【紙ふうせんブログ】

令和5年

紙ふうせんだより 7月号 (2023/09/08)

皆様、いつもありがとうこざいます。セミが鳴いていますね。セミの成虫の寿命は俗説では1週間などと言われてきましたが、1ヶ月程度生存する個体もいるようです。卵で1年間過こしに後、地中で木の根にしがみついて暮らす幼虫の期間は、種や固体や環境にもよりますが1年~ 5年と言われています。

繰り返す生と死の意味について

セミの寿命を長いと考えるか、短いと考えるか。真夏の始まりにセミの抜け殻の「空蝉(うつせみ)」を見かけます。これは「現身(うつしみ)」とかけた言葉で、「現世に生きているこの身」もまた「仮住まい」であって、空っぽの抜け殻にやがてはどこかに旅立たなけれはならない人身を重ねています。夏の終わりにはひっくり返った「落蝉(おちせみ)」が転がっています。触るとまた力の残るものは羽をハタバタさせますが、やがて死ぬ命です。どうせ死ぬのだから「生まれたってしょうがない」と、セミは考えるでしようか。

直射日光で焼かれたアスファルトの上に「陽炎(かげろう)」がゆらめくことがあります。同じ音の昆虫の「蜉蝣(かげろう)」は、数年の水生生活の後に一斉に羽化します。大量発生して交尾の饗宴を繰り広ける成虫の寿命は、数時間(※1)と言われています。コウモリがカケロウを狙って乱舞し、交尾を終えてカ尽きたオスは落下して群がる魚の餌食となります。その間にメスは着水し産卵を行いますが、メスも卵も魚に狙われます。大量投下された餌には必す食べ残しが発生し、残った卵が種の命脈を次世代に繋ぎます。そうやってカケロウは3億5千年間生き抜いてきました(※2)。

カゲロウは「ほとんど食べられてしまうし、すぐに死んじゃうのだから、産んでも意味が無い」と言うでしょうか。儚く弱い命の象徴のように語られるカゲロウですが、今生きている個体は、地球上で最初に空を飛んに生きものの最後の生き残りでもあるのです。




※ 1 短命種の場合、長命のものでも数日。

※ 2「生きた化石」とも言われる。




人を殺すのも人間 人を生かすのも人間

文明の発達で「人間の天敵はもはや人間」という状況に私たちは生きています。戦争は、医療や福祉が総力をあげてようやく助ける一つの命を単位にあっと言う間に殺戮します。だから戦争は人類が憎むべき最悪のものと言うべきですが、戦争には技術などの革新を呼び込んで文明を発展させてきた面もあります。

人に殺し合いをさせる権力の横暴に対抗すべく「人権」という概念は生まれました。戦争を起させない、起こせない社会を私たちは築くことができるでしようか。「戦争はどうせ無くならない」と言う人もいます。そのような人でも戦場に放り込まれれは、自分や家族や仲間の生き残りをかけて奮闘するでしよう。多くの人が死んでしまい、周囲の人に死なれても生き残った人は、自分も「生きていたってしようがない」と思うでしょうか。

心が傷つけばそう考える時もあるでしよう。罪悪感に苛(さいな)まれることもあるでしょう(※3)。それでも心の底からは「生きねば」という声が聞こえてきます。生き残った者の生き残った意味は、生き抜いてみないと本当には解からないからです。




※ 3 サバイバーズ・ギルトと言う。戦争や災害、事件事故、虐待等に遭って生き残った者は、周りの人々が亡くなって「自分が助かった」ことに、しはしば罪悪感を抱いてしまう。




 

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「社会」 に自分をぶつけていく

昭和5年生まれの利用者さんが、兄の話をして下さいました。「兄の及人が志願して(※4)戦死した報せが入ってきた時、兄や仲間たちは『次は俺たちだ!後に続こう』と吹き上がったことがあった。兄が志願したいと母に伝えると、おとなしかった母は、人が変ったように怒り狂い『死なせるために産んだわけじゃない』と泣き叫んで兄を怒った」とのことでした。しかし必死で母が守った兄は、東京大空襲下の両国で消息を絶ってしまいました。

戦死を美徳とする軍国教育を受けたこの世代の男子は、皆一度は死を覚悟しています。知人や親族の中には必す戦争関連の死者がいます。生き残った者の罪悪感は、刀の切っ先のような問いを突き付けます。生き残った自分に何の意味があるのか――。

