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紙ふうせんだより 5月号 (2023/06/23)

皆様、いつもありがとうこさいます。暑い日がやってきました。そうかと思えば雨天の肌寒い日もあって、体の調子も狂ってしまいがちです。とは言え猛暑は間違いなくやってきますので、今のうらにしつかりと身体を動かして汗をかき、夏に備えた体づくりをしていきましよう。天候もそうですが、振り回されてしまうと疲れてしまいます。負けてしまわないように体力をつけましよう。そして心が負けてしまわないためには何が必要でしようか。

世の中の予盾を知って

世の中は矛盾だらけです。例を挙ければきりがありません。公僕・選良であるはすの政治家が私欲まみれだったり、私たちの現場では、信頼関係こそが基本となるべき対人支援職にありながら現場労働軽視の風潮からか「利用者との十分なコミュニケーション・人間関係をとおして信頼関係をつくりだすゆとりもなく、常に変化する利用者の状態に即応するホームヘルバーの主体的判断や裁量権も介護保険制度のなかで奪われて(※ 1)」ということがあります。

矛盾に振り回されて折れてしまいそうになる心は、感受性が豊かな証でもあります。「何千、何万の苦しんでいる人々の存在を思うとき・・・・・・農民たちの小屋という小屋には、同情さえも受け付けない苦しみが満ちているのを目にするとき一一そうしてこの世はすべてあいも変わらす朝ことに同じことを繰り返している。一一そしてこのさまよえる地球は永遠の沈黙を守りつつ、何事もないかのように、これまた冷徹な星々の間を、その単調な軌道のうえを、容赦なく回り続けるのです。こんなことなら死よりも、生きている方がいっそうわびしいというものです。」

矛盾に鈍感でいることは「死よりも辛い」という24歳の告白です。この手紙を書いたのはナイチンゲール(※ 2)です。産業革命期のイギリスでは貧富の差が圧倒的に拡大していきます。感受性の豊かな彼女は16歳の時に「神は私に語りかけられ、『神に仕えよ』と命じられた」という体験をし、何をするべきかを自らを問い続けます。

25歳、彼女は苦しんでいる人を助けるために看護婦をやりたいと親に打ち明けます。当時の看護婦は、尼僧か無学の下働きの酒飲みの女がやるものたと思われており、病院は汚物まみれで不潔極まりない場所でした。近代医療が確立する以前の病院は乞食や食い詰めた病人や障害者や孤児や巡礼者などを宿泊させる救貧院を原型としており、「施し」として収容するのであって、待遇が良すきると貧者が努力をしなくなるという理由で、その処遇は最低限を下回るものとなっていたため、「病院にだけは収容されたくない」という場所が「ホスピタル」だったのです。

不道徳や堕落が同居すると考えられていた病院の仕事を親が許すはすはありません。大反対されたプイチンケールは「今朝の自分は、涙に魂までも流れ果てる思いである。胸をえぐる悲しみ、孤独の苦しみ、このどうしようもない淋しさ」「もう私は生きていけない。主よ、どうかおゆるし下さい。そしてどうか今日私に死を与えて下さい」と苦しみます。しかし彼女は親に隠れて病院に関する資料を集め猛勉強を開始します。




※ 1 「社会福祉政策と福祉労働」加藤薗子(2002)

※ 2 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)

イタリア旅行中に花の都フィレンツェで生まれたことからフローレンスと名づけられる




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自分の中の矛盾を乗り越えて 

彼女の中にも矛盾はありました。彼女の家は上流階級で多くの召使に囲まれお城のような家に住んでいたのです。そして、自分の中にも「社交界の星となって賞賛されたい」という気持らがあったことにも気が付いていて、罪の意識にも苦しみました。自分がう相手から求婚を受けましたが断ってしまいます。結婚してしまえば、使命の道は閉さされてしまうからです。

「神は朝、私を呼はれて、神のために、たた神のためだけに、わが身の名声を顧みすに、善をなす意志があるかと問われた」と再びの啓示。しかし未だに道を切り開けない彼女は自分を資め、心は病み疲労は極限に達します。「家族の同情や援助は、一切期待してはならない。長いこと家族の理解が欲しくてたまらすにいたので、この事実を受け入れるのはなかなか大変である・・・私はあまりに長いこと子供扱いされ、そのように扱われることに甘んじてきた」と彼女は記しています。

31歳、彼女はドイツの先進的な病院付属学園で実習を受け、パリにある病院で見習い生として働きます。ついに長年の苦悩と猛勉強が実を結ぶ日寺が来ました。33歳の彼女はロンドンの経営困に陥っに病院の管理者に赴仟し、水を得に魚のように働き大改革(※ 3)を断行します。覚悟を決めた人に恐れるものは無いのでした。




※ 3 換気の行き届いた衛生的な病室、頻繁に交換されるシーツ、水と湯の出る病室の蛇ロ、ナースコール、ナースステーション、新しい在庫管理方法等、これらは全てナイチンゲールの発案



写真はナイチンゲールが考案した円グラフ。彼女は若い頃、数学者を目指していたこともあった。




苦悩する者のために戦う

1853年、クリミア戦争が勃発します。34歳のナイチンケールは友人の陸軍大臣の呼びかけに応えて看護団を組織し戦地に赴きます。野戦病院での兵士の死亡率は42 %と高率でしたが、その原因は兵士を「くず」「ごろつき」としてさけすむ軍隊の体質と共に、食料不足や極悪な衛生状態にありました。最初の2週間で運び出された汚物や腐敗物は手押し車 556杯分と2頭の馬・24体の動物の死骸という有様でした。

彼女は陸軍省に改善要求を行うと共に、兵士に寄り添い傷を洗い包帯を取り換えて栄養・衛生改善(※ 4)に努め、死亡率を2%にまで低下させました。人間らしく扱われて感激した兵士は、ランプを持って夜間巡回を行うナイチングールの影に接吻をしたほどでした。本国では戦意高揚の意図もあり彼女を「クリミアの天使」と呼んで英雄視しましたが、彼女はそんなことには目もくれず、最後の兵士が退院するまで病院に残り、騒がれることを嫌って偽名で帰国しました。

