【紙ふうせんブログ】

令和4年

紙ふうせんだより 3月号 (2022/04/22)

人生を語るも気づけば春の夢

「春眠暁を覚えず」とは、「春の夜はまことに眠り心地がいいので、朝が来たことにも気付かず、つい寝過ごしてしまう」という意味ですが、孟(もう)浩然(こうねん)の「春暁」(しゅんぎょう)の「春眠不覚暁   処処聞啼鳥」からきています。いいですね。うとうとと夢み心地のなかに、ウグイスなどの春の鳥の鳴き声が聴こえてきて「あぁ朝かな」と思いますが、気持ち良いからまだ寝てよう、という感じ。でも、今日も仕事です。皆様、いつもありがとうございます。

春の夜の夢

「春夢(しゅんむ)」という言葉もあります。「春の夜の夢」の心地よさを惜しんでいるのか、「人生のはかないさま」を譬(たと)える言葉です。「はかない」とは「人べん」に「夢」と書いて「儚(はかな)い」と書きます。睡眠中の「夢」は起きると忘れてしまうので頼りないように思われがちですが、実際には人生の羅針盤として頼りになることもあります。

ある利用者さんが「夢」の話をして下さいました。「人が集まって何かやってるなと思ったら、自分の葬式だった」と言われるのです。人垣の向こうに花の山がしつらえてあって、祭壇かな、とよくよく眺めたら遺影があって…「自分だ…」え、死んだのか? あぁ、やるべきことが色々あったのに遅きに失したか!と言うようなショックがあっただろうことは想像に難くありません。

夢は、一般的には春の暁の浅い眠りのような半覚醒状態で見ると言われています。いわば意識と無意識の中間領域なのですが、意識化されていない未整理状態の心理的課題は、無意識の領域に集積されていると考えられています。夢をありありと覚えていたのは、それが現在の意識の在り様に対して何らかの意味をもっていたからです。意識化されている世界観に何かが欠けていて、必要に迫られて無意識が夢という通路から意識へと働きかけてくるのです。

ユング(※1)が創始した分析心理学では、夢を分析するなどして無意識が意識へと働きかけてくる意味を理解することによって、新しい自己像を見出すことができると考えています。私は、利用者さんが「もうすぐ自分は死ぬんだ」という絶望感に囚われないようにと願い、ユング的な夢の解釈をお伝えしました。

「『死と再生』はセットになっています。神話や物語や芸術作品では、再生が表現されるその前段に必ず死が語られます。その構図と同じように、夢の中の死のイメージはある段階や状況の終了を意味し、再生としてその次のライフステージへと進まねばならないことを告げているのではないでしょうか。問題は次の段階にどのように入っていくかです。人生の最終ステージは今まで得てきた社会的地位などが役に立たなくなる段階でもあり、その段階に無自覚に踏み込んでしまったら、『人生で得てきたものは無意味だった』と大きな喪失感を生じさせてしまいます。しかし自覚的に入って行くならば深い人生回顧となり、今まで気が付かなかった人生の側面に気づかされ、新しい自分の発見になると思うのです。」

 

※1ジークムント・フロイトは「夢は抑圧された願望の偽装した充足である」としたが、カール・グスタフ・ユングはフロイトが性愛理論に偏りすぎていると主張し、夢は無意識や集合的無意識からの意識に向けてのメッセージであるとした。
「生かされ生きている」 命の本質に気が付く

多くの人が勘違いをしています。人生の成熟した期間が長く続いたばかりに、自分のことは自分で全てまかなえていると勘違いして、まかなえていることが「自立」であり、それが自分であると誤解してしまっているのです。しかし私たちは、誰一人として一人では命を継ぐことさえままならない存在です。

食べているお米は誰が栽培したものでしょう。誰が運んだものでしょう。土と水と太陽に育まれなければ稲は枯れてしまいます。着ている服は誰が作ったのでしょう。どこかの国の労働者がミシンをかけています。生地が化繊なら何億年も前の生物が石油となって、木綿なら綿花の、絹ならお蚕様の働きがあります。大地が無ければ人は立っていられません。自分がなぜ立っていられるのか、その支えについて知ることが本当の「自立」ではないでしょうか。

