【紙ふうせんブログ】

平成28年

紙ふうせんだより 8月号 (2016/09/15)

皆様、いつもありがとうございます。引き続き熱中症には十分注意して下さい。

相模原市で絶対に許せない事件が起きてしまいました。7/19日未明、犯人は19人を刃物で殺害。逃げることさえできない重度障害者を刃物で刺して回ったという計画的な残忍さや、犯人の“障害者を殺すことが正義”と言わんばかりの主張が、一体どのように生じてきたのか、衝撃が世界にまで走った。

【相模原事件】障害者襲った大量殺人  現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか

これは、インターネットニュースサイトのBuzzFeed Newsもインタビュー記事の見出しです。全盲であり聴覚障害もある障害当事者の東京大学先端科学技術研究センター教授・福島智氏は、『重度の障害者への差別とは、現代社会に要求される生産能力(知的能力)の低さに対する差別です』と、インタビューに答えている。

相模原事件】障害者襲った大量殺人 現代社会の写し鏡ではないと否定できるのか(BuzzFeed Newsより)

——なぜ、こういう考えを持つ人間が生まれるのでしょうか?

容疑者は衆議院議長にあてた手紙で、重度障害者を抹殺する理由の一つとして「世界経済の活性化」という言葉を使っています。つまり、重度障害者の存在は、経済活動の活発化や経済成長にとってマイナスになる、だから抹殺するのだ、というのが犯行の動機と思えます。

これは何にもまして ——ときには人間の命よりも—— 経済的な価値を優先させる、という考え方です。こうした考え方が育った背景には、今の日本社会の中に、経済活動を何よりも優先させるという風潮があることが関係しているのではないかと思います。

つまり、品物やサービスを生産する労働力や生産効率で、人間の価値の「優劣」を決めてしまうという風潮です。

こうした風潮は、学校教育にも「逆流」するでしょう。学校では、直接的に労働力や生産能力が問題になる代わりに、成績や偏差値の高低が生徒や学生の優劣を決めてしまいます。

成績や偏差値が非常に低い子供たちは、まるで存在価値がないかのように扱われたり、自分でもそう思ったりしてしまう。そうした傾向はないでしょうか。

こうした社会や学校での風潮や傾向が容疑者の考え方に何らかの影響を与えたのではないかと思います。

福島氏は、『「幸福」や「不幸」は、机や椅子といった形のある物体のように「作る」ことや「壊す」ことはできない』とし、『それらは一人ひとりの人間が心の中で感じ取るものです。同じ環境や出来事に対しても「不幸と感じる人」「幸福と感じる人」「幸不幸を感じない人」など様々でしょう。そう考えれば「障害者は不幸を作ることしかできない」』という犯人の断定は、根本的に間違っていると指摘している。

“足手まといは自決しろ”とでも言いたいのだろうか?

石原慎太郎氏は、かつて知事時代に重度障害者施設を視察して「ああいう人ってのは人格あるのかね?」と口にしている。漫画家の小林よしのり氏は『下流老人の解決方法』として、「構造改革・規制緩和と延々と言っているが、真っ先に規制緩和すべきは安楽死だろう。国民としての役割を果たし終えて、若者の迷惑にしかならない老人は安楽死するのが一番いい」とブログで発信している。作家の曽野綾子氏は、「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」と、週刊ポストのインタビュー記事に答えている。これらの主張には“自分は要介護や障害者や下流老人にはならない”という自分自身への傲慢な特別視がある。

当事者意識の欠陥

「生老病死」は、本来どんな人間にとっても当事者的問題のはずだ。ただ一部の人は、誰かに差別感情を向ける事によって、あたかも自分自身は“特別”で「生老病死」の問題は自分には訪れない、と“勘違い”をしたいのだろうか。そのような当事者意識の欠陥に関して、インターネットニュースサイトで身体障害のある30代男性が、「今回の事件では人間が殺されたのではなく、障害者が殺されたように感じている人が多いのではないでしょうか。だから、事件に対して怒る人が少ないように感じます」と指摘している。