その後のナイチンゲールは、全国の病院の調査を行ってはデータを集め統計を駆使して数々の報告書を記し、病院や軍隊の改革を提案していきます。しかし、疲労と戦地で罹患したクリミア熱の後遺症から衰弱して倒れ、41歳で歩けなくなってしまいます。それでも彼女はペットやソファーの上で働き続けます。病院設計や公衆衛生や看護師養成の専門家として数多くの著作を発表し各方面に提言を続け、請われて法律の草稿や認可条件の執筆も続けていきます。

多くの矛盾から目を背けずに自らの戦いを続けられた彼女のエネルギーの源は、一体何だったのでしよう。それは、天啓として表象された「何のために生きるのか」と自らを問う心の声だったのではないでしようか。看護も介護も突き詰めれは世の矛盾にぶつかり、心が折れそうになる大変な仕事です。私たちも続けていくために、負けないために彼女の次の言葉を励みにしながら自らを問い、その原点に立ち返っていきたいと思います。

「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」

自らが深く真摯に苦悩したことは、間違いなく誰かの苦悩を癒す力となるのです。




※ 4近代医療の成立をコッホやパスツールの近代細菌学の確立に見るならば、ロベルト・コッホ( 1843-1910)による1884年のコレラ菌の病原性の確認に先立っ慧眼と先見性がナイチンゲールにあったと言える。「近代看護の創始者」と言われる彼女は、統計学やソーシャルワークの先駆者でもあった。5月12日はナイチンゲールの誕生日にちなんで国際看護師の日となっている。




 

紙面研修

ナイチンゲールの人間観

「自然の働きかけ」 「全ては回復過程」

ナイチンゲールが24歳の頃、サミュエル・ハウ博士が彼女の家に滞在した。博士は米国の医師であり社会事業家でパーキンス盲学校(アン・サリバンやヘレン・ケラーもここの卒業生)の創設者でもあった。彼女は博士に看護婦の仕事についてどう思うかを聞いた。それを自分がやることについて。

「それは確かに異例のことです。しかし私は『進みなさい』と言いましょう。もし、そのような生き方が自分の示された生き方だ、自分の天職だと感じるのであれば、その心のひらめきに従って行動しなさい。他者の幸いのために自分の義務を行っていくかぎり、決してそれは間違っていないということが分かってくるでしよう。たとえ、どんな道に導かれようとも、選んだ道をひたすら進みなさい。そうすれば神はあなたと共にあるでしよう」と博士は答えている。

淑女は紳士と結婚し紳士に添えられた”花”のように生活し、家事や仕事を一切せずにパーティーやおしゃべりに明け暮れる退屈な日々を過ごすことが上流階級の女子の「人生」とされていた当時にあって、ナイチンゲールの考えは異例中の異例だった。それは、女性の自立した生き方の先駆であったのだが、根源には「人間の自立への志向」がある。

人間が、普遍的価値に肉薄しながら自らを活かし生きようとする時に、根源的な力はひらめきのように自分の内側から湧き上がってくるものだ。それはクリスチャンにとっては「愛の力」とも言えるだろうし、「神と共にある」という表現にもなろう。ナイチンゲールの思想にはこのような「人間に内在する力」(普遍的な力・生命力)への実体験に基づく信念が見られる。




『病院覚え書』

・病院がそなえているべき第一の条件は、病院は病人に害を与えないことである。

『看護覚え書』

・看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること、こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小限にするように整えることを意味すべきである。

・看護がなすべきこと、それは自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことである。

・全ての病気は、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない。

・看護師のまさに基本は、患者が何を感じているかを、患者に辛い思いをさせて言わせることなく、患者の表情に現れるあらゆる変化から読みとることができることなのである。

『病人と看護と健康を守る看護』

・病気とは、健康を阻害してきた、いろいろな条件からくる結果や影響を取り除こうとする自然の働きかけの過程なのである。癒そうとしているのは自然であって、私たちは、その自然の働きかけを助けるのである。

・健康とは何か? 健康とは良い状態をさすだけではなく、われわれが持てる力を充分に活用できている状態をさす。

・看護師は自分の仕事に三重の関心をもたなければならない。ひとつはその症例に対する理性的な関心、そして病人に対する(もっと強い)心のこもった関心、もうひとつは病人の世話と治療についての技術的(実践的)関心である

・看護師は、病人を看護師のために存在するとみなしてはならない。看護師が病人のために存在すると考えなけれはならない。

『看護師の訓練と病人の看護』

・看護はひとつの芸術であり、それは実際的かっ科学的な、系統だった訓練を必要とする芸術である。

『救貧覚え書』

・体が丈夫でない貧困者に関するかぎりは、彼らに対する救貧法の本来の目的は、彼らに対する罰を与えたり、食べ物を提供したりすることではなく、彼らを勤勉で自立できる人にするために、訓練を施すことである。

それはある意味では、読み、書き、計算と言った国民教育の一野が引き受けるべき事柄であり、またそれは国民の間で”共通認識ができている良心のあり方、つまり道徳”を教えることによってなされていくことであろう。




「全ての老いは、その過程のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は自己実現過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではない」と単語を読み替えても、首肯できる言葉ではないだろうか。

 

考えてみよう

利用者さんが持てる力を充分に発揮できるようにするためには、私たちは何に関心を払い、どのような態度であるべきだろうか。


紙ふうせんだより 4月号 (2023/05/17)

私を決めつけないでください

皆様、いつもありがとうこさいます。4月2日は世界自閉症啓発デー(※ 1)です。「自閉症」という言葉が医学に登場するのは、児童精神科医のカナー(※ 2)による論文「情緒的接触の自閉的障害」( 1943 )や小児科医のアスペルガーによる「幼児期の自閉性精神病質」( 1944)などが始まりです。残念なことにカナーの仮説や考察は誤りであったため、自閉症に対して誤った認識が広まってしまいました。障害や病気に対する「誤解」によって当事者に対す態度が偏見を帯びてしまい、当事者が傷つけられたり苦労することは度あることです。




