【紙ふうせんブログ】

令和元年

紙ふうせん便り 12月号 (2020/01/31)

私達の使命とは何か

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。皆様のおかげで祖師谷訪問介護事業所の開設から一年が経ちました。梅丘もケアマネさんや訪問の社員が増え、大所帯になってきています。日頃からの皆様のご協力に感謝いたします。年末年始に稼働されるヘルパーさん、本当にありがとうございます。皆様が健康を維持され利用者さん共々に無事に年を越されるように念願しています。年末なのであらためて視野を拡げて介護について考えてみましょう。

目的が明確になる事によって高まる喜び

企業の目的は、サービスを通して社会(顧客)に貢献する事です。私たちが仕事をする事は、企業という枠組みを通して社会(顧客)に貢献する事です。企業の目的が明確になり正しく進んでいるならば、従業員の会社への貢献は、そのまま社会への貢献となります。これは「仕事のやりがい」にも直結します。自分自身が、誰のために何の為に働いているのか明確になれば、労働意欲は高まります。顧客のニーズに気付く力は高まり、会社の業績も伸びていくでしょう。逆に、社会の風潮や企業が目先の利益だけに捕らわれていると、個人の視野も「生活の為」「お金のため」だけに限定されてしまいがちです。そうなると仕事は面倒な作業をこなす時間の切り売りとなり、意欲は低くなってしまいます。目的が不明確で視野が狭い生き方からは、自分自身の人生を自分らしく生きているという豊かな実感は生じてくるでしょうか。人と人の様々な社会的な関わりは必ず誰かに影響を及ぼします。「善い関わり」という目的意識を明確にして、それを自分の態度に具体化させていく事は、周囲と自分を変えていきます。その関わりは自分の心にも影響を与え、自身の生きる喜びとなるのです。

現代経営学者でありマネジメントの父とも呼ばれるピーター・ドラッカーは、「事業の目的は顧客の創造である」としています。解り易く言えば「仕事の目的は(サービス提供を受けて)喜ぶ((顧客))人を増や((創造))す」という事になります。企業は大きな利益を上げた時、その利益を事業拡大などに再投資します。そこで顧客の再創造が行われますから、企業の目的は(仕事の目的も)どこまで行っても「喜ぶ人を増やす」事となります。ドラッカーは、経営者や株主の利益を増やすためだけに企業があるのではないと喝破しています。

ドラッカーは、「成功を収めている企業は、『われわれの事業は何か』を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによって成功がもたらされている」としています。そして次の5つの問いを立てています。①われわれのミッション(使命)は何か? ②われわれの顧客は誰か? ③顧客にとっての価値は何か? ④われわれにとっての成果は何か? ⑤われわれの計画は何か? この問いが「われわれ」なのは、自分こそが自分自身の生き方のマネージャー(経営者・監督)でなければならないからであり、また、目的は周囲と共有する必要があるからです。

 

 

「5つの問い」を介護に即して考える

私達の使命とは「生きてて良かった」と利用者さんに感じてもらう事です。これが①です。➁利用者さん。 ③命の価値。(利用者さんが自分の命の価値を感じられるようにする事) ④「あなたに会えて良かった」という気持ちを利用者さんと支援者が交感できる事。 ⑤尊厳を守り自己決定を支援する「自立支援」の推進。 いかがでしょうか。この目的を皆で共有するのなら、私達全員が介護職員でありケアマネージャーであるとも言えます。利用者さんの声なき声に耳を澄ませ代弁者にもなる私達には、「支援の持つ意味」への深い自覚が必要なのです。ケアが上手くいかないのは誰か一人の責任ではありません。「家族が無理解だから」「制度が」「ケアプランが」「ヘルパーが」「サ責の対応が杜撰だから」と悪者を作っても解決しません。それで困るのは利用者さんです。元より「家族を含め関係者皆がケアの目的を共有しているか?」「目的を共有する事に対して、また共有された目的に対して一人一人が自分の役割を明確に自覚しているか?」「自分自身はどうか?」という事が問われている(反省)のです。事業所の体制も大きな課題です。皆でより良いケアを目指して行きたいと思います。

「命そのもの」を目的とする社会へ

さて、「社会に貢献する」という言葉に引っかかった方もいるのではないでしょうか。「能動的に周囲に働きかける事のできない重度障害者の方などは具体的に社会貢献するイメージが持てない方もいるのであって、“何かに貢献する事”が生きる価値のように言ってしまったら、“貢献できていない人は生きる価値がない”となってしまわないか。“貢献”という考えは、健常者に限定される尺度ではないか?」という疑問です。繊細で素晴らしい感性です。そこは、ドラッカーが企業の目的を利益確保から社会貢献へと視野を広げたように、視野を拡げて見ればどんな人も社会に貢献する事は可能であり、どんな重度者でも「生きているだけで価値がある」と断言できるのではないかと思います。

