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紙ふうせんだより 8月号 (2023/09/19)

「こころの平和」は「人として尊重」から

皆様、いつもありがとうございます。8月15日は「終戦の日」ですが、この日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として記念日に制定されたのは1982年の閣議決定によります。一方米国では「対日戦勝記念日」を降伏文書調印の9月2日としていますし、ソ連は8月9日に対日戦争に参戦して火事場泥棒的に9月2日に歯舞群島攻略作戦を発動していることから9月3日を対日戦勝記念日(5日に千島列島全島制圧)としていました。

本来、日本でも「敗戦」の日をポツダム宣言の受諾(じゅだく)通知の日付の8月14日か降伏文書調印日の9月2日とすべきところですが、戦争体験者の記憶の中では「大事な放送があるから」とラジオの前に集められた「玉音(ぎょくおん)放送」の8月15日の正午が焼き付いているのです。

78年前の 「現実否認」

防衛大学名誉教授の佐瀬氏は『私の世代は「国民学校」に学び「小学校」を知らない。そこで行われたのは、文字通り軍国主義教育。二度とそういうことがあってはならない。だから日本は戦争に「敗れた」のであり、戦争が「終わった」のにという気はない』とコラムで記していますが、そこには二重の悲しみが見られます。

「戦争に負けてしまった」軍国少年の悲しみと、「勝つ」と信じさせられていたが「騙されて」加担させられていにということに気が付いてしまった悲しみです。国民を騙せても「現実」を騙すことはできません。

コラムでは、『後年調べた経済(OECD)協力開発機構の統計によると、「大東亜戦争」開戦時の昭和16年、日本の国内(GDP)総生産は2045億ドル強、米国のそれは1兆1002億ドル強。実に5倍の大差だった。しかも敗戦時の昭和20年には日本のGDPは987億ドル強、つまり大戦による疲弊のゆえに開戦時の半分以下に落ちた。これで勝てるはずはなかった』と、佐瀬昌盛氏は述べています。

日本の実力を「誇大妄想」する現実否認から始まった戦争は、政治的には、敗戦の現実を「終戦」という言葉で糊塗(こと)し、9月2日の全面降伏を意識しないようにする否認で終わっています。「否認」によって何かを守っていたのです。

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防衛機制の 「否認」 自分を守る心の働き

心理学の「否認」とは、自分にとって受け入れがたいことを認めない心理状態です。これは、自分の心がこれ以上傷つかないようにする無意識の働きです。現実を認めてしまうと自分が更なる苦悩に苛(さいな)まれてしまうから「現実を認めない」という防衛機制(※1)か働くのです。

これは、利用者さんにもよく見られます。既にやらなくなった事や出来なくなったことを聞かれて「やっている」「できている」と述べてしまうことについての原因は、「認知症だから忘れた」ということに限りません。記憶があやふやで自信が持てない不安な状況の中で、「できる」イメージを維持し「できない」自分を否認することによって心が壊れてしまわないように自分を守っているのです。この肯定的なイメージは急かして変える必要はなく、ご本人の気持ちを盛立てて本当に「できた」となるように支援していくことが大切です。

 




※ 1ディフェンス・メカニズム(defence mechanism)

自分の受け入れがたい状況に対して、元々あった自分の考えや現実認識やその時の実際の体調までも無意識的に修正(歪曲)してしまう無意識の働き。防衛機制が働き続けると精神的なバランスを崩しかねない「抑圧」や「逃避」や「否認」などもあるが、不安や満たされない欲求を良い方向への行動に置き換える「昇華」もある。




生きる意欲を奪う 「ディス・エンパワーメント」

「やっている」「できている」との発言を、認知症による「物忘れ」として単純化して理解してしまったらどうなるでしょう。

「物忘れ」なら「思い出せばいい」と、周囲の善意から「××しないように」「△△注意」といったお小言の貼り紙だらけになっているお宅もあります。それを本人が 非難に取り囲まれているように感じ、貼り紙が読めない(読みたくない)となることもあるでしょう。「この前言ったでしょ」「ここに書いてあるでしょ!」との支援者の言葉には、「忘れてしまうことを自覚して欲しい」との考えがありますが、否認の「否定」は悪循環の入口となりかねません。忘れたことを「聞いてない」などと言って「怒らないで欲しい」という気持ちもあるとは思いますが、「怒りたくなるくらいに『責められている』気持ちに本人がなってしまっている」のではないか、ということにも留意が必要です。

否認や反発の表現は、その時の支援者の関わり方が「非対称な力関係」になっていることも考えられます。支援関係は、支援者目線の庇護や救済や指導であってはなりません。利用者さんに「うまくできない」現実を理解させて「自分でやらせない」ようにしたり、言うことを聞かせて「自己管理させない」ようにすることを「ディス・エンパワーメント」と言います。これは「権限を奪い自信を奪うこと」であり、誤った支援方法となります。反対語の「エンパワーメント」とは「権限を付与し自信を持たせること」となります。支援関係の根底には、「人として尊重する」対等な人間観が無ければならないのです。

支援の肝は「元気にさせる」という一言につきます。「自分はもうダメだ」と思っている気持ちからは「困難を乗り越えよう」という気持ちは生じてきませんから、支援の第一は「ダメじゃないよ」というメッセージを利用者さんに送り続けることになります。その為には、「否認は自分の心を守ることであり、怒ることは意に添わぬことをはね返す力があることであり、どちらも本人の『強み』なのだ」と、支援者側の評価尺度を改めてみることも大切です。

利用者さんはネガティブな他者評価や自己評価の中で暮らしています。利用者さんが抑圧状況にあることを理解し、自己認識に揺れる言葉に耳を傾けて共感を示し「自信や自己決定力を回復・強化できるように支援する」ことがエンパワーメントなのです。

回復は 「エンパワーメント」 からはじまる

1945年8月15日以降、日本は挫折感に打ちひしがれていました。そんな中で、日本を元気にさせていったのは主に子供や女性たちでした(※2)。 8月25日には、「平等なくして平和なし」の信念を持つ市川房枝たちは「戦後対策婦人委員会」を組織し政府に婦人参政権実現を申し入れています。奇跡と言われる戦後復興の始まりは、差別や洗脳教育で「自己決定権」を奪われていた者の権限回復やセルフ・エンパワーメントから始まっています。

私たちは、「うまくできない」ところを、「大丈夫だよ」「できるよ」「一緒にやろう」などと声をかけ、利用者さんの参加意識や主体者意識を高めていきます。そして、たとえ物理的な参加が難しくても「本人の意に沿って」それが行われているように絶えず声をかけながら、できるところは一部分だけでも御本人にお願いをしていきます。たとえ大部分を物理的にヘルパーが手を出したとしても、本人が主体者意識を持って参加し「できた」ことを「良かった」と感じることができれば、それは本人の「できた」であり「元気」となるのです。

 




※ 2 文部省は9/20に教科書の軍国主義的記述の削除を指示し生徒による墨塗りが行われる。大人達の変わり身に時代の大転換を感じた子供達はいち早く新しい価値観を摂取していく。

10/9成立の幣原内閣はGHQの介入回避の為に翌日の初会議で婦人参政権を決定。翌年の衆院選で39人の女性議員誕生。市川房枝( 1893ー1981 )信念は「平和なくして平等なく、平等なくして平和なし」






 

紙面研修


 

(傾聴)深い体験を聞くために

今私たちが関わる昭和一桁生まれの利用者さんの人生体験の核に戦争があることは確かです。そこにうまく触れることができたなら利用者理解は進み、ケアの発展にもなります。しかし、戦争体験は時代背景を知らない人に対しては語りにくいものです。

当時の雰囲気はどうだったのでしょう。洗脳教育を受けた子供なら正しく「騙された」のですが、大人達はどうでしょうか。戦争を金儲けや成り上がりの機会として待望する声は民間にもありました。宮崎駿の映画「風立ちぬ」には日米開戦のラジオ放送に快哉を叫ぶ男子学生が描かれています。一方で、女学校では「みな沈んでいた」と話す利用者さんもいます。世代や男女でも受け止め方は異なるのです。

 
「戦争責任者の問題」映画監督:伊丹万作(1946.4.28

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁(ちょうりょう)を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかったならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹(あんたん)たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 
「わたしが一番きれいだったとき」茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達がたくさん死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差しだけを残して皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり

卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからはジャズが溢れた

禁煙を破ったときのうようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように
 
考えてみよう

利用者さんの人生体験の深いところを聞くために必要な態度は何だろう
 

セルフ・エンパワーメントをしてみよう

 

「できない」「できる」のあれこれ

「できない」ことを「できる」と言ってしまう心理は、「否認」以外にも様々なケースがあるでしょう。幼児は夢の世界にいるような「全能感」があり、本気で仮面ライダーに変身「できる」と思っていたりします。少年や青年期は、「できない」と言うことが恥かしかったり、見栄や自己認識の甘さによる背伸びもあります。『「できる」と言ってしまったから意地でも「できる」ようになって見せる』と努力すれば、防衛機制の働きは「昇華」となり、結果的に良かったことになります。中年期以降はさらに複雑です。経済観念が優位する大人は、ハッタリなど交渉術としての「できる」というのもあるでしょう。請負の仕事で「何でもできます!」と謳っておいて、実際は美味しいところの摘まみ喰いをしたいという打算もよくある話で、意識的に嘘をつける「大人」であれば、「できる」と言った場合の「できない」責任についても一応は、知ってはいるでしょう。「大人になるということは、責任を自覚する」とも言えます。

一方で、「できる」のに「できない」と言ってしまう場合もあります。これは「責任」の重みや自分自身を知っている「大人」ならではで、「責任」を負いたくないから「できない」ということもあるでしょうし、実際に自分の能力や仕事容量や時間などを計量して無理があるから、簡単に「できる」とは言えない責任感からの「できない」ということもあるでしょう。自己肯定感が低くて「できない」と言ってしまうケースについては、自己認識を拡げていく取り組みが必要となるでしょう。ある言葉を発したり自己認識の在り方によって自分はどう変わるのか、傾聴の耳は自分の心の揺れ動きにも傾ける必要があります。

【エンパワーメントの定義】 

元々のエンパワーメントは権利や権限の付与を意味する法律用語でしたが、公民権運動などの中で運動理念として発達しソーシャルワークに取り入れられていきました。エンパワーメントは単に「力を与える」という意味でも使われていますが、様々な論者が定義・再定義を試みています。キーワードは「自身のコントロール」「パワーレスからの回復」「社会参加」が共通します。

WHOのオタワ憲章「人々や組織、コミュニティーを通じて自分たちの生活を統御する過程である」

公衆衛生・健康教育の領域「コミュニティーやより広い社会において、自分達の生活をコントロールしていくために、人々やコミュニティーの参加を促進していくソーシャルアクションの過程」

看護の領域「自分の生活に影響する要因のコントロールを支援するプロセス」

コミュニティー心理学の領域「個人が自分自身の生活全般にわたってコントロールするだけでなく、コミュニティーへの自主的な参加にも同様にコントロールを獲得する一つのプロセス」

保健福祉領域「一般的にパワーレスな人々が自分たちの生活の中の制御感を獲得し、自分たちが生活する範囲内での組織的、社会的構造に影響を与える過程」

★支援過程におけるエンパワーメントは、「パワーレス(意欲を失った弱った状態)からの回復」に焦点があります。支援側から権限を本人に移譲して主体的な自己決定ができるように支援していくということを基礎として、コミュニティやケアへの参加過程で「自身のコントロール感」や「生活の中の制御感」を得て頂くことによってパワーレス状態から回復し、エンパワーメントから更なる「参加」が促進され、ますます元気になる、と説明できるのではないでしょうか。そうすると「セルフ・エンパワーメント」については、そのような過程を自覚して、「自分の態度を自分で決めていくこと」となるではないでしょうか




