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紙ふうせんだより 5月号 (2018/07/06)

2018年(平成30年) 5月  皐月号

紙ふうせんたより

「公の論理」と「場の論理」と「個の論理」

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。GWはありがとうございました。今年の5月は雨が多いようで五月(さつき)晴(ば)れが台無し、梅雨のような時もありました。ところで梅雨の異名は五月雨(さみだれ)ですから、なんか変ですね。五月晴れも五月雨も本来は旧暦で現在の6~7月にあたるので、本当の五月晴れは梅雨の晴れ間を言うんですね。でもNHKではこれを五月の晴天に使うんだとか。そろそろ「五月晴れ」とお別れし「五月雨」の季節です。季節の変わり目は体調を崩しやすいのでお気をつけ下さい。五月(ごがつ)病という名称もあるくらいですから。

何を判断基準とするのか? 空気を読まなければならない息苦しさ

「五月病」とは新入生や新社員が、GW明けごろからわけもなく憂うつな気分になってしまうことがよくあるために付いた名前で、日本特有なんだそうです。精神医学での診断名は「適応障害」、新しい環境に適応しようとして疲れ果ててしまった状態と考えられます。個人のライフステージの変化の結果として社会生活の場が変わっていくのは、文明社会であれば当たり前なのですが、それが日本では“病気”を作り出してしまうのは一体なぜでしょう。最近では、4月から我慢を重ねて慢性化してしまい6月になってうつ病と診断される「六月病」も増えているそうですから、日本の社会の構造的な問題と考えられます。

よく言われる事ですが、欧米では自由・平等な個人を前提とし個人と社会の関係を契約のような対等な関係と考え、その関係のルールは自ら変更可能と考えています。そのルールは、個人の自由(個の論理)に強く関わるため普遍的人権を基礎として、民主主義的合意によって合理的に「公の論理」として発展させていきます。そして、何かあった時の判断基準は、公の論理に照らし合わせた「善悪」です。

一方で日本では、「場の論理」に対して個人が従属するべきであるとの考えが根強く、判断基準は場の論理に合致しているかどうかです。「そんなことしてるお友達いないよ、恥かしいよ」という幼児に対する母の小言も街でよく耳にします。場の論理は、人権や法律や公共の福祉や共通善などの公の論理に対しても優位に働きます。『赤信号皆で渡れば怖くない』『長いものには巻かれろ』がそれです。場の論理は不文律であるために責任主体が曖昧で、変えようにも変えるための手続き自体がなく、皆がおかしいと感じていてもどうしようも無いという不合理さも生じます。場の論理は言わば“群れ”の論理で自然発生的な強い序列意識を持ち、“新入り”を仲間として認めるどうかの踏み絵としても働きます。このような中で必死に“空気”を読んで、“自分を殺して”息苦しい「場」に合わせようと我慢した結果、本当に自分が窒息死してしまったような状況が五月病や六月病と言えるでしょう。適応障害という言葉で表すならば単に適応できないのではなく、むしろ優等生的に“過剰適応”しようとしたために“自分自身が見失われてしまった状態”とも考えられるのです。これは日本の社会が未成熟で、「個人」と「公の論理」を育んでこなかった表れでもあります。

「場」に呑み込まれる「公」や「個」

社会の問題を構造的に提示すると、「俺たちの時代はそんな病気は無かった」「今の若い奴らは甘えてる」というような、場と同化したオジサンの声が聞こえてきそうです。それこそが場の論理の強要(ハラスメント)です。財務省トップのセクハラ問題でも「被害女性にも非がある」かのような発言が責任者から聞かれ、男が女に手を出すのは“当たり前”という男尊女卑の場の論理によって、セクハラが正当化されていました。昨今の公文書隠蔽改竄や虚偽答弁問題もバレなきゃ良いといった態度に終始し、公の論理を易々と破り“赤信号”を渡っています。度を越えた『郷に入りては郷に従え』は『出る杭は打たれる』です。公の論理をもとに不正を正そうとする人は場を追われ、居直る人は『寄らば大樹の陰』となり、個人は自らの「自立」を放棄して場の論理と同化し『朱に交われば赤くなる』となります。皆が“赤信号”を渡っても「自分は渡らない」、もしくは「皆が渡ってなくても、安全確認をして私は自己責任で渡る」というものが個の論理であり、責任を負わないところに「個」の確立は有りません。“個人未満”の人が、同調圧力のストレスか嫉妬からなのか自己主張をする個人(場を乱す“外敵”)に向かって、「出しゃばり」などと攻撃を仕掛けるのもよくある光景です。学校などでは、誰かが「あいつ、何かムカつくからライン外しちゃえ」と発信し、他の子が無批判に同調してイジメが始まります。注目すべきは、主導した子も同調する子も場の論理に従ったまでという意識で、それがイジメや悪だという事に無自覚なのです。「何でムカついたの?」の問いには、「何となく…」といった合理性のなさです。

