令和7年
いちしんウエルフェア(紙ふうせん)だより 5月号 (2025/06/24)
皆様、いつも有難うございます!気温の上下がありますが、口の渇きの自覚が無くても、発汗による脱水でめまいや倦怠や頭痛が起こることがあります。身体が暑さに慣れていかないうちは、なおさら脱水や熱中症への注意深さが必要です。
帝国海軍の機関兵だったある方は、「地獄の釜焚きで機関室は40度になるんだから、このくらいで暑いなんて言っていられない。」とステテコ姿で言われていました。機関室は蒸し風呂状態で汗が止まらず、作業の合間にポケットの塩をなめ、水筒の大切な水を一口ずつ口に含んでいたようです。機関兵は、機械やボイラーや電気などの扱いを習得し手に職が付くため除隊後の再就職に有利で志望者も多かったのですが、死を覚悟して乗船をしていたそうです。
魚雷が命中した場合は、機関室への浸水やエンジン火災が起こり得ますし、それでも船の動力を生かさねばならず、艦が傾けば平衡を保つために水密扉を閉じて注水が行われるため、脱出は困難です。船と命を共にすることが定められているような兵種でした。
平時の大切さ
1905年(明治38年)5月27日は、日露戦争の勝敗を決する日本海海戦の火ぶたが切られた日です。連合艦隊司令長官は東郷平八郎です。東郷には逸話があります。
「東郷平八郎は、ある時、前方に荷馬がいるのを見て、道の反対側にそれを避けたことがあった。見咎(とが)めた同輩が、『いやしくも武人が馬を怖れて道を避けるとは何事だ』と難詰した。東郷は涼しい顔で、『万一馬が狂奔して、怪我でもして、本務に触りがあれば、それこそ武人の本務に悖(もと)るでしょう』と答えたという。」(※1)
時の海軍大臣は、東郷を連合艦隊司令長官に推薦する理由として「運のいい男ですから」と述べています。東郷の「運」の良さは用心にありました。用心とは、万が一の不測の事態に備えて心を用いることです。
東郷は、連合艦隊の解散の訓示(※2)にも「武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして之を活用する無形の実力に在り」として、目に見えないところの実力を示唆し、「時の平戦により其の責務に軽重あるの理(ことわり)無し」として日常の雑事をも大切にすることを説き、結びに「神明は、ただ平素の鍛錬につとめ戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くる」とし、「古人曰く 勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ」と油断を戒めています。
「二度あることは三度ある」ということわざがあります。二度起こった災難は繰り返す可能性があるから用心しなさい、との戒めです。「二度ある」ということは、そこに禍いを招く要因や特性などの構造あると考えられます。東郷に倣(なら)えば「有事の時と平時の務めの重さは同じ」です。有事は結果であり、平時の中にこそ怠りなく努めるべきことがあるのです。
40年後、日本は敗戦を迎えます。日露戦争の薄氷の勝利に傲(おご)り、「無形の実力」や「戦わずして勝つ(※3)」ことを忘れ、軍事力一辺倒になり大艦巨砲主義(※4)に固執し、武断主義(※5)に走り太平洋戦争を開戦し、「撃ちてし止まん(※6)」といたずらに人命を損耗し、破れたのです。
※1 「修行論」内田樹
※2「海軍名言集」防衛省資料
※3 孫子の兵法の「謀攻」に「百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」とある。戦わずして勝つとは、敵の謀略を知り無効化するなどして戦闘を回避して優位を保つことが最善であり、百戦百勝の戦闘力は最善では無いとの考えです。開戦しなければ敗戦は無いからです。
※4日本海海戦の艦隊砲撃戦に大勝利したことから長射程の砲撃に固執した帝国海軍は世界最強の主砲を持つ世界最大の戦艦「大和」を建造したが、時代は既に航空機にあり戦況は航空優勢が支配するようになっていた
※5武力で物事を解決しようとする主義
※6敵を殲滅するまで戦争を止めないこと |
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平時の些細な問題の中に「事故」がある
