倫理
「どのような行為が正しいか」を示す 「どのような行為が正しくないか」を示す
内的な自律から生じる 外的強制力によって作られる
 
倫理の中核にある「人権」

「医療現場で看護職が直面する倫理的課題は、法律がそれを解決してくれるものではありません。『その場面においてどのような行為が最善であるか』という倫理を持ってでしか、倫理的課題は解決することができないのです」と、日本看護協会のホームページにはあります。介護の現場でも同様です。例えば、セルフネグレクト(自暴自棄)の方が命に関わりかねない状況の中で「ほっといてくれ、俺に構うな!」と言われているようなケースをほっといても、法律では問われません。支援者側にはあきらめる選択肢が残されつつも、倫理的な課題は残ります。このようなケースは、支援者が踏みとどまって「最善」とは何かを考え続け、最善を尽くそうとする努力によって、少しずつ状況が変わるかもしれない性質のものです。変わらないかもしれません。しかし「変わらない」と決めつけるのは簡単です。そのような安易な決めつけに流されない努力が、支援者の倫理観(最善を目指していこうとする「内的な自律」)を育むのです。

さて、このケースの倫理的課題とは一体何か考えてみましょう。「倫理」を辞書で引くと「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。」とあります。このケースでは、「俺に構うな!」という「自己決定権」と命に関わる「生存権」が競合状態(コンフリクト)を起しているのです。そのどちらもが普遍的な規準である基本的人権として守るべきものであり、安易に片方を無視してしまったら、それは“支援”という名の人権侵害になってしまいかねないのです。この競合は根源的には二者択一の対立関係ではなく、「誰もが生まれながらに持っている自分らしく幸せに生きる権利」を支援者がどこまで尊重できるのか、支援者自身に問われている『権利擁護』(アドボカシー(※1))の問題なのです。

人の命と、その命に基づく緒権利を守る

基本的人権は「侵すことのできない永久の権利(※2)」として、日本国憲法でもその保障が謳われています。世界人権宣言(※3)には「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」とあり、法や国家の枠組みよりも人権は自然権(※4)として上位にあります。『人権を守る』とは、特別な話ではありません。「人の命と、その命に基づく緒権利を守る」という倫理的に正しい態度を、どんな状況でも誰に対しても貫こうというものです。これが正しく理解されたならば、ルールやマニュアルに依存しなくても、権利侵害は悪だと自ずと理解されます。例えば、“外国籍の人が生活保護を受給する事(生存権の保障)はケシカラン”という発言の誤りや、“認知症だから本人に断りなく(※5)「物を捨てた」(自己決定権の侵害)、勝手に「貰った」(所有権の侵害=窃盗)”などは、悪だという事は自明なのです。

ともあれ、悪くなるのを防いで良くなるためには、あらゆる隷属(れいぞく)を排して人間の解放を目指す「人権思想」を自分のものにしていく事です。もしそれができたなら、人は自分らしく幸せに生きる権利も能力も生まれながらに持っているという事が、自身に対しても本当の事として信じられ、自分の可能性を限りなく拡げて行けるのではないでしょうか。
※1弱い立場にある人の生命や権利、利益を擁護して代弁すること。

※2第11条

※3 1948年国連総会で採択

※4人間が、自然状態(政府ができる以前の状態、法律が制定される以前の状態)の段階より保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利。人権は自然権の代表的なものとされている。

※5経済的虐待の可能性もある
 
紙面研修
セルフネグレクトへの支援
 セルフネグレクトの方への支援は、人権・法的根拠・権利擁護への理解や、支援者の倫理観、対象者の心理的課題、関係機関との報告相談・組織的対応、公的・非公的な様々なサービスの活用、現場での“心を開いて貰う”工夫、支援者のストレスマネジメントなど、あらゆる要素が関わるため、支援者にも多くの学びをもたらす貴重な体験となります。今回は、倫理的判断に関わる日本の構造的な問題を1点指摘します。

 
介護・医療サービスの利用を拒否するなどにより、社会から孤立し、生活行為や心身の健康維持ができなくなっている、いわゆる「セルフ・ネグレクト」状態にある高齢者は、高齢者虐待防止法の対象外となっています。しかしながら、セルフ・ネグレクト状態にある高齢者は、認知症のほか、精神疾患・障害、アルコール関連の問題を有すると思われる者も多く、それまでの生活歴や疾病・障害の理由から、「支援してほしくない」「困っていない」など、市町村や地域包括支援センター等の関与を拒否することもあるので、支援には困難が伴いますが、生命・身体に重大な危険が生じるおそれや、ひいては孤立死に至るリスクも抱えています。必要に応じて高齢者虐待に準じた対応を行えるよう、高齢者の見守りネットワーク等の既存のネットワークや介護保険法に基づく地域ケア会議も有効活用しつつ、セルフ・ネグレクト状態にある高齢者に対応できる関係部署・機関の連携体制を構築することが重要です。「市町村・都道府県のための養介護施設従事者等による高齢者虐待対応の手引き」
 