※ 1カタール王国王妃の提案により2007年12月18の国連総会で決議

※ 2レオ・カナー( 1894-1981 )自閉症を「早期発症型(陰性症状)の統合失調症」ではないかとし「親の養育態度」のにも言及




障害や病気への誤解から生じる 「レッテル」

日本での自閉症についての初の実態調杳は、1967年に文部省によって行われました。このときに自閉症は「情緒障害」に分類されたため自閉症は因性と考えられてしまい、その「誤解」から当事者は長年苦しむことになってしまいました。「自閉」という言葉も良くはありませんでした。「自分の殻に閉じこもっている」という語感から本人のメンタルが問題とされたり、「人間嫌い」や「親の愛情不足ではないか」と言われてしまったのです。

世界自閉症啓発デーの国連決議文には、「生後3年間のうちに発現する自閉症は、脳の機能に影響を及ほす神経障害に起因し、一生続く発達障害であり、その影響は主として、性別、人種または社会経済的地位を問わず、多くの国々の子どもに及び」とあります。そしてその持徴を「社会的相互作用における機能的障害」「コミュニケーション上の問題」としています。

このように現在では脳神経が原因とされている自閉症ですが、「社会的相互作用」に言及をしているところは重要です。障害の要因を個人にのみに押し付けるのではなく、「コミュニケーション上の問題」などとして社会との関わりで起こっている「障害」は、社会の側の無理解・無関心な態度が変ることによっても改善することを示しているのです。

「誤解」が当事者を苦しめるケースは、例えは「らい予防法」による患者の強制隔離もその一つです。他には何があるでしよう。厚労省のサイトには「依存症は、アルコールや薬物の摂取やギャンプル等の行為を繰り返しているうちにそれをコントロールする脳の機能が弱まってしまう『病気』です。決して、意志が弱いからという理由で依存症になるわけではありません」とあります。「意思が弱い」との批難によって、依存症者はかえって適切な治療から遠さかってきました。

私たらも「誤解」をしていないか自己点検するべきですが、介護職の誤解の第一は、やはり「認知症」ではないでしようか。「認知症」という名の病気は厳密には存在しません。認知機能に障害をきたした症状のある状態像をまとめて「認知症」と呼んでいるにもかかわらず、簡単に「認知症」のレッテルを貼り、「認知症」=「×× という機能障害が起きる」という単純な図式的理解をしたら誤りなのです。「機能障害」の国際的な定義には「機能障害はその基礎となっている病理と同じではなく、その病理の表現である」との文言があり、「機能障害は病気の診断とは異なる」と注意を促しています。

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「レッテル」 を貼られた者の苦痛

自分の望まぬケアや入所などが説明不足のまま半強制的に行われたとします。それが自分の身に起こったらどんな気持ちになるか、想像してみましよう。

何やら陰でコソコソ話が進んでいるようです。今まで信じてきた人に裏切られている気持ちです。そういった事が積み重なれは、何かをきっかけに怒りを爆発させてしまうこともあるでしよう。認知症たから「全部忘れる」と思っている態度が納得のいかなさに輪をかけます。抗議の意思表明として怒ってみせても、それも「認知症の症状」にされてしまいます。理解力や記憶力が怪しくなってきたから不安でたまらなく、たからこそ解るように何度でも説明して欲しいのに、惨めな気持ちにもなっていきます。誰も「私」をきちんと見てくれません。そこには「認知症の病人」がいるだけです。私の尊厳はどこにいったのでしよう。最後の抵抗として諦めの気持らと共に、私は感情や考えを表明することをやめ、押し黙ることにしました—

このように「押し黙ってしまった」と考えられるケースには、有名な実話があります。イキリスの者人病棟で重い認知症とされていた老婦人が亡くなり、持ち物から看護師に宛てたメッセージ(※ 3)がでてきました。そこには、「何が見えるの、看護婦さん。あなたには何が見えるの」あなたが見ているのは”認知症のおはあさん”なのでしようけれど「でも目を開けてこらんなさい。看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ。」と綴られていたのです。




※ 3「私は三年間老人だった」パット・ムーア( 1988)や「穏やかに死ぬということ」若林和美( 1997 )などで紹介されている




誰が 「障害」 を作り出しているのか

ある青年の詩を紹介します。「僕は僕に『瞳害』があると思っていなかった/僕はほくが生きにくい世の中に『障害』があると思っていた。/でも人は僕のことを『障害』のある人と言う/僕は僕自身だけど/『障害』ではない」(「僕と言う人間」松下大介)

重度の自閉症当事者の東田直樹さんの手記(※ 4)にも次のようにあります。「自分が瞳害をもっていることを、僕は小さい頃は分かりませんでした。どうして障害者だと気づいたのでしょう。それは、僕たらは普通と違う所があってそれが困る、とみんなが言ったからです。」

私たち人間は、どうしても物事にレッテルを貼って「ラベリング」をしてしまいます。これは認識プロセスの効率化のために仕方のないことですが、「偏見」の一つだと自覚しておいた方が良いでしよう。社会学者ハワード・べッカーは、「社会集団は、これを犯せは逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みたすのである」(ラベリング理論)としています(※ 5)。「障害」の発生もまた社会が生み出している「逸脱」であり、「社会病理(※ 6)」と言える面があるのです。

自閉症は症例の積み重ねによって、症状の有無ではなく「どのくらいあるのか」という「自閉スペクトラム」という概念に変ってきました。虹の色は「7色」と決めつけるのは誤りであって、実態は徐々に変化するスペクトラム(連続体)であるという考えです。近年増加していると言われている「発達障害」もその延長としても捉えることができます。そうであれは「なせ増加しているのか」ということを問わなけれはなりません。許容されるラベルが付与されれは許容され、無けれは許容されない現代社会の窮屈さが、「ラベル」を増やしてはいないでしようか。誰にとっても生きやすいことと、自分の生きやすさは対立しないはすなのに、弱い者がさらに弱い者を叩く世の中になってはいないでしようか。




※ 4「自閉症のぼくが飛び跳ねる理由」(2007)

※ 5「アウトサイダーズ」( 1963)社会の側が特定の行為を逸脱と判定し、その行為をする者を「逸脱者」とみなすことで、逸脱者が生みだされると考える。

※ 6「個人や集団や地域社会の生活機能障害にかかわる現象のこと」で「広く集合的な社会現象としてみた場合、個体原因ばかりでなく、社会にその発生の根が求められる」ものや「社会に発生する病的な状態」をいう。




 

紙面研修

誰が 「認知症状」 を作り出しているのか




看護婦さん

あなたはいったい、何を見ているの?