地(※)獄のような状況下で「生きる価値とは何か?」を考え抜いた心理学者V・E・フランクルは、人生の価値を次のように示しています。それは、人が何かを創造する事によって、世界に何かを与える価値(創造価値)。人が人との出会いや体験を通して、世界から何かを受け取る価値(体験価値)。人が現実に対して「とる態度」によって生じる価値(態度価値)です。このうちの創造価値と態度価値は社会貢献に該当します。フランクルは、強制収容所は人間からあらゆるものを奪ったが「与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由を、とることはできない」という事実を持って、何者にも奪われない人生の価値を確信し、「態度価値」はどんな状況でも実現可能だと訴えています。困難な状況に陥った利用者さん、思い出深い利用者さんを思い浮かべて下さい。その方から私達は生きる事の困難さと、それ故の「生きる事の崇高さ」を学びませんでしたか? 利用者さんが生きて死ぬ事によって示した態度価値によって、その方の頑張りが私達心の中に焼き付いているから、私達は今日も頑張れるのではないでしょうか。「社会に貢献する」とは特別な事ではありません。私達が目の前の利用者さんに一所懸命になる事、利用者さんが頑張って生きる事、それが社会の中の誰か対して「あなたは生きているだけで価値がある」「あなたに生きていて欲しい」というメッツセージを送る事になり、「命そのものを大切にする社会」へと社会の変革を促していくのです。

※ヴィクトール・E・フランクル(1905-1997)のナチスの強制収容所に収容された体験を元に著した『夜と霧』は、17カ国語に翻訳され多くの人に影響を与えている。(紙ふうせんたよりH26.7月号や「スピリチュアルケア研修」でもフランクルを取り上げています。この資料は自宅学習ができるようにまとめてあります。個別研修にお役立て下さい。
 
紙面研修
「生の意味」を見出す支援
 ユダヤ人として苛烈な体験をした神経科医で心理学者のフランクルは、「ロゴセラピー」を提唱した。ロゴセラピー(意味中心療法)とは、人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで心の病を癒そうとする心理療法だ。ロゴセラピーは以下の3点を基本仮説としている。

「意思の自由」 人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。

(これは決定論や運命論の否定であり、自立支援の中でも最も基盤となる「自己決定権」とも重なる。)

「意味への意志」人間は生きる意味を強く求めている。

(支援の中で「生きる意味が無い」と言われる方は意味を見失っている状態。自分の役割や他者からの承認が無いような自分の意味を見出せない状況は苦痛である。)

「人生の意味」  それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。

(その意味は、その人自身が見出すものである。)

ロゴセラピーは、絶望している人に対して、「あなたは生きていてもしょうがないと言われますが、どうしてそう思うのですか?」「その理由が解消したらどう思いますか?」「考え方を変えてみたら、この状況も意味のあるものになりませんか?」「あなたを必要とする人がいても生きていく意味がないのでしょうか?」などの平易な言葉での対話によって、生きる意味の再発見や転換を促すものです。それは、人生の意味や価値への評価の「評価の仕方」を変えようというものです。ここでの対話は、説教ではありません。
 

自分自身の生きる目的を見出すのは誰だろう?

 自分が「どうする」か「どうしたい」かを決める権利や力は誰にあるだろう?

利用者さんに「〇〇したい!」と思ってもらえるような支援はどうやったらできるだろう?

 
介護に即して言えば、「だめよ、そんな風に思っちゃダメ!」という支援者本位の説教は、そう思える「支援者」とそう思えない「私」の間にある壁をより高く自覚させてしまい、利用者さんは本当に「利用者」という受け身の殻に閉じこもってしまい、自分の変革を拒んでしまいかねません。同様に、「危ないから歩かないでね」という声掛けも「もう歩けない、歩いてはいけない利用者の私」という支援者側の自己イメージを利用者さんに押し付けてしまい、利用者さんの生きる力を奪ってしまいかねません。声掛けをするなら「歩きたい時は声をかけてね」とか「歩くときは十分に気を付けてね」と言い換えるべきです。

ロゴセラピーは、「生きていく意味がない」という辛さに共感を示しながら、「どうしてそう考えるのですか?」「それはなぜですか?」と質問を重ね、「状況に意味を見いだせるような質問」を行う事によって、自己覚知を促していきます。そのような質問は経験を重ねる事で上手になれる技術のようなもので、実際に困難にめげないで挑戦できる人は、自分自身に対しても「どんな出来事にも意味がある。この出来事が自分に求めている変化は何だろう?」と、問いかけをしています。フランクルは、『自分の人生に意味を見出そうとする努力は、人間の内なる根源的な動力である。』『人間は、自分の人生の意味の充足に自らを委ねれば委ねるほど、その程度に応じてのみ、自分自身を実現する。』と言っています。意味を見出そうとする意欲も力も人間の中にもともと備わっているのです。だから、私達のなすべき事は「生きてて良かった」と感じられるような「楽しみ」や「喜び」といった「感情の交流」を支援の中で作っていく事なのです。