医療倫理の4原則 原則とは、他の原則と対立しない限り常に拘束力をもつ一応の義務。恣意的に無視できる経験則ではないが絶対的な拘束力があるわけではない。問題の解決への指針となる根本的な行動基準。

自主(自律)尊重原則→自己決定権を尊重する。患者が自律的な自己決定が出来るように支援する。

無加害(無危害)原則→悪くなるのを防ぐ。悪くなる治療をしてはならない。

与益(善行)原則→良い事を勧める。良くなるように治療する。

公平・正義の原則→治療を行うにあたって差別や不公平があってはならない。
原則の競合の例

末期患者へのモルヒネ等の鎮痛剤の使用は、寿命を短くする効果(加害)と同時に、苦痛を軽減する効果(与益)がある。
日本の社会の問題点 「パターナリズム」が強い!

パターナリズム(※1)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の“利益のため”として、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することを言います。これは介護現場でもよく見られます。「もう決まった事だから、デイサービスに行って下さい」という“命令”や、嘘をついて認知症の方を丸め込む(※2)支援方法などです。“与益”を優先して利用者さんの自己決定権を安易に無視してしまうのです。

このように「自主尊重原則」が無視されがちな文化にあっては、福祉サービスに対する安心感や信頼感は低下します。結果として利用者さんの援助を求める意欲は低下し、サービスを利用する前から「施設は怖いところ。サービスは受けたくない」などという頑なな気持になっています。このような社会的な構造によって本当に援助が必要な時に助けを求められず、サービスの恩恵(与益)を受けられなくなるのです。

【参考】「愚行権(※3)」人には他人に危害を及ぼさない限り、自分の生命・身体・財産に不利益となる事でも自己決定し、行う権利があります。(医者に注意されているのに酒を飲む。ギャンブルをやめない。等)
利用者さんはなぜ“拒否”してしまうのだろう? その「拒否」の理由は何だろう?

心身機能の低下→聞こえない、見えない、理解できない、意欲がわかない

情報不足→説明が足りない、お金が大変そう、納得がいかない

不安や恐怖→自分はどうなるのか? 解らないから嫌だ、何されるか解らない

経験による→前に嫌な事があった、その話に触れて欲しくない、信用できない

支援者の態度→一方的に話す、私を解ってくれない、押し付けがましい

 
※1 paternalismとは、親が子どもを養育するような態度を他者に対してとること。ギリシャ語の父親(パテル)に由来し、温情(干渉)主義などと訳される。※2これは「バリデーション」でNGケアとされる“やりすごすケア”(パッシング・ケア)です。介護者は手を変え品を変え誘導しようとするものの、利用者には、「何だかよくわからないけれど、嘘をつかれている」と感じさせ、かえって不安にさせてしまう。※3ジョン・S・ミルが『自由論』(1859)で展開
 


紙ふうせん便り 12月号 (2020/01/31)

私達の使命とは何か

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。皆様のおかげで祖師谷訪問介護事業所の開設から一年が経ちました。梅丘もケアマネさんや訪問の社員が増え、大所帯になってきています。日頃からの皆様のご協力に感謝いたします。年末年始に稼働されるヘルパーさん、本当にありがとうございます。皆様が健康を維持され利用者さん共々に無事に年を越されるように念願しています。年末なのであらためて視野を拡げて介護について考えてみましょう。

目的が明確になる事によって高まる喜び

企業の目的は、サービスを通して社会(顧客)に貢献する事です。私たちが仕事をする事は、企業という枠組みを通して社会(顧客)に貢献する事です。企業の目的が明確になり正しく進んでいるならば、従業員の会社への貢献は、そのまま社会への貢献となります。これは「仕事のやりがい」にも直結します。自分自身が、誰のために何の為に働いているのか明確になれば、労働意欲は高まります。顧客のニーズに気付く力は高まり、会社の業績も伸びていくでしょう。逆に、社会の風潮や企業が目先の利益だけに捕らわれていると、個人の視野も「生活の為」「お金のため」だけに限定されてしまいがちです。そうなると仕事は面倒な作業をこなす時間の切り売りとなり、意欲は低くなってしまいます。目的が不明確で視野が狭い生き方からは、自分自身の人生を自分らしく生きているという豊かな実感は生じてくるでしょうか。人と人の様々な社会的な関わりは必ず誰かに影響を及ぼします。「善い関わり」という目的意識を明確にして、それを自分の態度に具体化させていく事は、周囲と自分を変えていきます。その関わりは自分の心にも影響を与え、自身の生きる喜びとなるのです。