あなたが私を見るとき、あなたは頭を働かせているかしら?

気難しい年老いたおはあさん

それほど賢くなくとりえがあるわけでもない。

老眼で食べるものをぼたぼたこぼしあなたが大声で

「もっと、きれいに食べなさい」といってもできないしあなたのすることにも気づかずに

靴や靴下を失くしてしまうのはいつものこと。

食事も、入浴も

私が好きか嫌いかは関係なく

あなたの意のままに長い一日を過ごしている。

あなたはそんなふうに

私のことを考えているのではないですか?

私をそんなふうに見ているのではないですか?

そうだとしたら、

あなたは私を見ていません。

もっとよく目を開いて、看護婦さん。

ここに黙ってすわり

あなたの言いつけどおりに

あなたの意のままに食べている私が誰か、教えてあげましよう。

10歳のとき、両親や兄弟姉妹に愛情をいつはいに注がれながら暮らしている少女です。

16歳、愛する人とめぐりあえることを夢みています。

20歳になって花嫁となり、私の心は踊っています。

25歳、安らぎと楽しい家庭を必要とする赤ちゃんが生まれました。

30歳、子どもたちは日々成長していきますが、しつかりとした絆で結ばれています。

40歳、子どもたちは大きくなり巣立って行きます。

しかし、夫が傍らにいるので悲しくはありません。

50歳、小さな赤ん坊が私の膝の上で遊んでいます。

夫と私は子どもたちと過ごした日々を味わっています。

そして、夫の死。

希望のない日々が続きます。

将来のことを考えると恐ろしさで震えおののきます。

私の子どもたちは、自分のことで忙しく

私はたったひとりで過ぎ去った日々や

愛に包まれていたときのことを思い起こしています。

今はもう年をとりました。

自然は過酷です。

老いたものは役たたずと嘲笑い、からかっているようです。

からだはぼろぼろになり栄光も気力もなく以前のあたたかい心は

まるで石のようになってしまいました。

でもね、看護婦さん

この老いた屍の奥にもまだ小さな少女がすんでいるのです。

この打ちひしがれる私の心もときめくことがあるのです。

楽しかったこと、悲しかったことを思い起こし・愛することのできる人生を生きているのです。

人生はほんとうに短い。

ほんとうに早く過ぎ去ります。

そして今、私は永遠に続くものはない

という、ありのままの真実を受け入れています。

ですから、看護婦さん

もっとよく目を開いて私のことをよく見てください。

気難しい年老いたおばあさんではなく

もっとよく心を寄せて・・・      この私を見てください




認知症状があって画像所見で脳の委縮がみられれば「認知症」と診断されます。だから一応認知症の原因は脳神経の変質ということになるのでしよう。しかし、脳に委縮が無くても認知症状が現れる方や、脳に委縮が見られるものの認知症状が無い方がいます。

やはり、認知機能に障害がみられると診断されても、それは「病気の診断とは異なる」ということなのです。だから、「認知症だから必ずxxになる」という理解は誤りであり、メンタルの持ちようや、周囲の人の理解や声掛け、環境の工夫、社会の価値観や文化など様々な社会的相互作用によって認知症状の発現や進行は、変ってくるのです。

決めつけてはいけません。

たとえば朝耕暮耘のような自然の流れにそった規則正しくゆとりと張り合いのある生活であれば、「ボケ」ても大きな問題は起きにくいと思われます。「ボケ」という言葉の意味は、形象や主張の輪郭や中心がぼやけて曖昧になることです。「ボケ味」という写真用語がありますが、画面構成に程よいポケを作ることで、画面に緩急や深みが生まれて全体はより美しくなります。

「ボケ」の良さを肯定するならば、年寄りの居る光景はもっと美しく豊かになるのではないでしようか。私たちは、あまりにも「ボケ」を恐れすぎています。その高まった不安が相互作用して認知症状を悪化させ B P S D (行動・心理症状)を引き起こすのです。BPSDは、本人中心のケアを実践し本人が穏やかに暮らしていけるように、心身と環境を整えれば発現しません。

BPSDは不適切な介入やケアによって生じる「逸脱」とも言えるのです。

考えてみよう

自分が「老婦人」の立場になったら、何を感じるだろうか。どうしようとするだろうか。


紙ふうせんだより 3月号 (2023/04/21)

自分の苦しさを思い出してみる

皆様、いつもありがとうございます。咲き散り急ぐ桜に人の世の邂逅と別離を重ねてしまうからでしようか、春はどことなく感傷的です。春の疾風に宮沢賢治も痛みを感じとっています。『春と修羅』には「雲はちきれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はきしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」とあります。春は再生の季節ですが、取り残された癒えない痛みを思い出してしまうのもまた春なのかもしれません。

春の心になるように

心が辛い痛い悲しい。そのような思い出が綴られにの中の「詩集」を「誰しも持っている」とする詩、『春の詩集』では、作者の河井醉茗(すいめい)(※ 1)は「春が来る毎に/春の心になるように/自分の苦しさを思い出してみることです」と、そっと呼びかけています。なぜ苦しみを思い出した方が良いのでしよう。

仏教では、自分の意のままにならないものにこだわってしまうことこそが「苦しみ」であるとして、その対象を「生者病死」の四苦と共に「愛」や「憎しみ」、「欲求」や「身心」へのこにわりを加えて八苦(※ 2)としました。アドラー心理学(※ 3)も「他者を支配しないで生きる決心すること」を説いていますが、「他者」もまた自分の意のままになりません。考えてみれば「若い時の詩集」には、納得のいかないことで多くの人とすれ違い結局自分で自分を孤独に追い込んにりした苦い思い出ぱかりです。「どうして」とこだわり続けるから苦しくて、忘れたいけどかえって忘れられなくなるということはあります。

痛みや悲しみは、それはそれとして受け入れて自然体となり、時思い出していれは後悔も何かの学びとなります。また、悲しみがあるからこそ人は人に優しくなれるのです。この詩にある、他人に見せたくない心の傷が「春の心になる」ということは、「自分の苦しさを思い出してみること」で、いつかその「苦しみ」が苦しみではなくなるということなのでしようか。