エンパワーメント(empowerment 「力を与える」「権限を与える」という意味で、ビジネスにおいては「権限委譲」を意味する言葉としてで用いられます。これまで上司が持っていた権限を部下に与えることで自律的な行動を促し、組織全体のパフォーマンスを高めることを目的としています。(人事労務用語辞典)




 

【考えてみよう】

「自身のコントロール感」が高まるのはどれだろう。

A「できない」のに「できる」と言ってしまい、後で後悔する。

B「できない」ことは「できない」と率直に言った上で、どうしたら部分的にでも「できる」かを検討する。

C「参加」を促されて、断り切れずに嫌々参加してしまった。

D「参加」を促されて乗り気では無かったが参加することになってしまったので、「参加」から何か得たいと思う。

 

「パワーレス」が増幅するのはどれだろう。

A「できない」ことや苦手なことはできるだけ避けたいしやりたくない。

B「できない」ことや苦手に気が付いたら、「できる」ようになってみたいと思う。

C できれば責任は負いたくないし、重要なことの決定については誰かが決めてくれれば良いと思う。

D どんなことでも「自分に一切無関係」ということは無いので、様々なことに関心を払い意見などを述べる機会があったら述べてみたり関わってみたいと思う。

E できれば自分の関心のある領域のみの関わりで生きていきたい。それ以外は疲れるから避けたい


紙ふうせんだより 7月号 (2023/09/08)

皆様、いつもありがとうこざいます。セミが鳴いていますね。セミの成虫の寿命は俗説では1週間などと言われてきましたが、1ヶ月程度生存する個体もいるようです。卵で1年間過こしに後、地中で木の根にしがみついて暮らす幼虫の期間は、種や固体や環境にもよりますが1年~ 5年と言われています。

繰り返す生と死の意味について

セミの寿命を長いと考えるか、短いと考えるか。真夏の始まりにセミの抜け殻の「空蝉(うつせみ)」を見かけます。これは「現身(うつしみ)」とかけた言葉で、「現世に生きているこの身」もまた「仮住まい」であって、空っぽの抜け殻にやがてはどこかに旅立たなけれはならない人身を重ねています。夏の終わりにはひっくり返った「落蝉(おちせみ)」が転がっています。触るとまた力の残るものは羽をハタバタさせますが、やがて死ぬ命です。どうせ死ぬのだから「生まれたってしょうがない」と、セミは考えるでしようか。

直射日光で焼かれたアスファルトの上に「陽炎(かげろう)」がゆらめくことがあります。同じ音の昆虫の「蜉蝣(かげろう)」は、数年の水生生活の後に一斉に羽化します。大量発生して交尾の饗宴を繰り広ける成虫の寿命は、数時間(※1)と言われています。コウモリがカケロウを狙って乱舞し、交尾を終えてカ尽きたオスは落下して群がる魚の餌食となります。その間にメスは着水し産卵を行いますが、メスも卵も魚に狙われます。大量投下された餌には必す食べ残しが発生し、残った卵が種の命脈を次世代に繋ぎます。そうやってカケロウは3億5千年間生き抜いてきました(※2)。

カゲロウは「ほとんど食べられてしまうし、すぐに死んじゃうのだから、産んでも意味が無い」と言うでしょうか。儚く弱い命の象徴のように語られるカゲロウですが、今生きている個体は、地球上で最初に空を飛んに生きものの最後の生き残りでもあるのです。




※ 1 短命種の場合、長命のものでも数日。

※ 2「生きた化石」とも言われる。




人を殺すのも人間 人を生かすのも人間

文明の発達で「人間の天敵はもはや人間」という状況に私たちは生きています。戦争は、医療や福祉が総力をあげてようやく助ける一つの命を単位にあっと言う間に殺戮します。だから戦争は人類が憎むべき最悪のものと言うべきですが、戦争には技術などの革新を呼び込んで文明を発展させてきた面もあります。

人に殺し合いをさせる権力の横暴に対抗すべく「人権」という概念は生まれました。戦争を起させない、起こせない社会を私たちは築くことができるでしようか。「戦争はどうせ無くならない」と言う人もいます。そのような人でも戦場に放り込まれれは、自分や家族や仲間の生き残りをかけて奮闘するでしよう。多くの人が死んでしまい、周囲の人に死なれても生き残った人は、自分も「生きていたってしようがない」と思うでしょうか。

心が傷つけばそう考える時もあるでしよう。罪悪感に苛(さいな)まれることもあるでしょう(※3)。それでも心の底からは「生きねば」という声が聞こえてきます。生き残った者の生き残った意味は、生き抜いてみないと本当には解からないからです。




※ 3 サバイバーズ・ギルトと言う。戦争や災害、事件事故、虐待等に遭って生き残った者は、周りの人々が亡くなって「自分が助かった」ことに、しはしば罪悪感を抱いてしまう。




 

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「社会」 に自分をぶつけていく

昭和5年生まれの利用者さんが、兄の話をして下さいました。「兄の及人が志願して(※4)戦死した報せが入ってきた時、兄や仲間たちは『次は俺たちだ!後に続こう』と吹き上がったことがあった。兄が志願したいと母に伝えると、おとなしかった母は、人が変ったように怒り狂い『死なせるために産んだわけじゃない』と泣き叫んで兄を怒った」とのことでした。しかし必死で母が守った兄は、東京大空襲下の両国で消息を絶ってしまいました。

戦死を美徳とする軍国教育を受けたこの世代の男子は、皆一度は死を覚悟しています。知人や親族の中には必す戦争関連の死者がいます。生き残った者の罪悪感は、刀の切っ先のような問いを突き付けます。生き残った自分に何の意味があるのか――。

少年はやがて大人になり社会に出るとがむしゃらに働きはじめます。結婚前の初デートも15分で仕事があるからと退席し、仕事に明け暮れる日々でした。答えを出すにめには、自己存在を何かに投じて全力で壊れるくらいにぶつかって、どうでも良いような自分の要素をぶっ壊してみたあとに残った「芯」を掴みにいくような生き方をせざるを得なくなるのでしょう。妻の多大な負担を背景に、仕事では大成功を納めやがて引退。老後の平穏な生活がしばらく続いたあと、だんだんと身心の自由がきかなくなってきます。

意図しなかった介護生活、再び妻に負担を強いる状況に「こんな状態で生きていて良いのか」と、もう一度生きている意味を問うことになります。それは、身心にガタがきた後に、残った「信」を掴みにいくような問いとなります。

 

人生からの問いかけに答えるために

生物学的には、多細胞生物の「死」は進化して「獲得されたもの」と考えます。種の遺伝子の多様性を開発し良きものを子孫に手渡していくために「個体の死」があるのです。私たち人類は、社会を開発し世代交代によって社会を変革していくことを種の生存戦略としてきました。個体だけの狭隘(きようあい)な視点では、生死の意味の全体を見通すことはできません。

答えを求める人生の最晩年に、介護というかたちで世代を超えた出会いがあります。手を繋ぐことによって伝わるお互いをいにわる気持ち。話し笑いあうことの純粋な楽しさ。それは一つの小さな社会でありながら、助け合って生きる人間の本質と、私にちが目指すべき社会の方向を示しています。人と人が触れ合う価値は、命ある限り紡きだすことができるのです。

先の利用者さんは、ヘルパーさんとの出会いを「こんな時に出会えるなんて、自分は幸運だった」「あなたは親友だ」と喜んでおられました。そうした介護生活もやがて終わりを告け、昏睡の枕もとで妻が手を握り感謝の言葉を述べています。本当の気持ちは言葉の次元を超えて伝わります。その刹那(せつな)に「これで良かったんだ」という確信が心を満たしていきます。90 年を超える生涯はあっという間に過きていたのです。奥様も「私が語りかけると瞼(まぶた)が動いた」と言われ、お互いの気持ちが伝わっていることを、確信しておられました。

人生に対する「私」の答えは、自分自身が「他者との触れ合いによって」発見する以外にありません。個人の視点のみでは、意味の全容を掴むことは構造的に不可能にからです。私たちが人生最晩年の喜びを利用者さんに届けるように、私の中の優しい気持ちは利用者さんによってリフレッシュされます。人生の彩りの豊かさや、やがて再発見されるだろう「意味」は、「あなた」がきっかけとなり「あなた」が友となり、私に届けられるのです。

 




※ 4 大戦末期には募集年齢が15歳から14歳に引き下げられ、志願の名のもとに「地域ぐるみ、学校ぐるみ」で徴募された。

既に15年戦争期には陸軍だけでも17歳未満の少年志願兵の総数は40万人にのぼるとされる。昭和18年には少年飛行兵を「絶対獲得ヲ期セラレ度」などと要請が出され、13歳の児童(現中学1年生)にも誕生日入隊の働きかけが行われた。非力なエンジンのためパイロットは小柄軽量も有用とされ、ようやく離陸できる程度の未熟な少年飛行兵が無謀な作戦に戦果無く散っていった。

 

紙面研修

回復過程としてのサバイバーズ・ ギルト

「個性化の過程」 「全ては回復過程」

『生き残ることの悲しみはどのようなものであるだろうか。そこには自らが「生きること」と「死ぬこと」をかんがえるだけではなく、自ずと「なぜ生きるのか」、 「なぜ死ぬのか」という問いを投げかけられることでもあるのではないだろうか。それは答えの出ない問いを投げかけられることであり、深い宗教的あるいは哲学的な問いを与えられる出来事でもある。

そして、深い悲しみは「どう生きるか」と、全存在を賭けた問いを投げかけてくる。禅の公案を投げかけられるような問いに人はどのように答えを求めていくのか。それが個性化の過程であるのかもしれない。』(「能『鐵門』と能『大原御幸』から見た「生き残ること」の「かなしみ」と語ることについて」花園大学心理カウンセリングセンター宮野知子)
サバイバーズ・ギルト (suivivor’s guilt) とは、自分だけ生き残った、もしくは自分だけ生き延びたなどの理由で抱く罪悪感、あるいはそれに似た感情のことをいいます。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは『菊と刀』のなかで、西洋は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と分類しました。そのため日本人は恥ばかり気にして、罪の意識が欠けている、などと批判されることがあります。

しかしその一方では、日本人は、サバイバーズ・ギルトという形で罪の意識をいだきやすいこともまた指摘されます。

たとえば、太平洋戦争のときは、戦地におもむいた兵士たちのあいだで、戦友が戦死したり、特攻隊で生き残ったりすると、「戦争で死ねなかった」ということが、その後のその人の人生の重荷になったりしました。

また、最近では東日本大震災の後に、被災地だけでなく、被災地から離れた人々のあいだにも、このサバイバーズ・ギルトが広がりました。

この感情は、人々がボランティアとして現地へ入っていく動機にもなりましたが、このために震災後多くの人が鬱になっているともいわれます。(日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン)

 
被災者が生き残ったことや損失が少ないこと対して抱く罪悪感

サバイバーズギルトは、心的外傷反応の一部である。サバイバーズギルトを持つ人への対応として以下のものがある。

①災害においては、生存するか否かは無作為であり、生き残ったものはそれを受容しなければならないことを繰り返し伝える。

②生き残ったことを罰する必要のないことを知らせ、日常生活に復帰できるように支援する。

③生き残った人の考えや感情、活動が展望を持てるように支援する。

④支援したい、役に立ちたいと思っている生存者を支援計画に巻き込む。誰かの役に立ち、人助けをしているうちに生存したことへの罪悪感を小さくしていく。(日本災害看護学会)
 

心の傷は受傷の無い環境に行けば治るというものではない。それが血肉となって人生の大切な一部として人生観に組み込まれていく過程は長い目で見ていかなければならないが、生き延びたということはその時から「回復過程」を歩んでいると言える。

