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日別:2020/10/26

紙ふうせんだより 8月号 (2020/10/26)

自己中心性からの脱却のために

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。お盆が過ぎて夕方の風に秋色が加わり、夜はいくらか過ごしやすくなってきました。体温調整の苦手な方は調子を崩しがちです。体調の変化に目配り気配り心配りをしていきましょう。

死の側から見えてくる「おごり」

お盆には先祖を迎えることによって生者は死者と対面します。もともと日本にあった祖霊信仰に仏教が融合した風習のお盆は、死の側から人生を見つめ直すことにもなります。全ての命は先祖から受け継がれた命の灯であると理解すれば、命への畏敬の念が生まれます。自分もいつかは死んで連綿とした繋がりのなかに還っていくと想像するならば、命を自分だけのモノと錯覚するような自己中心的な視点は相対化されます。死者の側から生を見つめてみることは、現代社会の軋轢によって極限まで狭くなった“自分”という境界線を内側から壊すことにもなるでしょう。若いころにブイブイ言わせてきた人が、高齢になってお盆などの風習を大切にし始めるといった態度の変化には、「今さえ自分さえ良ければ」となってしまってきたこと(誰にでもある過去の一部)への反省があるのかもしれません。

大抵の人は、自分の行為にそれなりの根拠を持っており、それなりに「自分は正しい」と思っています。また、今日の延長線上に明日があり、それがずっと続くような錯覚を持っています。しかし本当にそうでしょうか?『徒然草(つれづれぐさ)』で兼好法師は「我々の死の到来は、今すぐかもしれない。それを忘れて物見て日を暮らすのは愚かだ」と述べています。「死を忘れるな」という警鐘は、西洋伝統絵画の主題の一つメメント・モリや、日本の九相(くそう)図など様々な文化の中で繰り返し鳴らされています。現在の在り様をあえて疑うことによって思索を深め、より確かものを掴み取ろうと努める哲学者たちは、「哲学(※1)を極めることは死ぬことを学ぶこと」としています。シャカ族の王子であったシッダールタ(仏教の開祖の釈尊)は、自身の「若さのおごり」「健康のおごり」「生存のおごり」に気が付いて克服のために出家をします。昨今、コロナをめぐり極端な反応を示す人にもそれらの「おごり」の一端が現れているように思います。当たり前のことですが誰しも生きている自分を中心にして世界を見ています。そのような視点を相対化することは、私たちの内にある「生者のおごり」「健常者のおごり」「自分が正しいというおごり」に釘を刺し、私たちの生の在り様の点検を促すのです。

介護に即して言えば、自身に「生者のおごり」があれば、少しずつ死に赴(おもむ)く利用者さんと本当に向き合うことはできず、無意識の忌避(きひ)が生じます。「健常者のおごり」があれば、心身の衰えに嘆く利用者さんの気持ちに寄り添うことができません。「自分が正しいというおごり」があれば、利用者さんや周囲の人は常に自分より考えが浅いという無意識が働き、無自覚な上から目線となります。死の側からの生を見つめ直す視点は、より良い介護を提供することはもちろんのこと、世界観を拡げ心の余裕を生じさせ、自身の心の豊かさを育むのです。

※1フランスの哲学者モンテーニュの言葉、「死はどこで我々を待っているかもわからない。あらかじめの死を考えておくことは、自由を考えることである。死の習得は、我々をあらゆる隷属と拘束から開放する」とある

歴史的視点から見えてくる「おごり」



 

 

 

 

 

 

 

「はだしのゲン」中沢啓治

 

見えている世界が自分の世界である人は、それでもその限られた範囲の中で自分の行為や考えをよりマシな側、比較対象とする側(自覚せずに見下しているものと比較する)よりも良くあろうとします。「盗人(ぬすびと)にも三分の理(り)」と言うように、暴力団の抗争なども双方共に「我に仁義あり」と主張します。しかし本当に自説が正しいかどうか、客観的に判断する尺度(※2)を持たない限り破綻はやってきます。

