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紙ふうせんだより 11月号 (2019/12/25)

命そのものを目的に

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。気が付けば師走の足音が聞こえます。寒くなると気も急いてきますね。陽が落ちるのも早いです。交差点では確実に減速しましょう。「急いては事を仕損じる」とのことわざもありますが、自転車事故には気を付けて下さい。

秋深き隣は何をする人ぞ

独りで過ごす時間は様々な思いが去来します。秋が深まってくると冬支度をしなきゃならないなどと思いますが、もう自分ではなかなかできない状況にあります。自分の「やりたい事」をやっていた生活は過去の思い出となり、今は自分に残された僅かな「できる事」を、どうにかしてやり続けていく事が、生活の中心となっています。「どのように生きて行きたいか?」などと悩んだ若き日を懐かしく思い出しながら、いつの間にか自分の胸に秘めている問いが「どのように死んで逝きたいか?」に変ってきている事に気が付いてしまう特にすることもない夕刻、静かにしていると利用者さんはふと隣家の生活音が気になります。

「隣の人は何しているのだろう?」忙しく何かをしている若者の姿を思い浮かべます。

そうだった、自分もそうだった…。あの頃も「やりたい事」を思い浮かべながら仕事に我が身を忙しくし、結局は「自分に求められているもの」を必死でやっていた。それが人生の大半だった。けど、今もそうだ。私は自分に求められている“介護を悪化させない”という事を一生懸命やっている…。できるだけ迷惑をかけたくないと思うから、それは自分の「やりたい事」と重なってもくる。しかし、本当に「自分のやりたい事」をやってこれたろうか。迷いながら生きてきた自分のやりたかった事の「本当」は、生きている不思議、人間や世界の秘密に触れてみたいという事ではなかったか。秘密を解き明かせる事なくこの齢になってしまったけれど、それが解る時は死んでゆく不思議が身をもって体験される時ではないか。そうであるなら死は大きな希望であって、今私はそのような“死んでも良い”という気持ちを秘めながら、ヘルパーの皆さんの支えに励まされて生きている…。

本当の「やりたい事」ってなんだろう

日本がまだ貧しく利用者さんが若者だった頃、ともかくお金が無かったから“憧れ”を抱きつつも「できる事や目の前の事を頑張った」という話をよく伺います。日本は高度経済成長を経て生活水準が高くなり、貧しかった頃の“夢”は若い世代に託されます。「夢を追いかける」事を理想とした漫画なども多く描かれました。そして現代、「やりたい事」や“夢”が見つからないために、自分の生きる価値が見出せなくってパワレス状態になる人もいれば、やりたい仕事が無いから「働かない」と“高学歴ニート”を決め込む人が現れたり、快楽や欲求を消費行動に置き換えて何かの消費を「やりたい事」とはき違える人も相変わらずいますし、「疲れるから」その方が「楽だから」と“理想を求めない生き方”を主張する人もいます。やりたい事は「本当のところ」何か? と悩む気持ちは老若問わず同じなのです。

介護の目的から考えるLife(命・人生・生活)について

介護の本当の目的は何でしょう。利用者さんに安全に生活して頂く事でも、食事や排泄に困らないようにする事でもありません。それらは必要な事ですが目的ではありません。手段が目的となれば「安全に生活する為の生活」「食事や排泄の為の人生」となってしまいます。人間の命が求めている本当の事は、一つの無駄も無く命を燃焼し尽して命を終える事です。それは命そのものの価値を実感する事です。だから介護の目的は「生きてて良かった」と利用者さんに感じてもらう事です。本来、安全や食事や排泄が侵される事も、その為の支援を受けなければならない事も、望んでそうなるわけではありません。介護を受けるような状態になるくらいなら「死んだ方がマシ」と多くの人は考えます。俗にいう「ぴんぴんコロリ」です。この考えは、命を「自分だけのモノ」として“自己所有”の観念で捉えています。しかし命は独りで生まれてくる事はできませんし、赤子は独りで成長できるものではありません。人が生きるという事は、人間の命の揺りかごである人間社会を支える事であり、その支えは誰かの命を育みます。命は自分だけのものではないのです。しかし、複雑に分業化した社会は、時(※1)に命と命の繋がりの関係を忘れさせてしまいます。「ぴんぴんコロリ」を理想としていた人が介護を必要とした時に、いったんは「死んだ方がマシ」と思うかもしれません。その時、やってきたヘルパーさんに食事や排泄の支援を受け励まされながら、生れてくる時と同様に「命は独りでは死ねない」という事を理解するのです。「命は命と命の繋がりの中にある」という本質の再認識は、「生きてて良かった」という実感として現れます。

“やりたい事の無い俺って無価値なのか?”と若者が悩める時、若者もまた人生を自分だけものモノとして捉えてしまっています。しかし、命が求める本当の事は、命を燃焼し尽して命の価値を感じながら命を終える事です。疲れるから“理想を求めない”としてしまうのは、“理想”が人を疲れさせてしまうのではなく、自分が“理想”として描いたものの中に、命そのものを目的とする考えが入っていなかったがゆえに、筋違いな努力による疲労なのではないでしょうか。お金も地位も名誉も外見は飾れても、命を磨く事にはなりません。命を命の底から喜ばすものは、命以外にありません。具体的には「あなたに会えて良かった」という気持ちを誰かとの間で交感する事です。それは、身体介護を通じた濃密な命と命の支え合いの関係の中で利用者さんとヘルパーの間に共に生じてくるものであり、分かち合えたならば、それぞれの中で「生きてて良かった」「生れてきて良かった」となるのです。