エンパワーメントに必要な「個の論理」

介護保険法には、要介護高齢者が「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」にと「自立支援」が促されています。これが介護の公の論理です。一方で、投げやりに「俺の介護はオマエがやればいいんだ」と言い張る亭主関白や、「家族やヘルパーさんに迷惑をかけたくない」と自らの希望を呑み込んでしまう方などには場の論理の優位が見られます。「本音のところどのような生活を送りたいですか、ご自身の本当の希望は何ですか?」と問いかけてみても、“どうしたら良いか自分でも解らない”と困惑されてしまいます。そのような方は、相手や場面によって希望内容をころころと変え支援者を振り回します。仕方なく便宜的に、家族の要望を一番にして計画を立案し、本人への説得も「みなさん〇〇していますよ」と場の論理を用いる時もあります。

このような難しい状況の時、“プランにはこう書かれているから”“これが介護の常識だから”と現場が疑問を持たないような雰囲気になってしまったなら、介護は発展の機会をほとんど喪失してしまうでしょう。突破口は現場のヘルパーさんの「個性」です。個と個の触発によって、病気や介護に“過剰適応”している“利用者さん”の中から「自分らしい生き方」を発掘して欲しいのです。「個の論理」とは平たく言えば、「自分自身はこうしたい」という意思を持ち表明する事です。「個」が場の論理に呑み込まれてしまった時、人は意欲を奪われます。意欲を引き出す(エンパワーメント)為には、その逆をやれば良いのです。自立支援とは、「今までどのように生きてきたんですか?」と伺いながら「どのように生きたいか?」を一緒に考え実行する事によって、お互いが元気になってくる支援です。

紙面研修
『自立』を目指すための『自立した支援』
【各方面からの「場の論理」の指摘】

第二次世界大戦中に日本を研究した文化人類学者ルース・ベネディクトは、『菊と刀』で日本の文化を“外的な批判を意識する「恥の文化」”と規定、GHQはこれを占領性政策の参考にした。

戦後の保守論壇の山本七平は日本文化を改宗し難い「日本教」であるとし『空気の研究』を書いている。

河合隼雄は『母性社会日本の病理』等でユング心理学や臨床事例や古事記・日本書紀などの考察から日本文化の元型はグレートマザー(地母神=分け隔てなく受容し育くむ反面、抱え込んで自立を妨げ同一化させようとする)であるとして、西洋文化のグレートファーザー(自と他を峻厳に切り分け自立を促す反面、自他の一体感は失われる)と比較している。
豪華客船が沈没しそうな時に船長が乗客に退避を呼びかける。「沈没船ジョーク」と呼ばれるエスニックジョークだ。船長は、アメリカ人に「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」と言い、ドイツ人に「規則ですから飛び込んでください」と言い、日本人には「みなさんもう飛び込んでいますよ」と言う。かくも日本人は場の雰囲気に流されやすい。日本では「場の論理」から「自立」」するのは容易ではない。

一見、公や個の論理のように見える弁舌にも場の論理はある。立場や地位に依存しなければ主張できないようなもの、「お前のモノは俺のモノ」や「反則したら試合に出してやる」「私は権威なんですから、私は正しい」等は、自らが場と一体化した強者の論理であり、場の中の弱者は従わざるを得ない。そこに本当に「個人の確立」があるならば、他者の中にも尊厳ある「個」を認め、それを侵害しないように尊重するはずだ。上下関係による強要はあまりにも原始的だ。誰もが暮らしやすい社会の為にも、“公の論理と格闘して確立された個人”という主権者一人ひとりの創発によって発展する民主主義の為にも、国際社会で外交やビジネスを展開する為にも「個人の確立」=「自立」は、欠かすことはできない。そしてこの「自立」は、身体的・社会的な“外的な自立”以上に自己覚知などの“内面的な自立”が望まれる。仮に身心に障害などがあっても「自分はどうしたいか」という気持ちを主張する事が出来れば「自分らしい生き方」を目指して行けるからだ。

介護現場でも、寝たきり対応したために、本人もそんなもんだと思って受け入れ、結果的に本当に寝たきりになってしまったケースがある。“利用者さん”が受け身になって依存してしまった方が(してくれた方が)楽に思えてくるような状況があるからこそ、場の論理を乗り越えて「自立」のイメージを本人の中に見出していく努力が必要だ。それは、場に関わる支援者自身の『自立した支援』でもある。詩『表札』には、「精神の在り場所」を“自分で決める”“ハタが決めたら拒否をする”という自立への峻厳な覚悟がある。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 2018年 6月21日 木曜日 18:30~

梅丘の事務所内にて

★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 関連項目 移動・移乗の介助(担当・本郷)

(ヘルパーミーテイングと同時開催。個別研修計画に基づく研修会です)
【お願い】平成30年度の健康診断の受診をお願いします。

※オプションは個人負担になります。
 


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