 

「紙ふうせんだより」のバックナンバーが必要な方はお申し出下さい。

 


忘年会2019 (2019/12/20)

先日、紙ふうせん梅ヶ丘事業所内で、居宅支援・訪問介護交えて

立食パーティー式の忘年会を開催しました。

今年1年を振り返り、皆様楽しく語らっておりました^^



 


豚汁会@梅ヶ丘 (2019/11/11)

先日、梅ヶ丘の事業所にて来訪されたヘルパーの方々も交えて皆で豚汁を食べました。

最近寒くなり風邪など流行りつつあるので、たくさん食べて体を温めて過ごしましょう(^.^)


2019年度 防災訓練 (2019/10/18)

令和元年9月6日に防災訓練を実施した。

想定:震度5以上の地震が発生し、事務所が危険な状態

目的

  1. 避難方法・経路の確認
  2. 避難時の持ち物の確認
  3. 経路の危険な場所の確認
まず瀬口CMが全体の流れを説明。各自緊急バッグを背負い裏口から避難する。

道中塀など倒壊しそうな危険を予測しながら、避難場所である羽根木公園管理棟を目指す。斉藤HPを先頭に入山CMが車いす介助を

行いながら慎重に羽根木公園を目指す。目的地に到着した後は状況報告、人数確認。

帰所後は防災用の備品・転倒防止用の突っ張り棒の状況を確認する。突っ張り棒一部緩んでいた箇所があったため直す。

その後通常の業務へ戻った。

まとめ・感想

避難場所への経路・途中の倒壊しやすい地点の確認ができ、災害時の避難の良いシュミレーションになった。利用者ごとに避難方法は違うと思われる
ため日ごろから避難経路・方法や備品について考えておくことが重要であると感じた。


紙ふうせんだより 7月号 (2019/08/21)

2019年(令和元年)7月 文月号
 

利用者さんを笑わせたい

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。今年は25度を下回る日が多く、16年ぶりの寒い7月のようです。8月からの急な高温には身体がついていかなくなってしまうでしょうから、体調管理にはお気をつけ下さい。

七夕の願い事

旧暦の7月7日は「七夕」で(新暦に直すと2019年は8月7日)、五節句の一つ「七夕(しちせき)の節句」のお祝いです。もともとは、古代中国の織女と牽牛の伝説にあやかった「乞巧奠(きこうでん)」という裁縫の上達を祈願する女性の行事でしたが、奈良時代に日本に伝わり、和歌や習字などの上達の祈願を短冊に書いたようです。今では願い事を何でも書いて良いものとなりました。

「笹に願い事を吊したってかなう訳ない」と、大抵の大人は思います。それでも短冊を渡されて「どうぞ」と頼まれたら、皆さんは何を書きますか? 書こうとした時に、経済的合理性や実現可能性や「どうせ無理」という諦めが先行してしまい、想像力の自由な飛躍に蓋をしてしまってはいせんか。結局安易に「サマージャンボが当たりますように」等と書いてしまいます。でも小さな子供は違います。「怪獣になりたい」等、自分の関心と情熱にまっすぐです。“無邪気”な子どもの願い事を見て癒されるというのも悪くはありません。では、大人になるにしたがって自分に入り込んでしまった“邪気”とは何なんだろうかと考えてみる事も、自身の本当の願いに対して自分が素直になれるかもしれなくて、良い事なのではないでしょうか。

持って生まれたままの自然な子供(FC)と型にはめ込まれて順応した子供(AC)

大勢の人の前ではツンツン棘(とげ)がある態度を取りながら二人きりになるとデレっと甘えてくるキャラクターの事を、アニメや漫画では「ツンデレ」と呼びます。ツンツンとは、「弱みを見せたくない」「しっかりしているところを見せたい」という気持ちで周囲に対して防御線を引いている状態ですが、“大人な”態度であろうとして子供状態の自我が無理をするから、意図しない棘が出てしまうのです。結果、周囲との人間関係がぎくしゃくしますが、その反動で、甘えさせてくれる相手(甘えられる関係)だと態度が逆転します。際限の無い甘えに今度は相手が疲れて、関係が破綻する事もあります。でもまあ、そのような失敗を経て自分について考えたり客観視する努力を重ねて大人の自我を育てていくのですから、発達のために必要な“大人子供”の段階とも言えます。この自我状態は、子供の自我ではありますが、生まれ持った天真爛漫さを純粋に発揮する状態(Free(フリー) Child(チャイルド)=FC)ではないので、エリック・バーン(※1)による「自我状態の分析理論(TA)」では、親によって躾(しつけ)けられた子供(Adapted(アダプテット) Child(チャイルド)=AC)と呼びます。このACは、その時の対人関係に自分が適応的だと、従順さを示したり甘えたりしますが、適応的でないと反抗を示したりひねくれたりという二面性を示します。もっともどんなものにも二面性があるという事は、心得ておきましょう。