現代経営学者でありマネジメントの父とも呼ばれるピーター・ドラッカーは、「事業の目的は顧客の創造である」としています。解り易く言えば「仕事の目的は(サービス提供を受けて)喜ぶ((顧客))人を増や((創造))す」という事になります。企業は大きな利益を上げた時、その利益を事業拡大などに再投資します。そこで顧客の再創造が行われますから、企業の目的は(仕事の目的も)どこまで行っても「喜ぶ人を増やす」事となります。ドラッカーは、経営者や株主の利益を増やすためだけに企業があるのではないと喝破しています。

ドラッカーは、「成功を収めている企業は、『われわれの事業は何か』を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによって成功がもたらされている」としています。そして次の5つの問いを立てています。①われわれのミッション(使命)は何か? ②われわれの顧客は誰か? ③顧客にとっての価値は何か? ④われわれにとっての成果は何か? ⑤われわれの計画は何か? この問いが「われわれ」なのは、自分こそが自分自身の生き方のマネージャー(経営者・監督)でなければならないからであり、また、目的は周囲と共有する必要があるからです。

 

 

「5つの問い」を介護に即して考える

私達の使命とは「生きてて良かった」と利用者さんに感じてもらう事です。これが①です。➁利用者さん。 ③命の価値。(利用者さんが自分の命の価値を感じられるようにする事) ④「あなたに会えて良かった」という気持ちを利用者さんと支援者が交感できる事。 ⑤尊厳を守り自己決定を支援する「自立支援」の推進。 いかがでしょうか。この目的を皆で共有するのなら、私達全員が介護職員でありケアマネージャーであるとも言えます。利用者さんの声なき声に耳を澄ませ代弁者にもなる私達には、「支援の持つ意味」への深い自覚が必要なのです。ケアが上手くいかないのは誰か一人の責任ではありません。「家族が無理解だから」「制度が」「ケアプランが」「ヘルパーが」「サ責の対応が杜撰だから」と悪者を作っても解決しません。それで困るのは利用者さんです。元より「家族を含め関係者皆がケアの目的を共有しているか?」「目的を共有する事に対して、また共有された目的に対して一人一人が自分の役割を明確に自覚しているか?」「自分自身はどうか?」という事が問われている(反省)のです。事業所の体制も大きな課題です。皆でより良いケアを目指して行きたいと思います。

「命そのもの」を目的とする社会へ

さて、「社会に貢献する」という言葉に引っかかった方もいるのではないでしょうか。「能動的に周囲に働きかける事のできない重度障害者の方などは具体的に社会貢献するイメージが持てない方もいるのであって、“何かに貢献する事”が生きる価値のように言ってしまったら、“貢献できていない人は生きる価値がない”となってしまわないか。“貢献”という考えは、健常者に限定される尺度ではないか?」という疑問です。繊細で素晴らしい感性です。そこは、ドラッカーが企業の目的を利益確保から社会貢献へと視野を広げたように、視野を拡げて見ればどんな人も社会に貢献する事は可能であり、どんな重度者でも「生きているだけで価値がある」と断言できるのではないかと思います。

地(※)獄のような状況下で「生きる価値とは何か?」を考え抜いた心理学者V・E・フランクルは、人生の価値を次のように示しています。それは、人が何かを創造する事によって、世界に何かを与える価値(創造価値)。人が人との出会いや体験を通して、世界から何かを受け取る価値(体験価値)。人が現実に対して「とる態度」によって生じる価値(態度価値)です。このうちの創造価値と態度価値は社会貢献に該当します。フランクルは、強制収容所は人間からあらゆるものを奪ったが「与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由を、とることはできない」という事実を持って、何者にも奪われない人生の価値を確信し、「態度価値」はどんな状況でも実現可能だと訴えています。困難な状況に陥った利用者さん、思い出深い利用者さんを思い浮かべて下さい。その方から私達は生きる事の困難さと、それ故の「生きる事の崇高さ」を学びませんでしたか? 利用者さんが生きて死ぬ事によって示した態度価値によって、その方の頑張りが私達心の中に焼き付いているから、私達は今日も頑張れるのではないでしょうか。「社会に貢献する」とは特別な事ではありません。私達が目の前の利用者さんに一所懸命になる事、利用者さんが頑張って生きる事、それが社会の中の誰か対して「あなたは生きているだけで価値がある」「あなたに生きていて欲しい」というメッツセージを送る事になり、「命そのものを大切にする社会」へと社会の変革を促していくのです。

