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いちしんウエルフェア(紙ふうせん)だより 6月号 (2025/07/29)

人生の未知に、花を咲かそう

 皆様、いつも有難うございます! 雨の季節です。寒暖差や湿度などによって、体調を崩しやすい季節です。どうかご自愛ください。

 「雨降って地固まる」ということわざがあります。雨によって地面はぬかるみますが、乾いた後は地面が締まって固まるということを捉えて、もめごとなど悪いことが起こったあとは、かえって基盤がしっかりしてよい状態になることのたとえとして使われます。生きている限り色々あります。今日の嘆きも明日には笑い話になっているかもしれません。

九十のみちに花を咲かそう

 あるご利用者さんが、自作の素晴らしい短歌を教えてくださいました。

「昨日より 今日より明日 健やかに 九十のみちに 花を咲かそう」

 人生行路は色々あります。様々な人が行き交う九十の路(みち)の「往来」に、そのような生活の一つひとつの場面に「花を咲かそう」ということなのでしょう。これは、「今を生きる」ということに重なります。また、「みち」は「道(みち)」でもあります。「これが私の生きる道」です。悪いことがあっても考えがしっかりしていれば、「近頃の私はイイ感じ」にしていけまます。そして「みち」は「未知(みち)」でもあります。未だ来たらぬ「未来」は常に「未だ知らない世界」です。未知に対して真摯になれば、常に世界は新しく開かれていくのです。

 未来を「知っている」と思うことは浅はかです。「知ってる」という断定は合理化ではありますが、同時に単純化でもあり、物事や人の心が複雑に絡み合う様々な面を、自分の経験や価値観の色眼鏡によって切り捨ててしまいます。それは、一つひとつの中に含まれる掛け替えのなさを失わせ、物事の見え方感じ方を貧しくさせることがあります。痩せ細ってしまった感受性にとっては、雨の冷たさや地面のぬかるみは不快でしかなく、そこに内包する恵みや確かさを見過ごしてしまいます。

 対人援助を仕事とする私たちだからこそ、「自分が見落としている意味はないだろうか」と、自らを問うべきです。表面的には悪いことのように見える物事の中に、種子のように潜む発展の可能性はないでしょうか。「禍を転じて福となす」ということわざがあるように、「介護」や「病」という事象の中にも、「負担」や「困難」や「苦痛」以外の意味もあるはずなのです。

 「花を咲かせる」ということ。それは何でしょう。そこにある「種子」に気がつくことです。嫌なことに捉われず、人に笑顔で接していれば、種子は自ずと育ち花を咲かせます。笑顔が心の底からの「笑(え)み」(※1 )となった時、生きていることの豊かな実感が花として咲きます。

 そもそも、「咲」という漢字は「笑」という漢字の俗字であり、意味も「笑う」と同じでした。しかし、「口もとのほころびるさまを花にたとえた(※2)」ところから、「花が咲く」という意味でも使われるようになったのです。私たちが行っている「介護」という取り組みは、「人生の未知に、花を咲かそう」ということではないかと思うのです。




※1「笑み」には、「にっこりする」ことや「ほほえみ」以外に、「つぼみが開くこと」や「花が開くこと」「果実が熟して割れること」の意味がある。

※2白川静「字統」




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「病」を通して「他者」と結びつく

 私たちは、「病」の中にある、肯定的な意味を知っているでしょうか。「一病息災」という言葉があります。「ちょっとした病気のある人のほうがからだに注意するので、健康な人よりもかえって長生きする」という主旨ですが、もうちょっと掘り下げていきましょう。

 私たちは、暴飲暴食したり無理して働いたりして、身体を痛みつけてしまうことがありますが、たいていの人は、「自分の身体なのだから自己責任」と思ってやっています。仕事などについては、会社での責任や収入面などから頑張ってしまいます。しかし、身体への自分の責任については置き去りになってしまいます。しかし、病を得た時の周囲の気遣いや自分に対する治療などの働きかけから、「自分ごと」だった身体のことが、「自分だけでは済まないこと」に気が付いていくのです。

