1. HOME
  2. 2019年10月

月別:2019/10

紙ふうせんだより 9月号 (2019/10/31)

転換点はどこにあるのか

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。気が付けば夜道では秋の虫が鳴いています。9月5日に千葉県に上陸した台風15号は甚大な被害がありました。皆様が少しでも早く生活再建ができる事を祈っています。災害に乗じてインターネットでは関東大震災を模倣した悪質なデマが流されました。「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」というものです。同様のデマは熊本地震の時にもありました。これは冗談では許されない人権問題です。また、関東大震災で一体何があったのかを知れば見過ごす事はできません。関東大震の事件は周辺諸国への差別感情を増幅させて日本を戦争への入り口に立たせたのです。

日常的な差別感情がヘイトクライムに発展し、日本は正常な判断能力を失った

「その時私は6歳で中野に住んでいたんだけど、友達の家にいたら凄く揺れて、そこのお父さんが必死にタンスを押えてた。」今年で102歳になる利用者さんの思い出です。

1923年9月1日11時58分、相模湾海底で蓄積したプレートの歪みが一気に放出された。地球規模で見れば僅かな身震いだが近くには大都市があった。倒壊した建物からの火災はなすすべなく東京市内の64%の家屋が焼失、死者は10万とも14万人とも言われている。大災害は人々の心に鬱積している歪みをも一気に放出させる。不安と混乱が群集心理に火をつけた。「不逞朝鮮人が暴徒化、井戸に毒を入れ放火して回っている」等のデマが拡がり、新聞がフェイク記事を拡散。各地で自警団が組織されて警察や軍人も加わり、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」を言わせ、うまく言えない人を朝鮮人として数千人以上を殺害。知的障害者や聾唖者や中国人も多数殺害された。混乱に乗じて、民主化を要求する社会主義や労働運動や婦人解放運動の活動家を憲兵や警察が組織的に連行して10数名を私的に処刑する事件(甘粕事件・亀戸事件)も起きた。自警団で処罰された者は無く、誰が何の目的でデマを流したのか不明のまま政府は情報統制や検閲で虐殺の事実を闇に葬った。

日本は民主主義の終わりと戦争の入り口に立っていた。第一世界大戦後の不景気にあって米騒動があり、大正デモクラシーの民権運動や労働運動は高揚、対抗して右派も勢力を伸ばして社会は対立に揺れていた。植民地支配していた朝鮮では、日本の友好国として平和的な独立を目指した3.1独立運動が起こったが、日本側は7500名以上の朝鮮人を虐殺して弾圧。新聞は「不逞朝鮮人の暴動」と決めつけ差別を煽った。“平民宰相”が暗殺され社会不安が増大する中で大震災が起きた。命がけで朝鮮人への襲撃を止めた警察官がいた一方で、軍や警察もデマを流した。不安と混乱は強権政治を呼び込み震災直後に発布された「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」は悪名高き治安維持法の前身となる。日本は、震災後の金融政策の失敗から金融恐慌となり世界恐慌に呑み込まれ、不景気の打開策を「日(※)本の生命線 満蒙」として海外利権獲得に求めた。1931年9月18日、陸軍が独断で南満州鉄道を爆破して中国への侵略(満州事変)を開始。以後、1945年の敗戦まで日本は戦争漬けとなっていく。