※ヴィクトール・E・フランクル(1905-1997)のナチスの強制収容所に収容された体験を元に著した『夜と霧』は、17カ国語に翻訳され多くの人に影響を与えている。(紙ふうせんたよりH26.7月号や「スピリチュアルケア研修」でもフランクルを取り上げています。この資料は自宅学習ができるようにまとめてあります。個別研修にお役立て下さい。
 
紙面研修
「生の意味」を見出す支援
 ユダヤ人として苛烈な体験をした神経科医で心理学者のフランクルは、「ロゴセラピー」を提唱した。ロゴセラピー(意味中心療法)とは、人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒そうとする心理療法だ。ロゴセラピーは以下の3点を基本仮説としている。

「意思の自由」 人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。

(これは決定論や運命論の否定であり、自立支援の中でも最も基盤となる「自己決定権」とも重なる。)

「意味への意志」人間は生きる意味を強く求めている。

(支援の中で「生きる意味が無い」と言われる方は意味を見失っている状態。自分の役割や他者からの承認が無いような自分の意味を見出せない状況は苦痛である。)

「人生の意味」  それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。

(その意味は、その人自身が見出すものである。)

ロゴセラピーは、絶望している人に対して、「あなたは生きていてもしょうがないと言われますが、どうしてそう思うのですか?」「その理由が解消したらどう思いますか?」「考え方を変えてみたら、この状況も意味のあるものになりませんか?」「あなたを必要とする人がいても生きていく意味がないのでしょうか?」などの平易な言葉での対話によって、生きる意味の再発見や転換を促すものです。それは、人生の意味や価値への評価の「評価の仕方」を変えようというものです。ここでの対話は、説教ではありません。
 

自分自身の生きる目的を見出すのは誰だろう?

 自分が「どうする」か「どうしたい」かを決める権利や力は誰にあるだろう?

利用者さんに「〇〇したい!」と思ってもらえるような支援はどうやったらできるだろう?

 
介護に即して言えば、「だめよ、そんな風に思っちゃダメ!」という支援者本位の説教は、そう思える「支援者」とそう思えない「私」の間にある壁をより高く自覚させてしまい、利用者さんは本当に「利用者」という受け身の殻に閉じこもってしまい、自分の変革を拒んでしまいかねません。同様に、「危ないから歩かないでね」という声掛けも「もう歩けない、歩いてはいけない利用者の私」という支援者側の自己イメージを利用者さんに押し付けてしまい、利用者さんの生きる力を奪ってしまいかねません。声掛けをするなら「歩きたい時は声をかけてね」とか「歩くときは十分に気を付けてね」と言い換えるべきです。

ロゴセラピーは、「生きていく意味がない」という辛さに共感を示しながら、「どうしてそう考えるのですか?」「それはなぜですか?」と質問を重ね、「状況に意味を見いだせるような質問」を行う事によって、自己覚知を促していきます。そのような質問は経験を重ねる事で上手になれる技術のようなもので、実際に困難にめげないで挑戦できる人は、自分自身に対しても「どんな出来事にも意味がある。この出来事が自分に求めている変化は何だろう?」と、問いかけをしています。フランクルは、『自分の人生に意味を見出そうとする努力は、人間の内なる根源的な動力である。』『人間は、自分の人生の意味の充足に自らを委ねれば委ねるほど、その程度に応じてのみ、自分自身を実現する。』と言っています。意味を見出そうとする意欲も力も人間の中にもともと備わっているのです。だから、私達のなすべき事は「生きてて良かった」と感じられるような「楽しみ」や「喜び」といった「感情の交流」を支援の中で作っていく事なのです。

 

「紙ふうせんだより」のバックナンバーが必要な方はお申し出下さい。

 


忘年会2019 (2019/12/20)

先日、紙ふうせん梅ヶ丘事業所内で、居宅支援・訪問介護交えて

立食パーティー式の忘年会を開催しました。

今年1年を振り返り、皆様楽しく語らっておりました^^



 


豚汁会@梅ヶ丘 (2019/11/11)

先日、梅ヶ丘の事業所にて来訪されたヘルパーの方々も交えて皆で豚汁を食べました。

最近寒くなり風邪など流行りつつあるので、たくさん食べて体を温めて過ごしましょう(^.^)


2019年度 防災訓練 (2019/10/18)

令和元年9月6日に防災訓練を実施した。

想定:震度5以上の地震が発生し、事務所が危険な状態

目的

  1. 避難方法・経路の確認
  2. 避難時の持ち物の確認
  3. 経路の危険な場所の確認
まず瀬口CMが全体の流れを説明。各自緊急バッグを背負い裏口から避難する。