 そして、「一病」をきっかけに自分の身体に対して、他者に対して礼節を持って接するように、気配りをするようになります。そして、そこで願われる息災(そくさい)(健康や無事)は、「自分ごと」でだけではなく、「周囲の人」の息災をも願うようになります。私たちは、「病」を通してより深く「他者」と結びつくことができるのです。

未知なるものとしての「病」や「老い」

 健康であることが普通とされる「健常者」にとっては、「病」や「老い」もまた未知なるものです。自身や周囲の心の動揺やその後の変化などは、以前には思いもしなかったものでしょう。「病」の中にも「種」はあり、「花を咲かせる」ことを待っています。

 あるご利用者さんに入院生活の話を伺うと、感慨深げに「看護師さんにも、こちらの気持ちを考えて優しく接してくれる人と、自分の仕事だけで素っ気ない人がいるんだよね…」と言われていました。そこで聞いてみます。

 「○○さんは、現役時代はどちらのタイプだったんですか?」「うん、ぜんぜん人の気持ちが解らなかったね。」「そうなんですね。どうしてそれが解るようになったんですか?」「…そうだね、やっぱり自分がこんな身体になったからだよ。こうなる前は、人のことなんてあまり考えてなかった。」「では、病を得たということも、意味があったということですね。」と、その意味を肯定すると、「そうだね~」と大変嬉しそうです。

 未知なるものと出会いは、視点の転換を促し価値観の地殻変動となり得ます。心の動揺も「種」を「ネタ」に転換するように明るく語り笑っていけば、やがては視界が開け、世界は新しくなっていくのです。

花の命はみじかくて(※3)

 私たちは一生をずっと笑って過ごすことはできません。辛いことの方が多いかもしれません。しかし、人生の一瞬一瞬にも「種」はあって、種は「花を咲かせる」ことを待っています。花の命は短いものです。短いからこそ美しくもあります。要介護高齢者のこの先は、私たちほどは長くはありません。

 介護の仕事は、大して長くないものを無理して引き延ばして薄めてしまうものではありません。今、この瞬間に笑顔の花を咲かせること。その瞬間の光と風が心の中に情景として刻まれて、あなたと私の支えになっていくのです。




風も吹くなり

雲も光るなり

生きてゐる幸福(しあはせ)は

波間の鴎(かもめ)のごとく

漂渺(ひょうびょう)とただよひ

 

生きてゐる幸福(こうふく)は

あなたも知ってゐる

私もよく知ってゐる

花のいのちはみじかくて

苦しきことのみ多かれど

風も吹くなり

雲も光るなり

林芙美子(※4)




※3 林芙美子は好んで色紙に「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と書いた。「花の命は短くて」の原典と考えられる未発表の詩の原稿が、「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子の遺族宅で2009年に発見される。

※4 林芙美子(1903-1951)養父実母と共に行商を営みながら日本各地を放浪する生活の中で、露天商やカフェの女給等の様々な職業を経験。日記をもとにした『放浪記』がベストセラーとり一躍人気小説家となる。『放浪記』は森光子が主演の舞台が有名で初演は1961年。森光子(1920.5.9-2012.11.10)89歳の誕生日に2000回公演を達成し、最終公演は2009年5月29日の2017回目。





紙面研修

利用者さんが何か調子悪い

“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”

この場面で、真っ先に疑うべき事は何だろう

今の季節はやっぱり“脱水症状”や“熱中症”!!と言いたいところですが、今すぐに救急車要請をしないといけないケースから考えましょう。まずは「脳梗塞」です。脳梗塞は、“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”として現れることがあり、さらに進むとが「四肢のどこかに力が入らなくなったり痺れが現れた」などが出てきたりします。脳梗塞は、脱水によってドロドロ血液になって引き起こされる事もあるのです。

 

脳梗塞を疑った場合、どうやって判断すると良いか?