米騒動1918、3.1独立運動1919、国際連盟発足1920、原敬暗殺1921、治安維持法1925、世界恐慌1929、満州国建国1932

※1931.1に松岡洋右(当時野党)が発言し流行語に。松岡は1933年外相として参加した国際連盟で脱退を表明。




健康診断を受診して下さい

受診結果と領収書をお持ち下さい。




無自覚さは、失敗を自覚できない。

私たちが関わっている利用者さんの多くの中核的な体験となっている“大東亜戦争”に至る淵源を大正末期までたどってみました。無自覚に差別に加担した人々は、近隣諸国民を蔑視するこの道がやがて泥沼の侵略戦争となり敗戦に至る亡国の道だという事を、どれ程理解していたでしょうか。「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という格言があります。「易きに流れる」という人の持つ無自覚さが、人を低きに導くのです。人は、自分にとって気持ちのいい方向を望みながら、気が付けば「何で気が付かなかったんだ」という後悔の中に立ちすくみます。その時になって「一体何が悪かったんだ」と考えてみても、昔の出来事は、様々な要因と結びついていて明確な事が言えなくなっています。だからと言って、「想定外だった」「仕方がなかった」「気が付かなっかた」では何の反省にもならず、失敗から学ぶことはできません。失敗を自覚できていないからです。自戒を持って私はこの文章を書いていますが、例えば小学生が夏休みの最終日に残された宿題の山に泣きながら取り組むという事も、「早くやっておけば良かった」と結果論的には思いますが、一つだけの直接的な原因となる事象というものはありません。その気になれば、いつの段階でも流れを切り替えて宿題を開始する事が可能だったからです。しかしできなかった。「いつでもできる」という自分の慢心と、慢心に対する無自覚さが、自分をそうさせてしまったのです。

悪くなっていく 良くなっていく、その転換点はどこにあるのか

低きに流れる方向づけは、自然と気が付きにくい形でやってきます。昔の人は「油断大敵」と言って、注意を少しでも怠れば思わぬ失敗を招くから、十分に気をつけるべきであると戒めていました。一方で、高きに流れを変えていく転換点は、自然には絶対にやってきません。自覚と決意が無ければ転換点は作れないのです。逆に言えば、深い自覚と固い決意があれば、どんな状況からでも転換点を作る事が出来るのではないでしょうか。

介護に即して考えてみましょう。ヘルパーさんや利用者さんがお互いに、いつものケアを楽な方法でいつもの様に続けて行けば、そこに漫然としたものがある限り、気が付けば利用者さんのADLは必ず低下しています。「高齢だから仕方がない」と言ってしまう事は容易です。しかし介護とは、ADLや活動性が低下した人に対応する事が前提です。意欲の低い方や理解の乏しい方、年齢から諦めているような方に対しても、自立への転換点を作っていくために「何ができるのか?」が、最初から問われているのです。そして、介護の専門職の私達のとる態度が、利用者さんにとってどんな意味を持つのか常に自覚的でありたいと思います。

その後の日本について

満州事変以後、「万機(ばんき)公論に決すべし」という理念をかなぐり捨てて日本は強権政治をますます強めていきます。政府は「非常時」や「国難」を叫び、話し合いによる合意形成を軽んじました。その結果、問答無用の強固な主張が正論とされ、総理直属の総力戦研究所が日米戦争「日本必敗」のシュミレーション結果を示したにも関わらず開戦を決断してしまいます。

満州事変の年に生まれた利用者さんは先日、ヘイトスピーチが増えている状況等を踏まえ、「憲法改正したがる安倍さんは、戦争したがっているのではないか?」と呟いていました。戦時中を知る人の言葉として重く受け止め、怠りなく注意を向けていきたいと思います。

吉野作造の1923年10月末の聞き取りでは2613人の朝鮮人の殺害が記録され、世田谷区では三軒茶屋で2名のみとなっている。しかし千歳烏山では13名の朝鮮人が暴行され1名が殺害されている。起訴されたが放免となった自警団の12名を労って植樹された12本の椎の木が烏山神社に現存している。朝鮮人の殺害は6000人を超えるという研究もある。

 
政府によって徹底的に隠蔽された「関東大震災朝鮮人虐殺事件」の真相 (現代ビジネス)西崎 雅夫 

多くの朝鮮人や中国人が虐殺された。その数は数千人とも言われているが、実際に何人の方が犠牲になったのか、じつは震災から93年がたった現在でも詳細はわかっていない。

その要因のひとつとして、当時の政府の徹底した事実の隠蔽があげられる。

次の2つの証言を見比べてもらいたい。当時尋常小学校5年生の生徒が、震災直後に書いた作文である。

「3日に伯母さんから「朝鮮人が火をつけて歩く」というお話をきいて僕は驚いた。するとその夜「わっ」というさわぎがあちこちから起こり、同時に「ぢゃんぢゃん」と半鐘が鳴り出した。間もなく「ずどん」とピストルの音がした」