道中塀など倒壊しそうな危険を予測しながら、避難場所である羽根木公園管理棟を目指す。斉藤HPを先頭に入山CMが車いす介助を

行いながら慎重に羽根木公園を目指す。目的地に到着した後は状況報告、人数確認。

帰所後は防災用の備品・転倒防止用の突っ張り棒の状況を確認する。突っ張り棒一部緩んでいた箇所があったため直す。

その後通常の業務へ戻った。

まとめ・感想

避難場所への経路・途中の倒壊しやすい地点の確認ができ、災害時の避難の良いシュミレーションになった。利用者ごとに避難方法は違うと思われる
ため日ごろから避難経路・方法や備品について考えておくことが重要であると感じた。


紙ふうせんだより 7月号 (2019/08/21)

2019年(令和元年)7月 文月号
 

利用者さんを笑わせたい

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。今年は25度を下回る日が多く、16年ぶりの寒い7月のようです。8月からの急な高温には身体がついていかなくなってしまうでしょうから、体調管理にはお気をつけ下さい。

七夕の願い事

旧暦の7月7日は「七夕」で(新暦に直すと2019年は8月7日)、五節句の一つ「七夕(しちせき)の節句」のお祝いです。もともとは、古代中国の織女と牽牛の伝説にあやかった「乞巧奠(きこうでん)」という裁縫の上達を祈願する女性の行事でしたが、奈良時代に日本に伝わり、和歌や習字などの上達の祈願を短冊に書いたようです。今では願い事を何でも書いて良いものとなりました。

「笹に願い事を吊したってかなう訳ない」と、大抵の大人は思います。それでも短冊を渡されて「どうぞ」と頼まれたら、皆さんは何を書きますか? 書こうとした時に、経済的合理性や実現可能性や「どうせ無理」という諦めが先行してしまい、想像力の自由な飛躍に蓋をしてしまってはいせんか。結局安易に「サマージャンボが当たりますように」等と書いてしまいます。でも小さな子供は違います。「怪獣になりたい」等、自分の関心と情熱にまっすぐです。“無邪気”な子どもの願い事を見て癒されるというのも悪くはありません。では、大人になるにしたがって自分に入り込んでしまった“邪気”とは何なんだろうかと考えてみる事も、自身の本当の願いに対して自分が素直になれるかもしれなくて、良い事なのではないでしょうか。

持って生まれたままの自然な子供(FC)と型にはめ込まれて順応した子供(AC)

大勢の人の前ではツンツン棘(とげ)がある態度を取りながら二人きりになるとデレっと甘えてくるキャラクターの事を、アニメや漫画では「ツンデレ」と呼びます。ツンツンとは、「弱みを見せたくない」「しっかりしているところを見せたい」という気持ちで周囲に対して防御線を引いている状態ですが、“大人な”態度であろうとして子供状態の自我が無理をするから、意図しない棘が出てしまうのです。結果、周囲との人間関係がぎくしゃくしますが、その反動で、甘えさせてくれる相手(甘えられる関係)だと態度が逆転します。際限の無い甘えに今度は相手が疲れて、関係が破綻する事もあります。でもまあ、そのような失敗を経て自分について考えたり客観視する努力を重ねて大人の自我を育てていくのですから、発達のために必要な“大人子供”の段階とも言えます。この自我状態は、子供の自我ではありますが、生まれ持った天真爛漫さを純粋に発揮する状態(Free(フリー) Child(チャイルド)=FC)ではないので、エリック・バーン(※1)による「自我状態の分析理論(TA)」では、親によって躾(しつけ)けられた子供(Adapted(アダプテット) Child(チャイルド)=AC)と呼びます。このACは、その時の対人関係に自分が適応的だと、従順さを示したり甘えたりしますが、適応的でないと反抗を示したりひねくれたりという二面性を示します。もっともどんなものにも二面性があるという事は、心得ておきましょう。

※1 Eric Berne(1910-1970)カナダ出身の米国の精神科医、1957年に「交流分析」を提唱。

親の態度(P)に対応する子供の態度(C)

TAによると親の子供に対する態度には、批判的な親(Critical(クリティカル) Parent(ペアレント)=CP)と保護的な親(Nurturing(ナーチャリング) Parent(ペアレント)=NP)があります。CPは、指導的な態度で子どもの責任感などを育み、NPは、慈しみや励ましで、子どもの持って生まれた可能性を育みます。




「親の自我状態」(NPまたはCP)

親と同じように考え、感じ、行動する。

「子供の自我状態」(FCまたはAC)

子供の時と同じように考え、感じ、振る舞う。

「成人の自我状態」(A)