脳梗塞など脳血管障害の場合の見極めのポイントは左右差です。障害が片側全体におよぶところが特徴的です。顔がひきつったり、両手をバンザイしたり前方に伸ばしてみると、片方の腕が上がりにくかったり下がったりします。これを「バレー徴候」と言います。

 




【バレー徴候】 左右差の例

・両手でバンザイしてください➡片側が高く、片側が低い。両手が上がるが、片側が下がってくる。

・冷たいペットボトルに握って➡右手と左手の冷たさは同じですか?➡違う

・わたしと手を繋ぎましょう➡右手と左手のあたたかさは同じですか?➡違う

・両手を出してもらい、手のひらをくすぐる(皮膚をつねる)➡感じ方は同じですか?➡違う

・片方の瞼が開きにくい、口角の片側が下がる➡左右差あり

・しゃべりにくい、ろれつがまわらない、よだれが口角の片側からたたれる➡左右差あり

★症状の出ている反対側の脳にダメージがある可能性があります。これらのサインが「急に」現れた場合には脳を疑い、すぐに救急車要請です。救急隊には「バレー徴候あり」と伝えます。




“何か調子悪い”“ぼんやりしていて、いまいち受け答えがはっきりしない”

2番目に疑うべき事は何だろう?

今度こそもちろん“脱水症状”や“熱中症”を疑います。このような時は、「水分+塩分」摂取を行いましょう。在宅では、昼間エアコンを付けていても夜間は切っており、就寝中の“こもり熱”で“脱水”になっている事もあります。経口補水液やポカリスエットなどがあると便利ですが、インスタントの味噌汁を水で溶いて飲ませるのも良いでしょうし、塩分タブレットを食べてもらうのもありです。クーリングをして「水分+塩分」摂取をしても改善しない場合は通院や救急車を検討します。

 

他に疑うべきものは何があるか?

 他にはどんなことが考えられるでしょう。高齢者は、慢性的な多剤服用による副作用や肝機能低下や腎機能低下もあるかもしれません。睡眠薬が効きすぎて午前中ぼんやりする、というような場合は転倒リスクも高まりますし、薬を分解する肝臓の機能が低下しているかもしれませんし、減薬を考える必要もあるでしょう。

 肝機能や腎機能の低下を疑う場合は、「ぼんやりする」だけではなく、全身倦怠など全体の状態を見ます。「ぼんやりとして調子が悪い」というようなことを単に「加齢によるもの」としてしまったら危険を見過ごします。もちろん他にも様々な病気が隠れていることも考えられます。「悪化を防ぐこと」や「予防」の視点を持ち、医師や検査等に繋ぐことが大切です。

 

【認知症が悪化した? ちょっと待って】

認知症の方の「ぼんやり」は、「認知が進んだ!」と考えがちですが、可能性は様々あります。本当に「病気としての認知症」の進行である場合は、すぐにもっと悪くなるわけでも簡単に回復するわけでもないので、安易にそこに帰結させてしまうのは問題を見過ごします。

 判断として優先的に考えるべきことは、放置すると「悪化する可能性」と、対応によって「回復する可能性」です。薬の副作用や肝や腎の機能低下は放置すると「悪化」します。また、「回復する可能性」のある認知症のような「ぼんやりする」症状としては「正常圧水頭症」や「老人性うつ」などもあります。

食生活が影響する場合もある

暑いこの時期では、食欲不振になっての栄養不足もあり得るでしょう。ビタミンB群はエネルギー代謝に関わるので慢性的に不足すると、様々な症状が現れます。ビタミンB群欠乏は昔は「かっけ」と呼ばれ、玄米を食べない白米食のお殿様がかかる病気でしたが、現代でも欠乏する方が多くいます。白米と魚の食生活は常に欠乏傾向です。




ビタミンB群欠乏で起こる症状

食欲不振・記憶力減退・集中力低下・疲れ眼や眼の充血・口角炎・口内炎・うつ・無気力・幻覚症状・イライラ・不安・精神障害・かゆみ・浮腫性湿疹・皮膚炎・貧血・手足のしびれやもつれ・神経痛・筋肉痛・めまい・頭痛・動悸・傾眠




こむらがえりや筋肉がつったりするか?

