【紙ふうせんブログ】

令和6年

紙ふうせんだより 3月号 (2024/04/23)

「他者」と出会うことの大切さ

皆様、いつもありがとうございます。北風と太陽の綱引きのような、寒いのか暖かいのか「どっちなんだい?」という日々が続きましたが、春も本番です。気持ちを新たにして、草木が葉を伸ばすように、私たちもまた降り注ぐ光を捉えて成長していきたいと思います。

そこにある「価値」を発見すること

利用者さんが、「いつもニコニコして朗らかだねぇ。会うと元気を貰えるよ」と言って下さいました。対して私は「ありがとうございます。私の方こそ元気を貰っていますよ」とお答えしています。またあるヘルパーさんは、常日頃から「仕事が楽しいです。楽しい上に給料を貰えるのだから、本当にいい仕事です」と言って下さっています。どちらも訪問介護の実践がポジティブな相互作用となっています。喜びなどが好循環して掛け算のように増えているのです。

好循環は入口を誤れば起きません。「お金の為に働くのだから、給与額以上に労働の価値は無い」とか「この人からは得るものは無い」などと、自分中心の狭い了見で価値や利益を決めつけてしまったら、ゼロの掛け算です。原点に立ちかえり、自分とは異なる「他者」との出会いを積極的に肯定しましょう。ひとり一人の存在には掛け替えの無い価値があります。これを「尊厳」と言います。それは、他からの認識や評価の優劣や判断の有無に関わらず、それそのもの自体の絶対的な価値としてそこに存在しているものなのです。

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そこにある「光」に気が付くこと

イソップ物語には、北風と太陽が力比べをするお話があります。北風は、何でも吹き飛ばして見せると自慢気です。旅人が通りかかったので、北風は旅人の外套を吹き飛ばそうとします。しかし、風が吹くほど旅人は外套をしっかり押さえてしまうので、北風は旅人の外套を脱がせることができません。次に太陽が燦々(さんさん)と暖かな日差しを見せます。すると旅人はその暖かさに、自分から外套を脱いでしまいます。

実際に物を動かす運動の力は北風の方が優れており、太陽にはそれがありません。だから太陽は旅人が自分の力で外套を脱いでくれるように暖かい光を送り届けて、旅人の変化を待ったのです。人を変えるのは北風の説得よりも温かい態度です。これは支援者が持つべき態度ですが、違う解釈をしてみましょう。

様々な制約といった「北風」に気を取られていて、「太陽に気が付かない旅人」が私たちだったとしたらどうでしょう。利用者さんは、静かに「光」を送り届けながら旅人の変化を待っている「太陽」の位置づけです。自分なりに光っている利用者さんの人間らしい温かさに気が付いて、旅人が外套を脱ぐことができたらなら身も心も軽くなります。お互いに一皮むけるような変化が起きるかもしれません。

利用者さんを中心に回るケアへの転換は、天動説から地動説への転換とも言えるので、やはり利用者さんは「太陽」です。そうやって敬うことによって好循環も回りはじめます。そして、「光」に気が付つくということは尊厳の再発見であると同時に、利用者さんから向けられている親愛の情に気が付くことでもあります。

 

そこに「他者」がいるということ

しかし利用者さんは、親愛の情などを本当に私たちに向けているのでしょうか。このように問うと、「他人の気持ちの本当のところは解からない」という諦めに近い結論に落着させる人も多いと思います。ここで結論を断定すると、「他人が自分に対して何を考えているか、結局は解らないのだから自分はやりたいようにやるし、他人の気持ちは軽視してよい」という、他者を恐れ敬えない切断された関係に向かいます。これは、現代人の「自分を中心にすえる」思考様式の罠で、他者不在の「孤独」に陥ります。