これまでの人生経験を基にその状況で最も適切な考えや気持ち、行動を示す。




躾けるという事は、子どもに規律や道徳を教える事です。しかしその教え方が、強すぎるCPによって、高圧的で言う事を聞かせようとするだけになってしまうと、子供は内心では怯えたり反抗したりしながらその気持を表現できずに、表面は従順で親に媚びたりします。このような裏腹な感情が先ほどのACの二面性を生じさせるのです。また、“優しい親”にも落とし穴があります。優しさはNPの要素ですが、親の都合で、子どもの為にというよりも自分の為に子供を甘やかすようになってしまうと、子供は、FCが持っている自己中心性を強化してワガママになってしまいます。このように二面性について検討してみると、養育過程で子供に侵入するものは、“子供を思い通りに操縦したいという親の支配欲”だという事が解ってきます。愛情も二面性があるんですね。

TAでは、人は時と場合に応じて、「子供の自我状態」と「親の自我状態」と「成人の自我状態」を取るとしています。そして「子」と「親」の自我状態は対応すると考えています。つまり、FCにはNPが、ACにはCPが対応します。そして、態度がコロコロと変わる人は「子」や「親」になったりを繰り返しているのであって、“成長によって獲得した自分(Adult(アダルト)=A)”が弱いという事なのです。このAを伸ばす為には、本や新聞を読むなどして視野を拡げたり、日記を書く事などによって自分を客観視する機会を作る事なんだそうです。「成人の自我状態」が安定すれば、自分の自我状態が相手に影響を与えて周囲を振り回したり、受け身になって自分が振り回されたりする事も少なくなってきます。(但し、Aが突出すると冷徹で打算的な印象を相手に与えます。)

※2「交流分析」のエゴグラム(CP・NP・A・FC・ACの視覚化)は自分の型や苦手要を自覚して、意識して自分を変えていこうとするものです。Eric Berne「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」

“子供心”を忘れていませんか?

さて、七夕の短冊に「利用者さん笑わせたい」と書いたとしましょう。どうしたら良いのか、答えは既に出ています。“純粋な笑顔”は無邪気な Free(自由な) Child(子供)の表れです。介護職は、対人援助という職務上「親」の自我状態になりやすく、それに対応して利用者さんが「子」の自我状態となってしまうと、ネガティブ面ではワガママや依存、受け身や反発を招きます。ベーシックな関係はAとAの関係ですが、Aばかりだと素っ気ない他人行儀となります。利用者さんを心から笑わすには、自分が自然とFCを出せる事が大切なのです。どうやったら仕事中にFCを出せるでしょうか。それは、仕事を子供の頃の遊びのように純粋に楽しむ事です。そんな事を言うと「介護を遊びだなんて不謹慎だ」と言う人がいます。でもちょっと考えてみて下さい。それは親から刷り込まれた先入観(CP)です。どんな事が自分のFCを素直に出す練(※2)習となるのでしょうか。日常生活で「感情を素直に出す」「趣味の時間を作る」「スキップをしてみる」等、なんだそうです。「なんだ、そんな事か」と思いませんでしたか? では明日からは、スキップをしながら利用者さん宅に訪問してみましょう。
紙面研修
救急車の呼び方■■■
  • 意識レベルが低い。呼びかけへの反応が薄い(寝てるわけでは無い)
  • 呼吸が苦しい様子。唇が紫色。(心臓?)
  • 胸痛がする。(心臓?)
  • 怪我をして自力で動けない。強い痛みがある。
  • 腹部を強く打った後、痛みが強く、嘔吐や吐き気がする。(内臓?)
  • 広範囲なやけどをした。
  • 頭を打った。または、その他の理由で意識状態がおかしい。(頭?)
  • 転倒などで、手や足の一部または全部に力が入らなくなった。(脊椎?)
  • 転倒などで、強い痛みがある。(骨折?)
  • 激しい腹痛がする。(胃腸?内臓?)
  • 多量の吐血や下血がある。(消化管からの出血)
  • 痙攣が続いている。(脳?神経神経障害?)
  • バレー徴候がある。(脳卒中?)
これら以外でも、緊急に病院へ搬送する手段のないときは救急車を要請して下さい。

通報の際は、おちついて、はっきりと通報する。(事務所と連携済の状態で対応します)
  1. 119番にダイヤル(携帯電話がベストです。電話しながら作業ができます)
  2. 火事ですか?救急ですか? →「救急です」 どうなさいましたか? →「訪問介護のヘルパーです。利用者さんが…」
〇訪問したら倒れていました。

