【紙ふうせんブログ】

令和5年

紙ふうせんだより 5月号 (2023/06/23)

皆様、いつもありがとうごさいます。暑い日がやってきました。そうかと思えば雨天の肌寒い日もあって、体の調子も狂ってしまいがちです。とは言え猛暑は間違いなくやってきますので、今のうちにしっかりと身体を動かして汗をかき、夏に備えた体づくりをしていきましよう。天候もそうですが、振り回されてしまうと疲れてしまいます。負けてしまわないように体力をつけましょう。そして心が負けてしまわないためには何が必要でしようか。

世の中の予盾を知って

世の中は矛盾だらけです。例を挙ければきりがありません。公僕・選良であるはずの政治家が私欲まみれだったり、私たちの現場では、信頼関係こそが基本となるべき対人支援職にありながら現場労働軽視の風潮からか「利用者との十分なコミュニケーション・人間関係をとおして信頼関係をつくりだすゆとりもなく、常に変化する利用者の状態に即応するホームヘルバーの主体的判断や裁量権も介護保険制度のなかで奪われて(※ 1)」ということがあります。

矛盾に振り回されて折れてしまいそうになる心は、感受性が豊かな証でもあります。「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思うとき・・・・・・農民たちの小屋という小屋には、同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にするとき一一そうしてこの世はすべてあいも変わらす朝ことに同じことを繰り返している。一一そしてこのさまよえる地球は永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間を、その単調な軌道のうえを、容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方がいっそうわびしいというものです。」

矛盾に鈍感でいることは「死よりも辛い」という24歳の告白です。この手紙を書いたのはナイチンゲール(※ 2)です。産業革命期のイギリスでは貧富の差が圧倒的に拡大していきます。感受性の豊かな彼女は16歳の時に「神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた」という体験をし、何をするべきかを自らを問い続けます。

25歳、彼女は苦しんでいる人を助けるために看護婦をやりたいと親に打ち明けます。当時の看護婦は、尼僧か無学の下働きの酒飲みの女がやるものたと思われており、病院は汚物まみれで不潔極まりない場所でした。近代医療が確立する以前の病院は乞食や食い詰めた病人や障害者や孤児や巡礼者などを宿泊させる救貧院を原型としており、「施し」として収容するのであって、待遇が良すぎると貧者が努力をしなくなるという理由で、その処遇は最低限を下回るものとなっていたため、「病院にだけは収容されたくない」という場所が「ホスピタル」だったのです。

不道徳や堕落が同居すると考えられていた病院の仕事を親が許すはすはありません。大反対されたナイチンゲールは「今朝の自分は、涙に魂までも流れ果てる思いである。胸をえぐる悲しみ、孤独の苦しみ、このどうしようもない淋しさ」「もう私は生きていけない。主よ、どうかおゆるし下さい。そしてどうか今日私に死を与えて下さい」と苦しみます。しかし彼女は親に隠れて病院に関する資料を集め猛勉強を開始します。




※ 1 「社会福祉政策と福祉労働」加藤薗子(2002)

※ 2 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)

イタリア旅行中に花の都フィレンツェで生まれたことからフローレンスと名づけられる




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自分の中の矛盾を乗り越えて 

彼女の中にも矛盾はありました。彼女の家は上流階級で多くの召使に囲まれお城のような家に住んでいたのです。そして、自分の中にも「社交界の星となって賞賛されたい」という気持ちがあったことにも気が付いていて、罪の意識にも苦しみました。自分が慕う相手から求婚を受けましたが断ってしまいます。結婚してしまえば、使命の道は閉ざされてしまうからです。

「神は朝、私を呼ばれて、神のために、たた神のためだけに、わが身の名声を顧みすに、善をなす意志があるかと問われた」と再びの啓示。しかし未だに道を切り開けない彼女は自分を資め、心は病み疲労は極限に達します。「家族の同情や援助は、一切期待してはならない。長いこと家族の理解が欲しくてたまらずにいたので、この事実を受け入れるのはなかなか大変である・・・私はあまりに長いこと子供扱いされ、そのように扱われることに甘んじてきた」と彼女は記しています。

31歳、彼女はドイツの先進的な病院付属学園で実習を受け、パリにある病院で見習い生として働きます。ついに長年の苦悩と猛勉強が実を結ぶ日寺が来ました。33歳の彼女はロンドンの経営困に陥っに病院の管理者に赴任し、水を得た魚のように働き大改革(※ 3)を断行します。覚悟を決めた人に恐れるものは無いのでした。




※ 3 換気の行き届いた衛生的な病室、頻繁に交換されるシーツ、水と湯の出る病室の蛇ロ、ナースコール、ナースステーション、新しい在庫管理方法等、これらは全てナイチンゲールの発案



写真はナイチンゲールが考案した円グラフ。彼女は若い頃、数学者を目指していたこともあった。




苦悩する者のために戦う

1853年、クリミア戦争が勃発します。34歳のナイチンケールは友人の陸軍大臣の呼びかけに応えて看護団を組織し戦地に赴きます。野戦病院での兵士の死亡率は42 %と高率でしたが、その原因は兵士を「くず」「ごろつき」としてさけすむ軍隊の体質と共に、食料不足や極悪な衛生状態にありました。最初の2週間で運び出された汚物や腐敗物は手押し車 556杯分と2頭の馬・24体の動物の死骸という有様でした。