ただ、簡単に起きたことの良し悪しを決めつけたり、無かったことのように振る舞ってしまえば、受傷の否認となって自然の治癒力の妨げになってしまうこともあるだろう。全ての回復過程は同時に自己統合・自己実現過程(「個性化の過程」とほぼ同義)でもあるのであって、それらは快適なことばかりではなく苦しいことも含むが、必ずしも苦しみだけとは限らない。

 
家族や親しい人を亡くした被災者にかけるべきではない言葉

兵庫県こころのケアセンター「サイコロジカル・ファーストェイド実施の手引き第2版」より要約

・きっと、これが最善だったのです。

・彼は楽になったんですよ。

・これが彼女の寿命だったのでしょう。

・少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしよう。

・がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。

・あなたには、これに対処する力があります。

・できるだけのことはやったのです。

・あなたが生きていてよかった。

・他には誰も死ななくてよかった。

・耐えられないようなことは、起こらないものです。

・もっとひどいことだって起こったかもしれません。あなたにはまだ、兄弟もお母さんもいます。
考えてみよう

「かけるべきではない言葉」の例がどうしてそうなるのか、考えてみよう。

 
I was born (あいわずぼ一ん)吉野弘(初出「消息」自費出版1957年)

確か英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青いタ靄の奥から浮き出るように白い女がこちらへやってくる。物憂げにゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の柔軟なうごめきを腹のあたりに連想しそれがやがて世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時僕は<生まれる>ことがまさしく<受身>である訳をふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

ーーやつばりI was bornなんだね

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

ーーI was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだねーー

その時、どんな驚きで父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後思いがけない話をした。

ーー蜉蝣という虫はね。生まれてから二、 三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってねーー

僕は父を見た。父は続けた。

ーー友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると口は全く退化して食物を摂るに適しない。 胃の腑を開いても人っているのは空気ばかり。 見るとその通りなんだ。 

ところが卵だけは腹の中にぎっしり充満していてほっそりした胸の方にまで及んでいる。 それはまるで目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまでこみあげているように見えるのだ。 つめたい光りの粒々だったね。

私が友人の方を振り向いて<卵>というと彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。 そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのはーー。

父の話のそれからあとはもう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく僕の脳裡に灼きついたものがあった。

ーーほっそりした母の胸の方まで息苦しくふさいでいた白い僕の肉体ーー
 



 

 


紙ふうせんだより 6月号 (2023/07/25)

皆様、いつもありがとうこさいます。湿度をはらんだ生暖かい空気が身体にまとわりつくこの季節は、新年度の対応疲れと気候の変化が相まって、溜まった疲れが身に影響を及ぼします。近年は五月病のみならず「六月病」や「七月病」という言葉もあり、この時期に身の不調を訴える方の多いことや、社会的な関の高まりがうかがわれます。自分自身のリフレッシュをがけましょう。リフレッシュとは、「再び新しく」という意味です。

ストレスを溜めてしまう 「自己表現の癖」

「ストレスを溜めないように、ストレスに気が付きましよう」といったアドハイスは多くありますが、これも困惑してしまうものの一つです。人生や仕事で重要な場面ほど、対応したら「ストレスがかかる」ということを解った上で、取り組まさるを得ない状況になるからです。避けてばかりいたら意欲も自己効力感も活動性もかえって失われてしまいますから、「やるしかない」と腹をくくるしかありません。そして、開き直りは「ストレス耐性」となって何とかなってしまうものです。

とすると問題があるのは特別な場面ではなく、気が付かずにストレスを抱え込んでしまう「日常の在り方」にあります。気が付かないことに「気が付かなけれはならない」という矛盾に「なぜ気が付かないのか」と着目し過きてしまうと、内省の”沼”にはまりこんでしまうので、ここでは、自分の「感情や主張」を日常生活で表出させたり呑み込んだりしている自身の「自己表現の癖」に着目してみましょう。

介護も看護も離職理由の第一位は「職場の人間関係」にあると言われています。これらの仕事は、利用者さんを明るくするために、自分の「笑顔を見せる」というように感情を駆使します。感情労働に疲れてしまったところに、トラブルが生じてじっくりと話し合うことが必要な場面になったとします。疲れているとつい極端な対応になってしまいがちです。相手の話を聞く余裕が無く、つい感情的になって自分の主張を一方的に相手にぶつけてしまったり、表情は作り笑いだけど「聞くだけ無駄」と思ってしまって心は冷めて「無表情」になってしまったりします。このような齟齬から人間関係は悪くなっていくのです。

そもそもですが、本来のあるべきフラットな人間関係は、自分の感情や主張は「伝えるか、伝えないか」という二者択一の性質のものではないはずです。自分の感情や主張を呑み込んでばかりいては、ストレスが溜まってしまいます。ぶつけてはかりで相手の話す機会を奪っていれば、聞くことが少なくなり自分の心も淋しくなり、人のが離れていけば思い通りにならないストレスを抱えます。かといって、齟齬を避けた無難な選択として「聞く、伝える」という相手との関わりを減らしていけば、発展性は失われ袋小路に迷い込んでしまいます。お互いに「何を考えているかわからない」となってしまうからです。

改善していくために私たちにとって必要なことは、相手と「良い関係で関わろうとする意思(積極性)」と共に、「上手に聞き、上手に話す」というコミュニケーション型の習得となります。

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「言うか、 言わないか」 ではなく、 「聞き、 話す」

「話すか、話さないか」という二者択一は、自分の態度を硬直化させます。二者択一の自己主張の表出ならば、自分は話してすっきりしたけど相手からは”ちょっと…”という「自分OK、相手NG」となります。逆に相手の主張をただ聞いて呑み込むたけの自分であれは「相手OK、自分NG」となります。目指すべきは相互尊重の「自分OK、相手OK」です。「アサーション(※1)」ではこれを「アサーテイブな自己表現」と言います。

アサーテイブな態度がとれないと、人は「攻撃的(アグレッシブ)」か「非主張的(ノン・アサーテイブ)」な「自己表現」に偏ることになります。
「アグレッシブ」は、適切に「聞き、話す」という対話の大変さを回避して、相手にマウントを取ることで自分の主張を通す態度があり、相手の発言の機会を奪ってしまい結果的に反論も受け付けません。この型が暴走すると相手の非主張的態度に甘えたパワハラとなります。
一方、「ノン・アサーテイブ」は、自分を抑圧して自己主張を避けることで葛藤を回避しますが、相手に依存し「自分では判断できない」となり、ついには「自分の考えが解らない」となってしまいます。

そして両者は表裏一体の関係にあります。
こじらせてしまうと「アグレッシブ」は力関係下位には容赦なく牙をきますが、上位には何も言えすに黙って従属してしまいます。「ノン・アサーテイブ」は、突然切れてしまい攻撃性が爆発することがありますし、自分では話せない気持ちを「○○さんが言っていた」などと他人の口を借りてみたり、ゴマカシや嘘で「作為的」に相手をコントロールしようとする「回りくどさに隠された攻撃性」を持っことがあります。


どちらにしても、「自分の者えや気持ちを捉え、それを正直に伝えてみようとする」「伝えたら相手の反応を受けとめようとする」というようなアサーテイブな自己表現の積み重ね不足があり、偏りが「型」となってしまっているのです。そうであれば、日頃から誰に対してもアサーテイブなコミュ二ケーションを心がけたいものです。それが、自分がアサーテイブになっていく練習でもあります。

自分の態度を 「解放」 していく

しかし、「絶対にアサーテイブになれない相手はいる」「そんなの無理!」と言いたくなることもあるでしょう。実際かなりやっかいな人もいますが、あの人は「変わってるから、自分勝手だから、性格だから、理解力が無いから、病気だから」などとして、相手を安易に決めつけて自分から壁を作ってしまうのなら、自分にも偏りがあるということです。

アサーションでは、「アサーション権」という権利(基本的人権)があると考えます。これは「誰しも相手の自己表現を奪ってはならないし、自由に自己表現をする(しない)権利がある」というものです。これは、「誠実・率直・対等な自己表現は自己責任において実現可能である」ということを意味しています。相手に自己表現の在り方を強制することは出来ませんが、自分のコミュニケーション力を高めて自分がアサーテイブな自己表現ができるようになれば良いのです。そうすれば、自分の被害や加害やストレスは軽減できるはずです。

「自分の者えや気持らを捉え、それを正直に伝えてみようとする」「伝えたら相手の反応を受けとめようとする」ということは、支援関係の原点でもあります。利用者さんを決めつけて、「利用者さんの自己表現」を奪ってはいないでしようか。利用者さんに対して新鮮な見方ができるように日々心がけながら、今日も再び向き合っていきたいと思います。

※ 1「アサーション」はアンドリュー・ソルターの条件反射療法(1949)が源流と言われているが、行動療法や認知行動療法と共に発展してきた。「OK」という言い方は、交流分析の「I am 0K/ You are OK」や[I am OK/ You are not OK」から来るが、こではOKの対義語として和製英語の「NG」 (no good)と表記した。

 

紙面研修

アサーションとは

アサーテイブな自己表現の実現は 「エンパワーメント」 そのものである

「アサーション」は、米国の「公民権運動」や「女性解放運動」等と影響を与え合いながら発展してきたと言われています。アサーションは、差別や抑圧されてきた人々が適切に自己主張し、声をあげる方法だったのです。平木典子の『アサーション入門』によるとアサーションは、「もともとは、人間関係が苦手な人、引っ込み思案でコミュニケーションが下手な人を対象としたカウンセリングの方法・訓練方法として開発されました。

ところがやがてそのような人たちだけを対象に支援していても、効果はあがらないことが分かってきました。なぜなら、よく観察すると、問題はコミュニケーションが苦手な人だけでなく、彼らを取り巻く他の人々の問題であること、つまり、ぎくしやくする人間関係の裏には、悩んでいる当事者だけでなく、自己表現を踏みにじったり押しつぶしたりする人々の問題が関わっていることが分かってきたからです」とあります。

そこで、「(弱い側だけではなく)力や権威を行使する側にもアサーションという考え方を意識してもらう必要がある」と考えられるようになっていったのです。現在、アサーション研修は、企業などでコミュニケーションスキルの研修やハラスメント研修として活用されています。

私たちは 利用者さんに対して 「自己表現を踏みにじったり押しつぶしたりする人」と成り得る立場にあります。虐待やハラスメントが発生する土壌には、必ずアグレッシブやノン・アサーテイブな表現があり、それが関係性へと発展・固定化していく過程があります。虐待やハラスメントを未然に防ぐためには、各人がアサーテイブな表現や関係を心がけることから始まります。

私たちの支援する利用者さん夫婦には、時々「アグレッシブ、ノン・アサーテイブ」の組み合わせを見かけることがあります。これについても、お互い(特にノン・アサーティブ)が最初からそうだったわけではなく、偏った表現が関係へと固定化していってしまったものでしよう。

アサーションは「誠実・率直・対等・自己責任」を柱としていますが、この4つは「心理的安全性」と同じものと考えられますので、これらが職場で重視されていれば必ず「生産性」も高まってくるでしよう。ノン・アサーテイブなメンバーが職場にいて「生産性」が低く留まっているというような場合には、先輩や上司社員がアグレッシブでそうさせてしまっている「上の責任」という面もあるでしよう。

(アサーション権における「自己責任」とは、全ての人には自分の責任を全うする権利があり、過度な責任を押し付けられたり、責任を果たすことを奪われたりしないことであり、自分が「自分の責任を果たす」ことに積極的になれる状況、「自分の責任」をためらいなく口に出来て実行でき、失敗も許容される状況などを意味します。また、アサーティブな自己表現は、自分自身に対する「自己責任」を深く自覚するからこそ実現可能となるのです)

①【A ~ Eの設問に答えてみよう】(平木典子「アサーション入門」より)
A 危険や恐怖に出会うと、心配になり何もできなくなくなる (日頃の思うことと)
まったく合ってない・
あまり合っていない・
どちらとも言えない・
かなり合っている・
非常に合っている
B 過ちや失敗したら、責められるのは当然だ
C 物事が思い通りにならないとき、苛立つのは当然だ
D 誰からも好かれ、愛されなければならない
E 人を傷つけてはならない
 