人間は、一人では生まれてくることも死んでいくこともままならない存在です。人生の最終ステージの課題は、「生かされ生きている」自分を身をもって体験することによって、「生かされ生きている」命の本質に気が付くことではないでしょうか。そう考えると、人の世話になることにも深い意味があるのです。周囲に迷惑をかけるから「死んだほうがまし」と言われる方は多くおられます。それは、これからを「新しい視点を持って生き直してみたい」という再生への渇望の表れでもあるのです。

自己統合の過程に必要なこと

死について語ると「縁起が悪い」と反応する人がいます。これは「縁起」という言葉の誤用です。「縁起」とは元来、漢訳された仏教用語で、すべてのものは「縁によって起こる」ものであるから、「ものごとの関係性(縁起)について知ることが、より深い人生理解になる」というような意味なのです。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものなのですから、自身の存在を「独立自存」のように見なしてしまうことは、自己への執着となり他からの支えを見えなくさせて、孤立感の原因ともなるのです。

生命とは、それそのものが自律的に機能し、代謝をしながら恒常性を維持し自己増殖をしていくものですが、その自立した存在は外部環境との縁という“他立”によって支えられているのです。生の根幹に関わる回答は、時に逆説的な構造(※2)で示されることがあります。「自立とは他立を自覚することによって成り立つ」とか「生まれ変わるためには(象徴的な)死を体験しなければならない」などです。

※2 沖永宜司は、禅問答の構造は「問いかけに答えるのではなく、この問いを問いたらしめているものの方へと気づいて行くこと」という面があることを指摘している(禅言語の逆説構造)。

私たちは介護の支援過程で利用者さんが事故を起こしたり急に症状が悪化するような場面に多く遭遇します。それを不安に感じる人は「もう在宅は無理ではないか」と性急な判断をしてしまいがちですが、本当にそうでしょうか。そのような課題は新しい自己像を得るために必要なこととして起きている「自己統合への過程である」と捉え直してみることも大切です。多様な視点を持っていれば、利用者さんの自己実現を介護によって阻害してしまい、かえって状態を悪化させてしまうような悲劇も避けられるはずです。

死の夢を見たその利用者さんは、後に新しい夢を見ることができました。「歯医者に行って歯の手術をされて、もうやめてくれというような状況だったけど、何とか無事に終わることができた」と言うのです。歯は生存に欠かせないもので生命力の象徴と言われています。また、歯が抜けて治ることは、乳歯が永久歯に生え変わるように「再生」を意味します。利用者さんが得ることができた新しい人生を、心豊かに過ごされるように願っています。

 

紙面研修

「ハラスメント」とは

「ハラスメント」という言葉は、一般的には「嫌がらせ」と言う意味で用いられています。「嫌がらせ」とは、他者(特定、不特定多数を問わず)に対して、不愉快な気持ちにさせることや、実質的な損害を与えるなど、不快感を与える行為の総称です。

「嫌がらせ」は英語にはHarassment(ハラスメント)と訳され、英語の意味は「苦しめること」「悩ませること」「迷惑」等となりますが、日本語と異なるニュアンスがあります。日本語の「嫌がらせ」という言葉には、行為者の「悪意」が感じられますが、「ハラスメント」の場合は行為者の悪意は問いません。悪意が無くても相手が嫌がる事は「ハラスメント」です。

「ハラスメント」は人権侵害

【人事用語労務辞典】

ハラスメントは、広義には「人権侵害」を意味し、性別や年齢、職業、宗教、社会的出自、人種、民族、国籍、身体的特徴、セクシュアリティなどの属性、あるいは広く人格に関する言動などによって、相手に不快感や不利益を与え、その尊厳を傷つけることを言います。

近年、職場における「ハラスメント」が急増し、人事管理上、深刻な問題となっています。

「ハラスメント」の無自覚性

近年、「モラルハラスメント(モラハラ)」や「マタニティハラスメント(マタハラ)」「スモークハラスメント」などハラスメントに関する言葉が増えてきました。「モラハラ夫」などという言葉も登場し、夫の無自覚な妻への依存や攻撃なども離婚の原因となっているようです。「ハラスメント」の行為者は、その言動に無自覚なことが多いために、各自が自己点検をしていく必要があります。