「3日に伯母さんから「しっ火がある」というお話をきいて僕は驚いた。するとその夜「わあっ」というさわぎがあちこちから起こり、同時に「ぢゃんぢゃん」と半鐘が鳴り出した。間もなく「どしん」となにか崩るる音がした」

上が元の作文、下が検閲後に発行された作文集『子供の震災記』に所収された作文である。
へイトスピーチ対策法

2014年、日本はヘイトスピーチ(外国人や外国出身者への人種的偏見や差別助長・憎悪表現)を野放しにしていると国連より是正勧告を受けた。オリンピックのホスト国になる事もあり、「ヘイトスピーチ対策法」通称)が、日本に居住している外国出身者やその子孫に対する差別意識を助長・誘発し、地域社会から排除することを扇動するような言動の解消に取り組むことを定めた法律として2016年に施行された。しかし2018年に国連人種差別撤廃委員会は、対策法を施行した後もヘイトスピーチがなくならない現状に懸念を表明し、対策が限定的で不十分だと日本に対して4度目の勧告を行っている。

法務省のHPには、『平成29年10月に実施された「人権擁護に関する世論調査」における「あなたは,ヘイトスピーチを伴うデモ、集会、街宣活動等を知っていますか。」という設問に対して、「知らない」と回答した方は42.6%に上りました。違いを認め合い、互いの人権を尊重し合う社会をともに築くためにも、まずは「ヘイトスピーチ」について知っていただくことが大切です。』とある。




 





 

 

 

 
今、アメリカでは銃乱射などのヘイトクライム(人種や民族に起因する憎悪犯罪)が年々増加している。イギリスでも人種に基づく子供のいじめが激増している。ニュージーランドで白人至上主義による銃乱射49人殺害事件が起きたのは今年だ。これらの潮流は、9.11テロ以降、憎悪に対する憎悪による応酬が始まってしまったのと、大国が覇権主義に偏り自己中心的な世界観を是としはじめている事などの影響が考えられる。日本でもヘイトデモが頻発している。お笑い芸人では、Aマッソが「大坂なおみに必要なものは? 漂白剤!」とやってみたり、金属バットが「黒人が触ったもの座れるか!」など差別ネタを“笑い”や“楽しい”事だと勘違いする不見識さを披露している。日本にも無自覚な差別が蔓延している状況がうかがえる。来年は東京オリンピックで多くの外国人が訪れる。厳重警備の緊張状態の中に「〇〇人がテロを企てている」などのデマが投げ込まれれば、ヘイトクライムが起きてもおかしくない。人権や人間の尊厳に関わる福祉職としても、差別に対しては迎合しない毅然たる態度を持ちたいと思う。
 
出勤簿は、お手数ですが「時系列順」に記入をお願いします。

事務所に来られた時は都度、実施記録の提出をお願いいたします。
 

稼働手当を支給します!!

 

特定処遇改善加算Ⅰを紙ふうせんは取得する事になりました。

「経験・技能のある介護職員」に、重点的に支給する加算という観点から、紙ふうせんではヘルパーさんには

稼働時間に応じて支給額を増額する事にしました。稼働時間が多いヘルパーさんは、経験を蓄積し技能を高めていっていると考えられるからです。そのため支給条件は二つあり、介護保険と総合事業の月間稼働時間が所定の時間を超えた者(経験)であり、かつ年間を通して4回以上ヘルパーミーティングや研修会等に参加した者(技能)とします。(今年度の支給は、急遽という事もあり残りの半年間で2回以上の参加で可とします。今後、稼働手当の支給を受けていきたいという方は、ヘルパーミーティング等に積極的に参加して下さい。
前月稼働時間実績 稼働手当/月 条件等
140時間以上 ¥20,000 経験を蓄積し技能を高めていっている登録ヘルパー(資格問わず) 年4回以上、ヘルパーミーティングや研修会等に参加
120時間以上 ¥15,000
100時間以上 ¥11,000
80時間以上 ¥8,000
60時間以上 ¥6,000
60時間未満 ¥0
 