1945年8月、そのような破綻が社会全体で起こりました。当時日本は、国家を主語とし国家を目的とする国家主義であり(現在は国民を主語とし国民を目的とする民主主義)、自らが引き起こした侵略戦争を「聖戦」と叫び、戦争遂行が絶対正義でした。戦争遂行のスローガンは「一億玉砕」(一億の国民は、皆戦って死のう!)というものでした。全国民が死んでしまっては何の意味もないと思いますが、そのような視点を戦争指導者が持つことは一切ありませんでした。当時、命の重さは「一銭五厘(※3)」と言われていました。兵隊の命を大切にしない軍部では、司令官の自己顕示欲による乱暴な作戦が横行し、いたずらに前線の兵隊を全滅(※4)させて、戦略的にも愚かな失敗を繰り返していきます。「命を大切にしない者はやがて自身の命を滅ぼす」という道理のごとく、数多の国民や周辺国の人々等を道連れに殺して破滅したのが大日本帝国なのです。どうして日本は暴走を止められなかったのでしょう。それは自身を相対化する視点を決定的に欠いていたからです。戦前の日本は「神の国であり永遠不滅である」と信じ込まされていました。まやかし(※5)の「神州不滅」を信じ込ませた戦争指導者も戦局が悪化すると自分の「死」を直視するのが怖くなったのか、進んで狂信的観念に一体化していきます。日本は「絶対正義のおごり」や「不滅のおごり」に染まって道を誤ったのです。
ある利用者さんの話

「学徒出陣であの雨の壮行会にいました。学徒航空兵となった。訓練中に友人は着陸に失敗して操縦桿が腹に刺さって死んだ。ようやく離着陸できるような状態で、特攻への出撃命令が出た。はじめから特攻要員と決まっていた。断ることなどできなかった。出撃の報告に博多の両親に会いに行ったが、お互いに涙を流し一言もしゃべれなかった。山陽本線の広島で、原爆の焼け野原を見た。新型爆弾のうわさは聞いていた。もう少し早く戦争を終わりにしていれば、大勢の人が死なずに済んだのに!」と怒りに肩を震わせながら泣いていました。
ここまで、自らの生存や正しさを相対化して「死」の側からの自己点検の必要性を述べてきました。「死」からの視点の重要性は「死」の賛美ではありません。自らの「生」の中にある「老病死」をありのまま認め直視してこそ自らの「おごり」に気が付くことができるのです。私たちは、自身に繋がる死と生存の歴史を振り返えるとき、「自分は自分一人で生きているのではない」という気持ちになり、命に対して謙虚になります。同様に、自身に繋がる社会の歴史を振り返るならば、一方的な「正しさ」の危うさが理解できます。あれから75年、今の日本は命を大切にできているでしょうか。恐ろしい時代を生き延びた戦争体験者の肉声を聴けるのもあと僅かです。
※2その最低限の基準は、基本的人権の相互尊重・社会的弱者の権利擁護(命を大切にすること)であると考えます。

※3召集令状の郵便代なので今の63円の価値。

※4伸びきった戦線を維持することができず、司令部は前線の部隊に玉砕命令を出して「全滅」と処理することがあった。全滅の部隊への補給や救援は放棄され、生き残った兵士が地獄の苦しみ(一部では人肉食もあったと言う)を味わった。戦死の通知が届きながら帰還を果たした方が一部におられたのはそのような事情による。

※5「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」三笠宮崇仁親
 

紙面研修

一方通行の「介護観」を点検する

【相対化】そうたいか

一面的な視点やものの見方を、それが唯一絶対ではないという風に見なしたり、提示したりすること。

 

人は誰しも自分中心に世界を見ています。だからこそ自分のモノの見え方や考え方を相対化する視点を持つ事が重要であって、「あなたの意見は唯一絶対ではない」と他者の意見を拒否することは誤った相対化と言えます。しかし、福祉の世界には、支援者側が利用者さんの意見を相対化してしまう一方通行な態度が見られる場合があります。なぜそうなってしまうのでしょうか。構造的な問題を持っている古い福祉の考え方は医療中心の視点であるため、「医療モデル」と言われています。
医療モデル (医学モデル・専門家モデルとも言われる)
支援の着眼点 「診断→治療→回復」を重視し、「人が抱える問題はその個人のどこかに欠陥・歪みがあるため」と考える。服薬やリハビリなど身体機能の改善が大切。
支援の主体者 専門家
支援関係の序列 上下関係がある(医者→ケアマネ→介護職→利用者など)
困難の原因 認知症や障害や病気など、本人の心身の状態が原因