②【A~ Eの主語はなんだろう】

・自分・まわりの人(他人)、そのような人はいる ・世間一般や常識やルール

 

解説: A~Eの考えは例示であるが、そのような固定的な価値観や考えを強く持っていると自分の考えが縛られてしまい、アサーションが苦手となりがちになります。それらの考えの主語が「自分」であれば、その部分では非主張的になりやすく、世間一般の常識として捉えていると(自分の側に常識や正義があると思うから)その部分では他人に対して攻撃的になりやすい。

 

考えてみよう

「アグレッシブ、ノン・アサーテイブ」の組み合わせや「アグレッシブ」のぶつかり合いの夫婦や家族と関わる時、両者の間に入ったり関係調整を試みたりする支援者の態度や表現は、どのようなものが望ましいだろう。

(関係の調整や良い方向への転換や発展は、「悪者」を一方的に決めつけなければ可能です。そのような方向づけができれば、「自己統合」「自己実現」への大きな支援になると考えます。)

 
【アサーション】 Assertion

アサーションとは、相手を尊重しつつ自分の意見を伝えるコミュニケーション方法の一つです。

アサーテイブネス(assertiveness)は直訳すると「自己主張」となり、アサーションについて長年にわたり研究してきた臨床心理士である平木典子氏は「アサーションとは自分も相手も大切にする自己表現」であり、「自分の考え、欲求、気持ちなどを率直に、正直に、その場の状況にあった適切な方法で述べること」としています。

近年アサーションが注目を集める背景には、職場でのストレス増加があります。ハラスメントの発生件数が増えたことと、テレワークの普及でコミュニケーションでの課題が多くなったことが原因です。ストレスが大きい環境の中で、「対等な立場で話せる」「言いたいことを言える」「相手に不快感をあたえずにNOをいえる」メリットを持つアサーションは、有用なコミュニケーションスキルとして脚光を浴びています。 (Webサイト「日本の人事部」)
 
【アサーション9つの実行スキル】

1.     主張する価値があるかどうか、自問してみる

2.     タイミングに注意を払う:相手の置かれている状況を考慮する

3.     「私メッセージ」を使う:私を主語に使うことによって提案型になる

4.     否定ではなく肯定的に使う

5.     具体的に言う:自分の意図を相手が感じやすいように

6.     依頼の言葉の基本形は「感情+説明理由+依頼内容」

7.     断りの言葉の基本形は「謝罪(感謝) +説明理由+断りの表明+代替案」

8.     非言語チャンネルを使う:言葉だけではなく身体的動作を利用する

9.     聴くスキルを使う:自分の主張の合間に生じる相手の応答にも注意する

(Webサイト「産業保健新聞」)

紙ふうせんだより 5月号 (2023/06/23)

皆様、いつもありがとうごさいます。暑い日がやってきました。そうかと思えば雨天の肌寒い日もあって、体の調子も狂ってしまいがちです。とは言え猛暑は間違いなくやってきますので、今のうちにしっかりと身体を動かして汗をかき、夏に備えた体づくりをしていきましよう。天候もそうですが、振り回されてしまうと疲れてしまいます。負けてしまわないように体力をつけましょう。そして心が負けてしまわないためには何が必要でしようか。

世の中の予盾を知って

世の中は矛盾だらけです。例を挙ければきりがありません。公僕・選良であるはずの政治家が私欲まみれだったり、私たちの現場では、信頼関係こそが基本となるべき対人支援職にありながら現場労働軽視の風潮からか「利用者との十分なコミュニケーション・人間関係をとおして信頼関係をつくりだすゆとりもなく、常に変化する利用者の状態に即応するホームヘルバーの主体的判断や裁量権も介護保険制度のなかで奪われて(※ 1)」ということがあります。

矛盾に振り回されて折れてしまいそうになる心は、感受性が豊かな証でもあります。「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思うとき・・・・・・農民たちの小屋という小屋には、同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にするとき一一そうしてこの世はすべてあいも変わらす朝ことに同じことを繰り返している。一一そしてこのさまよえる地球は永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間を、その単調な軌道のうえを、容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方がいっそうわびしいというものです。」

矛盾に鈍感でいることは「死よりも辛い」という24歳の告白です。この手紙を書いたのはナイチンゲール(※ 2)です。産業革命期のイギリスでは貧富の差が圧倒的に拡大していきます。感受性の豊かな彼女は16歳の時に「神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた」という体験をし、何をするべきかを自らを問い続けます。

25歳、彼女は苦しんでいる人を助けるために看護婦をやりたいと親に打ち明けます。当時の看護婦は、尼僧か無学の下働きの酒飲みの女がやるものたと思われており、病院は汚物まみれで不潔極まりない場所でした。近代医療が確立する以前の病院は乞食や食い詰めた病人や障害者や孤児や巡礼者などを宿泊させる救貧院を原型としており、「施し」として収容するのであって、待遇が良すぎると貧者が努力をしなくなるという理由で、その処遇は最低限を下回るものとなっていたため、「病院にだけは収容されたくない」という場所が「ホスピタル」だったのです。

不道徳や堕落が同居すると考えられていた病院の仕事を親が許すはすはありません。大反対されたナイチンゲールは「今朝の自分は、涙に魂までも流れ果てる思いである。胸をえぐる悲しみ、孤独の苦しみ、このどうしようもない淋しさ」「もう私は生きていけない。主よ、どうかおゆるし下さい。そしてどうか今日私に死を与えて下さい」と苦しみます。しかし彼女は親に隠れて病院に関する資料を集め猛勉強を開始します。




※ 1 「社会福祉政策と福祉労働」加藤薗子(2002)

※ 2 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)

イタリア旅行中に花の都フィレンツェで生まれたことからフローレンスと名づけられる




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自分の中の矛盾を乗り越えて 

彼女の中にも矛盾はありました。彼女の家は上流階級で多くの召使に囲まれお城のような家に住んでいたのです。そして、自分の中にも「社交界の星となって賞賛されたい」という気持ちがあったことにも気が付いていて、罪の意識にも苦しみました。自分が慕う相手から求婚を受けましたが断ってしまいます。結婚してしまえば、使命の道は閉ざされてしまうからです。

「神は朝、私を呼ばれて、神のために、たた神のためだけに、わが身の名声を顧みすに、善をなす意志があるかと問われた」と再びの啓示。しかし未だに道を切り開けない彼女は自分を資め、心は病み疲労は極限に達します。「家族の同情や援助は、一切期待してはならない。長いこと家族の理解が欲しくてたまらずにいたので、この事実を受け入れるのはなかなか大変である・・・私はあまりに長いこと子供扱いされ、そのように扱われることに甘んじてきた」と彼女は記しています。

31歳、彼女はドイツの先進的な病院付属学園で実習を受け、パリにある病院で見習い生として働きます。ついに長年の苦悩と猛勉強が実を結ぶ日寺が来ました。33歳の彼女はロンドンの経営困に陥っに病院の管理者に赴任し、水を得た魚のように働き大改革(※ 3)を断行します。覚悟を決めた人に恐れるものは無いのでした。




※ 3 換気の行き届いた衛生的な病室、頻繁に交換されるシーツ、水と湯の出る病室の蛇ロ、ナースコール、ナースステーション、新しい在庫管理方法等、これらは全てナイチンゲールの発案



写真はナイチンゲールが考案した円グラフ。彼女は若い頃、数学者を目指していたこともあった。




苦悩する者のために戦う

1853年、クリミア戦争が勃発します。34歳のナイチンケールは友人の陸軍大臣の呼びかけに応えて看護団を組織し戦地に赴きます。野戦病院での兵士の死亡率は42 %と高率でしたが、その原因は兵士を「くず」「ごろつき」としてさけすむ軍隊の体質と共に、食料不足や極悪な衛生状態にありました。最初の2週間で運び出された汚物や腐敗物は手押し車 556杯分と2頭の馬・24体の動物の死骸という有様でした。

彼女は陸軍省に改善要求を行うと共に、兵士に寄り添い傷を洗い包帯を取り換えて栄養・衛生改善(※ 4)に努め、死亡率を2%にまで低下させました。人間らしく扱われて感激した兵士は、ランプを持って夜間巡回を行うナイチングールの影に接吻をしたほどでした。本国では戦意高揚の意図もあり彼女を「クリミアの天使」と呼んで英雄視しましたが、彼女はそんなことには目もくれず、最後の兵士が退院するまで病院に残り、騒がれることを嫌って偽名で帰国しました。

その後のナイチンゲールは、全国の病院の調査を行ってはデータを集め統計を駆使して数々の報告書を記し、病院や軍隊の改革を提案していきます。しかし、疲労と戦地で罹患したクリミア熱の後遺症から衰弱して倒れ、41歳で歩けなくなってしまいます。それでも彼女はペットやソファーの上で働き続けます。病院設計や公衆衛生や看護師養成の専門家として数多くの著作を発表し各方面に提言を続け、請われて法律の草稿や認可条件の執筆も続けていきます。

多くの矛盾から目を背けずに自らの戦いを続けられた彼女のエネルギーの源は、一体何だったのでしよう。それは、天啓として表象された「何のために生きるのか」と自らを問う心の声だったのではないでしようか。看護も介護も突き詰めれは世の矛盾にぶつかり、心が折れそうになる大変な仕事です。私たちも続けていくために、負けないために彼女の次の言葉を励みにしながら自らを問い、その原点に立ち返っていきたいと思います。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」

自らが深く真摯に苦悩したことは、間違いなく誰かの苦悩を癒す力となるのです。




※ 4近代医療の成立をコッホやパスツールの近代細菌学の確立に見るならば、ロベルト・コッホ( 1843-1910)による1884年のコレラ菌の病原性の確認に先立っ慧眼と先見性がナイチンゲールにあったと言える。「近代看護の創始者」と言われる彼女は、統計学やソーシャルワークの先駆者でもあった。5月12日はナイチンゲールの誕生日にちなんで国際看護師の日となっている。




 

紙面研修

ナイチンゲールの人間観

「自然の働きかけ」 「全ては回復過程」

ナイチンゲールが24歳の頃、サミュエル・ハウ博士が彼女の家に滞在した。博士は米国の医師であり社会事業家でパーキンス盲学校(アン・サリバンやヘレン・ケラーもここの卒業生)の創設者でもあった。彼女は博士に看護婦の仕事についてどう思うかを聞いた。それを自分がやることについて。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていくかぎり、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしよう。たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしょう」と博士は答えている。

淑女は紳士と結婚し紳士に添えられた”花”のように生活し、家事や仕事を一切せずにパーティーやおしゃべりに明け暮れる退屈な日々を過ごすことが上流階級の女子の「人生」とされていた当時にあって、ナイチンゲールの考えは異例中の異例だった。それは、女性の自立した生き方の先駆であったのだが、根源には「人間の自立への志向」がある。

人間が、普遍的価値に肉薄しながら自らを活かし生きようとする時に、根源的な力はひらめきのように自分の内側から湧き上がってくるものだ。それはクリスチャンにとっては「愛の力」とも言えるだろうし、「神と共にある」という表現にもなろう。ナイチンゲールの思想にはこのような「人間に内在する力」(普遍的な力・生命力)への実体験に基づく信念が見られる。




『病院覚え書』

・病院がそなえているべき第一の条件は、病院は病人に害を与えないことである。

『看護覚え書』

・看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること、こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小限にするように整えることを意味すべきである。

・看護がなすべきこと、それは自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことである。

・全ての病気は、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない。

・看護師のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者に辛い思いをさせて言わせることなく、患者の表情に現れるあらゆる変化から読みとることができることなのである。