犯人の『障害者は死んだ方がいい』といった差別的発言に対して怒る人たちはよく見ます。でも今まで大量殺人事件が起きれば、明日は我が身と当事者意識を持つものですが、今回に関しては抜け落ちているような。世間一般の反応としては『障害者は役立たずだけど殺しちゃダメ』みたいな風潮を感じる。でも、そうじゃなくて『人間だから殺しちゃダメ』っていう当たり前の怒りが今回は少ないんです。不謹慎かもしれないけど、自分が巻き込まれなくてよかったと安堵をしている人も全く見かけないんですよ。まるで自分とは全く関係ない世界の話のように見ている人が多いように感じます。

犯人の動機の根底にある『障害者は人間ではない』というメッセージは、実は障害のない人たちの心の奥底に眠っている感情なのかもしれません。障害があってもなくても人間なんだということを、もっと考えてほしいと思っています」

(しらべぇ編集部)
死生観は、生命存在の根幹に関わる問題であるからこそ、個人が自分自身に対してどのように考えるかは勝手だとしても、ネガティブな価値観は他人には押し付けてはならない。犯人は、一度は介護職として障害当事者と関わった身だ。その犯人は希望通りの就職ができずに劣等感を持っていたように見受けられる。犯人は自分に存在価値が無いように思い、その反動として“自分こそが障害者を救済する”というような自我肥大に囚われてしまったのだろうか。病的な妄想も相まって、生きる価値が無い”という自己評価を他者に投影し、他者を「生きる価値が無い」と一方的に断罪した事に、インターネット社会に漂う病的な自我肥大から生み出される“ゆがんだ当事者意識”を感じてしまう。

実際、ネットの中では犯人への共感の声も少なく無い。中には、犯人に共感する声として、知的障害者からの犯罪被害にあった女性の声を取材した記事もあったが、それは別の問題として論じるべきだろう。

Twitterでは「よくやった」などと信じがたいつぶやきが続出、「遺族は自分で面倒見きれないから、金を払って施設に押し付けてたんだろ。殺してくれた植松に感謝すべき」「人に危害を加える重度障害者に、人権なんて与えなくていい。犯人はよくやったと思う」「植松はぶっちゃけ、障害者という税金食い潰すだけのやつらを殺処分した英雄」と、目も覆いたくなる発言があった。

(片岡亮/NEWSIDER Tokyo)

今この社会で何が起きているのか
日本の自殺者数は、1997年の2万4391人から、1998年には3万2863人へと急増し、高止まりした状態が続いています。平成17年における自殺者数は、3万2552人(警察庁統計)であり、交通事故死者数(平成17年6871人)の約5倍となっています。これは、1日あたり90人近くが自殺している計算になります。約16分に1人、日本のどこかで誰かが命を絶っていることになり、毎年、市町村が毎年消えていっている計算になるのです。(自殺対策支援センター ライフリンク)
「15年の自殺者数は前年比1402人減の2万4025人となり、4年連続で3万人を下回った。」と政府は発表している。しかしこの数字は注意が必要だ。『自殺、他殺あるいは事故死のいずれか不明のときは自殺以外で処理しており、(中略)自殺に計上していません』(内閣府)となっており、遺書の無い“転落”などはカウントされず、実際の自殺者数はもっと多いと言われている。そのため本当の数は10万人超というネットの風説さえある。人口あたりの自殺率は先進主要国(G7)の中で日本は1位。20~30代の死因1位は自殺だ。G’7の中で若者の死因のトップが自殺という国は日本以外になく、原因は主に“職業問題”と言われている。前出の福島氏によると「現代社会で要求される生産能力は、記憶力・情報処理力・コミュニケーション力など」というから、気が利かなかったり人付き合いの苦手な若者は、仕事で悩んでしまうだろう。“進め一億火の玉だ! 生産性を上げろ! 足まといは自決しろ!” 苦しんでいる人にとって、この国の風はこのように哭いているのかもしれない。

生きる意味を再考する

これだけの数の人が「自分は生きるに値しない」として命を絶っている。中には、自分の内面の闇を他者に投影し、他者を襲撃する身勝手な人間がごく一部ながらも出てきてもおかしくはない。「死刑になりたかった。誰でもよかった」という事件は、今までもある。

このような状況に対して、私は介護職として、人として健全な当事者意識を持ちたいと思う。深く悩んでいる人や、自己卑下に浸っている人に「人生は生きるに値する」と言う事は、生易しいものではない。しかし、一方的に弱者と考えられてきた“障害者”や“要介護高齢者”が、その命の煌めきをかい間見せる時に感じた事を、語っていく事くらいはできると思う。介護の仕事を通じて感じたことを発信する事は、かならず社会に対して、生きる意味の再考の材料を提供していく事になるはずだ。最後に、介護福祉ジャーナリストの田中元氏の記事を引用します。皆様もご一考ください。