 
私たち皆が、ハラスメントの「加害者」にも「被害者」にも成り得る

【パワーハラスメント】

力関係の差(立場など)のあるところで必要以上の叱責や無理な要求など

    考えられる例)上司→部下(経営者→従業員、管理者→従業員)

           ケアマネージャー→訪問介護のスタッフ

           ケアマネージャー→サービス事業所

           サービス提供責任者→訪問介護員

【介護ハラスメント】

利用者や利用者家族からの必要以上の叱責や無理な要求など

考えられる例)利用者等→ケアマネージャー

利用者等→訪問介護のスタッフ

【介護虐待】

利用者さんにパワハラを行ったら心理的虐待、セクハラを行ったら性的虐待となります。

考えられる例)ケアマネージャー→利用者等

訪問介護のスタッフ→利用者

【セクシャルハラスメント】

性的な言動等で人を不快にさせたり環境を悪くするなど

    例)性的な部分を強調したポスターの掲示

    ※男性から女性へと行われることが多いが、稀に女性から男性もある

【その他のハラスメント】

  例えば、お笑い芸人がよくやる「いじり」という行為も、相手が返答に窮するようなやり方や不快に感じている場合は、ハラスメントとなります。

考えられる例)同僚→同僚(部下→上司 もあり得る)

 
現在、紙ふうせんではハラスメントや虐待対応を盛り込んだ「就業規則」への改定作業を行っています


紙ふうせんだより 2月号 (2022/03/18)

新しい季節に、新しい自分を

皆様、いつもありがとうございます。雪の日の訪問はお疲れ様でした。陽射しの熱量は日ごとに増していくようです。再び始まる季節の一めぐりは、年輪のように私を包み、私をも新しくするでしょうか。新しい季節に再び初々しい気持ちで歩み始めたいと思います。

今を生きることの大切さ

自分の心を生き生きとさせるにはどうしたら良いでしょう。目や耳に入る物事が人生の初体験(※1)であるような新鮮さをもって感じられるなら、毎日は感動の連続です。

ある利用者さんは末期の癌と診断され、家族は穏やかな看取りを求めて在宅生活を選択されました。80歳を過ぎても自分で車を運転し経営する小さな町工場まで通っておられたとの事でしたが、癌はおそらくは全身に転移、認知症状もその影響と思われました。身体的に負担にならないように入浴は行わず清拭の支援。やがて歩行が困難になり排泄の支援が毎朝夕となり、奥様の負担軽減のために食事介助も始まりました。食事のお供のポカリスエットを飲みながら、毎日こう言われるのです。「あぁ美味しい。これは何て言うんだい。そうかい、初めて飲んだよ、美味しいね。」そして飲み終えてお替わりをするのです。

穏やかな日々が続きました。「もうすぐ桜が咲きますね」と問いかけると、「農大脇の河津桜は咲いていましたよ」と奥様。奥様は思い出されたように、「そういえば介護が始まったのは去年の今頃でしたね…余命3ヶ月と宣告されたのにもう一年になるのね…」と言われました。この方は、毎日のケアが終わるたびに、初めてケアを迎え入れたときのような笑顔でお礼を言って下さっていました。後光に包まれている様なその佇まいは、本当に体全体が微かな光を発しているように見えました。そうして染井吉野の開花を待ちわびる頃、霙の降りしきる日に旅立っていかれました。認知症の方は「今を生きている」と言われることがありますが、日々感動して生きているようなあのご様子は忘れられません。

「今」の拡がりが、心の自由度を決める?

