【紙ふうせんブログ】

令和3年

紙ふうせんだより 6月号 (2021/07/30)


死の自覚に変化する「人生の意味」




ヘルパーの皆様いつもありがとうございます。暑さが増してきました。利用者さんへの水分補給の声掛けや自分自身の水分補給をお願いいたします。



作家でジャーナリストの立花隆(※1)さんの訃報が入ってきました。立花隆さんは『脳死』や『臨死体験』など人間の死に関する著作があります。『臨死体験』は、1991年にNHKスペシャルで「立花隆リポート 臨死体験〜人は死ぬ時 何を見るのか〜」として放映された内容の書籍化ですが、TVでは伝えきれなかった膨大な取材内容が収められ、関連書籍は計4冊にのぼります。驚愕するような証言の数々にもあくまで懐疑的に取材を積み重ね、冷静な筆致で描いていたことが印象的でした。

※1 1974年『田中角栄研究~その金脈と人脈』を発表し、田中角栄首相失脚のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。他には『日本共産党の研究』や『宇宙からの帰還』『青春漂流』など。「知の巨人」のニックネームがある。スタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』では雫の父親役を演じる。2021年4月30日没。享年80歳






「臨死体験」とは何か



臨死体験(近似死体験とも言う)の事例収集は+レイモンド・ムーディやエリザベス・キューブラー=ロスの先行研究があります。それらや立花の結論は、医師から死亡宣告が下されるような生存の危機的状況下で、体験者(患者)が「死後の世界」と感じられるような世界に入って行き戻ってくるという証言が数多くあり、それらは主観的「事実」であり臨死体験は頻繁に起こり得る、というというものです。最近の研究(英国、オーストリア、米国での調査、2014年発表)によると、2060名の心停止患者のうち330名が心停止から生き帰りその中の140名(約40%)が心停止中に意識があったと報告されています。



臨死体験は、医師の死亡宣告や周囲で悲しむ人を体外離脱した自分が見下ろしている状況から始まり、ブーンというような音が聞こえて暗いトンネルをくぐりぬけ、花畑や川や橋などあの世との境界のような所にたどり着きます。そこでは精神的な存在と出会います。「光の生命に包まれる感じ」と報告する人もいます。(人によっては故人や阿弥陀如来やキリストのイメージを見ます。子供の場合は生きている人が出てくることもあります。また良い匂いがすることも。)



そこはとても心地良くこのまま留まりたいと感じるものの、「まだそちらへ行く時ではない」と考え直したり「戻りなさい」と諭されたりします。生涯の回想(走馬燈体験)をする場合もあり、気が付くと自分の肉体に戻っていた、という一連の体験です。それらの要素を全て体験する人もいれば部分的な体験の人もいます。また、無宗教の人も体験しており、知覚される情景のイメージは文化的背景によっても異なりますが、多くの人が「痛みもなく表現しようのない安らぎ」だったと述べていることは共通しています。



立花隆はキューブラー=ロスにもインタビューを行っています。ロスは臨死体験の症例のあまりの多さと自分自身の実体験から、臨死体験を「現実体験説」とする立場を表明しています。対して立花は命の危機に際して脳内に異常が生じ、それが臨死体験を引き起こす「脳内現象説」に寄った立場を取っていますが、体外離脱体験をして見た光景(普通には絶対に見ることの出来ない内容)が「本当にその通りだった」という体験例もあり、現実に何かが知覚されたと見なさないと説明できないケースも多くあります。



より良く生きることへの意欲



「ただ、実をいうと、私自身としては、どちらの説が正しくても、大した問題ではないと思っている。」立花隆は『臨死体験』結びでこのように述べています。



「臨死体験の取材にとりかかったはじめのこころは、私はどちらが正しいのか早く知りたいと真剣に思っていた。それというのも、私自身死というものにかなり大きな恐怖心を抱いていたからである。しかし、体験者の取材をどんどんつづけ、体験者がほとんど異口同音に、死ぬのが恐くなくなったというのを聞くうちに、いつの間にか私も死ぬのが恐くなくなってしまったのである。(中略)



もう一つ、臨死体験者たちが異口同音にいうことがある。それは、『臨死体験をしてから、生きるということをとても大切にするようになった。よりよく生きようと思うようになった』ということである。(中略)みんなよりよく生きることへの大きな意欲がわいてくるのである。それは、なぜか。体験者にいわせると、『いずれ死ぬときは死ぬ。生きることは生きている間にしかできない。生きている間は、生きている間にしかできないことを、思いきりしておきたい』と考えるようになるからであるという。」



自らが生きることによって示す「人生の意味」



世界中に「死を忘れるな」という格言があるのは、「臨死体験における人生観の変化」と同様に、「死の自覚によって生の意味が裏打ちされる」ことを示しているのでしょう。



死がそう遠くない先に待っていることを自覚した人は「残りの人生から何を得られるか」「残りの人生に何を期待できるか」と自問します。やり残した仕事を完成させたい。自分が生きた証として何かを残したい。旅行に行って美味しいものを食べたい。そう思ってあれこれ考えを巡らせるかもしれません。しかしそうしているうちに体は衰え歩くこともままならず思考も働きにくくなったとしたら、「残りの人生に何も期待できない」となってしまうのでしょうか。



確かに何かを作りあげる「創造価値」や素晴らしい体験をする「体験価値」の機会は、失われていくものです。しかし体の自由が全くきかないような状況になったとしても、息を引き取る瞬間まで「態度価値」は示すことができると言います。「態度価値」とは、運命から挑戦を受けた自分自身が、運命に対してどんな態度をとることもできるという“意思の自由”によって示される自分自身の尊厳なのです。「より良く生きる」とは、人生に何かを求める態度ではなく、生きることによって自らの「人生の意味」を示すことではないでしょうか。「態度価値」を提唱するV・E・フランクル(※2)は、人生の意味はその究極において「つくりだされるものではなく、発見されるもの」と述べています。自分の外側に答えを求めてばかりいては、自分の心の内側に生じる「意味」を見落としてしまうのです。