「ハインリッヒの法則」と呼ばれる経験則があります。アメリカの損害保険会社の安全技師のハインリッヒが1931年に発表したもので、1件の重大事故の背景には、29件の軽微な事故があり、さらにその背景には300件の不適切事案があるというものです。逆に言えば、不適切事案は1/10の確立で軽微な事故となり、軽微な事故は1/30の確立で重大事故になるのですから、不適切事案に着目していけば、事故は防ぎ得るというものです。
事故を単なる「不運」や「偶然」として片づけてしまわないで、平時の些細な問題を点検していくことが、事故や虐待などの重大事故や重大事案を防ぐ構えとなります。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉は、松浦静山(※7)の剣術の書「常静子剣談」が原典です。プロ野球の野村克也元監督の座右の銘でも知られています。これは、道理を尊重し術の教えを守って戦うときは、勇猛でなくとも不思議と勝つものであり、道理から外れた間違った方法を取れば間違いなく負けるので、理由の解らない不思議な負け方というものは無い、という意味です。同様に、事故には必ず理由があるのです。
※7 本名「清」肥前国平戸藩の藩主であり心形刀流剣術の達人、明治天皇の曽祖父
重大事故や重大事案を防ぐ根本的な姿勢
1946年11月4日、世界戦争の惨禍を反省し「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)が発効し、ユネスコ(UNESCO)が発足しました。憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあります。有事の原因は、平時の「人の心」に作られるという指摘です。これに倣(なら)えば、「介護事故や虐待の芽は、平時の人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に内的な自律から生じる規範(倫理など)を打ち立てなければならない」となるでしょうか。
先日、いちしんウエルフェアの竹内社長も「基本的なところを疎かにしない」と言われていました。事故などを起さない心構えとして「一見介護外のように見える基本的なところ、事業所の金銭管理や整理整頓なども大切にする」との指摘です。また、それが出来ている事業所の方が不思議と業績も良いそうです。これは、根本的な姿勢に関わることです。
私たちの介護の仕事は、ADLやIADLの低下している方が対象であるため、そもそも転倒等の事故の起こりやすい状況にあると言えます。その状況に対しての創意工夫や心配りが足りなければ、事故は必然的に発生します。細部に目を向け些細な変化に敏感になり、不安や疑問はスタッフで共有しているでしょうか。事故の起こりやすい動作時には見守りは欠かせません。
それでも事故が起きてしまうことはあるでしょう。その時はスタッフ個人の責任に帰着して終わりというわけにはいきません。そもそもスタッフはお互いにフォローし合うものであり、気付きに差があれば解った者が声をかけ、力量や情報量の差を組織的に補いあっていくものです。その時の指摘は協働の為に行うものですから、妨げになるような優劣をつける非難であるはずはなく、言う方も聞く方も互いに心を穏やかにし、指摘が何のためであるかを肝に銘じていかなければなりません。ひとり一人の心がけが連帯した時に、それが組織としての「構え」になり、利用者さんを守る「砦(とりで)」、心の拠り所となっていくのです。
紙面研修
失敗を繰り返さないシステム作り
「―人間、一度こうだと思い込んでしまったら、なかなかその考えを変えることができないからね。そうなってしまうと、これから目の前に、いまの話と矛盾する何かが現れたとき、それに対応することができなくなる。」 『向日葵の咲かない夏』道尾秀介(新潮文庫)
「失敗学」について

上記は、「失敗学会」(2002年設立)のHPのトップページに引用されている小説の一節です。失敗学は「事故や失敗発生の原因を解明する。さらに、経済的打撃を起こしたり、人命に関わったりするような事故・失敗を未然に防ぐ方策を提供する学問」(設立主旨)です。
失敗学では、失敗をシステム論的に理解して、システムに「入力」された要因とシステムの特性が相互作用して、失敗という結果が「出力」されると考えます。システム論とは、ある対象を単独の要素ではなく、相互に影響し合う要素の集合体(システム)として捉え、その全体的な構造や機能、相互作用を分析する考え方です。