支給方法は、前月の稼働時間の実績に基づき、翌月の給与に上乗せして支給します。給与明細の項目は「特処手当」となります。支給開始は、国保連より特定処遇改善加算が支払い開始となる令和2年1月からで、1月の給与(12月実働分)に11月の稼働時間実績に基づいて「特処手当」を上乗せ支給します。

※稼働時間の実績が非該当のヘルパーさんにも、年1回の一時金支給には、「特処手当」を若干上乗せして支給します。

【災害時対応のケアプラン上の位置づけ~世田谷区への質問~】

「災害が起こった際に、利用者の安否確認を行い必要があれば“落下物の片付け”“安全なところへの移動介助”“食料の買い出し”などを臨時対応として行われると考えるが、それらを介護保険(訪問介護)で算定できるか。またその為に必要な事(ケアプランへの明記・内容等)は何か、具体的にご教示して下さい」と質問したところ、回答は「臨時対応は介護保険で算定できる。但し安否確認のみでは不可で、“何か”を行えば可。しかし“救助活動(と判断される記録)”は不可。ケアプランへの災害時対応の明記は望ましいが、無くても算定できる」との事でした。ケアプランへの明記は取り組んでいきたいところです。
梅丘・祖師谷合同ヘルパーミーティング

10月18日(金)18:30~
~ヘルパーミーティングのお知らせ~

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修】虐待防止のためにできること (斉藤)
 

 

 

 

 

 

 

 

 


2019年度 防災訓練 (2019/10/18)

令和元年9月6日に防災訓練を実施した。

想定:震度5以上の地震が発生し、事務所が危険な状態

目的

  1. 避難方法・経路の確認
  2. 避難時の持ち物の確認
  3. 経路の危険な場所の確認
まず瀬口CMが全体の流れを説明。各自緊急バッグを背負い裏口から避難する。

道中塀など倒壊しそうな危険を予測しながら、避難場所である羽根木公園管理棟を目指す。斉藤HPを先頭に入山CMが車いす介助を

行いながら慎重に羽根木公園を目指す。目的地に到着した後は状況報告、人数確認。

帰所後は防災用の備品・転倒防止用の突っ張り棒の状況を確認する。突っ張り棒一部緩んでいた箇所があったため直す。

その後通常の業務へ戻った。

まとめ・感想

避難場所への経路・途中の倒壊しやすい地点の確認ができ、災害時の避難の良いシュミレーションになった。利用者ごとに避難方法は違うと思われる
ため日ごろから避難経路・方法や備品について考えておくことが重要であると感じた。


紙ふうせん便り 8月号 (2019/10/17)

2019年(令和元年) 8月 葉月号
命の重みを忘れない

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。8月15日は終戦記念日と呼ばれてています。この日を境に、日本はその姿を大きく変えていきます。夫も子供も居ない独居の利用者さんから自筆の「手記」を託されましたので、ほんの一部を引用しご紹介します。

1945年より前の日本の空気

戦前の日本では、国民は天皇の家来(臣民)であり、お国の為に命をお国に捧げる事こそが尊い生き方とされてきました。それは同時に、“役立たず”とされる働けない人や、子供を産めない女性、兵隊になれない男性は、差別される時代でした。




父が若い時長男に苦労させたからだろう、長男はその恨みを感じているのか父とは何一つ会話しなっかた。母が良いことを云っていたことを覚えている。「昔のことは忘れてお父さんと仲良くお話をしておくれ」今ではお前にだけは済まない気持ちで一杯なんだから…と兄に頼んでいた。でも兄は黙っていた。でも兄はそれよりも自分の病気で一杯だったんだろう。不治の病故明るくなれなかったんだろう。