『病人と看護と健康を守る看護』

・病気とは、健康を阻害してきた、いろいろな条件からくる結果や影響を取り除こうとする自然の働きかけの過程なのである。癒そうとしているのは自然であって、私たちは、その自然の働きかけを助けるのである。

・健康とは何か? 健康とは良い状態をさすだけではなく、われわれが持てる力を充分に活用できている状態をさす。

・看護師は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない。ひとつはその症例に対する理性的な関心、そして病人に対する(もっと強い)心のこもった関心、もうひとつは病人の世話と治療についての技術的(実践的)関心である。

・看護師は、病人を看護師のために存在するとみなしてはならない。看護師が病人のために存在すると考えなけれはならない。

『看護師の訓練と病人の看護』

・看護はひとつの芸術であり、それは実際的かっ科学的な、系統だった訓練を必要とする芸術である。

『救貧覚え書』

・体が丈夫でない貧困者に関するかぎりは、彼らに対する救貧法の本来の目的は、彼らに対する罰を与えたり、食べ物を提供したりすることではなく、彼らを勤勉で自立できる人にするために、訓練を施すことである。

それはある意味では、読み、書き、計算と言った国民教育の一野が引き受けるべき事柄であり、またそれは国民の間で”共通認識ができている良心のあり方、つまり道徳”を教えることによってなされていくことであろう。




「全ての老いは、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は自己実現過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない」と単語を読み替えても、首肯できる言葉ではないだろうか。

 

考えてみよう

利用者さんが持てる力を充分に発揮できるようにするためには、私たちは何に関心を払い、どのような態度であるべきだろうか。


紙ふうせんだより 4月号 (2023/05/17)

私を決めつけないでください

皆様、いつもありがとうこさいます。4月2日は世界自閉症啓発デー(※ 1)です。「自閉症」という言葉が医学に登場するのは、児童精神科医のカナー(※ 2)による論文「情緒的接触の自閉的障害」( 1943 )や小児科医のアスペルガーによる「幼児期の自閉性精神病質」( 1944)などが始まりです。残念なことにカナーの仮説や考察は誤りであったため、自閉症に対して誤った認識が広まってしまいました。障害や病気に対する「誤解」によって当事者に対す態度が偏見を帯びてしまい、当事者が傷つけられたり苦労することは度あることです。




※ 1カタール王国王妃の提案により2007年12月18の国連総会で決議

※ 2レオ・カナー( 1894-1981 )自閉症を「早期発症型(陰性症状)の統合失調症」ではないかとし「親の養育態度」のにも言及




障害や病気への誤解から生じる 「レッテル」

日本での自閉症についての初の実態調杳は、1967年に文部省によって行われました。このときに自閉症は「情緒障害」に分類されたため自閉症は因性と考えられてしまい、その「誤解」から当事者は長年苦しむことになってしまいました。「自閉」という言葉も良くはありませんでした。「自分の殻に閉じこもっている」という語感から本人のメンタルが問題とされたり、「人間嫌い」や「親の愛情不足ではないか」と言われてしまったのです。

世界自閉症啓発デーの国連決議文には、「生後3年間のうちに発現する自閉症は、脳の機能に影響を及ほす神経障害に起因し、一生続く発達障害であり、その影響は主として、性別、人種または社会経済的地位を問わず、多くの国々の子どもに及び」とあります。そしてその持徴を「社会的相互作用における機能的障害」「コミュニケーション上の問題」としています。

このように現在では脳神経が原因とされている自閉症ですが、「社会的相互作用」に言及をしているところは重要です。障害の要因を個人にのみに押し付けるのではなく、「コミュニケーション上の問題」などとして社会との関わりで起こっている「障害」は、社会の側の無理解・無関心な態度が変ることによっても改善することを示しているのです。

「誤解」が当事者を苦しめるケースは、例えは「らい予防法」による患者の強制隔離もその一つです。他には何があるでしよう。厚労省のサイトには「依存症は、アルコールや薬物の摂取やギャンプル等の行為を繰り返しているうちにそれをコントロールする脳の機能が弱まってしまう『病気』です。決して、意志が弱いからという理由で依存症になるわけではありません」とあります。「意思が弱い」との批難によって、依存症者はかえって適切な治療から遠さかってきました。

私たらも「誤解」をしていないか自己点検するべきですが、介護職の誤解の第一は、やはり「認知症」ではないでしようか。「認知症」という名の病気は厳密には存在しません。認知機能に障害をきたした症状のある状態像をまとめて「認知症」と呼んでいるにもかかわらず、簡単に「認知症」のレッテルを貼り、「認知症」=「×× という機能障害が起きる」という単純な図式的理解をしたら誤りなのです。「機能障害」の国際的な定義には「機能障害はその基礎となっている病理と同じではなく、その病理の表現である」との文言があり、「機能障害は病気の診断とは異なる」と注意を促しています。

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「レッテル」 を貼られた者の苦痛

自分の望まぬケアや入所などが説明不足のまま半強制的に行われたとします。それが自分の身に起こったらどんな気持ちになるか、想像してみましよう。

何やら陰でコソコソ話が進んでいるようです。今まで信じてきた人に裏切られている気持ちです。そういった事が積み重なれは、何かをきっかけに怒りを爆発させてしまうこともあるでしよう。認知症たから「全部忘れる」と思っている態度が納得のいかなさに輪をかけます。抗議の意思表明として怒ってみせても、それも「認知症の症状」にされてしまいます。理解力や記憶力が怪しくなってきたから不安でたまらなく、たからこそ解るように何度でも説明して欲しいのに、惨めな気持ちにもなっていきます。誰も「私」をきちんと見てくれません。そこには「認知症の病人」がいるだけです。私の尊厳はどこにいったのでしよう。最後の抵抗として諦めの気持らと共に、私は感情や考えを表明することをやめ、押し黙ることにしました—

このように「押し黙ってしまった」と考えられるケースには、有名な実話があります。イキリスの者人病棟で重い認知症とされていた老婦人が亡くなり、持ち物から看護師に宛てたメッセージ(※ 3)がでてきました。そこには、「何が見えるの、看護婦さん。あなたには何が見えるの」あなたが見ているのは”認知症のおはあさん”なのでしようけれど「でも目を開けてこらんなさい。看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ。」と綴られていたのです。




※ 3「私は三年間老人だった」パット・ムーア( 1988)や「穏やかに死ぬということ」若林和美( 1997 )などで紹介されている




誰が 「障害」 を作り出しているのか

ある青年の詩を紹介します。「僕は僕に『瞳害』があると思っていなかった/僕はほくが生きにくい世の中に『障害』があると思っていた。/でも人は僕のことを『障害』のある人と言う/僕は僕自身だけど/『障害』ではない」(「僕と言う人間」松下大介)

重度の自閉症当事者の東田直樹さんの手記(※ 4)にも次のようにあります。「自分が瞳害をもっていることを、僕は小さい頃は分かりませんでした。どうして障害者だと気づいたのでしょう。それは、僕たらは普通と違う所があってそれが困る、とみんなが言ったからです。」

私たち人間は、どうしても物事にレッテルを貼って「ラベリング」をしてしまいます。これは認識プロセスの効率化のために仕方のないことですが、「偏見」の一つだと自覚しておいた方が良いでしよう。社会学者ハワード・べッカーは、「社会集団は、これを犯せは逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みたすのである」(ラベリング理論)としています(※ 5)。「障害」の発生もまた社会が生み出している「逸脱」であり、「社会病理(※ 6)」と言える面があるのです。

自閉症は症例の積み重ねによって、症状の有無ではなく「どのくらいあるのか」という「自閉スペクトラム」という概念に変ってきました。虹の色は「7色」と決めつけるのは誤りであって、実態は徐々に変化するスペクトラム(連続体)であるという考えです。近年増加していると言われている「発達障害」もその延長としても捉えることができます。そうであれは「なせ増加しているのか」ということを問わなけれはなりません。許容されるラベルが付与されれは許容され、無けれは許容されない現代社会の窮屈さが、「ラベル」を増やしてはいないでしようか。誰にとっても生きやすいことと、自分の生きやすさは対立しないはすなのに、弱い者がさらに弱い者を叩く世の中になってはいないでしようか。




※ 4「自閉症のぼくが飛び跳ねる理由」(2007)

※ 5「アウトサイダーズ」( 1963)社会の側が特定の行為を逸脱と判定し、その行為をする者を「逸脱者」とみなすことで、逸脱者が生みだされると考える。

※ 6「個人や集団や地域社会の生活機能障害にかかわる現象のこと」で「広く集合的な社会現象としてみた場合、個体原因ばかりでなく、社会にその発生の根が求められる」ものや「社会に発生する病的な状態」をいう。




 

紙面研修

誰が 「認知症状」 を作り出しているのか




看護婦さん

あなたはいったい、何を見ているの?

あなたが私を見るとき、あなたは頭を働かせているかしら?

気難しい年老いたおはあさん

それほど賢くなくとりえがあるわけでもない。

老眼で食べるものをぼたぼたこぼしあなたが大声で

「もっと、きれいに食べなさい」といってもできないしあなたのすることにも気づかずに

靴や靴下を失くしてしまうのはいつものこと。

食事も、入浴も

私が好きか嫌いかは関係なく

あなたの意のままに長い一日を過ごしている。

あなたはそんなふうに

私のことを考えているのではないですか?

私をそんなふうに見ているのではないですか?

そうだとしたら、

あなたは私を見ていません。

もっとよく目を開いて、看護婦さん。

ここに黙ってすわり

あなたの言いつけどおりに

あなたの意のままに食べている私が誰か、教えてあげましよう。

10歳のとき、両親や兄弟姉妹に愛情をいつはいに注がれながら暮らしている少女です。

16歳、愛する人とめぐりあえることを夢みています。

20歳になって花嫁となり、私の心は踊っています。

25歳、安らぎと楽しい家庭を必要とする赤ちゃんが生まれました。

30歳、子どもたちは日々成長していきますが、しつかりとした絆で結ばれています。

40歳、子どもたちは大きくなり巣立って行きます。

しかし、夫が傍らにいるので悲しくはありません。

50歳、小さな赤ん坊が私の膝の上で遊んでいます。

夫と私は子どもたちと過ごした日々を味わっています。

そして、夫の死。

希望のない日々が続きます。

将来のことを考えると恐ろしさで震えおののきます。

私の子どもたちは、自分のことで忙しく

私はたったひとりで過ぎ去った日々や

愛に包まれていたときのことを思い起こしています。

今はもう年をとりました。

自然は過酷です。

老いたものは役たたずと嘲笑い、からかっているようです。

からだはぼろぼろになり栄光も気力もなく以前のあたたかい心は

まるで石のようになってしまいました。

でもね、看護婦さん

この老いた屍の奥にもまだ小さな少女がすんでいるのです。

この打ちひしがれる私の心もときめくことがあるのです。

楽しかったこと、悲しかったことを思い起こし・愛することのできる人生を生きているのです。

人生はほんとうに短い。

ほんとうに早く過ぎ去ります。

そして今、私は永遠に続くものはない

という、ありのままの真実を受け入れています。

ですから、看護婦さん

もっとよく目を開いて私のことをよく見てください。

気難しい年老いたおばあさんではなく

もっとよく心を寄せて・・・      この私を見てください




認知症状があって画像所見で脳の委縮がみられれば「認知症」と診断されます。だから一応認知症の原因は脳神経の変質ということになるのでしよう。しかし、脳に委縮が無くても認知症状が現れる方や、脳に委縮が見られるものの認知症状が無い方がいます。

やはり、認知機能に障害がみられると診断されても、それは「病気の診断とは異なる」ということなのです。だから、「認知症だから必ずxxになる」という理解は誤りであり、メンタルの持ちようや、周囲の人の理解や声掛け、環境の工夫、社会の価値観や文化など様々な社会的相互作用によって認知症状の発現や進行は、変ってくるのです。