個人への原因の帰着ではなく、組織的な対応の必要性
私たちは、相互に影響し合う要素の一つ(システムの一員)ですから、職場で起こる失敗には、程度の差はあれ、ひとり一人が関係していることになります。失敗学では、安易に原因行為を「特定」して、その行為者の「責任を問う」、ということを主題としません。
なぜなら、「なぜ、その行為者にその行為を許してしまったのか」という具合に、追及はどんどんとさかのぼることができるからであり、「特定の個人に責任を押し付けて組織的改善を試みない」という他責的なやり方は、無責任なシステム特性となって、一つの入力を切り捨てても新たな別の入力により再び失敗の出力を繰り返すからです。
逆の言い方をすれば、仮に入力にエラーがあったとしても、それは「エラーだよ」と返答し、適切なサジェストを提示できるシステムであれば、失敗の出力を未然に防ぐことができるようになります。大切なことは、失敗を起さないことではなくて、「失敗を繰り返さない」ためのシステム作りと言えましょう。
私たちの「特性」
さて、冒頭の引用です。結局は人間の集合体ですから、人間の特性が最大のシステム特性です。人は、「一度こうだと思い込んでしまったら、なかなかその考えを変えることができ」ません。自分の中の常識を自分で疑ってみることは、たいていの人は難しいものです。思い込みを「否定された」と感じると、よほど信頼している人からでもない限り反発します。「自分の方が良く知っている」「自分は他よりもエライ」と思っていればなおさらです。だから、踏み込んだ発言を多くの人は躊躇します。
上下関係なく相互に指摘し合える心理的安全性のある関係の構築が望まれますが、往々にして、上から言われたことは「おかしいな」と思っても唯々諾々と了解します。失敗学では、「思い込み」をシステムとして修正できない特性を、システムが柔軟性を欠く「思考停止状態」になっていると捉え、思考停止を招く方法を「三大無策」として提示しています。無策とは、表明的な解決策に終始するあまり根本的な解決に結びつかず、実効性に薄いという意味です。
失敗学における「三大無策」
- 周知徹底: 注意喚起しても人は慣れてしまうものであり、注意は持続しがたいものです。周知徹底は一時的なもので、慣れると人は以前の行動に戻ってしまうため、長期的な再発防止には繋がりません。
- 教育訓練: 教育訓練を受けた後も、人は現場の雰囲気や状況の影響を受けやすく、学習通りに実践しない場合があります。学習内容が現場の実情に沿わないと矛盾が生じ、慣習や習慣が選択されます。
- 管理強化: 管理体制の強化は手順の厳守が目的となり、本来の目的が見失われ業務が形骸化します。柔軟な対応を必要とする状況には不向きで、形骸化は臨機応変な対応や創造的な解決策を阻害します。
【POINT】人間は楽な方を選択しがちです。注意持続よりも「慣れ」、学習よりも「習慣」、創造的な解決策よりも「前例の手順」が選択されやすいものです。また、三大無策は上意下達の一方通行になりやすく、その弊害が強ければ、間違っている指示にも黙って従う組織になってしまうでしょう。
思考停止に陥らない方法について考えてみよう(例)
・注意喚起に含まれる意味を確認しあい他の事例へ応用を学ぶ。周知事項は要点をお押え少なめに。本当に必要なことを吟味して、重要な行為は手順化して習慣化を促す。(多すぎる周知徹底は注意の分散となる)
・問題となる現場の慣習や習慣について、個人とグループが相互作用的に気が付くように促す。(一方通行の教育訓練ではなく、お互いの疑問の提示から意識の変化につなげ、慣習や習慣の変容を促す)
・手順化すべきものとすべきでないものを分け、手順化すべきでないものについては本来の目的を確認し、臨機応変な対応方法の様々な意見をグループで出し合うなどして、意見交換自体を促す。(強い管理体制は、意見交換自体を潰す)
考えてみよう
職場に思考停止状態はないだろうか。思考停止に陥らない方法についてさまざま考えてみよう。自分自身を一つのシステムと捉えて、入出力のプロセスを分析してみよう。 |
2025年6月24日 6:24 PM |
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