この兄が生きていたら私の人生も違った道を歩いていただろう。その兄の病がひどくなりひどい息切れをはじめた。すでに苦しんでいたようだ。

或る日珍しく兄が私を呼んだ。「猫がいて眠れないから『猫いらず』を買って来てくれ」私は何のためらいもなく買ってきた。その『猫いらず』を飲んでとてつもなく苦しみ兄はこの世を去った。私は何とも言えない気持ちで一ぱいだった。私はバカだなと同時に何もかも嫌になった。と同時に父が病の床についた。




戦争は“命の重み”への感覚を麻痺させて、人の心をおかしくさせる

人は、自分たちが作り上げた社会に縛られて生きています。国を挙げて“軍国教育”を施した“成果”として、お国の為に自分が死ぬことについて多くの国民は疑問を持てなくなっていました。戦争遂行のスローガンは「一億玉砕」、一億の国民は“玉のように砕け散って死ね!”そうすれば神風が吹いて日本は戦争に勝つ!というものでした。




兄の死後3ヶ月目に父はこの世を去った。「倒れるまで働いた父」「愚痴一つ云わなかった父」いまも思うことは父の言葉ばかりであーしてやりたい、こうもしてやりたい!つくづく思う。

まもなく私は女学校を卒業した。

昭和18年、大東亜戦争ますますはげしくなるばかり、お国の為少しは働きたいと思う心は誰しも強く、私は陸軍病院の看護婦婦生徒として試験を受けた。見事入隊して私達は生徒隊として一年間軍隊生活が始まった。それはそれは厳しい訓練であった。今の時代には理解できない教育であった。

やがて一人前の看護婦となり活躍をした。陸軍病院は完全看護である。軍隊故に身内が「危篤」でも会えないし、又見舞いも許されない。だから身内の居ない部屋で一人でベットで死んで去った兵隊…何人送っただろう…。

お通夜は一人淋しくしてあげる。きっと身内に会いたいだろう、でもその時は思わなかった、ただただお国の為であった。あの時の私達は一生懸命だった。何時死ぬかわからない死を覚悟した毎日がつづいた…。

でも女心にも有意義な日々と思った。今思うと時代の変わりのはげしさに昔のことが夢みたいに浮かんでくる。その時そっと心を寄せていた軍医がいた。「久垣大尉」であった。とても優しい大尉だった。今思うと淡い恋みたいなものだった。無論片思いである。時代としては許されない恋である。

まもなく終戦を迎えた。

考えられない事であった。天皇より終戦の言葉がラジオできかされた。はじめは、まさか天皇陛下だとは思わなかった。ただ頭を下げて聞いた昭和二十年八月十五日であった。広島原爆も長崎原爆も後で報じられた。これから日本はどうなるのだろう、そればかりだった。毎日考えた。まもなく進駐軍が上陸した。軍医衛生兵はみんな階級はずした。外地より引揚げてくる傷病兵の看護と地方患者護送にあたった。ぞくぞく引揚げる傷病兵は長い戦争に疲れた顔々…でも生きててよかったと思う心は誰しも同じであろう。




原爆投下後、8月13日の御前会議では、“特攻”の唱道者の一人大西瀧治郎軍司令部次長が「われわれが特攻で2000万人の命を犠牲にする覚悟を決めるならば、勝利はわれわれのものとなるはずです」と主張している。個人の命の重みは“赤紙一枚”でした。1945年9月発表の日本人「戦没者数」は陸海軍人約50万人という過小評価でしたが、1977年の厚生省発表の「戦没者数」は軍人・軍属230万人、一般邦人80万人となっています。

体の自由がきかなくなって思ったこと

戦後、天皇は「人間宣言」を行い、明治政府の統治政策としての「現人神」という虚飾を脱ぎ棄てました。時代は民主主義です。国民の命は「神」や「国」に捧げるものではなく、国民一人一人のものとなりました。そして、国民が主権者となって政治や社会を変えていける時代となりました。そうは言っても、人生の荒波は人々を木の葉のように押し流していきます。1973年、この利用者さんに病魔がやってきました。兄や父の命を奪った肺結核です。




