【紙ふうせんブログ】

令和3年

紙ふうせんだより 4月号 (2021/05/17)

人生物語から何を読み取るか
ヘルパーさんや利用者の皆様いつもありがとうございます。空に向かってその葉を広げていく草花のように
私自身もまた伸びていきたい。若葉が光に揺れるような、そんな優しさを風に願わずにはいられません。
人生には、薫風ばかりではなく暑熱に焦がされたり暴風雪に叩かれる時があります。それでも必ず実りの季節はやってきます。

●人生の「実り」とは
人生を草木や四季になぞらえてみましたが、ここで言う「実りの季節」について、どんな印象を持つでしょう。
果実の実りと考えれば人生の最も甘美な時期を思い浮かべるかもしれません。秋の穏やかな日々のような悠々自適の晩年を思い描くかもしれません。自身にまつわる因果応報の一切を自分で引き受ける(と仮定される)「死」という人生の「収穫」を想像するかもしれません。
人は、人生に何らかの「実り」を求めています。そしてそれを手にする自分を想像するから、今の生活に意義を見出すことができます。
「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす」という言葉があります。「苦しみ悩んでこそ立派な人間になれる」という意味です。

 

努力できる人は「努力は必ず報われる」と信じています。そして努力を継続できる人は、一度はくじけても今は実らなくてもいつかは「花は咲く」という願いを持ち続けます。これは、どんでん返しを期待しつつも裏切られる結末をも想定し不安に揺れながらも、難解な小説を最後の場面まで読み進めるような忍耐と同じで、人生を俯瞰する視点を生じさせます。この視点は、自分が登場する物語を見下ろす様な自制的な強さとなります。

 

人生に何らかの「実り」を求めるように、人は「物語」を生きています。この物語のテーマは「生きることの意味は何か?」というものです。
子供の頃、「将来の夢」という夢想に含まれる原初的な形態で一度はそれを考えても、そのうちに忘れてしまいます。しかし物語が終章に近づくと自己存在への根源的な問いとして再びそれは現れてきます。エピローグにあっては、問いへの答えは新しいストーリーとしては展開せず、今までの場面を回想し描かれてきた物語の中から読者自身が答えを探すことになります。今までは人生物語の書き手だった自分自身が、今度は読み手となるのです。ここで「努力は必ず報われる」という言葉の表層の超えた意味が現れます。路傍(ろぼう)の石が玉(宝石)と輝くとされるのは、材質や外的条件による結果ではなく、磨く行為そのものに輝きがあるからではないのか。

 

玉を得るから人生が報われるのではなく、生ききった自分自身の人生こそが玉ではないのか。人生の「実り」とは「人生から何を得られるか」ではなく、命そのものが既に「実り」としてあることに気が付くことではなかったか。老いや病という波乱を終章に置くことによってそんな読解ができるように、現代の人生物語は必然的に構成されているように思えてなりません。私たちは介護という関わりを通して、長い小説を最終章まで書き進めてきた利用者さんと共に、そのエピローグを一緒に読むような経験をします。そして利用者さんは、今までの場面の回想をしながらも、物語全体から何かを読み取っていることは確かなのです。

 

●肯定的な回答を支えるための支援関係
描かれた物語から何を読み取るかは、作者の手を離れ読者に委ねられます。だから「このように読むべきである」という押しつけはできません。しかし、介護者である私たちがその読解に全くの無関係かと言うと、そうではありません。既に私たちは終章からエピローグにかけての登場人物となっているのですし、私たちはエピローグを利用者さんと一緒に読むような経験をするのですから、より肯定的に物語を読み取りたいという気持ちは、私たちも同じです。「生きることの意味は何か?」との問いへの回答は本当に多数あります。いずれにしてもその中に肯定的なものが少しでも含まれていれば、それは世界に二つとない尊い答えとなります。しかし「一切が無意味」という全否定の回答は没個性(※1)となってしまうために避けたいところです。支援関係の中で肯定的な回答を得ることを支える方法は多数あります。本気で行うならそのどれもが有効なものとなるはずです。一方で肯定的な回答を潰してしまう方法が一つあります。それは利用者さんの「尊厳」を踏みにじってしまうことです。

 

●物語の「読者」である自覚
私たちは自分自身が物語の書き手であることは、設定やプロットの自由度はともかくとして一応は知っています。
しかし読み手としての力量の大切さは、どれほどの人が自覚しているでしょう。現代においては、途中で投げ出したくなるような展開を乗り越えて結末まで自分で書き切るためには、自分で書いたことの意味を自分で読み解く力が必須になってきています。そして物語の幸運な展開は書き手の力量によらず運が今も昔も大きな要因ですが、読解力を高める方法は、「自分自身を磨く努力」の他にはそう多くは見当たらないのです。
実はここに私自身が介護職員になれたという幸運を噛み締めている理由があります。人生物語の読解力を高めることの一つには多くの物語を読むことが挙げられますが、介護という場面は、利用者さんの物語が終章にさしかかり作者自らがその読み解きを行っている読書会に、介護職も参加させて貰うことになるからです。
ある利用者さんがノートに聖書の一節を書き写していました。「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
(中略)そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた完全なものとなります。」私はこれを読んで肯定的な意思を感じ、
とても幸せな気持ちになりました。深い物語は読み手を育てます。そして、良い読み手は物語を完結させんとする書き手の支えにもなります。
そしていつか一つの物語が終わっても、物語は誰かの物語へと連なっていくのです。



 

 

 

 

 

 

 

 