決めつけてはいけません。

たとえば朝耕暮耘のような自然の流れにそった規則正しくゆとりと張り合いのある生活であれば、「ボケ」ても大きな問題は起きにくいと思われます。「ボケ」という言葉の意味は、形象や主張の輪郭や中心がぼやけて曖昧になることです。「ボケ味」という写真用語がありますが、画面構成に程よいポケを作ることで、画面に緩急や深みが生まれて全体はより美しくなります。

「ボケ」の良さを肯定するならば、年寄りの居る光景はもっと美しく豊かになるのではないでしようか。私たちは、あまりにも「ボケ」を恐れすぎています。その高まった不安が相互作用して認知症状を悪化させ B P S D (行動・心理症状)を引き起こすのです。BPSDは、本人中心のケアを実践し本人が穏やかに暮らしていけるように、心身と環境を整えれば発現しません。

BPSDは不適切な介入やケアによって生じる「逸脱」とも言えるのです。

考えてみよう

自分が「老婦人」の立場になったら、何を感じるだろうか。どうしようとするだろうか。


紙ふうせんだより 3月号 (2023/04/21)

自分の苦しさを思い出してみる

皆様、いつもありがとうございます。咲き散り急ぐ桜に人の世の邂逅と別離を重ねてしまうからでしようか、春はどことなく感傷的です。春の疾風に宮沢賢治も痛みを感じとっています。『春と修羅』には「雲はちきれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はきしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」とあります。春は再生の季節ですが、取り残された癒えない痛みを思い出してしまうのもまた春なのかもしれません。

春の心になるように

心が辛い痛い悲しい。そのような思い出が綴られにの中の「詩集」を「誰しも持っている」とする詩、『春の詩集』では、作者の河井醉茗(すいめい)(※ 1)は「春が来る毎に/春の心になるように/自分の苦しさを思い出してみることです」と、そっと呼びかけています。なぜ苦しみを思い出した方が良いのでしよう。

仏教では、自分の意のままにならないものにこだわってしまうことこそが「苦しみ」であるとして、その対象を「生者病死」の四苦と共に「愛」や「憎しみ」、「欲求」や「身心」へのこにわりを加えて八苦(※ 2)としました。アドラー心理学(※ 3)も「他者を支配しないで生きる決心すること」を説いていますが、「他者」もまた自分の意のままになりません。考えてみれば「若い時の詩集」には、納得のいかないことで多くの人とすれ違い結局自分で自分を孤独に追い込んにりした苦い思い出ぱかりです。「どうして」とこだわり続けるから苦しくて、忘れたいけどかえって忘れられなくなるということはあります。

痛みや悲しみは、それはそれとして受け入れて自然体となり、時思い出していれは後悔も何かの学びとなります。また、悲しみがあるからこそ人は人に優しくなれるのです。この詩にある、他人に見せたくない心の傷が「春の心になる」ということは、「自分の苦しさを思い出してみること」で、いつかその「苦しみ」が苦しみではなくなるということなのでしようか。




※ 1河井醉茗( 1874ー1965) 口語自由詩を提唱した詩人。『紫羅欄花』( 1932)など平明な作風が特徴。→春の詩集 — HAS Magazine (has-mag.jp)

※ 2八苦には愛する人と生き別れる苦、うらみ憎む人と会う苦等がある。

※ 3アルフレッド・アドラー( 1870ー1937)は「自己実現的な人にとって他の人が与えてくれる名誉や地位や報酬等は重要ではなくなっている」とし、マズローの「欲求5段階説」の「承認欲求」を求めるなと説く




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「どうして」 から 「どうやって」 

自分の命や運命もまた意のままになりません。何となくこの先もこのまま生きていく事ができるという漠然とした希望がある日突然断たれてしまった時、人は悩み苦しみます。そしてその「苦しみの意味」を「どうして」と問うのです。筋ジストロフィーと診断されていた石川正一さんは1 0歳の夏、ついに歩けなくなります。日記が書籍化された『たとえぼくに明日はなくとも車椅子の上の17才の青春』には、その時のことが記されています。

「お母さん/もう一度立ってみる/ちきしよう/ちきしよう/ほくはもう駄目なんだ /ぼくなんかどうして生れてきたんた! /生れてこなければよかったんだ!」

苦しい時、人は「何で自分は苦しまなければならないのか」と考えます。苦しみを抱えてまでして人はなぜ生きなけれはならないのか。生きなくてもいいじゃないか。死んでしまってもいいじゃないか。そう思うこともあります。

でも、無くなって欲しいものは本当は「苦しみ」の方です。その苦しみに「どうして、どうして」と問いかけても「苦しみ」は答えてはくれません。苦しみを抱えた自分が「どうやって」生きて行ったらよいのか、問われているのは、本当は「自分の態度」だったのです。答えの出ない問いから自分自身へと問いを反転させるために、仮定として自分の「死」を者えます。それが「死にたい」と言う表現です。

「自分が死ねばこの苦しみは終わるのか?」そう妄想します。苦しい時は、永遠不変の実在としての「苦しみ」の中に小さな自分が呑み込まれているように感じますが、本当は有限な自分の中に(自分よりも小さくて自分よりもさらに儚い)苦しいという「自分が抱く感情」あるのです。そうであれば「自分が変ればこの苦しみも変わるのではないか?」と言えるのです。「死にたい」という表現は「今までの自分の考え方は終わりにして、新しい考え方のできる自分に再生したい」という気持ちの表れではないでしようか。

「お母さん、もう、あんなことは言わないよ。生命をそまつにすることはいけないね。ごめんなさい。」

石川さんは14歳の時に20歳までの命と宣告されます。死を自覚して石川さんは変わっていきます。そして、自分に問うのです。

「たとえ短い命でも/生きる意味があるとすれば/それはなんだろう/働けぬ体で/一生を過ごす人生にも/生きる価値があるとすれば/それはなんだろう/もしも人間の生きる価値が/社会に役立つことで決まるなら/ぼくたちには/生きる価値も権利もない/しかしどんな人間にも差別なく/ 生きる資格があるのなら/それは何によるのたろうか」

石川さんは、「人生からの問い」に「自分の答え」を示すために生き抜くことに決めました。

「たとえぼくに明日はなくとも /たとえ短かい道のりを歩もうとも/生命は一つしかないのだ/だから何かをしないではいられない/一生けんめいを忙しく働かせて/心のあかしをすること/それは釜のはげしく燃えさかる火にも似ている/釜の火は陶器を焼きあけるために精一杯燃えている」

精一杯生きた証は誰かの心に残ります。「人か死ねばとても悲しいじゃないか。誰もが、必す死ぬのだということが解っていても、やはり悲しい事だよ。それは死ぬから悲しいのではなくて、実は”別れる”ということが悲しいのだ。」悲しみは悲しみとしてあるけれど、融和的に思い出されれば、それは優しくて暖かくて懐かしい春の風となります。苦しみは粘土のような自分を鍛錬して、陶器に焼き上けるための「炎」ではないでしようか。




※ 4石川正一( 1955ー1978)筋ジストロフィーは全身の筋肉が変性する進行性の難病で根本的な治療法はない。10歳で車椅子となり23歳で死去。

「2 0歳をこえようとこえまいと/人間は有限な存在にかわりはないのだ/生きているかぎりは/何かをしないではいられない/おまえは伸びようとしている/芽なのだ(20歳誕生日)」東映で「ありがとう」という記録映画がある。




※引用の河井醉茗の詩は、読みやすさを重視し旧仮名遣いを現代新仮名遣いに改め、一部の漢字をかなに、かなを漢字へと表記し直しています。

 

紙面研修

「ゆずりは」 に想う

【ュズリハ】ユズリハ科の常緑高木。福島以西の本州、四国、九州、沖縄に自生する。和名の「ユズリハ」は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することに由来します。漢字表記は「譲葉」です。一方、古名では「ユズルハ」とされ、万葉集にも見られる表記は「弓弦葉」です。これは、葉の主脈が太く目立ち、弓に張る弦のように見えることからだそうです。新葉が揃うまで古葉が落ちず新旧の葉が着実に入れ替わる様子に、円満な世代交代や子孫繁栄への願いが託されて縁起の良い木とされ、葉は正月飾りにも使われ、庭木としても利用されています。




古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井(みい)の上より鳴き渡りゆく

現代語訳:昔を恋しく思う鳥だろうか、弓絃葉の井戸の上より鳴き渡っていく(万葉集弓削皇子)

 

■この歌は弓削皇子が持統天皇の行幸に同行した時に大和にいる額田王(2代前の天皇の后)に贈ったものです。額田王は「昔を恋しく思う鳥はホトトギス(不如帰)ではないですか」(古に恋ふらむ鳥はほととぎす けだしや鳴きし我が思へるごと)と返歌をしています。

中国の故事に、古蜀の望帝の復位の願いが叶わずに死んでホトトギスとなり「不如帰(帰るにしかず)」と鳴いたとあります。譲り葉の上でホトトギスが「昔に帰りたいけど帰れない」と鳴いて飛び去っていく。そんな光景です。




以前、利用者ご家族より利用者さんの「散財」について、それをどのように抑止するかを相談されたことがあります。私の回答の一部を引用します↓

 

金銭感覚については家族間でも異なっていることが多く、認知機能の問題とする前に異なっている事を前提に構えることが大切です。要介護高齢期になると金銭感覚も昔のご本人と比べて変化していく人も多いように思います。

支援側(昔のご本人も)が生活者の視点で見るのに対して、ご本人は、次代に何物かを「贈与」してこの世を去っていく「ゆずり葉」的な自己像を持っているように思います。身近な人や社会に対して「贈与」したいという欲求が、欲求の中でも強くなるような方もおられます。

それは、生活者視点では散財なのですが、本人にとっては自分を確認する行為としての「贈与」であるという視点での理解も必要かと思います。また、金銭管理は「自己決定」に大きく関わり、自己決定による物品購入や贈与は「自己効力感」とも大きく関わっているかと思います。(引用終)




人には、自分が誰かから何かを受け取ったと感じた時は、自分もまた誰かに何かを渡さないといけないと感じ実行する習性があります。与える義務、受け取る義務、お返しの義務。これらが履行されないことは、人にとっては(祟られる等)よろしくないのです。そうやって世界は循環し、その秩序が保たれる。これが文化人類学で論じられている「贈与」です。

考えてみよう

去るべき者が譲り遺していきたいと思っているものは、本当は何だろう

自分が受け取るべきものは何だろう

残った者の応答責任とは何だろう

 

参考資料:ゆずりは(河井醉茗『紫羅欄花』より)


紙ふうせんだより 2月号 (2023/03/14)

幾山河 山川の末

皆様、いつもありがとうございます。庭木の紅梅の鮮やかさに「暖かくなりましたね」と言葉を交わす時、再びの春の巡りに安堵します。利用者さんとの外出介助がだんだんと楽しい季節となってきました。足もとにはオオイヌノフグリやヒメオドリコソウやホトケノザが咲いています。また共に春を喜ぶことができる――。あと何回それができるのか。それは誰にもわからないことだけれど、陽射しに微笑む花々を今は見とれていたいのです。

行く河の流れは絶えずして

小さな虫たちや一年草は冬の訪れにその命を終えますが、種子や卵で子孫を繋ぎます。季節の移ろいは大きな変化のように見えますが、自然の本質からみれば繰り返すさざ波のようなものです。数えきれない無限の生と死から成り立っている自然界に私たち人間も連なっています。自然や宇宙が生死そのものであると思えれば、私の苦悩もまたさざ波でしょうか。

あるご利用者さんが「私はもう歩けなくなった」とこぼしておられました。生活可動域の部分的な制限は、齢を重ねれば誰にでもあることです。しかし、制限に悩む胸の内は個別的です。春の陽射しは万人に等しく降り注ぎますが、胸の内が晴れてくるかどうかについては個別的な関わりが必要です。パーソン・センタード・ケアなどその人中心のケアを試みるならば、「齢をとったら衰えるのは当たり前」と言って、その人の胸の内の苦悩を軽視することはできません。