私の肺はすでに空明が出来ていた。昨日まで一生懸命働いてたのに明日からは働けない…どうしよう。まだまだ借金が一杯あるのに…でも死んではいけない、私を助けてくれてる方々に御恩返し出来るまでは…。私は先生に聞いた。「働いたらいけませんか?」

「明日から貴女は動けませんよ」とお医者さんから言われたとおり、私は動けなかった…動くと息をすること自体が苦しかった。凄く痩せてきた。夕方は微熱が続いた。もう自分自身お金もいらない。健康であれば…とつくづく思った。それ以来私は治療に専念した。

(略)その内母の最期の知らせがきた。七月だった。絶対安静の最中である。母は去った。死ぬ目も合えずなんて親不孝だろう…と思った。(略)安らかに成仏して欲しい…心より祈った…
この利用者さんはお世話になった方に「こんなに心配して下さり」支えられ、戦争や兄や父の死による心の傷や、生きることに必死になる中で忘れていた気持ちを思い出します。




私は家族に恵まれなくても周りはとても暖かい人に恵まれていることをつくづく幸せに思った。人を愛することっていいことだなぁ…としみじみ思った。人を愛することって今まで自分から思ったことはなかった。やらなくてはいけない境遇と情にからまれ愛を出してきた。でもこれからは私は人を愛する事を基本として仕事をしようと体の自由のきかない時に心だけは力強く考え思った。




2012年、転居から体調を崩します。結核の後遺症の痛みや様々な葛藤が書かれています。




2013.9 ヘルパーさんが来てくれるようになった。お風呂のお掃除をしていただく。それだけでも楽である。だんだんと夕食の用意が苦になりだした。(略)

最近なにか考え込む。ただ食べることだけ毎日同じことばかり。時間がありすぎる。しびれの痛みだけが神経にひびく。毎日まいにち…来る日もくるひも…

お世話になることばかりで心苦しい。年をとるとだんだん弱くなり持病は良くならない。




「2015.1」の記述には「もう字が書けなくなった これからは字を書くのをやめよう」とあります。その次の項目は「2015.12.24」で、最後の行は「ヘルパーさんが来て下さるのでストレスも解消!!」とあり、その後は白紙を3ページ残して手記は終わっています。

白紙の部分をここで述べさせていただきます。ヘルパーさんなどから93歳の誕生日を祝ってもらって「今が一番幸せ!」とおっしゃったこの方は、誕生日の翌日の夜に心筋梗塞を発症、翌朝の訪問による発見で救急搬送され、3日後に息を引き取られました。病院には関わったヘルパー全員が見舞いに訪れ、「暖かい人に会えて本当に幸せ。ありがとう」との言葉を頂いています。誰かが生きて死んだ記憶は時代と共にやがて消え去ります。しかし、人が必死に生きて死んでいくその“命の重み”は、いつまでも忘れないでいたいと思います。

 
この利用者さんは身の上話をヘルパーさんにする事がとても大好きでした。利用者さんがどのように生きてどのような気持ちだったかを明きらかにする事は遺志にかなうと考え、一時は出版も考えたその「手記」を公開させて頂きました。
 
(上)生前、利用者さんより頂いた写真。小倉陸軍病院の看護婦時代。利用者さんは一番左。

8月9日の原爆投下の第一目標は小倉だったが、雲による視界不良で長崎に変更となった。

 



 

 

 

 

 

 

(中)

「手記」の見開き

 



 

 

 

 

 

 

(下)

仏壇にしまっていた紙片





【健康診断を受けて下さい!】

健康診断の領収書と診断書のコピーを持参して頂ければ、その費用をお支払いいたします。

※領収書の提出は、できるだけ当月以内です。

※費用にはオプションは含まれません。

【サービス実施記録と出勤簿】

記載間違いが多くなっています。身体介護はその内容、生活援助はその内容を必ず記載して、出勤簿に記載してから提出して下さい。




紙面研修

利用者さんが何か調子悪い

“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”