1959年の米国北部が舞台の映画『今を生きる(※2)』には、青春という人間形成の季節に、常識や規則や将来の不安に縛られて「自分を小さくしてはいけない」というメッセージがあります。厳格な全寮制男子進学校に赴任してきたキーティング先生は、「バラの蕾は早く摘め、時は過行く。今日咲き誇る花も明日は枯れる(※3)」「今を生きろ(カーペ・ディエム )(※4)」と生徒に訴えます。先生に触発された生徒が結成した秘密クラブ「死せる詩人の会」は、「死ぬ時に悔いの無いよう生きるため」というソロー(※5)の一節が開会宣言として読まれます。生きることの核心は過去でも未来でもなく「今」にあります。過去の悔いも未来への不安も感じるのも「今」であり、未来への扉を開くのもまた「今」なのです。またある時、先生は突然机の上に立ち「なぜここに立った?」と問いかけます。「物事を常に異なる側面から見つめるためだよ」と、生徒全員に机の上に登らせます。そして「君ら自身の声を見つけなくては」と促すのです。




※1ドラえもんの秘密道具にはなんでも初めてのような感動をうける「ハジメテン」という薬がある

※2ロビン・ウイリアムズ主演1989年米国

※3 17世紀英国王党派詩人ロバート・へリック

※4ラテン語で「その日を摘め」紀元前1世紀のローマの詩人ホラティウスより

※5ヘンリー・D・ソロー(1817‐1862)「ウォールデン 森の生活」第2章より




過去を尋ねることによって、新しい自分を知る

地面の蟻、道端の草、雲の形…。子供の頃を思い出すと、「今」という時を精一杯感じていたことが思い出されます。「今」何かを感じ、新鮮な光彩を放つ世界を感じ、それに合わせてプリズムのように多彩に変化する自分の心を感じ、その心を持つ主体としての自分自身を感じ、今生きていることや今生かされていることを身体で感じて、それらを確かなものとして「今」を生きていました。しかし大人になると、計画や行動や検証や改善に追われて「今」を感じる余裕がありません。後悔や不安に囚われて「今」が極端に窮屈になり、何も見えなくなってしまうことさえあります。どうしたら変えられるでしょう。

過去の積み重ねの上に現在という時間意識があります。不安の強い人は現在の上に更に重しのように未来への不安が乗っています。過去への理解がより肯定的なものに変わったならば、「今」を基礎づける足場は今までよりも安定したものになります。一つの方法としては、(マインドフルネス瞑想(※6)などで)「今」に意識を集中し穏やかな心理状態になって、そこから過去から現在までの自分を俯瞰するように見つめ直してみることです。見方が変れば、今まで気が付かなかった新しい発見があります。孔子は、「過去から新しい気づきを得ることの大切さ」を説いています。「故(ふる)きを温(たず)ねて新(あたら)しきを知(し)る」(温故知新)です。

「温故知新(おんこちしん)」の含意は一般的には、「昔のことを学び、そこから新しい知識や道理を見つけ出すことの大切さ」や「先人の知恵からよく学ぶ者こそがリーダとなれる」などとされています。「歴史に学ぶことで現代への認識が深まる」とも言えます。「新しき知る」とは「最新情報を知る」という皮相的な意味ではありません。「新しさ」を決定づける要因は過去にあります。「新しさ」とは、物事の背景に膨大な過去がある事を覚知して、対比させて浮かび上がる「現在の何か」です。新たな何かが見出される時、「変わった」となるのです。

過去も未来も「今」という手の中

業界人だったある利用者さんは、現役時代、活発に多方面に食い込んで人間関係を仕事に活かし、見事な成果を築いてきました。喫茶店で始まる一日4回の食事のうち、夜の2回は打ち合わせや交渉です。妻にも来客の歓待を命じ、気が利かない時に手を挙げたこともありました。世間知らずの妻に自分の足を引っ張られたように感じたからです。奥様は「夫婦だったけど別々の人生を生きてきたようだった」とその頃を述懐されています。

いつか華やかな時代は遠くなり、体にはガタが出てきました。もどかしさから社会的孤立感を感じるようになっていました。しかし変わらない妻の献身的な支えがありました。過去の自分の活躍も妻の裏付けがあってこそ成り立っていたと気が付いた時、かつては深く考慮をしてこなかったあの頃の妻の気持ちも思い起こされて、それがお詫びと感謝の言葉として伝えられた時、お互いに、決して別々の人生では無かったと感じられてくるのです。今、支えあう生活は、苦労を分かち合い必死に生きてきたお互いを確かめ合う意味のあるものとなっています。