〇目を離した隙に転倒して、起き上がる事が出来ません。股関節に痛みを訴えています。

〇訪問したら椅子に座って目を閉じていますが、呼びかけに名前は答えられますが、普段会話ができる方なのに、会話ができません。意識レベルがおかしいです。

※緊急性があると判断した根拠が伝わるように話す。

通報されてる方はどなたですか?→「ヘルパーの〇〇〇〇です。」

住所はどちらですか?記録ケースの中のケアプラン、介護保険証、テーブル上の郵便物等で確認

緊急連絡先一覧があると便利。

連絡先は何番ですか?→「この携帯番号でお願いします」

→これから救急車が向かいます。

「今救急車呼んだからね」と安心させる。

※この間、救急車と一緒に持っていく荷物をまとめる。(折り返し電話がかかってくる)

現場で全てを対応している場合は余裕があれば家族に「救急車を呼びました。搬送先が決まったら病院に向かえますか?」と電話する。

3.救急隊です。どのような状態ですか?いつからですか?

→先ほど伝えた情報を再度まとめて伝える。要介護〇、性別、氏名、生年月日も。

「○○さん、いつからですか?…ご本人に聞いたら昨夜からこの状態だそうです…」等、

(突然の激しい頭痛、急な息切れや胸痛や呼吸困難は、脳卒中や心筋梗塞か?)

4.サイレンの音が聞こえたら、可能であれば表に出て救急隊を誘導する。

5.救急隊が到着したら、行った応急手当、容体の変化、既往歴などを報告する。

救急隊は利用者さんのバイタルを確認する。

飲まれてる薬はありますか?→「用意してあります」等、薬の情報を伝えたりします。

かかりつけの大きな病院はありますか?→診察券を渡すか病院名診療科を伝える。

(搬送先選定に必要な情報です)

ご家族はどちらですか?→緊急連絡先への対応状況を伝える。

(搬送先の病院で手続きが必要で、連絡が付かない・身寄り無し等だと救急車に同乗を求められる)

ヘルパーさんは基本的には同乗しません。 現場でわからない情報は事務所に問い合わせをする。

6. 救急隊は利用者さんをストレッチャーに乗せて救急車の車内へ運ぶ。

※火の元の確認、窓と玄関の施錠、利用者さんの荷物を救急車へ運ぶ。

搬送先が決まったら救急車は出発します。事務所・ケアマネ・家族等へ搬送先を連絡する。



 



 

 

 

 

 

 

~~合同ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 令和1年 8月23日 金曜日

暑気払い(研修会)と同時開催。(案内は別紙)

当日は、懇談が中心となります。ざっくばらんに話し合いましょう。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

 

 


紙ふうせんだより 6月号 (2019/07/12)

2019年(令和元年) 6月 水無月号

雨にも負けず 自分にも負けず

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。今年の梅雨は、しとしと長雨というより、大量に降っては晴れるので、まるで熱帯のようですね。ともかくこの時期は食中毒などにご用心。また、雨の日の自転車移動は見通しも悪くなるし、注意が前方ばかりに向きますので事故に注意して下さい。余裕を持った早め早めの移動をお願いします。

悩み苦しむ人とどこまでも一緒に悩み苦しむ」 宮澤賢治の覚悟

雨の季節に必死で自転車を漕いでいると、「雨にも負けず 風にも負けず」と東奔西走する一編の詩が思い出されます。この宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を読むたびに、困っている人や悩んでいる人に“寄り添う”とはどのような事なのか、考えさせられます。

宮澤賢治は、東北の貧農たちと同じ生活苦を味わいながら、彼らの生活向上を目指す事を自らの理想としました。自ら農作業に勤しみ極端な粗食を良しとし、その中で農業技術者でもあった賢治は、周辺の農民達に肥料相談や稲作指導を行い、農民のための農民による芸術の実践をなど試みました。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とした賢治は、無理が祟り37歳でこの世を去っています。賢治の遺した手帳の書付け「雨ニモマケズ」からは、心の底に秘めていた想いが伝わってきます。「涙を流し」「おろおろ歩き」「みんなにデクノボーと呼ばれ」「ほめられもせず」などは、自分の能力を誇る事を徹底して拒否し、自分が無力である事を肯定し、それでも、だからこそ自分自身は悩み苦しむ人とどこまでも一緒に悩み苦しもうとしています。「そういうものに わたしはなりたい」という賢治は、自分の苦労が報われない事も覚悟しています。本当の心の痛みは、力があるから、強いから、知識があるから、専門家だから“助けてあげられる”というものではありません。それを知っているから、賢治は必死になって心の痛みに寄り添うのです。苦しむ人の「支え」となるものは、“解決策が与えられる事”ではなく、共に悩んでくれる人の「存在」なのです。

 

終末期に必要な「共に老い、病むべき仲間」による「支え」

終末期ケアでの

「ケア」の定義
CURE(キュア)