※1 Eric Berne(1910-1970)カナダ出身の米国の精神科医、1957年に「交流分析」を提唱。

親の態度(P)に対応する子供の態度(C)

TAによると親の子供に対する態度には、批判的な親(Critical(クリティカル) Parent(ペアレント)=CP)と保護的な親(Nurturing(ナーチャリング) Parent(ペアレント)=NP)があります。CPは、指導的な態度で子どもの責任感などを育み、NPは、慈しみや励ましで、子どもの持って生まれた可能性を育みます。




「親の自我状態」(NPまたはCP)

親と同じように考え、感じ、行動する。

「子供の自我状態」(FCまたはAC)

子供の時と同じように考え、感じ、振る舞う。

「成人の自我状態」(A)

これまでの人生経験を基にその状況で最も適切な考えや気持ち、行動を示す。




躾けるという事は、子どもに規律や道徳を教える事です。しかしその教え方が、強すぎるCPによって、高圧的で言う事を聞かせようとするだけになってしまうと、子供は内心では怯えたり反抗したりしながらその気持を表現できずに、表面は従順で親に媚びたりします。このような裏腹な感情が先ほどのACの二面性を生じさせるのです。また、“優しい親”にも落とし穴があります。優しさはNPの要素ですが、親の都合で、子どもの為にというよりも自分の為に子供を甘やかすようになってしまうと、子供は、FCが持っている自己中心性を強化してワガママになってしまいます。このように二面性について検討してみると、養育過程で子供に侵入するものは、“子供を思い通りに操縦したいという親の支配欲”だという事が解ってきます。愛情も二面性があるんですね。

TAでは、人は時と場合に応じて、「子供の自我状態」と「親の自我状態」と「成人の自我状態」を取るとしています。そして「子」と「親」の自我状態は対応すると考えています。つまり、FCにはNPが、ACにはCPが対応します。そして、態度がコロコロと変わる人は「子」や「親」になったりを繰り返しているのであって、“成長によって獲得した自分(Adult(アダルト)=A)”が弱いという事なのです。このAを伸ばす為には、本や新聞を読むなどして視野を拡げたり、日記を書く事などによって自分を客観視する機会を作る事なんだそうです。「成人の自我状態」が安定すれば、自分の自我状態が相手に影響を与えて周囲を振り回したり、受け身になって自分が振り回されたりする事も少なくなってきます。(但し、Aが突出すると冷徹で打算的な印象を相手に与えます。)

※2「交流分析」のエゴグラム(CP・NP・A・FC・ACの視覚化)は自分の型や苦手要を自覚して、意識して自分を変えていこうとするものです。Eric Berne「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」

“子供心”を忘れていませんか?

さて、七夕の短冊に「利用者さん笑わせたい」と書いたとしましょう。どうしたら良いのか、答えは既に出ています。“純粋な笑顔”は無邪気な Free(自由な) Child(子供)の表れです。介護職は、対人援助という職務上「親」の自我状態になりやすく、それに対応して利用者さんが「子」の自我状態となってしまうと、ネガティブ面ではワガママや依存、受け身や反発を招きます。ベーシックな関係はAとAの関係ですが、Aばかりだと素っ気ない他人行儀となります。利用者さんを心から笑わすには、自分が自然とFCを出せる事が大切なのです。どうやったら仕事中にFCを出せるでしょうか。それは、仕事を子供の頃の遊びのように純粋に楽しむ事です。そんな事を言うと「介護を遊びだなんて不謹慎だ」と言う人がいます。でもちょっと考えてみて下さい。それは親から刷り込まれた先入観(CP)です。どんな事が自分のFCを素直に出す練(※2)習となるのでしょうか。日常生活で「感情を素直に出す」「趣味の時間を作る」「スキップをしてみる」等、なんだそうです。「なんだ、そんな事か」と思いませんでしたか? では明日からは、スキップをしながら利用者さん宅に訪問してみましょう。
紙面研修
救急車の呼び方■■■
  • 意識レベルが低い。呼びかけへの反応が薄い(寝てるわけでは無い)
  • 呼吸が苦しい様子。唇が紫色。(心臓?)
  • 胸痛がする。(心臓?)
  • 怪我をして自力で動けない。強い痛みがある。
  • 腹部を強く打った後、痛みが強く、嘔吐や吐き気がする。(内臓?)
  • 広範囲なやけどをした。
  • 頭を打った。または、その他の理由で意識状態がおかしい。(頭?)
  • 転倒などで、手や足の一部または全部に力が入らなくなった。(脊椎?)
  • 転倒などで、強い痛みがある。(骨折?)
  • 激しい腹痛がする。(胃腸?内臓?)
  • 多量の吐血や下血がある。(消化管からの出血)
  • 痙攣が続いている。(脳?神経神経障害?)
  • バレー徴候がある。(脳卒中?)
これら以外でも、緊急に病院へ搬送する手段のないときは救急車を要請して下さい。