※2アウシュビッツ強制収容所を生き延びた精神科医。フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」(1905-1997)。実存主義をもとにした実存分析を創始し「ロゴセラピー」を展開。深層心理学に対比させて「高層心理学」とも呼ばれる。フランクルは立ち位置を「巨人の肩の上に立っている小人は巨人自身よりも遠くを見ることができる」と述べた。





それはなんだろう



幼くして筋ジストロフィーと診断され10歳で行動不能となった石川正一さんが、自分の余命を父に聞いた14歳の時に記した詩を紹介します。石川さんは23歳で亡くなりました。



「たとえ短い命でも/生きる意味があるとすれば/それはなんだろう/働けぬ体で/一生を過ごす人生にも/生きる価値があるとすれば/それはなんだろう/もしも人間の生きる価値が/社会に役立つことで決まるなら/ぼくたちには/生きる価値も権利もない/しかし どんな人間にも差別なく/生きる資格があるのなら/それは何によるのだろうか」









紙面研修
「人生の意味」を見出すロゴセラピー



【ロゴセラピーの基本的な考え方】



  1. 人間は様々な状況・条件下であっても、自分の態度決定の自由(意思の自由)を持っている。
  2. 人間は生きる意味を強く求めている(意味への意思)。「生きる意味が無い」ような嘆きは意味を見失っている状態と考えられる。
  3. それぞれの人生にはその人独自の意味があり(人生の意味)、それを見つける事が大切。






私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答をださなければならない存在なのです。『それでも人生にイエスと言う(V・E・フランクル)』

 



フランクルの心理学は「人生にはどんな時も意味がある」と考えるため、「人生に意味は有るか?無いか?」との問いは“ズレた問いの立て方”なのです。自問自答は大切ですが、人生の諸問題には自らの生き方によって「回答を示す」(人生の問いに対する「応答責任」)ことがより重要なのです。



人生を意味あるものとする3つの価値



人間の本当の関心事は、自らの人生の「意味」であり、快楽を探すことや苦痛の軽減は表面的なものと考えられます。人生に意味があると決めている人は、人生の困難を乗り越えていこうとし、その苦しみにも意味を発見することができます。「創造価値」や「態度価値」の実現に行き詰まったとしても「態度価値」はどんな状況でも実現可能であるため、「意味が無い」との嘆きは前者のみに固定された価値観を持っていると考えられます。ユーモアによって自分の頭を柔らかくしましょう。




創造価値」…人が何かを創造することによって、世界に何かを与える価値
体験価値」…人が人との出会いや経験を通じて、世界から何かを受け取る価値

態度価値」…人が現実に対して「とる態度」によって実現される価値





※態度価値は、それが形に残らなくても記憶する人がいなくても成立します。世界や人間存在の意味は、自分自身で意味付けをするものだからです。行為や態度の伴わない意味はあり得ず、人間や自己の「尊厳」も態度で示すからこそ実現されると言えるのです。(考えてもわからないなら、考えをいったん脇において「できることをやってみる」「決めつけないで、待ってみる」というのもアリです。)



ロゴスセラピーの具体的手法 「逆説志向」と「反省除去」



ロゴセラピーは嘆く人に対して「あなたは生きていてもしょうがないとおっしゃいますが、どうしてそう思うのですか?」などの平易な言葉による対話で、人生や出来事への「評価の仕方」が柔軟になるように働きかけます。その自身が自分で意味の再発見ができるように手助けをするのです。



【逆説志向】 予期不安の悪循環を終わらせます。(介護に即して)「転んだら終わり」と自分に言い聞かせる→出かけたら「転ぶのではないか?」との予期不安が増大する→ますます出かけられなくなる→予期不安の悪循環



★逆説的に考えて、不安の対象の「お出かけ」をあえて実施する→転ばないことを学び、予期不安を解消する。



(point)本人の意思でチャレンジができるように、ユーモアで気持ちを盛り上げて積極的に不安を受け入れる。ユーモアで不安に囚われている自分を笑い飛ばす。



★(自分で自分に行う場合)人前でのスピーチに緊張してしまう人が、「人生で一番緊張して世界一恥ずかしい自分を晒してやれ」「赤面して滝のような汗をかいてガタガタふるえてやれ」と自分に言い聞かせると案外普通にやれたりします。例えば不眠症でも「今晩は朝までアレコレ考え抜いてやろう」と腹を据えると、「眠れなかったらどうしよう」という不安から離れられます。このように自己の囚われから離れることを自己距離化と言います。



【反省除去】 過剰な反省に気が付き、反省を意図的にやめてみます。何か失敗した時に「やっぱりダメだった」と呟いてみたり、人と比べて「私はダメなんだ」と思ってしまうのは過剰な反省です。これは、物事に対する過剰な期待や「自分」にこだわり過ぎること(自信を失ったからこそ、自分で自分を何とかしたいと空回り)等の「自己執着」から起こります。



★このような時は、反省過剰な「意識」よりも自分の「無意識」を信頼するように勧めています(自己離脱)。反省ではなく自分のやるべきと思うこと(3つの価値)に意識を向け没頭することによって、そこから生じてくる新た気付きが自己の囚われのブレイクスルー(自己超越)となる場合があります。(無意識が活性化して思いがけぬところから「意味」が発見できるかもしれません。)


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