(治す・癒す)
CARE(ケア)

(配慮・気配り)
認識の原点 生を基点、病を治す 老い・病・死を基点
目的 健康に戻る 意味ある生の完成
援助者の立場 患者から見て指導的立場 共に老い、病むべき仲間
http://www.grief-survivor.comより、一部改変し引用
かつて“スパゲッティ・シンドローム”(延命装置などのさまざまな管に繋がれた状態)として、命の尊厳を脅かしていると批判された終末期の医療は、その反省から「治療」から「緩和医療・ケア」へと、残された人生のQOLを重視する方向へと転換するようになりました。「援助者自身が、共に死すべき者、共に老いるべき者、共に病むべき者として、有限な存在である自己を受容し、苦しみのなかにあるひとの想い・願い・価値観が成長し、変わるのを支える」と『ケアの思想と対人援助』(村田久行)にあるように、ケアを行う援助者の持つ意味も、「専門家による指導」から「共に老い、病むべき仲間」による「支え」へと転換してきました。

一回限りの人生を自分らしく生き抜くために

人生の最終段階で生じる「私は私でいてよかったか?」という人生の全てを振り替えるような疑問は、身体や精神よりも根源的なものとしてスピリチュアルペイン(魂の痛み)とも呼ばれていますが、それは“存在の苦悩”として実は誰でも持っています。「何のために生きているのか」、今まで一度も考えた事が無い人は居ないでしょう。自分が乗っていたバスが事故に遭って乗り合わせた人が亡くなった時には、「なぜ自分は生きているのか」と考えます。物心がついた頃に「人はなぜ生まれて死んでいくのか」と思ってみたり、終わりなき日常に「毎日繰り返される体験の意味は何か」と悩む時もあります。全てそれらは人生の『意味』についての問いであり、その回答を示さなければならないのは他でも無く自分自身であり、一回限りの自分の人生を自分らしく生き抜いてみる以外に答えはありません。このような人生の問いと答えには、専門家というものは存在しません。生老病死の意味を悩み『意味ある生の完成』に向けて生きているのは、利用者さんだけではなく私たち自身も同様なのです。
※宮澤賢治の自宅兼私塾兼集会所の羅須地人協会の黒板には、「下ノ畑ニ居リマス」とあった。「…おやつはそこに置いてあるよというやさしい心ずかいの意がかくされてあったのです。私たちは学校の帰り先生の家を訪ねては、おやつ捜しに入り、それをかってに取り出しては食べて帰るというのがなんとも楽しくて…」(当時の塾生の回想)
私たち自身が利用者さんと「共に老い、病むべき仲間」であろうとし続けるのであれば、利用者さんの苦悩は私たち自身の苦悩の一部となります。その時、私たちが安易に答えを出そうとするのではなく利用者さんと一緒に悩む事によって、その態度こそが、利用者さんが自分の答えを自身で見出していく支えとなるのではないでしょうか。ここに「人が人に寄り添う」ケアの本質があります。“生の完成”という大事業は創造の苦しみを必要とします。自暴自棄になって介護拒否をする方がいたら、その人自身も悩んでいますが私たちも悩みます。寄り添う事は言いなりになる事ではありませんから、提案が意に添わなかったために「デクノボー」と罵られる事もあるかもしれません。その時に刺された私の心の痛みは、その人の持つ痛みでもあるかもしれないと思い至る時、時を同じくして、自暴自棄という表現の裏側にある悔しさや憤りや悲しみの「意味」に、その人自身が気が付つくかもしれません。倒れた者もいつかはそうやって、これこそが自分の人生なのだと、一回限りの人生をもう一度自分らしく生き抜いて(死んで)みようと覚悟を決めるものです。私たちに必要なのは、その覚悟への歩みを見守り、隣に居ようとし続ける私たち自身の覚悟ではないでしょうか。

 

緊急時対応チャート

詳しくは紙面をご覧ください。

 

労災(労働災害)にご注意下さい


★介護中の事故(ヘルパーさん自身)→ぎっくり腰、圧迫骨折

◎腰痛予防などのために、就業前に準備運動をしましょう。

※無理な動作はしません。

◎入浴で血行をよくして、筋肉の疲労や強張りをとりましょう。

 

~ヘルパーミーティングのお知らせ~

月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催しています。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

◎入浴で血行を良くして、筋肉の疲労や強張りをとりましょう。
梅丘ヘルパーミーティング

7月17日(水)18:30~
【研修】熱中症・脱水対策(佐川)
祖師谷ヘルパーミーティング

7月23日(火)18:20~
【研修】残存能力を奪わない介護(小泉)
 


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