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紙ふうせんだより 8月号 (2022/09/20)

過ぎ去っても、去らないもの

酷いと言えばあまりに酷い炎天の昼も、夕方に吹く風には涼しさ忍び込みつつあるのですから、辛い季節もやがては過ぎ去っていくものです。まずはこの夏を乗り切れそうなことを皆様に感謝です。人生の喜びも悲しみもいつかは過ぎ去っていくものです。過ぎ去っていくものを、忌避したり無理に押し留めようとしたりすると、苦しみが生じてきます。自然の理(ことわり)として去来する物事をありのまま認めること。介護や福祉ではこれを「受容」と呼びます。よく使う言葉ですが「あたりまえ」のように簡単に済むことではないのです。

「大人になる」とは何だろう

大人になった私たちは、大人である自分をあたりまえのように感じていますが、そこに至る道は容易ならざるものだったことは、子供心を忘れない人は覚えています。人は子供としての心の在り様を一度は完成させています。自分の身体を自由に操作でき、自分の感情を自覚できて人に伝えることができます。子供ならではの限界は「いつか大人になれば越えられる」と、無条件に自分と周囲の人を信じています。自他の境界が曖昧な「子供ならではの自由闊達さや自己効力感」と呼んでも良いかもしれません。

やがて思春期(※1)になると、心を追い越して急激に体が変化していきます。心身は不安定となり、自分の考えや行動だけではどうにもならない物事に苛立ったり、裏腹な“大人”の身勝手さに怒ったりします。自分と違う考えや感情を抱いている他者に戸惑い、他者との間に壁を作ったりもします。それでもいつかは外側の世界に目を向けていくのです。これは「子供としての自分の死」の受容です。

子供ならではの自由な心は、他人とは異なる心の中を持っている自分を自覚して自意識に揺れるようになってからは、「内心の自由」として自覚されます。外向けの顔として仲間に同調しながら、「心の中」では悪態をついたりします。そうやって内面と外面の使い分けを自分に対して許容していきます。しかしその許容が、大人になってからも他者に適用されないでいると“子供じみた”身勝手さとなります。例えばそれは、裏腹の無い“真実の愛”を相手に求めながら、そのじつ相手を疑っている自分が居るなどです。

大人になるとは、「内心の自由」の自他の相互性を理解した上で、他者や社会に対しての自分の「自由」の責任を自覚することです。そして他者の「内心の自由」を許容していくことは、他者受容となります。外面の世界は自分の考えや行動だけでは自由にならないと判った上で、だからこそ自分や他者の「内心の自由」を大切にしながら、他者とは異なる自分の気持ちや考えを自他に対して調和的に表出していった時、それは、この社会で生きる自分自身の自己受容となります。

本当の自由な心とは、自分の心も他人の心も縛りつけようとはしないものです。そのような理性的で調和的な「自由な心」の獲得は、子供心の自由さの再生でもあります。子供時代は去ったとしても、子供心は、本当は心の中に生きています。「子供の頃の自由な心を忘れないでいてこそ、人は真に自由な大人になれる」とも言えるのではないでしょうか。

※1 昔は思春期は20歳までと考えられていたが、最近の英国の研究では身体的変化も含めて24歳まで続くとされた。思春期は世界的にどんどん後ろにずれており、現代の日本ではアニメ作品は40代くらいまでをメインターゲットとしており、高校生の主人公に大人が感情移入をしていることなどから、それぐらいまで後期思春期が延長しているとも言われている。

 

「受容」の過程で起こること

「老い」は自分の心身機能の変化や体調、友人やパートナーの死、人間関係の変化などによって現れてきます。自身の内と外とをそれなりに調和的に生きてきたのに、気が付けば不協和音は響いてきます。その変化は受け入れ難いものです。キューブラ―・ロス(※2)は、深い悲しみの過程は「否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容」といような様々な状態を揺れ動きながら進んでいくことを示しました。ロスはこれを「死の受容」への5段階として論じましたが、障害や老いの受容も同様な揺れを体験します。訪問介護という仕事で利用者さんの自宅にお邪魔するということは、受容の過程で揺れ動く内面に関わっていくことを意味します。

セルフネグレクトの方は、自分の現状を否認し自分自身に怒っています。自分を罰しているような面もあります。介護拒否の方への訪問は、自傷行為のような痛みと関わっていくことになりますから覚悟が必要です。ようやくヘルパーさんを受け入れたとしてもヘルパーの粗探しをしてしまうのは、怒りがヘルパーに向かうからです。しかし何に対してどのように怒ったとしても、本人はむなしさを感じていることでしょう。取引の段階は、特別な治療法があれば回復するのではないか? もっと良いヘルパーなら生活は良くなるのではないか? などと色々あがいてみます。それでも進行方向は不可逆的なものだと知って、深い気持ちの落ち込みを体験します。そしていつか不満をぶつけてばかりいた家族やヘルパーさんを頼りにしている自分に気が付きます。そうやって他者を認めていく時、自分の中にある多様な自分も受け入れられるようになっていくのです。

支援者を拒否したり認めたりする感情の揺れは、利用者さんの内面の葛藤の「外在化(※3)」です。不調和な利用者さんの感情を支援者が受けとめて落ち着いた態度を示していくと、利用者さんは外在化した安定感を自分の内面に取り入れて、受け入れ難い自分と自分自身との関係として「内在化(※3)」させていくことができます。しかし皆が拒否を真に受けて訪問をやめてしまうと、利用者さんの「自分と他人」の関係は安定せず、したがって「自分と自分」の関係も安定させることができなくなってしまうのです。

これは、子供が自分の負の側面をも親に認めさせようとして、手を焼くようなことをやらかしてしまう「自我の確立」の過程にも似ています。利用者さんから支援者に向けられるいわれなき感情や要求の高さは、利用者さん自身の「自己受容」への希求の表れでもあります。「自分と他人」や「自分と自分」の関係は円環的なものですから、自己受容は他者受容に、他者受容は自己受容となるのです。

※2 エリザベス・キューブラー=ロス(1926-2004)米国で看取りの研究を行う。主著「死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話」

※3 心理学用語。人は内面の葛藤を外面の態度で表したり(外在化)、外部の事象を自分の心の中のように感じたり(内在化)する。

 

失ったようで、失われないもの

「人間は生まれたときには自由である。しかるに人間はいたる所で鉄鎖に繋がれている(※4)」

これは人間の解放を目指したルソーの言葉です。ルソーは社会制度や権力関係を鉄鎖としましたが、鎖は人の心の中にもあります。病や老いや体の不自由さに心が囚われてしまったら苦しみとなります。しかし人は、外面的な不自由さを自覚してこそ「内面の自由」の大切さを知り、自身の根底からの解放を希求します。心身が不調和となっても生きている限り決して失われないものは何でしょう。

それは「命」です。命あるかぎり「真の心の自由」はそこにあるはずです。死への長い旅路を歩む中で、それをお互いに忘れずに思い出すこと。これが、あたりまえのように言われる「尊厳を守る」ということの核心なのです。

 

※4 ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)主にフランスで活躍した政治哲学者。この言葉は「社会契約論」の冒頭。


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