「過去は変えられない」と言う人がいますが、過去への認識は変えることができます。過去を丁寧に振り返り、そこに肯定的な新しい意味を見つけ出せれば、鉛色の「今」も色彩豊かな「今」へと変わっていきます。積み上げられた過去への認識の上に「今」の自己認識があるのですから、「今」それを変えられたなら、自分も未来予測も変わっていくのです。




※6 仏教的瞑想に由来する。呼吸を整えて「今この瞬間の体験に意図的に意識を向け、捕らわれのない状態で、ただ観ること」を実践し平らで穏やかで偏りのない状態へと心を整える。「判断を加えないこと」や「現在の瞬間を中心に置く」ことによって、心理療法の「脱中心化」が行われ自分の体験から距離が取れるようになる。紙ふうせん便り平成29年5月号参照。




 

紙面研修

生き生きと生きるために必要なこと

「最も大切なものは何か」と自問し、囚われに気が付くこと

疲れている時などは嫌なことを余計に嫌だと感じるように、人は感情に引きずられた判断をします。感情には自分に降りかかる嫌な要素を増幅させる働きがあるのですが、それは、危険を察知して積極的に逃避するために必要な動物的な本能とも言えます。しかし一方で、人類は分業制を発達させて文明を築いてきたのですから、「楽しくない仕事を引き受ける人」を必要としてきました。現代では多くの人が、自らの生活や人生と直接的に関わりの無いような、“一体何の意味があるの”と思う事もやらざるを得なくなっています。実際問題、嫌なことが多々ある現代社会の中で「嫌だ嫌だ」と言っていたら、感情はすり減ってしまいます。どうしたら良いでしょう。「人間の暮らしや人生や命にとって本当に大切なものは何か」と問いを立て、ウォールデン湖畔の森に自ら丸太小屋を建てて自給自足生活を営んだソローは、『森の生活』(「死せる詩人の会」引用部分)で以下のように述べています。




「私が森に行って暮らそうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当には生きていなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです。私はあきらめたくはありません。私は深く生き、暮らしの真髄を吸いつくしたいと熱望しました。(今泉吉晴訳・小学館)」




介護の仕事は生きる事と向き合い、命の営みがもたらすものから何かを学び取る仕事です。しかし現代の日本では3Kとして嫌われがちな介護職ですから、人生や命を軽視するような価値観の転倒が社会構造に組み込まれてしまっているとも言えます。その転倒に気が付かなければ個人の考えもまた影響を受け、何かに縛られているように感じながら生きることになります。ソローは、人は「自分についての自分の考えの奴隷になり、囚われ人になっています。」と指摘しています。




「つまり私が生き方を提案したいのは、主に、要は不満がある人、運の悪さや時代のひどさをなんとかしたいと思いながら、不平を言っているだけの人です。また、やるべきことはやっていると思っているために、何ごとにも批判的で、投げやりな人がいます。あるいはまた、お金をため込んでいても、どう使ったらよいか、どんなふうに散財したらいいかわからず、とうとう自分のために金銀の足かせを鋳造する人がいます。私はこのような人にも、生き方を提案したのです。(前掲書)」




感情の囚われから自己を解放すること

皆が森の中で生活できるわけではありませんから、「嫌だ」と感じる自分の感情とは、折り合いをつけなければなりません。「どのような自分が“嫌だ”と感じるのか」と、自分を俯瞰してみることも必要です。そして、余計に嫌だと感じる感情の囚われから自己を解放することが大切です。

ソローはエマソンから古代インド聖典を借りて読んでおり、瞑想にも親しんでいたといいます。瞑想の技法は認知症ケアのバリデーションでも取り入れられています。利用者さんと対面する前に瞑想を行い介護者が穏やかで偏りのない精神状態になることによって、苦手意識や嫌だなといった感情(利用者さんは生存本能からネガティブな感情を敏感に察知します)から離れ、利用者さんとの関係を良好なものとし、さらには利用者さんへの肯定的な気付きを促すのです。