※ 1河井醉茗( 1874ー1965) 口語自由詩を提唱した詩人。『紫羅欄花』( 1932)など平明な作風が特徴。→春の詩集 — HAS Magazine (has-mag.jp)

※ 2八苦には愛する人と生き別れる苦、うらみ憎む人と会う苦等がある。

※ 3アルフレッド・アドラー( 1870ー1937)は「自己実現的な人にとって他の人が与えてくれる名誉や地位や報酬等は重要ではなくなっている」とし、マズローの「欲求5段階説」の「承認欲求」を求めるなと説く




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「どうして」 から 「どうやって」 

自分の命や運命もまた意のままになりません。何となくこの先もこのまま生きていく事ができるという漠然とした希望がある日突然断たれてしまった時、人は悩み苦しみます。そしてその「苦しみの意味」を「どうして」と問うのです。筋ジストロフィーと診断されていた石川正一さんは1 0歳の夏、ついに歩けなくなります。日記が書籍化された『たとえぼくに明日はなくとも車椅子の上の17才の青春』には、その時のことが記されています。

「お母さん/もう一度立ってみる/ちきしよう/ちきしよう/ほくはもう駄目なんだ /ぼくなんかどうして生れてきたんた! /生れてこなければよかったんだ!」

苦しい時、人は「何で自分は苦しまなければならないのか」と考えます。苦しみを抱えてまでして人はなぜ生きなけれはならないのか。生きなくてもいいじゃないか。死んでしまってもいいじゃないか。そう思うこともあります。

でも、無くなって欲しいものは本当は「苦しみ」の方です。その苦しみに「どうして、どうして」と問いかけても「苦しみ」は答えてはくれません。苦しみを抱えた自分が「どうやって」生きて行ったらよいのか、問われているのは、本当は「自分の態度」だったのです。答えの出ない問いから自分自身へと問いを反転させるために、仮定として自分の「死」を者えます。それが「死にたい」と言う表現です。

「自分が死ねばこの苦しみは終わるのか?」そう妄想します。苦しい時は、永遠不変の実在としての「苦しみ」の中に小さな自分が呑み込まれているように感じますが、本当は有限な自分の中に(自分よりも小さくて自分よりもさらに儚い)苦しいという「自分が抱く感情」あるのです。そうであれば「自分が変ればこの苦しみも変わるのではないか?」と言えるのです。「死にたい」という表現は「今までの自分の考え方は終わりにして、新しい考え方のできる自分に再生したい」という気持ちの表れではないでしようか。

「お母さん、もう、あんなことは言わないよ。生命をそまつにすることはいけないね。ごめんなさい。」

石川さんは14歳の時に20歳までの命と宣告されます。死を自覚して石川さんは変わっていきます。そして、自分に問うのです。

「たとえ短い命でも/生きる意味があるとすれば/それはなんだろう/働けぬ体で/一生を過ごす人生にも/生きる価値があるとすれば/それはなんだろう/もしも人間の生きる価値が/社会に役立つことで決まるなら/ぼくたちには/生きる価値も権利もない/しかしどんな人間にも差別なく/ 生きる資格があるのなら/それは何によるのたろうか」

石川さんは、「人生からの問い」に「自分の答え」を示すために生き抜くことに決めました。

「たとえぼくに明日はなくとも /たとえ短かい道のりを歩もうとも/生命は一つしかないのだ/だから何かをしないではいられない/一生けんめいを忙しく働かせて/心のあかしをすること/それは釜のはげしく燃えさかる火にも似ている/釜の火は陶器を焼きあけるために精一杯燃えている」

精一杯生きた証は誰かの心に残ります。「人か死ねばとても悲しいじゃないか。誰もが、必す死ぬのだということが解っていても、やはり悲しい事だよ。それは死ぬから悲しいのではなくて、実は”別れる”ということが悲しいのだ。」悲しみは悲しみとしてあるけれど、融和的に思い出されれば、それは優しくて暖かくて懐かしい春の風となります。苦しみは粘土のような自分を鍛錬して、陶器に焼き上けるための「炎」ではないでしようか。




※ 4石川正一( 1955ー1978)筋ジストロフィーは全身の筋肉が変性する進行性の難病で根本的な治療法はない。10歳で車椅子となり23歳で死去。

「2 0歳をこえようとこえまいと/人間は有限な存在にかわりはないのだ/生きているかぎりは/何かをしないではいられない/おまえは伸びようとしている/芽なのだ(20歳誕生日)」東映で「ありがとう」という記録映画がある。




※引用の河井醉茗の詩は、読みやすさを重視し旧仮名遣いを現代新仮名遣いに改め、一部の漢字をかなに、かなを漢字へと表記し直しています。

 

紙面研修

「ゆずりは」 に想う

【ュズリハ】ユズリハ科の常緑高木。福島以西の本州、四国、九州、沖縄に自生する。和名の「ユズリハ」は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することに由来します。漢字表記は「譲葉」です。一方、古名では「ユズルハ」とされ、万葉集にも見られる表記は「弓弦葉」です。これは、葉の主脈が太く目立ち、弓に張る弦のように見えることからだそうです。新葉が揃うまで古葉が落ちず新旧の葉が着実に入れ替わる様子に、円満な世代交代や子孫繁栄への願いが託されて縁起の良い木とされ、葉は正月飾りにも使われ、庭木としても利用されています。




古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井(みい)の上より鳴き渡りゆく

現代語訳:昔を恋しく思う鳥だろうか、弓絃葉の井戸の上より鳴き渡っていく(万葉集弓削皇子)

 

■この歌は弓削皇子が持統天皇の行幸に同行した時に大和にいる額田王(2代前の天皇の后)に贈ったものです。額田王は「昔を恋しく思う鳥はホトトギス(不如帰)ではないですか」(古に恋ふらむ鳥はほととぎす けだしや鳴きし我が思へるごと)と返歌をしています。

中国の故事に、古蜀の望帝の復位の願いが叶わずに死んでホトトギスとなり「不如帰(帰るにしかず)」と鳴いたとあります。譲り葉の上でホトトギスが「昔に帰りたいけど帰れない」と鳴いて飛び去っていく。そんな光景です。




以前、利用者ご家族より利用者さんの「散財」について、それをどのように抑止するかを相談されたことがあります。私の回答の一部を引用します↓

 