障がい者施設の殺傷事件で考えること (介護職のウェブマガジン けあZine/田中元)

 

今回のように逃走や抵抗が難しい人々に対し、これだけ執拗な殺傷行為に出るというのは、本人の中に「(身勝手としか言いようがないものでも)相当に強い衝動」が生じていたといえます。しかも、本人は過去にそこで働き、少なからず当事者と接する時間をもっていたわけです。どんなに偏った考え方に支配されていても、いくらかでも「情」は残り、それが最後の防波堤として立ちふさがるはずです。しかし、その防波堤を乗り越えてしまうということは、何かの力が彼の後押しをしてしまったのではと思えてなりません。

それは何でしょうか。今でもネット上では、彼の犯行を礼賛するような記述も散見されます。また、以前から、障がいをもった人をはじめ、社会的な弱者に対する差別的な言動が(社会的地位のある人からでも)発せられ、それが拡散するという光景も見られました。

それはごく一部の偏った考えと言えるかもしれません。しかし、社会全体の構造が無意識のうちに人の心をむしばむことがあります。そのむしばまれた心の隙間に、先のような差別的発信がすっぽり収まると、そこに「一理あるのでは」という思考が生じることもあります。もちろん、通常であれば「それはやっぱりいけないこと」という内省をもって排除されるものですが、社会全体で「むしばまれる穴」がどんどん広がり、差別的思考を排除する力が薄くなりがちな風潮も感じられます。

 

人が社会の中で生きていくうえで、特定の価値で存在意義を測ることはあってはなりません。人はその時々でさまざまな他者と向き合い、それを鏡としながら「自分の存在意義」を見つめていくものです。「あなたに会えてよかった」という思いには、特定のものさし(価値)が入り込む余地などないはずです。

何年か前、在宅で暮らす重症心身障がいの人を訪ねたことがあります。こちらが見てわかる反応は「まぶたの微妙な動き」だけなのですが、同席した家族やケアマネが、「今日は機嫌がいいね」とか「何で怒ったの?」と話しかけています。それを見て「なぜ分かるのだろう」と心の中で首をかしげたものです。しかし、その人の好きなCD(私も好きな曲でした)を一緒に聞き、同じ時間と空間を共有する中で、不思議なことに少しずつ相手の心の動きが理解できるようになりました。その人と別れる時には、「自分はとても大切なものをもらった」という気分になったものです。

そんな経験を思い起こせば、「社会の役に立つか否か」などという犯人の言説がいかに狭く貧しいものであるかと言わざるをえません。しかし、そうした狭く貧しい心の隙間を狙うものが社会に厳然と存在しており、そうしたものに毅然と立ち向かえるかどうか。自分自身にも改めて問わなければと感じています。

津久井やまゆり園の事件について(障害のあるみなさんへ)

7月26日に、神奈川県にある「津久井やまゆり園」という施設で、障害のある人たち19人が殺される事件が起きました。容疑者として逮捕されたのは、施設で働いていた男性でした。亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、そのご家族にはお悔やみ申し上げます。また、けがをされた方々が一日でも早く回復されることを願っています。

容疑者は、自分で助けを呼べない人たちを次々におそい、傷つけ、命をうばいました。とても残酷で、決して許せません。亡くなった人たちのことを思うと、とても悲しく、悔しい思いです。

容疑者は「障害者はいなくなればいい」と話していたそうです。みなさんの中には、そのことで不安に感じる人もたくさんいると思います。そんなときは、身近な人に不安な気持ちを話しましょう。みなさんの家族や友達、仕事の仲間、支援者は、きっと話を聞いてくれます。そして、いつもと同じように毎日を過ごしましょう。不安だからといって、生活のしかたを変える必要はありません。

障害のある人もない人も、私たちは一人ひとりが大切な存在です。障害があるからといって誰かに傷つけられたりすることは、あってはなりません。もし誰かが「障害者はいなくなればいい」なんて言っても、私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください。

平成28年7月27日 全国手をつなぐ育成会連合会 会長 久保厚子


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