マインドフルネス瞑想は、まず、思考や判断を停止し「今」に意識を集中させます。「今」の身体感覚で心を満たします。そして、感情の囚われが自然と離れていくことをゆっくりと待ちます。瞑想から生じる気分転換や集中力の高まりなどの効果を実生活に活かしていきましょう。

 
【やってみよう】マインドフルネスの簡単なやり方 (1回10分程度を継続すると良い)

・身体の力を抜きリラックスした状態(座位・散歩・仰向け等)を維持します。

・自然な腹式呼吸を行いながら、身体の感覚に“耳を澄ませ”ます。
 


紙ふうせんだより 1月号 (2022/02/17)

人間はつらいよ

明けましておめでとうございます。ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

寅年なので寅さんの話をします。映画「男はつらいよ」の第1作目の公開は1969年、興行成績も微妙な状況で当初は2作品で終了予定だったそうですが、シリーズ映画を欲していた松竹の方針で続編が決定、徐々に人気が出て第8作以降は大ヒットを記録、ついには世界最長の映画シリーズ(作品数)としてギネスにも認定されました。

生きづらさを抱えている寅さん

直情傾向で思い込みが強く粗暴でデリカシーが無いなど人のダメなところを煮詰めたような寅さんは、一方で人懐っこく人情に厚く面倒見が良く純粋一途な愛すべき面を持っています。そんな性格だからこそマドンナなどに要らぬおせっかいを焼いては騒ぎとなります。寅さんに親しみが湧くのは、そのようなダメさを多くの人が内に秘めているからでしょう。カッコつけようとしてはいますが、寅さんはダメな自分を隠すことができません。

中学2年の時には「やっぱりお前は芸者の息子か、どうせ家じゃろくな教育をしてないんだろ」と言い放った校長を殴って退学になっています。誰もが折り目正しく生きられるわけではなく、寅さん自身も差別的な言葉を多用し人を小馬鹿にするようなところがありますが、ここに物語の基本構造が見えてきます。「バカだねー、ホントにバカだ」とか「死んでいた方がマシ」などと罵られる寅さんは、人の世の差別(※1)を一身に背負うような身であるけれど、めげずに生きているのです。

気が付いている人もいると思いますが、寅さんは発達障害を持っていると思われます。「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2016年10月号には、「学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症スペクトラムなど発達障害的傾向を有する人物は、映画の主人公としても光を放っています。その頂点に立つ人物といえば、渥美清演じる「男はつらいよ」シリーズの「寅さん」こと車寅次郎です」との記事がありました。




「映画で感じる発達障害・愛着障害の豊かな可能性」ノーマライゼーション 障害者の福祉(2016年10月号)

(略)寅さんは、自身のバカの根源は出自にあると思っています。父親がへべれけに酔ったときに芸者に孕(はら)ませた子どもであり、優秀な妹さくらとは異母兄妹です。しかも生母とは別れたままであり、愛着上の問題も抱えています。実父からはたびたび折檻(せっかん)されています。折檻の原因は盗みや不良仲間との喫煙です。実父が寅さんを叱る時、「お前はへべれけの時つくった子どもだから、生まれついての馬鹿だ」と言っています。寅さんは身体的にも心理的にも虐待を受けています。

(略)寅さんには、すぐ手が出てしまう衝動性があり、取っ組み合いのケンカが定番になっています。衝動性のほか、初期作品群では多動、不注意も顕著です。加えて、睡眠、覚醒にも問題があります。開巻一番の夢のシーンは昼寝によるものですし、だれよりも早い就寝、だれよりも遅い陽が高くなってからの起床となります。多眠傾向が顕著です。

毎度お馴染みの寅さんの葉書も、当初は倍賞千恵子が左手で書いていたとのこと。さすがにその後は美術スタッフが書いたようですが、学習障害の一つである書字障害が疑われます。ただし、井上ひさしは、寅さんを「言葉の達人」と評しています。中学校も卒業せずにヤクザ稼業となりますが、その正体は、ADHDと学習障害をベースとする「学習困難=学校不適応」だったといえます。寅さんは発達障害の傍証に事欠かない人物ですが、前述したように愛着上の問題も抱えています。