金銭感覚については家族間でも異なっていることが多く、認知機能の問題とする前に異なっている事を前提に構えることが大切です。要介護高齢期になると金銭感覚も昔のご本人と比べて変化していく人も多いように思います。

支援側(昔のご本人も)が生活者の視点で見るのに対して、ご本人は、次代に何物かを「贈与」してこの世を去っていく「ゆずり葉」的な自己像を持っているように思います。身近な人や社会に対して「贈与」したいという欲求が、欲求の中でも強くなるような方もおられます。

それは、生活者視点では散財なのですが、本人にとっては自分を確認する行為としての「贈与」であるという視点での理解も必要かと思います。また、金銭管理は「自己決定」に大きく関わり、自己決定による物品購入や贈与は「自己効力感」とも大きく関わっているかと思います。(引用終)




人には、自分が誰かから何かを受け取ったと感じた時は、自分もまた誰かに何かを渡さないといけないと感じ実行する習性があります。与える義務、受け取る義務、お返しの義務。これらが履行されないことは、人にとっては(祟られる等)よろしくないのです。そうやって世界は循環し、その秩序が保たれる。これが文化人類学で論じられている「贈与」です。

考えてみよう

去るべき者が譲り遺していきたいと思っているものは、本当は何だろう

自分が受け取るべきものは何だろう

残った者の応答責任とは何だろう

 

参考資料:ゆずりは(河井醉茗『紫羅欄花』より)


紙ふうせんだより 2月号 (2023/03/14)

幾山河 山川の末

皆様、いつもありがとうございます。庭木の紅梅の鮮やかさに「暖かくなりましたね」と言葉を交わす時、再びの春の巡りに安堵します。利用者さんとの外出介助がだんだんと楽しい季節となってきました。足もとにはオオイヌノフグリやヒメオドリコソウやホトケノザが咲いています。また共に春を喜ぶことができる――。あと何回それができるのか。それは誰にもわからないことだけれど、陽射しに微笑む花々を今は見とれていたいのです。

行く河の流れは絶えずして

小さな虫たちや一年草は冬の訪れにその命を終えますが、種子や卵で子孫を繋ぎます。季節の移ろいは大きな変化のように見えますが、自然の本質からみれば繰り返すさざ波のようなものです。数えきれない無限の生と死から成り立っている自然界に私たち人間も連なっています。自然や宇宙が生死そのものであると思えれば、私の苦悩もまたさざ波でしょうか。

あるご利用者さんが「私はもう歩けなくなった」とこぼしておられました。生活可動域の部分的な制限は、齢を重ねれば誰にでもあることです。しかし、制限に悩む胸の内は個別的です。春の陽射しは万人に等しく降り注ぎますが、胸の内が晴れてくるかどうかについては個別的な関わりが必要です。パーソン・センタード・ケアなどその人中心のケアを試みるならば、「齢をとったら衰えるのは当たり前」と言って、その人の胸の内の苦悩を軽視することはできません。

ADLとしては歩行に問題の無いその方に「私との掃除が終わった後に、ご自分で散歩に行かれたらどうですか?」と声をかけると、一緒の沈黙の後に「私と今から一緒に歩いてもらえませんか」と言われるのです。「歩けなくなった」というのは、様々な制限に自分を否定されたと感じて自己効力感が大きく揺らいで悩んでいる表現です。このままでは、自分で自分を全否定しまいかねないことに苦しんでおられる様子が伺えました。

仙川の遊歩道を歩きながらどのような言葉かけをしようかと思案します。川面の明滅の上をハクセキレイが飛んでいきます。「方丈記(※1)」の冒頭が思い出されます。

「行く河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。」

川の流れは永遠であるように見えて、それをつぶさにみれば川を構成する水は一瞬の後に入れ替わり前と同じ川のように見えても、もはや同じ川ではない。世界も人も街もそれは同じ。永遠に続くように思われる苦悩もまた日々の更新に維持されるのであって、何かをきっかけにして変わることもできるはずです。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」込み上げてきたものは、この言葉でした。

溺れかかっている時はあがけばあがくほど深みにはまります。しかし開き直って流れに身をまかせれば浮きあがり、浅瀬に寄せられていくのです。私は先の句を引用しながら、「嘆きを一旦脇に置いてみたら、別の景色が見えてくるかもしれませんよ」とお伝えしました。




※1 鴨長明(1155-1216)が1212年に出家し隠棲する一丈四方の庵にて記す。飢饉、疫病、地震、兵革、大火、風水害などが相次ぐ平安末期を描く。「世をのがれ身を捨てしより、恨みもなく恐れもなし。命は天運にまかせて惜しまず厭わず、身をば浮雲になぞらへて頼まず全しとせず。一期の楽しみはうたた寝の枕の上に極まり、生涯の望は折々の美景に残れり」と心境を記している。




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本当に捨てるべきものとは?

古典には日本人の心象が描かれています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という句は、江戸時代の「仮名草子集」にみられますが、戦国大名武田氏の軍学書「甲陽軍鑑」や室町時代の「一休ばなし」にも出てきます。出典の中で最も古い時代と思われるものは「空也(くうや)上人絵詞伝」です。空也(※2)は武士の台頭に乱れる平安中期の世にあって、野ざらしの遺体を弔い貧民や病人を助けながら諸国を行脚し、井戸を掘り道や橋を作り市聖(いちのひじり)と呼ばれました。

「山川の末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

上の句にある「橡殻」とは、栃の実の殻のことです。ずっしりと重い「実」を抱えたままだと栃の実は水に沈んでしまいますが、「実」を手放すことによって「殻」は浮かびあがります。「殻よりも実の方が大切だ」と大抵の人は思っています。

捨てるべきものは、本当は何でしょう。地位や権力や金、過去の出来事や感情や「こだわり」にとらわれて、周囲の大切な人や自分を見失ってしまう人は多くいます。若々しさ健康ばかりを念ずれば老いた身の不都合や窮屈さが際立ちます。そういった「とらわれ」があるから人は苦悩に沈んでしまうのです。

重い気持ちが再び浮かび上がってくるためには、自分が大切だと思っている(本当はどうでも良い)ことを、手放してみることです。浮かぶ瀬とは「執着」から離れた悟りの境地であり、念仏信仰から見れば阿弥陀如来の救済や極楽往生を示しているのでしょう。