このような限界を他者論(※1)の哲学を展開するレヴィナス(※2)は越えようとします。「自分が認識するから他者がある(※3)」のではなく、「他者が存在することによって私たちが存在する」との考え方の転換を行い、自分を起点として他者は理解不能という安易な「結論」に達するのではなく、他者を起点として自分や他人を知っていく「過程」を重視します。そして、自分中心の認識の限界を脇に置き、確かに存在する他者を最大限に尊重するのです。

レヴィナスは、他者の本質を「絶対的に他なるもの」とします。私たちは、安易な結論を求めて他人を自分の思惑や論理に回収してしまいがちです。しかし、それでもそこに予測不可能性を持ちながら「他者」は厳然と存在しています。他者から自分に向けられる眼差しや表情や言葉は「他者の表れ」であり、それに関心を払い、他者の表れ方に対して「自分の責任を負う」べきだとレヴィナスは主張します。それが、自分の殻から自分を引き出すことになり、「他者」との深い出会いとなるのです。他者は断定不能であると同時に、「私」を自己完結の孤独から救い出す「無限の可能性」を持っているのです。




※1 現代哲学での他者論は、他者は「無限に続く『他者』の連鎖」を成しておりどのような言葉や理屈を述べてもそれを否定する「他者」が存在することだけは決して否定できず、「他者」が現れるからこそ自己は、自己完結して停滞することなく無限に問いかけ続けることができる、としている。

※2 エマニュエル・レヴィナス(1906-1995)現代哲学における「他者論」の代表的人物

※3 「我思う、故に我在り」と、あらゆる懐疑の上に疑いようのない自分が残ったことを起点とする近代哲学は、客観的に確かなものを積み上げて科学の発展には寄与したが、客観的に認識できない「他者」などについては範疇外となってしまった。




 「利用者さん中心」とはどのようなことか

 近年、他者論を土台とするケア理論も展開されるようになってきました。シュミット(※4)は「無条件の肯定的関心」が「承認」になるとして、「承認こそがパーソン・センタードという在り方の表れなのだ」としています。「承認」とは他者との出会いです。

シュミットは論考しながら、「パーソン・センタード・セラピーの展開(※5)」では「他者とは、同一化もコントロールもできない、私とは本質的に異なる存在である。それゆえ他者を知ることはできない。他者の他者性を破壊せず関係を結ぶには、ただ共感し、承認することである。また理解し得ない謎を含んだ、無限の他者こそが、自己の限界を克服する。他者に出会うには、何よりもまず、他者が真に『向こう側に立っている』と理解する必要がある。反対側に立たずして出会いはない。この隔たりが、他者を、自立的な価値ある個人として尊重する」と、まとめています。

 自己と他者の動的な関係

 利用者さんの前に立つとき、「利用者さんは、私と良い関係になりたいと願っているか?」と問うことは誤りです。「関係」の責任を利用者さんに問うのではなく、「自分が何を願って利用者さんの前に立っているか?」なのです。私たち支援者が他者のありのままの承認に努め、ありのままがどうあれ「どのようにその前に立つのか」と自らを問う時、私たちは自己自身と成り得ます。

 自分の中にある温かい気持ちを確認しながら利用者さんの前に立つこと。温かい開かれた態度で「他者の表れ」を受けとめること。それができた時、私たちは暖かい「太陽」です。その時、同時に利用者さんもまた私たちの真ん中で光り輝く「太陽」となります。この共時的な承認の応答関係の循環が、人に「生きてて良かった」と思わせるのです。




※4 ペーター・シュミット

※5 関西大学心理臨床センター紀要「対話・他者との『出会い』の哲学から考える無条件の肯定的関心」白﨑愛里





紙面研修

紙面研修

「共生社会の実現を推進する」

【認知症基本法】

 いわゆる「認知症基本法」が2024年1月1日に施行されました。これは、認知症の人が2025年には700万人(高齢者の5人に1人)に達すると予測が背景にあります。認知症とどう向き合っていくかということは、誰にとっても身近なものになりました。国や自治体や企業もこれを避けて通ることはできません。