少年はやがて大人になり社会に出るとがむしゃらに働きはじめます。結婚前の初デートも15分で仕事があるからと退席し、仕事に明け暮れる日々でした。答えを出すにめには、自己存在を何かに投じて全力で壊れるくらいにぶつかって、どうでも良いような自分の要素をぶっ壊してみたあとに残った「芯」を掴みにいくような生き方をせざるを得なくなるのでしょう。妻の多大な負担を背景に、仕事では大成功を納めやがて引退。老後の平穏な生活がしばらく続いたあと、だんだんと身心の自由がきかなくなってきます。

意図しなかった介護生活、再び妻に負担を強いる状況に「こんな状態で生きていて良いのか」と、もう一度生きている意味を問うことになります。それは、身心にガタがきた後に、残った「信」を掴みにいくような問いとなります。

 

人生からの問いかけに答えるために

生物学的には、多細胞生物の「死」は進化して「獲得されたもの」と考えます。種の遺伝子の多様性を開発し良きものを子孫に手渡していくために「個体の死」があるのです。私たち人類は、社会を開発し世代交代によって社会を変革していくことを種の生存戦略としてきました。個体だけの狭隘(きようあい)な視点では、生死の意味の全体を見通すことはできません。

答えを求める人生の最晩年に、介護というかたちで世代を超えた出会いがあります。手を繋ぐことによって伝わるお互いをいにわる気持ち。話し笑いあうことの純粋な楽しさ。それは一つの小さな社会でありながら、助け合って生きる人間の本質と、私にちが目指すべき社会の方向を示しています。人と人が触れ合う価値は、命ある限り紡きだすことができるのです。

先の利用者さんは、ヘルパーさんとの出会いを「こんな時に出会えるなんて、自分は幸運だった」「あなたは親友だ」と喜んでおられました。そうした介護生活もやがて終わりを告け、昏睡の枕もとで妻が手を握り感謝の言葉を述べています。本当の気持ちは言葉の次元を超えて伝わります。その刹那(せつな)に「これで良かったんだ」という確信が心を満たしていきます。90 年を超える生涯はあっという間に過きていたのです。奥様も「私が語りかけると瞼(まぶた)が動いた」と言われ、お互いの気持ちが伝わっていることを、確信しておられました。

人生に対する「私」の答えは、自分自身が「他者との触れ合いによって」発見する以外にありません。個人の視点のみでは、意味の全容を掴むことは構造的に不可能にからです。私たちが人生最晩年の喜びを利用者さんに届けるように、私の中の優しい気持ちは利用者さんによってリフレッシュされます。人生の彩りの豊かさや、やがて再発見されるだろう「意味」は、「あなた」がきっかけとなり「あなた」が友となり、私に届けられるのです。

 




※ 4 大戦末期には募集年齢が15歳から14歳に引き下げられ、志願の名のもとに「地域ぐるみ、学校ぐるみ」で徴募された。

既に15年戦争期には陸軍だけでも17歳未満の少年志願兵の総数は40万人にのぼるとされる。昭和18年には少年飛行兵を「絶対獲得ヲ期セラレ度」などと要請が出され、13歳の児童(現中学1年生)にも誕生日入隊の働きかけが行われた。非力なエンジンのためパイロットは小柄軽量も有用とされ、ようやく離陸できる程度の未熟な少年飛行兵が無謀な作戦に戦果無く散っていった。

 

紙面研修

回復過程としてのサバイバーズ・ ギルト

「個性化の過程」 「全ては回復過程」

『生き残ることの悲しみはどのようなものであるだろうか。そこには自らが「生きること」と「死ぬこと」をかんがえるだけではなく、自ずと「なぜ生きるのか」、 「なぜ死ぬのか」という問いを投げかけられることでもあるのではないだろうか。それは答えの出ない問いを投げかけられることであり、深い宗教的あるいは哲学的な問いを与えられる出来事でもある。