 熱中症による脱水を疑う時に、「こむらがえり」など、筋肉がひきつる感じはないかも重要なポイントです。なぜそのようなことが起こるのでしょう。

 発汗すると、汗と共に電解質が失われます。炎天下ではなくとも、熱い部屋で就寝していて朝には喉が渇いている場合などは、就寝中にやはり多くの発汗をしています。この気が付きにくい発汗も要注意です。発汗の際は、「塩分(塩化ナトリウム=電解質)を補った方が良い」と言われるのは、お茶や水分は摂っても電解質を補わなかった場合、血液中の電解質の濃度が低下してしまう恐れがあるからです。電解質は筋肉細胞や神経細胞の働きに関わるため、欠乏すると、筋肉がひきつったりするのです。

 頭がぼんやりする(意識障害)、身体を動かすのがおっくう(脱力)、食べたくない(食欲不振)、足があがりにくい、前に出ない(手足のつり)。これらが電解質異常で起きている場合もあります。

 

【若くても起こる可能性】

 暑さによって食欲が低下し、疲れたから食事を抜いて寝て就寝。既にこの段階で危険フラグが立っています。そして翌朝、ぐったりと体調不良になってしまう……。これは若くても元気でも起こり得ます。「暑くて疲れた」というとことも、何らかの“症状”と捉えれば予防に繋がります。

 

【電解質異常】

 脱水による電解質異常は一時的なもので、電解質が補給されれば回復します。一方で、電解質異常には、腎機能の低下や内分泌ホルモンの異常などでも引き起こされます。

 下表では、血液中の電解質の量に異常がある場合には、どのような症状が現れるかを記しています。症状名としては、低い場合を「低○○(電解質の名称)血症」、高い場合を「高〇〇血症」と言います。

 

電解質名称 低い場合 高い場合
ナトリウム 疲労感、反応が鈍くなる、錯覚する、頭痛、意識障害、手足のつりや脱力 意識障害、口渇、高血圧、慢性腎臓病
カリウム 手足のつりや脱力、筋力低下やけいれん、むくみ、不整脈 徐脈(脈が遅い)、手足のつりや脱力、血圧低下
カルシウム イライラする、手足のつりや脱力、疲れやすい、まぶたがピクピクする 口渇、食思不振、悪心、嘔吐、便秘や下痢
マグネシウム 頭痛、うつ、食思不振、悪心、嘔吐、不整脈手足のつりや脱力 血圧低下、吐き気、嘔吐、食欲不振、めまい、ふらつき



従業員対談企画(5月号) (2025/07/10)

訪問介護で人間力が上がった?

訪問介護の実態は――(3)

 

佐々木 ところで、利用者さんを決め付けていなくて「良かった」という話の続きね。誰しも思い込みや決めつけはあるんだけど、堤さんはそういった自分の「思い込み」に気が付いたことはあるかい?

 …そうですね…。「テレビで見たことある」程度の知識しかない状態で、完全に寝たきりの脳性マヒの方に入ったんですよね。もちろんあいさつしても返事がない。コミュニケーションなんてもってのほかと思っていたんですよね。ですが、何回か伺ううちに気が付いたのは、ご自身が起きている時にご挨拶すると目がこちらを向いてくれる事に気が付いた時はうれしかったです。

佐々木 そうかー。「もちろん」という言葉の中に、「挨拶は言葉で行われる」という習慣に基づいた「思い込み」があって、しかも発語の難しい方だから言葉で挨拶ができない。すると「コミュニケーションなんてもってのほか」と思い込んでしまう。でも、「目線」に気が付いた、ということだね。

 ええ。目線が嬉しかったので、私も重ねて挨拶をしたんですよね。

佐々木 それは良かった。コミュニケーションはお互いに反応しあっていくことなんだ。障害を持つ人は自分が反応を示しているのに相手にスルーされた経験が沢山あるから、皆傷ついているようなところがある。だからこれ以上傷つきたくない人は、あえて僅かなサインだけにして受け取って貰える人かどうか様子見しているよ。「明らかに反応しない」という反応は、あなたがどのくらいの熱意で自分と関わろうとしているか見てますよ、という時もある。相手の受け入れ度量を見ているんだ。