また、「身を捨てて」と言っても自殺が良いというわけではありません。「身体」が魂を宿すものならば「殻」もあってこその悟りなのですから、自他の命を粗末にしながら世俗的な実利や体裁や虚栄心に執着していれば「実」と思っているものは我執(がしゅう)(※3)であり、空虚な観念となってしまうのです。

いずれにしても「山川の末に流るる」という言葉に幾山河を越えてきた人生行路航の究極の場面や終盤での課題が示されているように思えてなりません。




※2 空也(903-972)子供の頃から乞食し山野で修行。称名念仏を日本で初めて実践したとされ、貴賤を問わず救済を説いた。

※3 自分だけの小さい考えにとらわれて、離れられないこと。自分の心身の中に恒常不変の実体があると考えて執着すること。




「捨て身」になって見えてくること

自暴自棄の利用者さんと対面することは、大変な労苦を支援者に強いることになります。捨てている「自棄」が、介護拒否などで自らの身体を虐めることであれば、セルフネグレクトと呼ばれたりします。

そのような方も自分の一切を捨てているかと言えば、プライドから「介護なんか受けたくない」という観念を護っていたりします。プライドは「尊厳」と近接するので取り扱いが難しく踏み込むことに支援者は躊躇し、「人は変われないよ」と働きかけを断念することもままあります。「人は変われるのか、変われないのか」という議論は不要です。変わりたくても変われない寂しさに人の世は満ちているとも言えるのですから、変れなくても「それもまた人生」です。

しかし、変わりたかったり変って欲しいと願うならば、今度は支援者側こそが「捨て身」ならなければなりません。人は如何なる生きものなのか、本当に大切なものは何か、そのような価値観の自己開示を一所懸命に行い、必死に語り掛けるのです。

お互いが死に物狂いになって考えの限りを尽くすことできれば、「自分ですら見捨てていた自分に、本気になってくれる人が居た」という安堵の気持ちくらいは訪れるのではないでしょうか。それはお互いにとってかけがえのないものとなるはずです。

幾山河越えさり行かば寂しさの はてなむ国ぞ今日も旅ゆく」この歌は若山牧水(※4)です。寂しさが消滅する国は無いけれど、私たちは自転車を漕ぎ漕ぎ今日も旅を続けるのです。




※4 若山牧水(1885-1928)近代人の自我意識の苦悶の解決を自然に求めた歌人。自然と旅と酒を愛し肝硬変で亡くなる。




 


 


紙ふうせんだより 1月号 (2023/02/24)

向こうのお山の麓まで

あけましておめでとうございます。今年もおごらず弛まず歩みを進め、来年の正月もまた皆様と笑顔を交わせることを願っています。本年もどうぞよろしくお願いします。

私の中にもある『うさぎ と かめ』

「もしもし かめよ かめさんよ せかいのうちに おまえほど

あゆみの のろい ものはない どうして そんなに のろいのか」

兎の挑発から始まる童謡「兎と亀」の物語は、紀元前6世紀ころの古代ギリシアの奴隷だったアイソーボス(イソップ)が昔話の語り手として各地を巡りながら広めた寓話です。日本には室町時代後期には伝わったとされ、江戸時代には「伊曾保(イソポ)物語」として出版されています。明治時代になると「油断大敵」という題で尋常小学校の国語の教科書に掲載され、自らを過信すると失敗するが、歩みが遅くとも着実に進むことに大成があるという教訓が込められています。

しかし教科書通りではつまらないので別の解釈を試みてみましよう。人の心には、自分の中にある自分にとっての好ましくない性質を他人の性質にしてしまって、他人を責めてしまう「投影(※ 1)」というメカニズムがあります。だから、対立的な感情を抱いてしまう相手のモヤモヤとするその要素は、実は自分の中にある要素ではないか?と、自分を疑ってみることが大切です。同様に、対立的に描かれている兎と亀もどちらも一人の人間の中にある要素として、これを人格的成熟への道のりのとして考えてみましよう。




※ 1自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防衛機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。(Wikipedia)




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「兎の子の生まれつはなし」という言葉があります。これは、兎が多産であることに由来する「無責任」を意味することわさですが、兎は生殖性の強さから若さの象徴であると者えられます。兎は自信過剰で挑戦的で亀の歩みの遅さを馬鹿にするのです。

「なんと おっしやる うさきさん そんなら おまえと かけくらべ

むこうの こやまの ふもとまで どっちが さきに かけつくか」

亀はおじけることなく兎の挑戦を受けて立ちます。しかし普通に考えれは亀に勝ら目はありません。亀は、兎が者えている勝敗とは別次元の考え方をしていると思われます。

「どんなに かめが いそいでも どうせ はんまで かかるたろう

ここらで ちょっと ひとねむり グーグー グーグー グーグーグー」

兎は、亀との競争に勝つことだけを目的としています。勝てれは良いだけなのでコスパ良く勝とうとします。一方で亀は、どんなに引き離されたように見えても歩みを止めません。「亀は万年」として長寿とされる亀は、老いの象徴であると考えられます。そしてまた歩みが遅くとも着実に進むものとして時間の経過をも示しています。物語は、時間の経過によって者いが若さを追い越していった後の狼狽をクライマックスとして描いています。

「これは ねすぎた しくじった ピョンピョン ピョンピョン ピョンピョンピョン

あんまり おそい うさきさん さっきの じまんは どうしたの」

 
「自分の考えとは別の評価尺度」 に気が付くこと
「老い」馬鹿にしていた兎は、その「老い」に「自分は負けてしまった」と者えて、自分を受け入れ難く感じることもあるでしよう。大切なことは、「自分の考えとは別の評価尺度」があることに気が付くことです。これこそが兎が成熟していくための課題であり、それは亀の態度によっても示されています。

亀は、兎に勝てると思ったから勝負を受けたのではありません。兎は「他人に勝つ」ことを目的としたのに対して、亀は「自分に勝つ」ことを目的としたのです。亀は、「人生から挑戦を受けたとき自分はどのように応じるのか?」という自分の「応答責任」を果たしたまでなのです。もし兎の目覚めがもう少し早くてゴール直前に亀を追い抜いたとしましよう。「すこいな、やつはり兎さんにはかなわないや」と、亀は悔しがらすに兎を賞賛するのではないでしようか。これが後進を育てる年長者の姿勢であり、自分を貫いた者の満足なのです。これらの自負が内面的成熟を促していくのです。