「生きるという事」とは

「やりたい事」が明確でそれを仕事にできる人は幸せです。だからと言って「やりたい事」が明確で無くても不幸せという事はありません。むしろそのような本源的な悩みと向き合う事こそが、自身の命の練磨となるからです。ことわざには「(※)艱難(かんなん)汝を玉(たま)にす」とあります。「大器晩成」にも通じる言葉です。あせってはいけません。命を目的とした支援とは、「生きてて良かった」だから今“死んでも良い”という実感とその日までの道のりを利用者さんのペースで歩む事です。急いては事を仕損じます。今「できる事」「やるべき事」に精一杯勤めましょう。人生の目的を命そのものに定めるなら死ぬまでに起こる様々な喜怒哀楽を味わい尽くす事こそが「生きるという事」なのだから、生きるに早いも遅いも長短もありません。

※苦労や困難を堪えてこそ立派な人間になれる。 〔西洋の諺ことわざ「逆境は人を賢くする」の意訳という〕

 

利用者さんの事は利用者さんに習え
 

 「自立支援」、皆さんはどんなイメージを持っていますか? 単純に「リハビリ」すれば良いと考えていませんか? リハビリ職の方はよく「やる気が無ければ意味が無い」と言いいます。例えば週1回リハビリを実施したとしても、日常生活での動作量を増やしていかないとリハビリ効果は上がらないからです。つまり日常生活そのものがリハビリ的な意味を持つ必要があり、日常生活でのヘルパーさんの関わりが大切なのです。これを「生活リハビリ」と言います。その為には「自分でやろうとする」という意欲を再び利用者さんが持つ事が大切です。そのような方向が模索される時に、「このままではもっと悪くなるよ!悪くなってもいいの!!」という声掛けは反発を招きます。「いいよ、もう悪くなってるし。もっと悪くなったらあなたがやってくれれば良いんだから、私はやらない!」という気持ちを引き起こします。まるで自分が「悪くなって良い」と思っているかのように言われてしまった上に生活の主導権を支援者に奪われてしまったら、残骸として投げやりな依存心だけが残るのです。「悪くなったらここに住めなくなるよ!!」という言葉も“呪い”となります。「どうせここに住めなくなるなら、頑張ってもしょうがない」と決まってもいない施設行きの身の上を嘆いて暮らす事になるのです。このような悪い声掛けは、利用者さんの表面的な事だけを見ていて、利用者さんの心の動きを見ていないところに起因します。もし、きちんとした目的意識を持ち利用者さんの心に関心を払っているなら、同じ意味内容でも「悪くならないように自分でやろうね」「ここに住み続けられるように自分で動こうね」という声掛けになるでしょう。悪い声掛けの失敗を介護職ならば誰でもしてしまった事があると思います。どうしてそのような失敗をしてしまうのか、それは「利用者さんそのものを見る」事を忘れ、方法論や介護手順ばかりに気を取られているからです。「松の事は松に習へ 竹の事は竹に習へ」とは俳聖・松尾芭蕉の言葉です。これは「自分の観点を捨てて対象と同じ気持ち(物我一如・主客合一)になるくらいでなければ本質は見えてこない」という教えです。芭蕉は俳諧に対する論評を著しませんでした。弟子が盲目的に信じ込んで、俳風が師匠の形を真似ただけの形骸と化すことを恐れたのです。訪問介護でも下手に手順書を示せば、利用者さんを見ないで手順ばかりを追いかけるという手段と目的の逆転現象が起こる事があります。常に本質を意識していきたいものです。

「利用者さんが〇〇して欲しいと言ってますが、どうしたら良いですか?」という問い合わせをヘルパーさんから受ける事があります。「どうしたら良いか利用者さんに聞いて下さい。聞いたら報告して下さい」と私は言っています。利用者さんの一番の専門家は利用者さん自身です。利用者さんの意欲がどうやったら高まるかは、利用さんと一緒に支援者自身も悩みながら探していく必要があります。第一に利用者さんの今までの生活を知る事です。いたずらに生活を改変する事は、生活の主役の座を利用者さんから奪う事になりかねません。利用者さんが何を求めているかは、日々の嘆きに現れています。まずはその嘆きに傾聴し、心の痛みを分かち合うところから始めましょう。敬意を持って「利用者さんから教えて頂く」という姿勢が大切なのです。

 
秋深き隣は何をする人ぞ

この句は松尾芭蕉が詠んだものです。この日、病床の芭蕉を励ます句会が催される予定でしたが芭蕉は床を離れられず、発句としてこれを弟子に託しました。床に臥せって静かにしている芭蕉の心にふと浮かぶ隣の人への想像。世間から隔絶しつつある自分。周りの弟子たちは自分と芭蕉が同じ世界の住人であると思っているだろうけれど、自分はもうこの世界から離れかかっていることを自分だけが解っている。2週間後の元禄7年10月12日(西暦1694年11月28日)、芭蕉は「病中吟」の句に「夢」を詠んで旅立っています。

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

芭蕉の夢は枯れて朽ちゆく身体を離れていきました。今、俳句は世界最短の定型詩の一つとしての日本文化の粋とされ世界にはばたいています。
 

 

 

 

 

 


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