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平成26年

平成26年3月 紙ふうせんだより (2014/04/23)

     ひかる

     わたしは だんだん

     わからないことが多くなる

 

     わからないことばかりになり

     さらに わからなくなり

     ついに

     ひかる とは これか と

     はじめてのように 知る

 

     花は

     こんなに ひかるのか と

     思う

 

これは、童話作家・工藤直子の『てつがくのライオン』からの引用です。

この児童文学の詩を、成長過程での子供の心という風に読んでいくと興味深い。例えば子供が学校で「昆虫の脚は6本です」と学んだとしよう。“勉強”のできる子は「6本ね」と暗記して、次の新しい知識を覚えるのに忙しい。しかし、勉強のできない子は、「なんで6本なんだろう」とか「人間は2本足なんだけどどうして違うの?」とか「6本もあるとどうやって動かしているんだろう、大変そうだ」とかいろいろ考えていく。「ムカデは何本なんですか?」なんて質問しようもんなら「今はムカデの話なんかしていません」と怒られてしまう。膨らんだいろいろな謎に、頭がいっぱいになって先生の言葉が耳に入らなくなる。「どうしていろんな生き物がいるんだろう」とか「なんで生きているんだろう」など、どんどんわからなくなってくる。考えれば考えるほど、どんどんわからなくなって、今度は親に質問すると、変な子だと思われてしまったりする。

 

しかし大人は子供のようには考えない。知識を増やす事は“わかる”という事だと考えている。だから、大人は子供よりも世の中の事を解っていると、大人は思っている。子供を育てる事は、“正しい知識”を教え込む事だと信じて疑わない大人もいる。

 

しかたがないので子供は大人に聞くのをやめてしまう。「このお花なあに?」と聞いても、名前は教えてくれるけど、どうしてお花はお花なのかは、大人は誰も教えてくれないから。だから、一人心の中で子供は花とお話しをする。なんで咲いているの?どうしてお花なの?なおも花を見ているうちに、ぱっと気が付く。「花はひかっているんだ。ひかりたいんだ!」それは自分だけが見つけたないしょの答えだ。子供は自分だけの秘密を胸に、その眼を輝かせる。自分の心の中に秘密の花が咲いている間は、自分は頑張れると思う。自分も花のようにひかりたいと思う。そして思う。成長すると、きっと、もっともっとわからない事が増えるんだな。簡単に解ったふりをしてしまっては面白くないな。と。

 

ところで、「ひかる」を認知症高齢者の詩として読んでみるとどうだろう。これも素晴らしく面白い。

 

認知症になると、大脳新皮質(合理的で分析的な思考や、言語機能をつかさどる)は、委縮してゆくが、大脳辺縁系(情動の表出、食欲、性欲、睡眠欲、などの本能や喜怒哀楽などの情緒をつかさどっている)は比較的保たれていると言われている。

 

「ひかる」では、今まで何度も見てきた花を今初めてのように“ひかる”と感じて驚いた上に、“ひかる”という言葉は知っていたけど、本当の“ひかる”はこんな事だったんだとさらに発見し感嘆して花を見ている。どうしてこのような発見ができたのかと言えば、「わからないことが多く」なったからである。これは、言語的思考での“知る”は単なる知識的理解に過ぎないが、言語的思考を離れたところに本当の“知る”が立ち現われてくる事を表している。この瞬間、未来も過去も刹那に収まり、全ての不安が霧のように去り、全てが手に取れるような輝きを放ち、透明な心に沁み込み満ちてゆく。

 

     みえる

     ナスもトマトも机もペンも

     みな元気でやっているような

     朝がある

 

     風景が透きとおり

     ナスやトマトや机やペンが

     見えすぎる朝である

 

     みえすぎて

     驚いてとびのく朝である

 

     ものたちはおそらく太古から

     わたしは ひょっとして今まで

     目を閉じつつけていたのではなかろうか

     と思われる朝である

 

 

この詩も同じ著作からの引用だ。

「ひかる」や「みえる」のように、存在の本質に触れるような感触を得た時、人は、自分自身が永遠の中に位置づけられるような、深い安定した気持ちを得る。存在の根源に迫ろうとする時、言語的思考はかえって妨げになる。禅が「無念夢想」を強調するのはそのためだ。言語的思考の束縛から解放され、わからないことが多くなる認知症も、決して悪くないと言っても良いのではないか、と思われる春である。

 

桜の花はどんな風に咲いているのだろう。風にそよぐ様はどうだろう。花びらの形はどんなだったろう。ミツバチは来るだろうか。雀も来るだろうか。蝶は飛んでいるだろうか。

幹のごつごつした風格は何だろう。そんな事を考えながら、でも頭を働かせる事は辞めて、心を働かせよう。ただ、感じる事に集中しよう。頭の声よりも、もっともっと小さい心の声が聞こえてきたら、今度は花の声も聴いてみよう。花の声が聞こえてきたら、花の魂は見えるだろうか。でも、形に捕らわれていたら、本当の姿は見えてこないのかもしれない。心を空っぽにしてただ花を見て、ただそこに居ることを感じていく。私の体に風が吹き込んだ時、風に吹かれて揺れている、何かひかっているのものが見えてくるかもしれません。


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