(※1)ユング心理学では個人が自分自身というかけがえのない個別存在となっていくことを「個性化過程」と呼びます。
一方「周りがやっているから自分もやる」等は没個性化であり、自分で自分の事が解らなくなり自己存在の否定に結びつく。

 

令和3年度介護保険改定 ②

今回の改正では、訪問介護とケアマネージャーや地域包括支援センターとの利用者さんの状況に関する連携や情報提供(訪問型サービスの提供に当たり把握した利用者の服薬状況や口腔機能等の利用者の心身の状態及び生活の状況に係る必要な情報の提供を行うこととされている)がより重要視され、具体的な事項が例示されています。それは例えば以下の様なことですが、類似のことがあったら報告をお願いします。

 

・薬が大量に余っている又は複数回分の薬を一度に服用している

・薬の服用を拒絶している

・使いきらないうちに新たに薬が処方されている

・口臭や口腔内出血がある

・体重の増減が推測される見た目の変化がある

・食事量や食事回数に変化がある

・下痢や便秘が続いている

・皮膚が乾燥していたり湿疹等がある

・リハビリテーションの提供が必要と思われる状態にあるにも関わらず提供されていない

 

もちろん報告すべき大切なことは「転倒」や「発病」など他にも沢山あるのですが、見落としがちなこととして例示があったとお考え頂き、改めてご確認ください。なお、その連携の中核的役割はサービス提供責任者が担うこととなっていますが、連携やサービス提供に関わることは多岐にわたることから(当然ですが、利用者さんの生活に必要なことや連携すべき事項の全てをケアプランや介護計画書やサービス指示の中に盛り込むことは不可能なため)次のように改めて示されましたので、ご協力をお願いいたします。

 

「重要な役割を果たすことに鑑み、その業務を画一的に捉えるのではなく、訪問型サービス事業所の状況や実施体制に応じて適切かつ柔軟に業務を実施するよう留意するとともに、常に必要な知識の修得及び能力の向上に努めなければならない。」

 

もとより社会保障としての介護サービスは、介護保険制度があるから行われているのではく、万人の基本的人権を尊重しようという現代社会が掲げ共有する理念があるからであり、一人では生活が成り立たなくなった方の生存権を保障したり、家族で介護を抱え込まなければならない状況(介護離職や家事労働者への負担の押しつけが懸念される)の解消の必要性(介護の社会化)という国が責任をもって解決すべき人権問題があるからなのです(国には基本的人権を保障し擁護する義務がある)。だから当然ですが、介護保険制度の運用方法は、利用者さんの尊厳や人権を守るために、必要があれば工夫がなされ柔軟に対応することが「適切な運用」と言えます。くれぐれも、その業務を画一的に捉えるのではなく、適切かつ柔軟に業務を実施するようにお願いいたします。

 

(参考)日本国憲法 第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

考えてみよう

・「健康で文化的」な生活とはどのように暮らせることだろう。

・介護の仕組みは利用者さんの「健康で文化的」な生活を保障できているだろうか。
 

紙面研修

「虐待」は不適切ケアの延長

ハラスメントも虐待も人権侵害です!
ハラスメントは、広義には「人権侵害」を意味し(中略)、相手に不快感や不利益を与え、その尊厳を傷つけることを言います。

ハラスメントとは、相手の意に反する行為によって不快な感情を抱かせることであり、「嫌がらせ」を指します。ここで重要なのは行為者がどう思っているのかは関係なく、相手が不快な感情を抱けばハラスメントになる」ということ。概念としてはシンプルで分かりやすい定義ですが、人の感情は表立って現れないこともあり、「そんなつもりではなかった」などと行為者がハラスメントをしていることを理解できていないケースも少なくありません。(引用:WEBサイト「日本の人事部」)
「虐待」判断も、「ハラスメント」の考え方と同じように、行為者の“虐待する気は無かった”の意図に関係なく、高齢者が嫌な思いをしているかどうかが大切です。

★不適切ケアはなぜ起こる? → 人権侵害に気が付いてない(「権利擁護」意識が低い)

・支援者が“善意”の押し付けに気が付いていない

・自己決定権をないがしろにする“支援者都合”の押し付け

・パナーナリズム的な介護文化(親が子どもを養育するような態度を他者に対してとることを。強い立場にある者が、弱い立場にある者の“利益のため”として、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること。これらを良しとする介護文化。)

★介護保険法も高齢者虐待防止法も、全ての人の人権を守るために作られた(皆やがて高齢者になる!)
介護保険法

第1条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。
・「尊厳の保持」 ⇒ 基本的人権や諸権利が守られて、「自分自身の誇り」や「人間らしく生きることできる事」が失われてはいけない。

・「自立した日常生活」 ⇒ 「自己決定権」を中核として、自分の事ができる。

ADLは自分でできなくなってきても、「自分でできている」という誇りや「自分で決められる」という主体性は失われてはいけない。

・「尊厳の保持」や「自立した日常生活」が他者によって奪われることは虐待に等しい。

・“職員都合”による一方的な命令や指示は虐待となり得る。

 

ケアマネ・ケアプランはなぜ必要??

・“職員都合”に流されやすい介護現場中心の視点や声の大きい家族視点への偏りを是正する。ケアマネは力関係の偏りを是正するため利用者の代弁者となって介護に利用者視点を導入する。

・ケアプランの作成とは、自己決定能力が衰えてきた方への「自己決定への支援」という権利擁護です。

※ただし、ケアマネに力が一極集中して介護職員や利用者に君臨するようになって“善意”のパターナリズムを発揮してしまう恐れもある。その時は介護職員が利用者の代弁をする必要がある。


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