※1元来は仏教用語で「しゃべつ」と読む。仏教では万物の真の姿は一如(一つの如し)であるが、個別的には条件に応じて差異を現ずると考えるので、差異は当たり前だが本質は平等と考える。一方で現在の差別問題は、差異を理由に不平等の扱いや侮蔑をしており、現象と本質の理解が転倒している。問題は差異にあるのではなくそれに拘る心の狭さ(執着)にある。
 

僕たち人間は、ちょっとしたことで人を差別する

差別とは「合理的な理由なく分け隔てした扱いを受けることを意味します。表現としては、ある個人や集団に対して、偏見、誹傍、侮辱など、著しく傷つける表現や現に存在する差別を、温存・助長することに結びつく表現などがあります」と、人権啓発用語辞典にあります。

社会制度としての差別は、社会の仕組みが特定の属性や集団に不利益(または利益)となるように構造化されていることですが、そのような差別制度が無かったとしても、人の心の中には残念ながら差別意識があり、それは忌み嫌う言葉(ヘイトスピーチ)として表出されます。ヘイトスピーチ(憎悪表現、差別表現)は、「自分から主体的に変えることが困難な事柄(※2)に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである」とされています。

先の校長の寅さんへの放言は、自分ではどうすることもできない事柄で寅さんを非難しているので明確な差別です。今の時代にはこんな先生はまずいないでしょう。差別は悪いということが明確に社会的合意事項となり、どのような思考や表現が差別になるかということが広く論じられるようになってきたからです。現代の観点から見れば、男らしさの呪いに縛られているような寅さんというキャラクターや、ジェンダーバイアス(※3)そのままのタイトルは、社会が内包する性差別を描いているとも言えます。

そう、生まれながらのバカとして描かれている寅さんは、差別される立ち位置にありながら、自分のバカさ加減と社会構造ゆえに自身も誰かを差別してしまっているのです。つまり人間はバカなのです。そのような業を持っている人間の辛さや醜さを解っていて山田洋二監督は、バカを愛おしく描いています。監督は「人間に差別意識があることの不条理さとでも言いますか、そこにいつも関心を持ち続けなくてはいけないと思っています。僕たち人間は、ちょっとしたことで人を差別することがたくさんあるんですね(※4)」と述べています。逆説的には、寅さんを見下して全く相手にしないような人こそが自らのバカさに気付かない大バカだと考えれば、劇中の主要人物は口は悪くてもまるごと寅さんを受け入れているのですから、寅さんの世界には、差異はあっても差異を理由に分け隔てする「差別」は無い、とも言えるのです。

※2一般的には、出自(人種・出身地・民族・伝統宗教・一族)・性別・容姿・健康・性的指向などが考えられる。

※3社会的・文化的な刷り込みに基づく性的偏見。

※4「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2010年5月号

 

その言葉で傷つく誰かを想像すること

どんな言葉が人の心を傷つけるのでしょう。例えば「親の顔が見たい」という非難は、個人の過失を親や血縁に当て付けたもので、自分ではどうしよもない生まれを非難しており強烈な否定となります。舅や姑が女の子を生んだ嫁に対して「男の子じゃなくてガッカリした」というのも、嫁や孫の全否定となってしまっています。異性に嫌悪感を持ちながら「男(女)にはなりたくない!」というのも性別による全否定です。

では、「障害者にはなりたくはない」という言葉はどうでしょう。誰しも障害者になりたいと思ってなったわけではないのですから、その言葉を聞いて心がえぐられる人は必ずいます。「認知症にはなりたくない」「生活保護にはなりたくない」という言葉には、差別意識は潜んでいるでしょうか。そのように考えたり、思わず言葉が口をついて出てしまったことはありませんか。

「俺はな、学問つうもんがないから上手い事はいえねえけれども、博(ひろし)がいつか俺にこう言ってくれたぞ。自分が醜いと知った人間は決してもう、醜くねえって…(※5)」 これは寅さんのセリフです。自らの醜さを知るからこそ、人に優しくなれるということもあるのです。