この場面で、真っ先に疑うべき事は何だろう

今の季節はやっぱり“脱水症状”や“熱中症”!!と言いたいところですが、今すぐに救急車要請をしないといけないケースからまずは考えましょう。まずは「脳梗塞」です。これらは大きな病変が発生する前に、予兆がみられる場合もあります。「四肢のどこかに力が入らなくなったり痺れが現れた」などの症状があります。そして、脳梗塞は、脱水によってドロドロ血液になって引き起こされる事もあるのです。

脳梗塞を疑った場合、どうやって判断すると良いか?

脳血管障害の場合は障害が片側全体におよぶところが特徴的です。両手をバンザイしたり前方に伸ばしてみると、片方の腕が上がりにくかったりすぐに下がったりします。ポイントは左右差、これを「バレー徴候」と言います。手や足をつねったりくすぐってみると片方が感じにくい、温度を感じる事も片側が鈍くなったり、顔がひきつったりもします。これらのサインが「急に」現れた場合には脳を疑い、すぐに救急車要請です。救急隊には「バレー徴候あり」と伝えます。

“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”

2番目に疑うべき事は何だろう?

これからも残暑が続きます。今度こそもちろん“脱水症状”や“熱中症”を疑います。このような時は、「水分+塩分」摂取を行いましょう。昼間エアコンを付けていても夜間は切っており、就寝中の“こもり熱”で“脱水”になっている事もあります。急ぎの「水分+塩分」摂取は経口補水液やポカリスエットなどがあると便利ですが、インスタントの味噌汁を水で溶いて飲ませるのも良いでしょう。

利用者さんに買い物を頼まれたら、塩飴や塩分タブレットをおせっかいで購入して「部屋に置いといて、調子悪い時、水分と一緒になめると良いですよ!」と声掛けするのもあり。何か簡単に対応できる物が普段から家にあると良いです。水分摂取しても改善しない場合は通院か救急車を検討します。

他に疑うべきものは何があるか?

暑さに体力が低下して食欲不振になっての栄養不足もあるでしょう。ビタミンB群はエネルギー代謝に関わるので慢性的に不足すると、食欲不振・記憶力減退・集中力低下・疲れ眼や眼の充血・口角炎・口内炎・うつ・無気力・幻覚症状・イライラ・不安・精神障害・かゆみ・浮腫性湿疹・皮膚炎・貧血・手足のしびれやもつれ・神経痛・筋肉痛・めまい・頭痛・動悸・傾眠などを起します。ビタミンB不足を放置すると、脳障害を引き起こす事もあります。介護職はすぐに「認知が悪化した!」と考えがちですが、可能性は様々あります。本当にアルツハイマー病などの進行である場合は、すぐにもっと悪くなるわけでも簡単に回復するわけでもないので、慌てて判断する必要はありません。対応として優先しなければならないのは、放置すると「悪化する可能性」と対応によって「回復する可能性」です。他にも回復する可能性のある認知症状としては「正常圧水頭症」や「老人性うつ」があります。
~ヘルパーミーティングのお知らせ~

月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催しています。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
梅丘ヘルパーミーティング

9月19日(木)18:30~

【研修】認知症ケア-理解と対応-

(荻野)
祖師谷ヘルパーミーティング

 9月10日(火)18:15~

【研修】回想法(認知症ケア)

(佐々木)
 


2019年10月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
  • 求人情報
  • 紙ふうせんブログ
  • リンク集
  • 資格取得支援制度

紙ふうせん

紙ふうせん(梅ヶ丘オフィス)

住所:〒154-0022
東京都世田谷区梅丘1-13-4
朝日プラザ梅ヶ丘202(MAP

TEL:03-5426-2831
TEL:03-5426-2832
FAX:03-3706-7601

QRコード 

ヘルパー募集(初心者) 
ヘルパー募集(経験者)