ADLとしては歩行に問題の無いその方に「私との掃除が終わった後に、ご自分で散歩に行かれたらどうですか?」と声をかけると、一緒の沈黙の後に「私と今から一緒に歩いてもらえませんか」と言われるのです。「歩けなくなった」というのは、様々な制限に自分を否定されたと感じて自己効力感が大きく揺らいで悩んでいる表現です。このままでは、自分で自分を全否定しまいかねないことに苦しんでおられる様子が伺えました。

仙川の遊歩道を歩きながらどのような言葉かけをしようかと思案します。川面の明滅の上をハクセキレイが飛んでいきます。「方丈記(※1)」の冒頭が思い出されます。

「行く河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。」

川の流れは永遠であるように見えて、それをつぶさにみれば川を構成する水は一瞬の後に入れ替わり前と同じ川のように見えても、もはや同じ川ではない。世界も人も街もそれは同じ。永遠に続くように思われる苦悩もまた日々の更新に維持されるのであって、何かをきっかけにして変わることもできるはずです。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」込み上げてきたものは、この言葉でした。

溺れかかっている時はあがけばあがくほど深みにはまります。しかし開き直って流れに身をまかせれば浮きあがり、浅瀬に寄せられていくのです。私は先の句を引用しながら、「嘆きを一旦脇に置いてみたら、別の景色が見えてくるかもしれませんよ」とお伝えしました。




※1 鴨長明(1155-1216)が1212年に出家し隠棲する一丈四方の庵にて記す。飢饉、疫病、地震、兵革、大火、風水害などが相次ぐ平安末期を描く。「世をのがれ身を捨てしより、恨みもなく恐れもなし。命は天運にまかせて惜しまず厭わず、身をば浮雲になぞらへて頼まず全しとせず。一期の楽しみはうたた寝の枕の上に極まり、生涯の望は折々の美景に残れり」と心境を記している。




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本当に捨てるべきものとは?

古典には日本人の心象が描かれています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という句は、江戸時代の「仮名草子集」にみられますが、戦国大名武田氏の軍学書「甲陽軍鑑」や室町時代の「一休ばなし」にも出てきます。出典の中で最も古い時代と思われるものは「空也(くうや)上人絵詞伝」です。空也(※2)は武士の台頭に乱れる平安中期の世にあって、野ざらしの遺体を弔い貧民や病人を助けながら諸国を行脚し、井戸を掘り道や橋を作り市聖(いちのひじり)と呼ばれました。

「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

上の句にある「橡殻」とは、栃の実の殻のことです。ずっしりと重い「実」を抱えたままだと栃の実は水に沈んでしまいますが、「実」を手放すことによって「殻」は浮かびあがります。「殻よりも実の方が大切だ」と大抵の人は思っています。

捨てるべきものは、本当は何でしょう。地位や権力や金、過去の出来事や感情や「こだわり」にとらわれて、周囲の大切な人や自分を見失ってしまう人は多くいます。若々しさ健康ばかりを念ずれば老いた身の不都合や窮屈さが際立ちます。そういった「とらわれ」があるから人は苦悩に沈んでしまうのです。

重い気持ちが再び浮かび上がってくるためには、自分が大切だと思っている(本当はどうでも良い)ことを、手放してみることです。浮かぶ瀬とは「執着」から離れた悟りの境地であり、念仏信仰から見れば阿弥陀如来の救済や極楽往生を示しているのでしょう。

また、「身を捨てて」と言っても自殺が良いというわけではありません。「身体」が魂を宿すものならば「殻」もあってこその悟りなのですから、自他の命を粗末にしながら世俗的な実利や体裁や虚栄心に執着していれば「実」と思っているものは我執(がしゅう)(※3)であり、空虚な観念となってしまうのです。

いずれにしても「山川の末に流るる」という言葉に幾山河を越えてきた人生行路航の究極の場面や終盤での課題が示されているように思えてなりません。




※2 空也(903-972)子供の頃から乞食し山野で修行。称名念仏を日本で初めて実践したとされ、貴賤を問わず救済を説いた。

※3 自分だけの小さい考えにとらわれて、離れられないこと。自分の心身の中に恒常不変の実体があると考えて執着すること。




「捨て身」になって見えてくること

自暴自棄の利用者さんと対面することは、大変な労苦を支援者に強いることになります。捨てている「自棄」が、介護拒否などで自らの身体を虐めることであれば、セルフネグレクトと呼ばれたりします。

そのような方も自分の一切を捨てているかと言えば、プライドから「介護なんか受けたくない」という観念を護っていたりします。プライドは「尊厳」と近接するので取り扱いが難しく踏み込むことに支援者は躊躇し、「人は変われないよ」と働きかけを断念することもままあります。「人は変われるのか、変われないのか」という議論は不要です。変わりたくても変われない寂しさに人の世は満ちているとも言えるのですから、変れなくても「それもまた人生」です。

しかし、変わりたかったり変って欲しいと願うならば、今度は支援者側こそが「捨て身」ならなければなりません。人は如何なる生きものなのか、本当に大切なものは何か、そのような価値観の自己開示を一所懸命に行い、必死に語り掛けるのです。

お互いが死に物狂いになって考えの限りを尽くすことできれば、「自分ですら見捨てていた自分に、本気になってくれる人が居た」という安堵の気持ちくらいは訪れるのではないでしょうか。それはお互いにとってかけがえのないものとなるはずです。

幾山河越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく」この歌は若山牧水(※4)です。寂しさが消滅する国は無いけれど、私たちは自転車を漕ぎ漕ぎ今日も旅を続けるのです。




※4 若山牧水(1885-1928)近代人の自我意識の苦悶の解決を自然に求めた歌人。自然と旅と酒を愛し肝硬変で亡くなる。




 


 


紙ふうせんだより 1月号 (2023/02/24)

向こうのお山の麓まで

あけましておめでとうございます。今年もおごらず弛まず歩みを進め、来年の正月もまた皆様と笑顔を交わせることを願っています。本年もどうぞよろしくお願いします。

私の中にもある『うさぎ と かめ』

「もしもし かめよ かめさんよ せかいのうちに おまえほど

あゆみの のろい ものはない どうして そんなに のろいのか」

兎の挑発から始まる童謡「兎と亀」の物語は、紀元前6世紀ころの古代ギリシアの奴隷だったアイソーボス(イソップ)が昔話の語り手として各地を巡りながら広めた寓話です。日本には室町時代後期には伝わったとされ、江戸時代には「伊曾保(イソポ)物語」として出版されています。明治時代になると「油断大敵」という題で尋常小学校の国語の教科書に掲載され、自らを過信すると失敗するが、歩みが遅くとも着実に進むことに大成があるという教訓が込められています。

しかし教科書通りではつまらないので別の解釈を試みてみましよう。人の心には、自分の中にある自分にとっての好ましくない性質を他人の性質にしてしまって、他人を責めてしまう「投影(※ 1)」というメカニズムがあります。だから、対立的な感情を抱いてしまう相手のモヤモヤとするその要素は、実は自分の中にある要素ではないか?と、自分を疑ってみることが大切です。同様に、対立的に描かれている兎と亀もどちらも一人の人間の中にある要素として、これを人格的成熟への道のりのとして考えてみましよう。




※ 1自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防衛機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。(Wikipedia)




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「兎の子の生まれつはなし」という言葉があります。これは、兎が多産であることに由来する「無責任」を意味することわさですが、兎は生殖性の強さから若さの象徴であると者えられます。兎は自信過剰で挑戦的で亀の歩みの遅さを馬鹿にするのです。

「なんと おっしやる うさきさん そんなら おまえと かけくらべ

むこうの こやまの ふもとまで どっちが さきに かけつくか」

亀はおじけることなく兎の挑戦を受けて立ちます。しかし普通に考えれは亀に勝ら目はありません。亀は、兎が者えている勝敗とは別次元の考え方をしていると思われます。

「どんなに かめが いそいでも どうせ はんまで かかるたろう

ここらで ちょっと ひとねむり グーグー グーグー グーグーグー」

兎は、亀との競争に勝つことだけを目的としています。勝てれは良いだけなのでコスパ良く勝とうとします。一方で亀は、どんなに引き離されたように見えても歩みを止めません。「亀は万年」として長寿とされる亀は、老いの象徴であると考えられます。そしてまた歩みが遅くとも着実に進むものとして時間の経過をも示しています。物語は、時間の経過によって者いが若さを追い越していった後の狼狽をクライマックスとして描いています。

「これは ねすぎた しくじった ピョンピョン ピョンピョン ピョンピョンピョン

あんまり おそい うさきさん さっきの じまんは どうしたの」

 
「自分の考えとは別の評価尺度」 に気が付くこと
「老い」馬鹿にしていた兎は、その「老い」に「自分は負けてしまった」と者えて、自分を受け入れ難く感じることもあるでしよう。大切なことは、「自分の考えとは別の評価尺度」があることに気が付くことです。これこそが兎が成熟していくための課題であり、それは亀の態度によっても示されています。

亀は、兎に勝てると思ったから勝負を受けたのではありません。兎は「他人に勝つ」ことを目的としたのに対して、亀は「自分に勝つ」ことを目的としたのです。亀は、「人生から挑戦を受けたとき自分はどのように応じるのか?」という自分の「応答責任」を果たしたまでなのです。もし兎の目覚めがもう少し早くてゴール直前に亀を追い抜いたとしましよう。「すこいな、やつはり兎さんにはかなわないや」と、亀は悔しがらすに兎を賞賛するのではないでしようか。これが後進を育てる年長者の姿勢であり、自分を貫いた者の満足なのです。これらの自負が内面的成熟を促していくのです。

若さから老いへと至る「成熟」の課題

若者には若者の課題があります。若さを活かすために必要なこととして、「一寸法師」は向こう見すな挑戦を、「桃太郎」は仲間の大切さを描き、時として待っことや運命に導かれることも必要なことを「わらしペ長者」は描いています。また、無責任さは若者の特性であり、馬鹿なことをしでかして失敗をして、そこから学ぶこともまた若者には必要です。

一方で、者いを自分のものとして成熟していくためには何が必要でしよう。兎が亀になっていくために必要なことは、どんなに歩みが遅くても歩み通すことです。自分がもうかつての兎ではないと気が付いた時、それでも「歩み通してみせる」という若い時とは異なる形での自分への挑戦が必要となってきます。かっての挑戦の思い出もその原動力となります。たとえ日が暮れてきたとしても、亀の歩みでも歩み通せは何か見えてくる景色があるはすです。それは、外面的な栄誉や成功などではなく自分の心の中の風景です。

体験できることや成し遂けられることの規模や内容が劣っていても、状況に対して示し得る自身の態度の如何は、自分の手の中にあって決して失われないのです。V・E・フランクルの3つの価値に即して言えは、「体験価値」や「創造価値」が失われてしまっても、兎であっても亀であっても、自分の人生の意味への回答は「態度価値」として自分で示すことができるのです。

今いる場所で最言を尽くすこと

「私をどういう人間だとお思いですか」と自身を卑下し「一介の洋服屋の店員ですよ。私はどうしたらいいんですか。私は、どうすれは人生を意味のあるものにできるんですか」と、投けやりに問う人に対して、フランクル(※ 2)は次のように答えています。「なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において最善を目くしているか、生活がどれだけ『まっとうされて』いるかだけなのです。」

私たちはまたまた兎ですが亀でもあります。日気持ちを新たにして、痛みや悲しみに絶えす寄り添っていこうとすることもまた新しい挑戦です。最善を目くしながら「歩み通す」ことによってのみ生じてくる意味について、利用者さんと共に感じていきたいと思います。




※ 2「それでも人生にイエスと言う」春秋社

フランクルは態度価値について同書で「さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、 こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできる」と述べている。




 

紙面研修

食中毒・感染症対応

【ノロウイルスの場合】

Q ノロウイルスによる「感染性胃腸炎」のまん延を防止する方法は?