 
※5 第42作(1989)「男はつらいよ ぼくの伯父さん」より。なお渥美清亡き後に制作された第50作(2019)は、この後日譚となっている。
 

 

情報共有

新型コロナ対策情報

「濃厚接触者」の定義

濃厚接触者とは、コロナ感染症発症者の発症日の2日前から療養終了日までの間に、近距離で接触あるいは長時間接触し感染を受けている可能性が高い方。無症状陽性者との接触の場合は検体採取日の2日前)

接触している者。

○陽性確定者と同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があったもの

○適切な感染防護なしに陽性確定者を診察、看護もしくは介護していたもの

○陽性確定者の気道分泌液もしくは体液等の汚染物質に直接触れた可能性が高いもの

○手で触れることのできる距離(目安として1m)で、必要な感染予防策なしで、陽性確定者と15分以上の接触があったもの(周辺の環境や接触の状況等個々の状況から総合的に判断)

参照:知人や同僚が新型コロナウイルス感染症の患者となった場合は | 世田谷区ホームページ (setagaya.lg.jp)

(濃厚接触者の考え方について、整理をしました)

【個々の状況から総合的に判断】

この観点から考えれば、家庭内別居状態にあるような生活が分離されている状況ならば、同居だからといって一律に濃厚接触者に該当するとは思われない。

(寮で陽性者が発生したからといって寮生全員が濃厚接触に該当するとは限らないのと同じ。ただしデルタより強い感染力に留意するべし)

【適切な感染防護】

診察・看護・介護の度合いによりますが、体液に触れないような短時間の会話程度の接触であれば、「必要な感染予防策」と同じ考えで良いと思われます。

【必要な感染予防策】

⇒マスクの着用(できるだけ双方着用が望ましい)、適度な距離感(換気)、(当然ですが手指消毒)

※感染疑いの方と接触する場合はマスク2重など更なる工夫が必要です。(事務所に備蓄防護服あり)




※実際、昨年デルタ株のピーク時の保健所の判断では、既にマスクを着用しての訪問介護の接触程度では、濃厚接触にはならないとの判断になっていました。また、既に昨年より「積極的疫学調査は行わない」という方針が都より示されており、保健所からの積極的な濃厚接触者の追跡と検査は行わない事となっているようです。

そのような状況から、現在の市中感染は感染ルートがほぼ不明であるため、「濃厚接触者」は陽性者と接触者した者の自己申告となりつつあるようです。「濃厚接触者」の自覚がある方は、下のチエックシートで自己判断を行い自宅待機(要保健所連絡)をすることとなります。

(該当の疑いがある方は事業所へ相談してください。「自分は大丈夫」という正常性バイアスを留意して、事業所の意見を求めるなど冷静な判断が必要です。)




★濃厚接触者の自宅待機の健康観察期間は原則は最終接触日より10日(接触日を1日目にカウント)

★エッセンシャルシャルワーカー(介護職含む)については、6日目と7日目に抗原検査キットで陰性と出た場合に7日目より就業できるという判断に変更となっています。なお、10日目までは公共交通機関や不要不急の外出は避けて下さい。(逼迫時は“毎日の抗原検査で就業可”の厚労省案もあります)

 
【無料でPCR検査が受けられます】 都事業  

東京都で実施しているPCR等検査の無料化事業について | 世田谷区ホームページ (setagaya.lg.jp)                               

発熱などの症状のない都民の方で、感染している可能性に不安を抱える方等

※濃厚接触者は保健所対応なので不可

(区内近辺の会場)

ウエルシア薬局世田谷千歳台店・世田谷千歳台二丁目店・世田谷砧店⇒各店舗

代田区民センター・宮坂区民センター⇒(コールセンター)0120-758-167

東京都PCR等検査無料化事業に関するお問い合わせ先03-4405-4958


2022年 新年のご挨拶 (2022/01/05)

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。

本年も紙ふうせんスタッフ一同、ご利用者様および関係各所の皆様のために精一杯力を尽くして参りたいと思います。

皆さまにとりまして本年が素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。


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