認知症の方は“異物”として社会から排除されがちですが、それを容認すれば誰の利益にもならないどころか社会そのものが歪んでしまいます。そのようにならないために、「共生社会の実現」を目的として、社会全体に共通認識の枠組みを作る必要がでてきました。

「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」

第一条 この法律は、我が国における急速な高齢化の進展に伴い認知症である者が増加している現状等に鑑み、認知症の人が尊厳を保持しつつ希望を持って暮らすことができるよう、認知症に関する施策に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体等の責務を明らかにし、(中略)

認知症施策を総合的かつ計画的に推進し、もって認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会の実現を推進することを目的とする。

基本理念
  • ・全ての認知症の人が、基本的人権を享有する個人として、自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むことができる。
 
  • ・国民が、共生社会の実現を推進するために必要な認知症に関する正しい知識及び認知症の人に関する正しい理解を深めることができる。
 

・認知症の人にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるものを除去することにより、全ての認知症の人が、社会の対等な構成員として、地域において安全にかつ安心して自立した日常生活を営むことができるとともに、自己に直接関係する事項に関して意見を表明する機会及び社会のあらゆる分野における活動に参画する機会の確保を通じてその個性と能力を十分に発揮することができる。

 
  • ・認知症の人の意向を十分に尊重しつつ、良質かつ適切な保健医療サービス及び福祉サービスが切れ目なく提供される。
 
  • ・認知症の人のみならず家族等に対する支援により、認知症の人及び家族等が地域において安心して日常生活を営むことができる。
 
  • ・共生社会の実現に資する研究等を推進するとともに、認知症及び軽度の認知機能の障害に係る予防、診断及び治療並びにリハビリテーション及び介護方法、認知症の人が尊厳を保持しつつ希望を持って暮らすための社会参加の在り方及び認知症の人が他の人々と支え合いながら共生することができる社会環境の整備その他の事項に関する科学的知見に基づく研究等の成果を広く国民が享受できる環境を整備。
 
  • ・教育、地域づくり、雇用、保健、医療、福祉その他の各関連分野における総合的な取組として行われる。
《行政や立法の責務》

基本理念にのっとり、認知症施策を策定・実施する。法制上又は財政上の措置その他の措置を講じなければならない。

《国民の努め》

国民は、共生社会の実現を推進するために必要な認知症に関する正しい知識及び認知症の人に関する正しい理解を深め、共生社会の実現に寄与するよう努める。

《福祉・医療事業者の努め》

国及び地方公共団体が実施する認知症施策に協力するとともに、良質かつ適切な保健医療サービス又は福祉サービスを提供するよう努めなければならない。

《その他の事業者の責務》

日常生活及び社会生活を営む基盤となるサービスを提供する事業者は、その事業の遂行に支障のない範囲内において、認知症の人に対し必要かつ合理的な配慮をするよう努めなければならない。




「私たちのことを私たち抜きで決めないで」

ある利用者さんが「俺は禁治産者だ。人権を奪われた」と嘆いていました。事実ではないのですが、生活上の望まない制限が重なり我が身を嘆いての発言でした。「禁治産者」とは障害や病気により心神喪失の常況にある人が家族等の申立てにより「財産を治めることを禁じられた者」と家裁で認定を受けたものです。差別的なニュアンスを含んでいたこの制度は1999年の民法改正で「成年後見制度」に変わりましたが、現在も、認知症に対する社会の無理解が見られ専門職が主導する偏見もあります。

今回の基本法制定は、無理解や偏見に起因する差別を解消する意図を含み、認知機能に障害があっても「社会を構成するフルメンバーとして受け入れる」と宣言するものです。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」とは、2006 年に国連で採択された「障害者権利条約」(日本は2013年に障害者差別解消法を制定して2014年に批准)の策定時の合言葉でしたが、参画する権利を有する「私たち」の中に、「認知症の方」も入らなければならないのです。




考えてみよう

認知症の方を社会で共生する「他者」として、「社会を構成するフルメンバー」として迎え入れる為には、社会や自分は何をどう変わるべきだろう。





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