(例)足が無い人が外出できないのは足が無いから
困難へのアプローチ 身体機能の改善を中心に障害の克服や病気の治癒を目指す
望まれる利用者の態度 利用者は専門家の指示に従うこと
解決のメド 解決は難しいことが多く、解決できない場合はあきらめが必要
利用者への情報提供 知らせるべき情報と知らせるべきでない情報を専門家が決める
支援関係のトラブル理由 利用者のワガママなど
社会との関係性 利用者が社会に適応できるように訓練する
対して新しいモデル(と言っても提唱されてから40年以上になる)は、専門家の専門領域からの狭い視点を相対化して、生活や社会全般を視野に入れるようになり「生活モデル」と呼ばれています。
生活モデル (社会モデルとも言われる)
支援の着眼点 「人と環境の交互作用」を重視し「個人と環境の両方」を支援する。

支援者と利用者の関係性の歪みを改めるだけで改善する場合もある。

利用者をいかにエンパワメントさせる(笑顔にさせる)かが大切。
支援の主体者 利用者本人(パーソン・センタード・ケアなど)
支援関係の序列 利用者を中心に支援者同士は対等な関係(チームケアなど)
困難の原因 利用者の認知症や障害や病気に対応していない支援関係や介護環境や社会の在り方などに原因がある

(例)足が無い人でも適切な支援があれば外出できる
困難へのアプローチ 利用者の気持ちに着目しながら、本人ができるやり方を考えたり、環境を改善したりする
望まれる利用者の態度 利用者は自分の困難さや望む生活の希望をのべること
解決のメド 利用者と支援者に信頼関係ができて、利用者の本心が聞かれれば一つ一つ進んでいける
利用者への情報提供 説明責任がある。極力理解してもらえるように伝える
支援関係のトラブル理由 支援者側の説明不足など
社会との関係性 どんな人でも普通に社会で暮らせる(ノーマライゼーション)ように社会に働きかける(ソーシャルワーク※)ことは、福祉従事者の使命
※ソーシャルワークとは、社会に対しては「社会変革」「社会開発」「社会的結束」を、個人に対しては「エンパワメント」「解放」を促進する実践を意味する。また、その実践を発動・継続する根拠(原理)は「社会正義」「人権」「集団的責任」「多様性の尊重」であり、働きかける対象は「社会の様々な構造」「実践を必要とする人々」である。(2014年7月の国際ソーシャルワーカー連盟の定義より)
考えてみよう

「利用者の○○さんは言うことを聞かなくて困っている~」というような嘆きが聞かれる場合、支援の主体者は誰になっているだろう? 支援の関係性に着目した時、何をどのように変えていくことができるだろう?

(その方の自動思考を仮定して検証し、その考えを問い直す模擬会話を考えてみよう)
 

以下の新聞資料は「自分が正しいというおごり」がもたらす暴力性への指摘です。戦時中の“非国民”大合唱の他罰的な雰囲気と合わせて考えていただけるとより理解が深まると思います。

自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にする 歪んだ正義   毎日新聞2020.8.23

◇不安から「正義」を振りかざす

「なんでこの時期に東京から来るのですか? 知事がテレビで言ってるでしょうが!! 知ってるのかよ!!」

「さっさと帰ってください。皆の迷惑になります」

東京都内在住の男性が青森市の実家に帰省するとそんな内容の手書きのビラが玄関先に置かれていたという。男性は帰省までに自主的に新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査を2度受けいずれも陰性だった。帰省後もできるだけ自宅で過ごしていたという。

大渕憲一・東北大学名誉教授(社会心理学)によると、新型コロナウイルスで顕在化した人間の攻撃性の一つに「制裁・報復」感情や「同一性」(自尊心)を動機とするタイプがある。政府から自宅待機の要請が出ている時に外出している人やマスクをしないで歩いている人を激しく非難する――そんな「自粛警察」がこれに当てはまるという。

「社会秩序や規則順守といった『正義』を振りかざして人を攻撃することは自尊心を満たし、周りの人たちから賛同が得られれば承認欲求も満たされる」(大渕名誉教授)。「規則を守る人」と「守らない人」、「絶対的に正しい自分(たち)=善」(内集団)と「絶対的に間違った他者=悪」(外集団)に社会を二分して上から目線で懲らしめる行為で、通常なら「やり過ぎ」との自制心も働くがコロナ禍という非常事態においては「(内集団から)理解や承認を得られるはずだ」という思い込みから抑制が利かなくなりがちだという。

「自分は絶対に正しい」という思い込みが人間を凶暴にするのだ。


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