【紙ふうせんブログ】
  1. HOME
  2. 【紙ふうせんブログ】
  3. 紙ふうせんだより
  4. 紙ふうせんだより 12月号

紙ふうせんだより

紙ふうせんだより 12月号 (2018/12/18)

一陽来復(いちようらいふく) 終わらない歌をうたおう
ヘルパーの皆様、一年間ありがとうございました。年末年始に稼働して下さる方、大変お世話になります。ありがとうございます。風邪をひかぬように、良い新年をお迎えください。
今年の冬至は12月22日です。古代では、冬至を一年の始まりとしていました。
太陽の死と再生
小田急線が多摩川を渡るころ丹沢山塊が一望できる。山塊の左に大(おお)山(やま)、背後に冠雪の富士。右に遠く奥武蔵の山々。そして山塊中央、最高峰の蛭(ひる)ヶ岳。蛭(ひる)ヶ岳にヤマビルはいないので「蛭」は当て字らしい。京王線多摩境駅近く多摩丘陵の台地の端から、西方の相模川が作った平原の後ろにどっしと横たわる丹沢山塊が見える。縄文人は今から3500年前、この地に石を環状に並べて祭祀場とした。直径7~9mのこじんまりとしたこのストーンサークル(田端環状積石遺構)に立つと、冬至の日に一番高いとがった頂きにちょうど太陽が沈む。そう、蛭(ひる)ヶ岳は日向(ひるが)岳なのだ。この日は一年の間で昼が最も短い日、太陽が一番弱まる日だ。縄文人は、沈みゆく太陽に向かって再び太陽に力が戻るようにと願う。その夜、縄文人は夜通し火を絶やさずに祈っただろうか。最も長い夜の間に太陽は生まれ変わり、再び陽は昇る。冬は去りやがて春がくると約束された。これで、悪いことも良い方へ向かうと約束された。
人々の死と再生
日向(ひるが)岳に日が沈むと新しい一年が始まる。縄文人は死と生の交わるこの地に、死者を祀り周囲に住居を配して集落とした。やがて土壙(どこう)墓(ぼ)の上には環状に石が積まれ、伝承を再現し受け継ぐ舞台となった。先祖に見守られながら太陽や人々や動物の再生を祈り、感謝した。狩りで奪った命は授かり借りたもので、殺した命は自然(カミ)のもとに戻れるよう祈りながら解体し、頂いた命は生きるものの力となるように願い太陽の分身の火で煮炊きした。その願いは土器の装飾美となっている。生と死は同居し、人々は大いなる循環の中で生きた。
昨日、集落のおばあが死んだ。竹籠作りを教えてくれたおばあだ。自然から生まれたものは、形を変えて再び自然へと帰る。おばあにもう会えないのは悲しいけど、それは自然な事だ――。縄文人から死は何も奪わなかった。縄文人に奪われるものは何も無かった。自然からの恵みは誰のものでもなかった。出土する縄文人の人骨に、殺し合いの形跡は無い。
いつから人々は死を恐れるようになったのだろう。弓矢や槍で全身を突かれた人骨が多量に出土するのは、弥生時代に入ってからだ。稲作の指導や蓄えの分配の役割をもった者が、本来自分のものではないものを、自分のものと思い込んで威張りだした。“富と権力”を独占する者は、それを奪われる“死”が怖くなった。呪術によって政(まつりごと)(政治)を行い、人々に命令を下した。奪われる前に隣国の王を殺して奪ってやれ! 自分のものではないものを自分のものにしようとして戦争が始まった。沢山の死が人の手によって作られるようになり、兵士として駆り出された人々は自然ではない死を恐れた。そしてどんな大王も必ず死んだ。