毎年11月頃から2月の間に、乳幼児や高齢者の間でノロウイルスによる急性胃腸炎が流行します。感染した人の便や吐物からの二次感染、ヒトからヒトへの直接感染、飛沫感染を予防する必要があります。

便や吐物がごく少量であっても、乾燥し空気中に浮遊し二次感染を起こすとされています。また、トイレのノブや水洗のレバーや水道の蛇口の栓なども感染源となりやすいので、感染が疑われる方がいる場合は消毒をします。

Q ノロウイルスに感染するとどんな症状になるのか?

潜伏期間(感染から発症までの時間)は24~48時間で、主症状は吐き気、嘔吐、下痢、腹痛であり、発熱は軽度です。通常、これら症状が1~2日続いた後に治癒し後遺症はありません。また、感染しても発症しない場合や軽い風邪のような症状の場合もあります。

ノロが疑われる症状が自分自身や周囲の方に見られた場合は、すぐに必ず報告をお願いします。

Q ノロウイルス食中毒の原因となる食品

食品から直接ウイルスを検出することは難しく食中毒事例のうちでも約7割では原因食品が特定できていません。そのほかの原因としてはノロウイルスに汚染された二枚貝による加熱不足の食中毒が考えられます。ウイルスを失活させるには中心部が85~90℃で少なくとも90秒間の加熱が必要です。子どもやお年寄りなどの抵抗力の弱い方は、加熱が必要な食品は中心部までしっかり加熱することが重要です。十分に加熱されていれば汚染された食品を食べても問題はありません。

Q 手洗いはどのようにすればいいのか?

手洗いは、 手指に付着しているノロウイルスを減らす最も有効な方法です。調理の前、食事の前、トイレに行った後、下痢等の患者の汚物処理やオムツ交換等を行った後(手袋をして直接触れないようにしていても)には必ず行いましょう。常に爪を短く切って、指輪等をはずし、石けんを十分泡立て、ブラシなどを使用して手指を洗浄します。すすぎは温水による流水で十分に行い、清潔なタオル又はペーパータオルで拭きます。

石けん自体にはノロウイルスを直接失活化する効果はありませんが、手の脂肪等の汚れを落とすことにより、ウイルスを手指から剥がれやすくする効果があります。

Q 感染者の便や吐物を処理する際に注意すること

ノロウイルスが感染・増殖する部位は小腸と考えられています。したがって、嘔吐症状が強いときには、小腸の内容物とともにウイルスが逆流して、吐物とともに排泄されます。このため、便と同様に吐ぶつ中にも大量のウイルスが存在し感染源となります。そのため処理には十分注意する必要があります。12日以上前にノロウイルスに汚染されたカーペットを通じて感染が起きた事例も知られており、時間が経っても汚染物には、感染力のあるウイルスが残っている可能性があります。

床等に飛び散った患者の吐ぶつや便を処理するときには、使い捨てのガウン(エプロン)、マスクと手袋を着用し汚物中のウイルスが飛び散らないように、便、吐物をペーパータオル等で静かに拭き取ります。拭き取った後は、次亜塩素酸ナトリウム(ご家庭にある塩素系漂白剤:ハイタ―)で浸すように床を拭き取り、その後水拭きをします。おむつ等は速やかに閉じて便等を包み込みます。おむつや拭き取りに使用したペーパータオル等は、ビニール袋に密閉して廃棄します。

ノロウイルスは乾燥すると容易に空中に漂いこれが口に入って感染することがあるので、吐物や便は乾燥しないうちに床等に残らないよう速やかに処理し、処理した後はウイルスが屋外に出て行くよう空気の流れに注意しながら十分に喚気を行うことが感染防止に重要です。




感染症対策の基本
新型コロナ感染症も同様ですが、日常の感染拡大予防は、換気、マスク着用、手指洗浄や消毒が基本となります。必要に応じて、エプロン等の着用や帰宅後の速やかな着替え等となります。また、汚染された可能性のある手などで、自分の顔の目や鼻や口を触らない様にすることも大切です。また、「汚染が予想される物の取り扱いについての細心の注意」が必要です。




考えてみよう

嘔吐や下痢のある人が二次的になってしまう症状に対する対応として、ご本人に声掛けをすべきことは何だろう。(現場判断で簡単に対応できることです)


紙ふうせんだより 12月号 (2023/01/17)

人は一人では生きてはいない

皆様、いつもありがとうございます。コロナ禍はいっこうに収まらず、皆様には負担やストレスを強いた一年だったと思います。申し訳なく思っていますが、一方でその大変さが一人ひとりのたくましくしさを育み、それぞれの人生にとっての良い学びともなっていくようにと願っています。

一年間本当にありがとうございました。年末年始に稼働して下さるヘルパーさんは、本当にありがとうございます。皆様、良いお年をお迎え下さい。

 

人生の価値を決める自身の「態度」

「良いお年を」との挨拶を交わす時、私は本当に「良い」とは何だろう、と考えることがあります。悪い事が起こらないこと? 良い事が多いこと? しかし、悪い事は良く変わるきっかけかもしれないし、良い事に浮かれていれば慢心に足を掬われることもあるかと考えると、良し悪しを一方的に決めつけてしまうことはできません。

例えば、「喜怒哀楽」の「怒哀」を悪い事として感じない様にしてしまえば、人ではなくロボットになってしまいますし、「生老病死」の「老病死」の否定は、人間存在自体への否定になってしまいます。介護の仕事を通じて見えてくることは、手放しで納得できる「老病死」を送っている人などほとんど居ないという事実です(※1)。

そうであれば、悪い事は少ないに越したことはないのですが、生老病死の中にあるトラブルに泣いたり怒ったりしながら生きることが“人生”なのだと観念し、人生の良し悪しはその間に起こる「出来事」の量や内容に本質があるのではなく、出来事に対する自身の「態度(※2)」にこそあるのだと腹をくくらなければなりません。人生の価値の決定権が「出来事」にあるのであれば人生は運任せであり、結果的に「老病死」を恨むことになってしまいます。「出来事」に右往左往するところから主体性を取り戻して自分の人生を生きるためには、出来事に対する自分自身の「態度」にこそ注意を払うべきなのです。

※1 だからと言って納得のいかないケアを利用者さんに強いて良いとは限らない。

※2 V・E・フランクルが重視した人間が最後まで実現しうる人生の価値としての「態度価値」と通ずる。(紙ふうせん便り:令和3年6月号参照)

 

「いいことはおかげさま」

 書家であり詩人の相田みつをさんの言葉に『いいことはおかげさま 悪いことは身から出た錆(さび)』というものがあります。「良い事」が起こった時に、自分の運や力を誇示する「俺様」態度では、「良い事」が終われば取り巻きは離れ自信は吹き飛んでしまいます。自分の存在は、自分ひとりで成り立ってはいないのですから、良い事だからこそ誰かの「お蔭様」という気持ちが大切なのです。

では、悪い事はどうでしょう。そもそも、そういった事はあることだと受け入れる態度でいれば、その中にある良い意味にも気が付いていきます。悪い事を「誰かのせい」にせず、自分の今までの態度を見直す契機とすると良いでしょう。これが心の錆落としです。

そして「自分のせい」にし過ぎてしまうことも決して良くはありません。自分ではどうにもならない運不運や自分の失敗に悲嘆に暮れるのではなく、自分も他人も責めるのではなく、これからをどのようにしていくのかを態度で示していくことが大切です。誰のせいにもしない「お互い様」であれば、自分も他人も切り捨てないで済むのです。

 

 人は繋がりの中で生きている

  『日本人は「人に迷惑をかけちゃダメ!」と子どもに教えることが多い。

それに対してインドでは「お前は人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。

【迷惑をかけながらでしか生きられない】

そう思うと周りの全てのモノに感謝できそうな気がする。』

 

この言葉はTwitterで注目を集めた投稿です。ここにも「困った時はお互い様」の考えが根底にあります。日本には「情(なさ)けは人の為ならず」ということわざがあります。他人に情をかけるのは「自分の為」でもあるという意味です。一見、自分の利を捨てて他人に尽くすような「利他」の行動も本当は「利己」の行動となるという考えです。

ここには、自他の利害関係が対立している様な偏頗(へんぱ)な捉え方から離れ、本当の人間関係は「互恵(ごけい)的」なものであることに気が付きなさい、という意味が込められています。誰かに迷惑をかけたと思ったら、その分誰か困った人の支えに自分がなればいいし、迷惑をかけられたと思ってもその分だけ自分は「徳」を積ませてもらったのだから、またいずれ誰かに徳を還元すればよい。そんな考えを自分の芯にしていけば、人の顔色を伺って「敵だ味方だ」「損だ徳だ」と右顧左眄(※3)する必要はなく、人と人の確かな繋がりが感じられる人間関係となっていくのです。

人間存在の本質を教えられるということ

2008年に発売されたCDの曲「手紙 ~親愛なる子供たちへ~(※4)」が、一時話題となりました。歌詞には次のようにあります。

『年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解して欲しい / 私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい / あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた』

ここには、子供の成長と老いていく自分を重ね合わせながら、大人になった子供に何かを教え遺して去っていこうとする親の気持ちが語られています。人間は、「生まれ育っていく」事にも「老いて死んでいく」事にも、人の手を借りなければならない存在なのです。この曲の歌詞は、もともとは作者不明のポルトガル語のメールだったそうです。

英語には「お互い様」を含意することわざに、「片手(一人)では手を洗えない」One hand washes the other.というものがあります。人は一人では手を洗えません。私たちの介護は、利用者さんにとっての「もう一つの手」となります。そうして差し出される手は、あたかも自分の手と手を洗うような無理のない振る舞いとなることが自然体です。

そもそも人間存在の本質として困った時に助け合うことは自然なことで、良い事をしてやろうと気負うことも申し訳ないと身を縮める必要もありません。二つの手が重なる時、どちらの手が「やって「あげて」「貰ってる」のかを区別する必要もありません。「人は一人では生きることができない」という人間の本質を教えられることは、最大の幸せでもあるはずです。

 

※3【うこさべん】右を見たり左を見たりしてためらい迷うこと

※4レーベル:タクミノート(テイチクエンタテインメント)、原作詞:不詳、訳詞:角 智織、補足詞・作曲・歌:樋口了一 2009年度日本レコード大賞優秀作品賞

 

紙面研修

人生の最晩年の意味について考えるために


「手紙
~親愛なる子供たちへ~」

 

年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

 

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

 

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は

いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

 

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように

見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

 

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

 

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

 

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の

準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

 

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら

 

あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

 

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

 

私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです

 

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

 

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ 愛する子供たちへ

 

【態度価値】

フランクルによれば人間が実現できる価値は創造価値、体験価値、態度価値の3つに分類される。

 

創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値である。仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。

 

体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりすることでこの価値は実現される。

 

態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。

フランクルはアウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人がいたことを体験した。フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである。(Wikipedia)
 
考えてみよう

この詩の「私」が示すことができている「態度価値」はあるだろうか?

あるとしたら、それは何だろう。

食べ物をこぼし、同じ話を何度も何度も繰り返し、下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがる人から、私たちが学べることはなんだろう。

「旅立」が「祝福」となるためには、何が必要だろう。
 


2023年 新年のご挨拶 (2023/01/13)

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のお引き立てをいただき、誠にありがとうございました。

本年も紙ふうせんスタッフ一同、ご利用者様および関係各所の皆様のために精一杯力を尽くして参りたいと思います。

皆様のご健康とご多幸をお祈りし、新年のご挨拶とさせていただきます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

 


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