通報の際は、おちついて、はっきりと通報する。(事務所と連携済の状態で対応します)
  1. 119番にダイヤル(携帯電話がベストです。電話しながら作業ができます)
  2. 火事ですか?救急ですか? →「救急です」 どうなさいましたか? →「訪問介護のヘルパーです。利用者さんが…」
〇訪問したら倒れていました。

〇目を離した隙に転倒して、起き上がる事が出来ません。股関節に痛みを訴えています。

〇訪問したら椅子に座って目を閉じていますが、呼びかけに名前は答えられますが、普段会話ができる方なのに、会話ができません。意識レベルがおかしいです。

※緊急性があると判断した根拠が伝わるように話す。

通報されてる方はどなたですか?→「ヘルパーの〇〇〇〇です。」

住所はどちらですか?記録ケースの中のケアプラン、介護保険証、テーブル上の郵便物等で確認

緊急連絡先一覧があると便利。

連絡先は何番ですか?→「この携帯番号でお願いします」

→これから救急車が向かいます。

「今救急車呼んだからね」と安心させる。

※この間、救急車と一緒に持っていく荷物をまとめる。(折り返し電話がかかってくる)

現場で全てを対応している場合は余裕があれば家族に「救急車を呼びました。搬送先が決まったら病院に向かえますか?」と電話する。

3.救急隊です。どのような状態ですか?いつからですか?

→先ほど伝えた情報を再度まとめて伝える。要介護〇、性別、氏名、生年月日も。

「○○さん、いつからですか?…ご本人に聞いたら昨夜からこの状態だそうです…」等、

(突然の激しい頭痛、急な息切れや胸痛や呼吸困難は、脳卒中や心筋梗塞か?)

4.サイレンの音が聞こえたら、可能であれば表に出て救急隊を誘導する。

5.救急隊が到着したら、行った応急手当、容体の変化、既往歴などを報告する。

救急隊は利用者さんのバイタルを確認する。

飲まれてる薬はありますか?→「用意してあります」等、薬の情報を伝えたりします。

かかりつけの大きな病院はありますか?→診察券を渡すか病院名診療科を伝える。

(搬送先選定に必要な情報です)

ご家族はどちらですか?→緊急連絡先への対応状況を伝える。

(搬送先の病院で手続きが必要で、連絡が付かない・身寄り無し等だと救急車に同乗を求められる)

ヘルパーさんは基本的には同乗しません。 現場でわからない情報は事務所に問い合わせをする。

6. 救急隊は利用者さんをストレッチャーに乗せて救急車の車内へ運ぶ。

※火の元の確認、窓と玄関の施錠、利用者さんの荷物を救急車へ運ぶ。

搬送先が決まったら救急車は出発します。事務所・ケアマネ・家族等へ搬送先を連絡する。



 



 

 

 

 

 

 

~~合同ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 令和1年 8月23日 金曜日

暑気払い(研修会)と同時開催。(案内は別紙)

当日は、懇談が中心となります。ざっくばらんに話し合いましょう。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

 

 


紙ふうせんだより 6月号 (2019/07/12)

2019年(令和元年) 6月 水無月号

雨にも負けず 自分にも負けず

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。今年の梅雨は、しとしと長雨というより、大量に降っては晴れるので、まるで熱帯のようですね。ともかくこの時期は食中毒などにご用心。また、雨の日の自転車移動は見通しも悪くなるし、注意が前方ばかりに向きますので事故に注意して下さい。余裕を持った早め早めの移動をお願いします。

悩み苦しむ人とどこまでも一緒に悩み苦しむ」 宮澤賢治の覚悟

雨の季節に必死で自転車を漕いでいると、「雨にも負けず 風にも負けず」と東奔西走する一編の詩が思い出されます。この宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を読むたびに、困っている人や悩んでいる人に“寄り添う”とはどのような事なのか、考えさせられます。

宮澤賢治は、東北の貧農たちと同じ生活苦を味わいながら、彼らの生活向上を目指す事を自らの理想としました。自ら農作業に勤しみ極端な粗食を良しとし、その中で農業技術者でもあった賢治は、周辺の農民達に肥料相談や稲作指導を行い、農民のための農民による芸術の実践をなど試みました。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」とした賢治は、無理が祟り37歳でこの世を去っています。賢治の遺した手帳の書付け「雨ニモマケズ」からは、心の底に秘めていた想いが伝わってきます。「涙を流し」「おろおろ歩き」「みんなにデクノボーと呼ばれ」「ほめられもせず」などは、自分の能力を誇る事を徹底して拒否し、自分が無力である事を肯定し、それでも、だからこそ自分自身は悩み苦しむ人とどこまでも一緒に悩み苦しもうとしています。「そういうものに わたしはなりたい」という賢治は、自分の苦労が報われない事も覚悟しています。本当の心の痛みは、力があるから、強いから、知識があるから、専門家だから“助けてあげられる”というものではありません。それを知っているから、賢治は必死になって心の痛みに寄り添うのです。苦しむ人の「支え」となるものは、“解決策が与えられる事”ではなく、共に悩んでくれる人の「存在」なのです。