人心が乱れると強調された「メメント・モリ」=“死を想え”死を忘れるな!
古代ローマに「メメント・モリ」という警句がある。“死を想え”「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから。」そうやってローマの将軍たちは戦争に励み凱旋した。本来この警句は“勝者の傲(おご)りの戒め”だったが、“どうせ死んだら終わり”が意識され命は生から死への一方通行となった。領地や奴隷を獲得し富を奪って“今を楽しむか”もしくは死か。
死は石器時代と変わらず日常だった。乳飲み子が育つのは難儀で、疫病で死ぬことも多かった。その日常に兵役や奴隷制度や階級差別が加わり理不尽な生死が増えていった。生と死は対立するようになった。生が快楽であるならば、それを奪う死は悪いものとなった。一方、生が絶え間ない苦しみであれば、死は救済となった。“天国”が渇仰(かつごう)され、虐げられた人々の願いは死のその先に向けられた。どうしたらそこに入れるのか。「メメント・モリ」が再び逆の意味で現れた。死を想え! 必ず人は死ぬから“現世の快楽や贅沢や手柄は虚しいもの”と心得よ。徳を保ちつつましく善良に生きなければ、救済の御手にはすくわれない――。
日本にも「メメント・モリ」がある。煩悩を払うために死を想え! 現世の肉体を不浄で無常なものと知るために、死体が朽ち変貌する「九(く)相(そう)」を観ぜよ。奈良時代に行なわれるようになった「九相観」は現世の生や欲望への“執着”を戒めており、死は恐れるものではなかった。しかし鎌倉以降に制作された「九相図」は、その異様さから死への恐怖をかき立てた。穢(けが)れた世間を厭(いと)い離れて極楽浄土での“救済を求める信仰心”を起こさせる目的があった。三途(さんず)の川や閻魔(えんま)大王の裁きなどを説く仏典(偽教)や地獄絵図が創作されて、死への不安はますます高まった。
生と死の断絶からの再生 その最前線にある“介護”
文明の果実を食べた人間の生死は自然の懐から引き離されてしまった。あるがままの自然との一体感は、死んでしまったのだろうか。縄文人の平均労働時間は一日3時間だったというが、文明は労働を下々に強いて“生産か死か”という状況で人々は生きてきた。生産性向上と私欲追求が経済成長(資本主義)の正義となり、生と死の断絶は現代人にとって三途の川よりも深くなってしまった。そして発達した医療によって、生産性はないが“まだ終わらない”というライフステージが長くなり“介護”が生じるようになった。ここから再生するものは何だろう。介護を受ける者は自然と命の終わりを意識し、“制約のない時間”だからこそ時に痛みを伴いながらも“生きている事実”が大きくなる。身体感覚によって頭に刷り込まれた先入観から解放される。ヘルパーさんがやってきてひと時を共に過ごし、死にゆく者とまだ少し生きる者の気持ちが交わり、互いの心に流れ込む。自他を立て分けていた何かが消え“祈りにも似た感謝の気持ち”が口に出る。ああ、この光景はずっと前から知っていた。私の中にあるこの思いは、先人から受け継いだものであって私だけのものではない。思いは再び種となり、あなたの中に静かに受け継がれていくだろう。死んだら終わりではない――。
繰り返し続いていく何かがあって自然には終わりが無いように、新しい一年が始まる時には、自身の介護観・死生観を捉え直してみたい。介護や福祉が社会で共有されていくならば、生老病死のありのままを受け入れられる世の中となるだろう。その一端を担いたいと思う。

想像の視点を拡げてみよう

ともかくもあなたまかせの年の暮れ     小林一茶

この句には、誰かにお願いしないとままならない年の瀬の侘びしさと、おまかせできる人が居るという温かさが同居していてしみじみとします。一人暮らしの利用者さんを想うとぐっときます。ここでの「あなた」とは一般には阿弥陀如来とされており、一茶が念仏者のならではの解釈ですが、俳人の作品をどのように味わうかは本来自由です。一般論や先入観を捨ててみましょう。困っている人にとって、おまかせできるヘルパーさんは“仏さま”です。
大晦日と言えば紅白歌合戦。歌謡曲と言えばオトナの色恋、やれ不倫だ逢引きだとドロドロ成分多めのイメージです。一方、ポップスは若者の葛藤や純愛や失恋、恋に恋してる感や自意識過剰さは否めません。さて、そのような先入観を捨てて想像を拡げてみましょう。コツは“熟年の火遊び”“思春期の苦悩”などの自分の思い込みに気が付くこと。試みに以下の歌詞の主人公を、障害者や要介護高齢者や死が目前に迫った人やマイノリティーなどいろいろな人を想像して、その人の視点になって読んでみましょう。想像が拡がりませんか? そこに思い出される自分はありましたか?本当にギリギリの切羽詰まった時、人は“大切なもの”“頑張った時のこと”を思い出して気持ちを奮い立たせるものなのかもしれませんね。