彼女は陸軍省に改善要求を行うと共に、兵士に寄り添い傷を洗い包帯を取り換えて栄養・衛生改善(※ 4)に努め、死亡率を2%にまで低下させました。人間らしく扱われて感激した兵士は、ランプを持って夜間巡回を行うナイチングールの影に接吻をしたほどでした。本国では戦意高揚の意図もあり彼女を「クリミアの天使」と呼んで英雄視しましたが、彼女はそんなことには目もくれず、最後の兵士が退院するまで病院に残り、騒がれることを嫌って偽名で帰国しました。

その後のナイチンゲールは、全国の病院の調査を行ってはデータを集め統計を駆使して数々の報告書を記し、病院や軍隊の改革を提案していきます。しかし、疲労と戦地で罹患したクリミア熱の後遺症から衰弱して倒れ、41歳で歩けなくなってしまいます。それでも彼女はペットやソファーの上で働き続けます。病院設計や公衆衛生や看護師養成の専門家として数多くの著作を発表し各方面に提言を続け、請われて法律の草稿や認可条件の執筆も続けていきます。

多くの矛盾から目を背けずに自らの戦いを続けられた彼女のエネルギーの源は、一体何だったのでしよう。それは、天啓として表象された「何のために生きるのか」と自らを問う心の声だったのではないでしようか。看護も介護も突き詰めれは世の矛盾にぶつかり、心が折れそうになる大変な仕事です。私たちも続けていくために、負けないために彼女の次の言葉を励みにしながら自らを問い、その原点に立ち返っていきたいと思います。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」

自らが深く真摯に苦悩したことは、間違いなく誰かの苦悩を癒す力となるのです。




※ 4近代医療の成立をコッホやパスツールの近代細菌学の確立に見るならば、ロベルト・コッホ( 1843-1910)による1884年のコレラ菌の病原性の確認に先立っ慧眼と先見性がナイチンゲールにあったと言える。「近代看護の創始者」と言われる彼女は、統計学やソーシャルワークの先駆者でもあった。5月12日はナイチンゲールの誕生日にちなんで国際看護師の日となっている。




 

紙面研修

ナイチンゲールの人間観

「自然の働きかけ」 「全ては回復過程」

ナイチンゲールが24歳の頃、サミュエル・ハウ博士が彼女の家に滞在した。博士は米国の医師であり社会事業家でパーキンス盲学校(アン・サリバンやヘレン・ケラーもここの卒業生)の創設者でもあった。彼女は博士に看護婦の仕事についてどう思うかを聞いた。それを自分がやることについて。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていくかぎり、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしよう。たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしょう」と博士は答えている。

淑女は紳士と結婚し紳士に添えられた”花”のように生活し、家事や仕事を一切せずにパーティーやおしゃべりに明け暮れる退屈な日々を過ごすことが上流階級の女子の「人生」とされていた当時にあって、ナイチンゲールの考えは異例中の異例だった。それは、女性の自立した生き方の先駆であったのだが、根源には「人間の自立への志向」がある。

人間が、普遍的価値に肉薄しながら自らを活かし生きようとする時に、根源的な力はひらめきのように自分の内側から湧き上がってくるものだ。それはクリスチャンにとっては「愛の力」とも言えるだろうし、「神と共にある」という表現にもなろう。ナイチンゲールの思想にはこのような「人間に内在する力」(普遍的な力・生命力)への実体験に基づく信念が見られる。




『病院覚え書』

・病院がそなえているべき第一の条件は、病院は病人に害を与えないことである。

『看護覚え書』

・看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること、こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小限にするように整えることを意味すべきである。

・看護がなすべきこと、それは自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことである。

・全ての病気は、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない。

・看護師のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者に辛い思いをさせて言わせることなく、患者の表情に現れるあらゆる変化から読みとることができることなのである。

『病人と看護と健康を守る看護』

・病気とは、健康を阻害してきた、いろいろな条件からくる結果や影響を取り除こうとする自然の働きかけの過程なのである。癒そうとしているのは自然であって、私たちは、その自然の働きかけを助けるのである。

・健康とは何か? 健康とは良い状態をさすだけではなく、われわれが持てる力を充分に活用できている状態をさす。

・看護師は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない。ひとつはその症例に対する理性的な関心、そして病人に対する(もっと強い)心のこもった関心、もうひとつは病人の世話と治療についての技術的(実践的)関心である。

・看護師は、病人を看護師のために存在するとみなしてはならない。看護師が病人のために存在すると考えなけれはならない。

『看護師の訓練と病人の看護』

・看護はひとつの芸術であり、それは実際的かっ科学的な、系統だった訓練を必要とする芸術である。

『救貧覚え書』

・体が丈夫でない貧困者に関するかぎりは、彼らに対する救貧法の本来の目的は、彼らに対する罰を与えたり、食べ物を提供したりすることではなく、彼らを勤勉で自立できる人にするために、訓練を施すことである。

それはある意味では、読み、書き、計算と言った国民教育の一野が引き受けるべき事柄であり、またそれは国民の間で”共通認識ができている良心のあり方、つまり道徳”を教えることによってなされていくことであろう。




「全ての老いは、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は自己実現過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない」と単語を読み替えても、首肯できる言葉ではないだろうか。

 

考えてみよう

利用者さんが持てる力を充分に発揮できるようにするためには、私たちは何に関心を払い、どのような態度であるべきだろうか。


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