 

終末期に必要な「共に老い、病むべき仲間」による「支え」

終末期ケアでの

「ケア」の定義
CURE(キュア)

(治す・癒す)
CARE(ケア)

(配慮・気配り)
認識の原点 生を基点、病を治す 老い・病・死を基点
目的 健康に戻る 意味ある生の完成
援助者の立場 患者から見て指導的立場 共に老い、病むべき仲間
http://www.grief-survivor.comより、一部改変し引用
かつて“スパゲッティ・シンドローム”(延命装置などのさまざまな管に繋がれた状態)として、命の尊厳を脅かしていると批判された終末期の医療は、その反省から「治療」から「緩和医療・ケア」へと、残された人生のQOLを重視する方向へと転換するようになりました。「援助者自身が、共に死すべき者、共に老いるべき者、共に病むべき者として、有限な存在である自己を受容し、苦しみのなかにあるひとの想い・願い・価値観が成長し、変わるのを支える」と『ケアの思想と対人援助』(村田久行)にあるように、ケアを行う援助者の持つ意味も、「専門家による指導」から「共に老い、病むべき仲間」による「支え」へと転換してきました。

一回限りの人生を自分らしく生き抜くために

人生の最終段階で生じる「私は私でいてよかったか?」という人生の全てを振り替えるような疑問は、身体や精神よりも根源的なものとしてスピリチュアルペイン(魂の痛み)とも呼ばれていますが、それは“存在の苦悩”として実は誰でも持っています。「何のために生きているのか」、今まで一度も考えた事が無い人は居ないでしょう。自分が乗っていたバスが事故に遭って乗り合わせた人が亡くなった時には、「なぜ自分は生きているのか」と考えます。物心がついた頃に「人はなぜ生まれて死んでいくのか」と思ってみたり、終わりなき日常に「毎日繰り返される体験の意味は何か」と悩む時もあります。全てそれらは人生の『意味』についての問いであり、その回答を示さなければならないのは他でも無く自分自身であり、一回限りの自分の人生を自分らしく生き抜いてみる以外に答えはありません。このような人生の問いと答えには、専門家というものは存在しません。生老病死の意味を悩み『意味ある生の完成』に向けて生きているのは、利用者さんだけではなく私たち自身も同様なのです。
※宮澤賢治の自宅兼私塾兼集会所の羅須地人協会の黒板には、「下ノ畑ニ居リマス」とあった。「…おやつはそこに置いてあるよというやさしい心ずかいの意がかくされてあったのです。私たちは学校の帰り先生の家を訪ねては、おやつ捜しに入り、それをかってに取り出しては食べて帰るというのがなんとも楽しくて…」(当時の塾生の回想)
私たち自身が利用者さんと「共に老い、病むべき仲間」であろうとし続けるのであれば、利用者さんの苦悩は私たち自身の苦悩の一部となります。その時、私たちが安易に答えを出そうとするのではなく利用者さんと一緒に悩む事によって、その態度こそが、利用者さんが自分の答えを自身で見出していく支えとなるのではないでしょうか。ここに「人が人に寄り添う」ケアの本質があります。“生の完成”という大事業は創造の苦しみを必要とします。自暴自棄になって介護拒否をする方がいたら、その人自身も悩んでいますが私たちも悩みます。寄り添う事は言いなりになる事ではありませんから、提案が意に添わなかったために「デクノボー」と罵られる事もあるかもしれません。その時に刺された私の心の痛みは、その人の持つ痛みでもあるかもしれないと思い至る時、時を同じくして、自暴自棄という表現の裏側にある悔しさや憤りや悲しみの「意味」に、その人自身が気が付つくかもしれません。倒れた者もいつかはそうやって、これこそが自分の人生なのだと、一回限りの人生をもう一度自分らしく生き抜いて(死んで)みようと覚悟を決めるものです。私たちに必要なのは、その覚悟への歩みを見守り、隣に居ようとし続ける私たち自身の覚悟ではないでしょうか。

 

緊急時対応チャート

詳しくは紙面をご覧ください。

 

労災(労働災害)にご注意下さい


★介護中の事故(ヘルパーさん自身)→ぎっくり腰、圧迫骨折

◎腰痛予防などのために、就業前に準備運動をしましょう。

※無理な動作はしません。

◎入浴で血行をよくして、筋肉の疲労や強張りをとりましょう。

 

~ヘルパーミーティングのお知らせ~

月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催しています。

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

◎入浴で血行を良くして、筋肉の疲労や強張りをとりましょう。
梅丘ヘルパーミーティング

7月17日(水)18:30~
【研修】熱中症・脱水対策(佐川)
祖師谷ヘルパーミーティング

7月23日(火)18:20~
【研修】残存能力を奪わない介護(小泉)
 