 だけど健常者は言葉が返ってこないとすぐ焦ってしまい、反応が無いと思ってキャッチボールを返さなかったりする。本当はノンバーバルでたくさん示されているのにね。堤さんは「何回かして視線に気が付いた」と言ったけど、本当は最初から自分に向けられている様々なことを無意識ではキャッチしていて、受け取ったものが飽和したから意識したんじゃないかな。気配を感じ取って見られている瞬間を見返すから「視線が重なった」となるからね。そんな時って「ハッとする」と思う。「ハッとする」って見落としていたってことだからね。

 ありましたね~。息を吞んだ瞬間。そのご本人様が眠っている時、お母さまが、「おむつ交換大丈夫かしら?」と、ご本人様のおむつ(陰部)に触れた時、「う、ううん!!」と怒ったような声を出し、「怒っているのですか?」とお母さまに伺ったら所、「そうね。」と事も無げおっしゃられて、「お母さんには気持ちを表現されるんだ!」ってなった時があります。

 …そしてその時、「まったく感情がないわけではないんだ」って私思ったんですよね…。改めて気が付いたというか。でも、そう思うってことは、心のどこかで「感情無いかも」って決めつけていたのかもしれないですよね。

佐々木 それはあると思う。社会生活ではむしろ他人の反応に気が付かないように、リミッターをかけていることはあるよね。満員電車も気が付かない方がお互いの為みたいなところあるじゃない。例えば、言葉では「辻褄が合ってて〇」って思っても、「なんか嘘くさいから×」ってことあるよね。そんな時って無意識では何かを感じてるんだけど、微妙な関係の相手だったりすると疑問符を捨ててしまう。解釈困難な不安定要素は不安になるからね。スルーして無かったことにしてしまうのは、よくあると思う。

 最初、「う、ううん!!」ていう唸り声に「わがまま?」って思ったんですけど、今考えると違いますね。お互いに伝えあう何かがあるということ、伝えあいをすることそのものが、とても素敵なことなんですよね。私、その時、その瞬間に立ち会えた感じがとても嬉しかったんですよ。伝える意味がどうこうではなく、お互いの存在を感じること自体の感動というか、パっと心が開かれた感じがしましたね。

佐々木 それが生きるということだからね~。誰かと心を通じ合わせることなんだよね、生きるって。

 一つ知識としてお伝えしておくと、「心がない」という人も病状も存在しないんだ。蘇生医学では明確に言われているけど、心停止して脳波が平らになっても、蘇生後に脳波が無い時間の記憶、周囲の会話を聞いていてその時の自分の感情や会話の内容を詳細に語る事例が多くあるんだ。目を閉じていたのに周りの人の着ていた服装を知っていた人もいる。意識=脳波によって観測される、と理解している人が多いけど、命の不思議はそんなに簡単じゃない。反応が無いから心が無いということもない。知的障害や認知症があっても、記憶力や表現力が低下するだけで、心の活動そのものは失われたりはしないんだ。

 「以心伝心」とか「虫の知らせ」って昔から言うでしょ。五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)とそれを統合する意識とは別に「第六感」、さらにそれ以上のものがあると昔から東洋では言われているしね。第六感がある人って、本当にいるんだよね。俺なんかさ、数メートル先を歩いている女性のお尻を眺めてたら、その人がくるっと振り向いて睨まれたことがあるよ。ごめんね、これセクハラ発言かな。

 えー。佐々木さん、本当はぶつぶつ何か言ってたんじゃないんですか。

佐々木 それは断じて無い。そういう時は自分のスケベな目線を自覚してるからね。

 佐々木さん、スケベな電波が出ちゃってるんじゃないんですか。

佐々木 外に出ちゃう方の「第六感」もあるか。

 でも良かった。佐々木さんも普通の人間なんですね。

佐々木 真面目ばかりではやってられんですよ。

 ですよね。同じ人間ですもんね~


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