「星影のワルツ」

別れることは つらいけど 仕方がないんだ 君のため 別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ 冷たい心じゃ ないんだよ 今でも好きだ 死ぬ程に

一緒になれる 倖せを 二人で夢見た ほほえんだ 別れに星影の ワルツをうたおう
あんなに愛した 仲なのに あんなに愛した 仲なのに 涙がにじむ 夜の窓

さよならなんて どうしても いえないだろうな 泣くだろうな 別れに星影の ワルツをうたおう
遠くで祈ろう 倖せを 遠くで祈ろう 倖せを 今夜も星が 降るようだ

作詩・白鳥園枝 作曲・遠藤 実
歌・千 昌夫

「終わらない歌」

※終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため 終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

世の中に冷たくされて 一人ボッチで泣いた夜 もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった

真実(ホント)の瞬間はいつも 死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは 今まで何度でもあった

(※繰り返し)

なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない
それでも僕は君のことを いつだって思い出すだろう

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 一人ボッチで泣いた夜 終わらない歌を歌おう・・・・あつかいされた日々

(※繰り返し×2)
作詞・作曲 真島昌俊 歌・THE BLUE HEARTS

どんな人のどんな状況を想像しましたか? そこから何を感じましたか?
もしこれが自分だったら、どんな風に声をかけて貰いたいですか?
他人の気持ちを理解するために、自分ができる事はなんだろう。

【自転車事故に注意して下さい】
1.遅れそうだと思ったら、まず電話。
いつもの通り慣れた住宅街の路地などで、左右確認を怠ってしまって出会い頭の“思わぬ事故”が起きてしまいます。急いでるからこそ焦らない。焦りを感じるなら、あえてしっかりと左右確認。常に心に余裕を持つこと。
事務所に「遅れます」の電話を一本頂ければ、事情を利用者さんに伝えます。
まずは一呼吸を置いて電話下さい。

2.寒くなると体が硬くなって、反応も遅れがち。
寒くなると気がせいて、視野が狭くなります。暖かい時ときは発見・回避できる危険も、冬はオーバースピードとなってしまいます。ゆっくりめを心がけましょう。

3.慌てないために
早め早めの行動を心がけましょう。スケジュールの確認は怠らず、寝る前に目覚ましセットと天気予報の確認を。安眠してしっかりと体を休めて下さい。

4.夜が早いです
夜道では、危険を察知するのが昼間よりもずっと難しくなります。

5.先が見えない所では、誰かいる・何か来ると思っておく
「曲がり角」や「視界を遮るもの」の向こう側には何があるかわかりません。出合い頭の衝突に注意する。しっかりと確認して進行する。

6.漫然と運転しない
緊張感を持っている時よりも、ぼんやりと考え事をしているような時がヒヤリとする事は多いはず。交差点での確認不足の飛び出しは大事故のもと。自転車運転中は、運転に集中すること。

◎大雪の予報が出たら、スケジュール調整(キャンセル、振替、時間短縮、時間変更)を行います。調整して欲しいサービスについて事務所までご相談下さい。安全第一です。大雪や台風でバスや電車を利用した場合は、申請があれば交通費をお支払いします。※ただし、遅延やストップにご注意下さい。

~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2019年 1月22日 火曜日 18:30~
梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです)
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

【研修会】 関連項目 倫理・法令遵守(本郷)
(関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です)


2024年4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
  • 求人情報
  • 紙ふうせんブログ
  • リンク集
  • 資格取得支援制度

運営法人:紙ふうせん株式会社

紙ふうせん

住所:〒154-0022
東京都世田谷区梅丘1-13-4
朝日プラザ梅ヶ丘202(MAP

TEL:03-5426-2831
TEL:03-5426-2832
FAX:03-3706-7601

QRコード 

アルバイト募集情報


ヘルパー募集(初心者) 
ヘルパー募集(経験者)