紙ふうせんだより 5月号 (2019/06/12)

2019年(令和元年)5月 皐月号

紙ふうせんだより

自分”とは何か

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。体調を崩されている方はいませんか? これからの季節気温も上がりますが、身体や生活環境が冬仕様のままの利用者さんは、脱水が心配されます。水分補給や薄着、エアコン使用への声掛け等をお願い致します。私たちも季節の変わり目には体調管理に努めましょう。そして人生の変わり目には自己覚知が必要です。

五月病の本当の意味

発達心理学(※1)では、人は生涯を通して変化・成長を続けるものと捉えている。人生の各段階に応じた心理的課題があり、幼児から高齢者に至るまで、誰でも人生の節目節目に発達課題を体験する。今の自分にはどんな課題が生じているだろうか。課題を自覚し、自己認識を改めていく必要がある。その時、以前の段階で抱いていた自己概念(自分がどんな人間であるかということについて抱いている考え)は、たいてい変更を迫られる。

例えば学業優秀な学生が、自信を持って自分のやりたい事に胸を膨らませて就職した。しかし、会社は自分のやりたい事を実現する為だけにあるのではない。多くの職場は、業務の基本的な流れに則る事やあるべき態度の習得や所定の条件など、会社側の要求を持っている。“自分のやりたい事は違う”“こんなはずじゃなかった”と、会社に対して幻滅するような事もあるだろう。この葛藤は新年度の五月病としてもよく現れる。どんな会社にも欠点はある。しかし、問わなければならないのは自分自身ではないだろうか。自我は、自分の内側からの欲求と外部からの要求の狭間で苦しみもがく。学生時代に確立した自分に自信が無くなったり、自分を手放さないように外部と戦ったり、周囲の期待に応えようと闇雲に頑張ったりする。自分の内側に自分を見出そうとする視点と、外側に見出そうとする視点との間で悩み揺れ動く事は、自分自身を鋳造しなおすために必要な心理的作業だ。この時、視野狭窄して 自分のイメージに固執すれば孤立してしまうが、孤独の中に内省を経て周囲との親密性が回復されれば、自分が見ている“自分”と他者から見えている自分は、実は異なるんだという事に気が付く。このような自分自身の再確立の機会は、人生で繰り返し何度も訪れる。

「自己統合」高齢者の究極の課題

利用者さんの場合はどうだろう。要介護高齢者ともなると自己概念の変更は自分の望まない変更となるので、受け入れる事により大きな困難が伴う。しかも、自分の再確立の機会は若者に比べたらもうほとんど残り僅かしかない。心の中では「私は私でいてよかったか?」という人生の全てを振り替えるような疑問が沸き起こり、過去の課題の持ち越しややり残しが余りにも多いと、自分の人生が本来の自分ではなかったのではないかと絶望を感じてしまう。しかしそこで「死(※1)そのものに向き合う中での、生そのものに対する聡明かつ超然とした関心」が生じ、自分が“自分であること”を認め、人生の全体を視野に入れた自己受容が行われれば、一生の課題であり続ける「自己統合」が行われ生涯の宝となるだろ。

※1エリクソンの8つの発達段階が有名 初期青年期の課題は「親密性 対 孤独」老年期は「自己統合 対 絶望」

自己概念が変化しようとする時、人はどんな気持ちになるのだろう

乳がん患者の場合は見てみよう。(右図)介護外から引用したのは、そこに高齢者の課題や自分の課題との共通項を見出して欲しいからだ。この論文には、「問題に直面したり意思決定する時には誰もが心の揺らぎを経験する。心の揺らぎが大きくなると(略)“不確かさ”が生じる。(略)不確かさは人が人生についてのひとつの見方から、より高い秩序に立った見方へと移行する機会である」とある。