そして、深い悲しみは「どう生きるか」と、全存在を賭けた問いを投げかけてくる。禅の公案を投げかけられるような問いに人はどのように答えを求めていくのか。それが個性化の過程であるのかもしれない。』(「能『鐵門』と能『大原御幸』から見た「生き残ること」の「かなしみ」と語ることについて」花園大学心理カウンセリングセンター宮野知子)
サバイバーズ・ギルト (suivivor’s guilt) とは、自分だけ生き残った、もしくは自分だけ生き延びたなどの理由で抱く罪悪感、あるいはそれに似た感情のことをいいます。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは『菊と刀』のなかで、西洋は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と分類しました。そのため日本人は恥ばかり気にして、罪の意識が欠けている、などと批判されることがあります。

しかしその一方では、日本人は、サバイバーズ・ギルトという形で罪の意識をいだきやすいこともまた指摘されます。

たとえば、太平洋戦争のときは、戦地におもむいた兵士たちのあいだで、戦友が戦死したり、特攻隊で生き残ったりすると、「戦争で死ねなかった」ということが、その後のその人の人生の重荷になったりしました。

また、最近では東日本大震災の後に、被災地だけでなく、被災地から離れた人々のあいだにも、このサバイバーズ・ギルトが広がりました。

この感情は、人々がボランティアとして現地へ入っていく動機にもなりましたが、このために震災後多くの人が鬱になっているともいわれます。(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)

 
被災者が生き残ったことや損失が少ないこと対して抱く罪悪感

サバイバーズギルトは、心的外傷反応の一部である。サバイバーズギルトを持つ人への対応として以下のものがある。

①災害においては、生存するか否かは無作為であり、生き残ったものはそれを受容しなければならないことを繰り返し伝える。

②生き残ったことを罰する必要のないことを知らせ、日常生活に復帰できるように支援する。

③生き残った人の考えや感情、活動が展望を持てるように支援する。

④支援したい、役に立ちたいと思っている生存者を支援計画に巻き込む。誰かの役に立ち、人助けをしているうちに生存したことへの罪悪感を小さくしていく。(日本災害看護学会)
 

心の傷は受傷の無い環境に行けば治るというものではない。それが血肉となって人生の大切な一部として人生観に組み込まれていく過程は長い目で見ていかなければならないが、生き延びたということはその時から「回復過程」を歩んでいると言える。

ただ、簡単に起きたことの良し悪しを決めつけたり、無かったことのように振る舞ってしまえば、受傷の否認となって自然の治癒力の妨げになってしまうこともあるだろう。全ての回復過程は同時に自己統合・自己実現過程(「個性化の過程」とほぼ同義)でもあるのであって、それらは快適なことばかりではなく苦しいことも含むが、必ずしも苦しみだけとは限らない。

 
家族や親しい人を亡くした被災者にかけるべきではない言葉

兵庫県こころのケアセンター「サイコロジカル・ファーストェイド実施の手引き第2版」より要約

・きっと、これが最善だったのです。

・彼は楽になったんですよ。

・これが彼女の寿命だったのでしょう。

・少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしよう。

・がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。

・あなたには、これに対処する力があります。

・できるだけのことはやったのです。

・あなたが生きていてよかった。

・他には誰も死ななくてよかった。

・耐えられないようなことは、起こらないものです。

・もっとひどいことだって起こったかもしれません。あなたにはまだ、兄弟もお母さんもいます。
考えてみよう

「かけるべきではない言葉」の例がどうしてそうなるのか、考えてみよう。

 
I was born (あいわずぼ一ん)吉野弘(初出「消息」自費出版1957年)

確か英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青いタ靄の奥から浮き出るように白い女がこちらへやってくる。物憂げにゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを腹のあたりに連想しそれがやがて世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時僕は<生まれる>ことがまさしく<受身>である訳をふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

ーーやつばりI was bornなんだね

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

ーーI was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだねーー

その時、どんな驚きで父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後思いがけない話をした。

ーー蜉蝣という虫はね。生まれてから二、 三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってねーー

僕は父を見た。父は続けた。

ーー友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると口は全く退化して食物を摂るに適しない。 胃の腑を開いても人っているのは空気ばかり。 見るとその通りなんだ。 

ところが卵だけは腹の中にぎっしり充満していてほっそりした胸の方にまで及んでいる。 それはまるで目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまでこみあげているように見えるのだ。 つめたい光りの粒々だったね。

私が友人の方を振り向いて<卵>というと彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。 そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのはーー。

父の話のそれからあとはもう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく僕の脳裡に灼きついたものがあった。

ーーほっそりした母の胸の方まで息苦しくふさいでいた白い僕の肉体ーー
 



 

 


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