乳がん患者の自己概念の変化を表すパターンとテーマ
パターン(抜粋) テーマ
これからの生活に自信がない

身体に対するショックを受けた

元の生活に戻れない自分がもどかしい
納得していても心が揺らぐことがある
周りの人に助けられているいる

同病者との関わりは大切だ

人に優しくなれる
同病者を他人と思えない
病気を知られることに抵抗がある

人に同情されたくない
がん患者である自分を守りたい
やりたい事をやっていきたい

前向きな気持ちでやっていく

自分を大切にしている
これからは自分のためにも生きていきたい
今までと変わらずにやっていく

頼ってはいけない
今までの自分でやっていける
 

「自己統合」への道

自己概念の変化の機会はいつだって誰にでも起こりうる。それまで自分自身に抱いていたイメージがどのようなものだったかは大した問題では無い。“自信のある自分”にこだわって自信を失う事もある。自信過剰だったと考え至れば、ポジティブさは劣等感の裏返しだったと思うかもしれない。“ネガティブな自分”を自覚するがゆえに素直に周囲のアドバイスを耳に入れ、勤勉に取り組んだ結果として劣等と思い込んでいたものの中の好ましい性質に気が付き、自己評価が反転する事もある。大切なのはそれまでの“自分の枠”を上手に壊してやる事だ。壊す事を恐れたら新たなものは何も創れない。社会や企業にも変化が必要だ。だが、自分自身の人生において最も標的としなければならないものは自分自身である。自分を棚に上げて外側を責め、自分が変化する機会を取り逃がしてはつまらない。この課題は、若者だけでなくベテランや高齢者にもあてはまる。自分で自分の入る牢屋をこしらえてそこの警備員に収まるくらいなら、全力で檻を壊さなきゃならない。

“自分”とは何だろう。それは、“自らのものと感じる領分(力の及ぶ範囲、領域)”だ。大抵の人は、好ましいところだけを“自分”として嫌なところは見ない振りをしがちだ。そんな自己不(・)受容な態度は自己統合の妨げとなる。狭い自分を拡げるために出来る事は何だろう。一つ提案がある。自己統合を目指す人を本気で支援する事だ。利用者さんの悩みや喜びを、自分の悩みや喜びとして捉えてみよう。癌患者の心の揺れも自分のものだ。鬱サバイバーや若者の悩みも自分のものだ。そうやって“自らの事として幸せを願う領域”を拡げていこう。

やがて自分自身にも死の床に回想する時が必ず来る。自分はどう生きただろう。生きとし生けるものは皆必死で生きている。その命の燃焼のなんと崇高な事か。あれもこれも全て自分自身の事だった。全てに意味があり自分は森羅万象と繋がっている。このような実感が「自(※3)己実現」や「自(※4)己超越」や「自(※5)己統合」なのだ.

『老いの近代』岩波書店 天野正子

「子どもに玩具を与えれば、子どもはそれを口に入れたり、叩いたり、投げたり、壊そうとする。一見、大人からすれば、玩具を壊そうとしているように見える。しかし、子どもはその対象物を知りたくて、理解したくて、所有したくて、壊すのである。すなわち、破壊そのものが目的ではない。こう考えると、人間の身体的・心理的・社会的減退も、また違った意味を呈してくる。加齢に伴う体力の減退、社会的地位の喪失、心理的不安定性、これらの現象は人間をまた新たに創造するために、人間を深く理解し、自分の存在を収斂するための手段であり、いわば人生の「統合」に匹敵するものではないだろうか」

※2「乳がん患者の自己概念の変化に即した看護技術」日本看護学会誌Vol.19 1999

※3ユング(分析心理学)1875-1961 ※4(人間性心理学)マズロー1908-1970 ※5エリクソン(発達心理学)1902-1994

労災(労働災害)にご注意下さい

★介護中の事故(ヘルパーさん自身)→ぎっくり腰、圧迫骨折

◎腰痛予防などのために就業前に準備運動をしましょう。

※無理な動作はしません。

★通勤・移動中の交通事故(自転車)→転倒・衝突

移動交通事故の“ヒヤリハット”報告書フォーマットを作成しました。ヒヤリハットの該当者は、申告して報告書を作成して下さい。(ヘルパーさんには文書作成手当がでます)

皆でリスクを確認し合いましょう。

◎交通事故予防の為には、環境要因(道路状況・混雑・時間帯・天気)や、自転車要因(機能構造・整備不良)、相手によるもの(飛び出し・よそ見・スマホ等)もありますが、自分自身の要因にも注意を払わねばなりません。以下を自分自身に確認しましょう。

思考          動作            認知           体調

□予想しなかった    □無理なそうさをした    □よく見えなかった    □疲れていた

□大丈夫だと思った   □不要な操作をしていた   □気が付かなかった    □イライラしていた

□考え事をしていた   □急いでいた        □よそ見をしていた    □心配事があった

~ヘルパーミーティングのお知らせ~

月一回定例のヘルパーミーティングは、偶数月を梅丘と祖師谷の合同で全体のミーティングとして行い、奇数月は梅丘・祖師谷別に開催します。

(内容)利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 今月の議題・伝達事項

★ミーティングと研修会を同時開催するのは、今までと同じです。

梅丘・祖師谷合同ヘルパーミーティング

6月14日(金)18:30~ (場所:梅丘)

【研修】精神的ケア・ターミナルケア


2020年7月
« 6月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
  • 求人情報
  • 紙ふうせんブログ
  • リンク集
  • 資格取得支援制度

運営法人:紙ふうせん株式会社

紙ふうせん

住所:〒154-0022
東京都世田谷区梅丘1-13-4
朝日プラザ梅ヶ丘202(MAP

TEL:03-5426-2831
TEL:03-5426-2832
FAX:03-3706-7601

QRコード 

アルバイト募集情報


ヘルパー募集(初心者) 
ヘルパー募集(経験者)