若さから老いへと至る「成熟」の課題

若者には若者の課題があります。若さを活かすために必要なこととして、「一寸法師」は向こう見すな挑戦を、「桃太郎」は仲間の大切さを描き、時として待っことや運命に導かれることも必要なことを「わらしペ長者」は描いています。また、無責任さは若者の特性であり、馬鹿なことをしでかして失敗をして、そこから学ぶこともまた若者には必要です。

一方で、者いを自分のものとして成熟していくためには何が必要でしよう。兎が亀になっていくために必要なことは、どんなに歩みが遅くても歩み通すことです。自分がもうかつての兎ではないと気が付いた時、それでも「歩み通してみせる」という若い時とは異なる形での自分への挑戦が必要となってきます。かっての挑戦の思い出もその原動力となります。たとえ日が暮れてきたとしても、亀の歩みでも歩み通せは何か見えてくる景色があるはすです。それは、外面的な栄誉や成功などではなく自分の心の中の風景です。

体験できることや成し遂けられることの規模や内容が劣っていても、状況に対して示し得る自身の態度の如何は、自分の手の中にあって決して失われないのです。V・E・フランクルの3つの価値に即して言えは、「体験価値」や「創造価値」が失われてしまっても、兎であっても亀であっても、自分の人生の意味への回答は「態度価値」として自分で示すことができるのです。

今いる場所で最言を尽くすこと

「私をどういう人間だとお思いですか」と自身を卑下し「一介の洋服屋の店員ですよ。私はどうしたらいいんですか。私は、どうすれは人生を意味のあるものにできるんですか」と、投けやりに問う人に対して、フランクル(※ 2)は次のように答えています。「なにをして暮らしているか、どんな職業についているかは結局どうでもよいことで、むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです。活動範囲の大きさは大切ではありません。大切なのは、その活動範囲において最善を目くしているか、生活がどれだけ『まっとうされて』いるかだけなのです。」

私たちはまたまた兎ですが亀でもあります。日気持ちを新たにして、痛みや悲しみに絶えす寄り添っていこうとすることもまた新しい挑戦です。最善を目くしながら「歩み通す」ことによってのみ生じてくる意味について、利用者さんと共に感じていきたいと思います。




※ 2「それでも人生にイエスと言う」春秋社

フランクルは態度価値について同書で「さまざまな人生の可能性が制約を受け、行動と愛によって価値を実現することができなくなっても、そうした制約に対してどのような態度をとり、どうふるまうか、そうした制約をうけた苦悩をどう引き受けるか、 こうしたすべての点で、価値を実現することがまだできる」と述べている。




 

紙面研修

食中毒・感染症対応

【ノロウイルスの場合】

Q ノロウイルスによる「感染性胃腸炎」のまん延を防止する方法は?

毎年11月頃から2月の間に、乳幼児や高齢者の間でノロウイルスによる急性胃腸炎が流行します。感染した人の便や吐物からの二次感染、ヒトからヒトへの直接感染、飛沫感染を予防する必要があります。

便や吐物がごく少量であっても、乾燥し空気中に浮遊し二次感染を起こすとされています。また、トイレのノブや水洗のレバーや水道の蛇口の栓なども感染源となりやすいので、感染が疑われる方がいる場合は消毒をします。

Q ノロウイルスに感染するとどんな症状になるのか?

潜伏期間(感染から発症までの時間)は24~48時間で、主症状は吐き気、嘔吐、下痢、腹痛であり、発熱は軽度です。通常、これら症状が1~2日続いた後に治癒し後遺症はありません。また、感染しても発症しない場合や軽い風邪のような症状の場合もあります。

ノロが疑われる症状が自分自身や周囲の方に見られた場合は、すぐに必ず報告をお願いします。

Q ノロウイルス食中毒の原因となる食品

食品から直接ウイルスを検出することは難しく食中毒事例のうちでも約7割では原因食品が特定できていません。そのほかの原因としてはノロウイルスに汚染された二枚貝による加熱不足の食中毒が考えられます。ウイルスを失活させるには中心部が85~90℃で少なくとも90秒間の加熱が必要です。子どもやお年寄りなどの抵抗力の弱い方は、加熱が必要な食品は中心部までしっかり加熱することが重要です。十分に加熱されていれば汚染された食品を食べても問題はありません。

Q 手洗いはどのようにすればいいのか?

手洗いは、 手指に付着しているノロウイルスを減らす最も有効な方法です。調理の前、食事の前、トイレに行った後、下痢等の患者の汚物処理やオムツ交換等を行った後(手袋をして直接触れないようにしていても)には必ず行いましょう。常に爪を短く切って、指輪等をはずし、石けんを十分泡立て、ブラシなどを使用して手指を洗浄します。すすぎは温水による流水で十分に行い、清潔なタオル又はペーパータオルで拭きます。

石けん自体にはノロウイルスを直接失活化する効果はありませんが、手の脂肪等の汚れを落とすことにより、ウイルスを手指から剥がれやすくする効果があります。

Q 感染者の便や吐物を処理する際に注意すること

ノロウイルスが感染・増殖する部位は小腸と考えられています。したがって、嘔吐症状が強いときには、小腸の内容物とともにウイルスが逆流して、吐物とともに排泄されます。このため、便と同様に吐ぶつ中にも大量のウイルスが存在し感染源となります。そのため処理には十分注意する必要があります。12日以上前にノロウイルスに汚染されたカーペットを通じて感染が起きた事例も知られており、時間が経っても汚染物には、感染力のあるウイルスが残っている可能性があります。

床等に飛び散った患者の吐ぶつや便を処理するときには、使い捨てのガウン(エプロン)、マスクと手袋を着用し汚物中のウイルスが飛び散らないように、便、吐物をペーパータオル等で静かに拭き取ります。拭き取った後は、次亜塩素酸ナトリウム(ご家庭にある塩素系漂白剤:ハイタ―)で浸すように床を拭き取り、その後水拭きをします。おむつ等は速やかに閉じて便等を包み込みます。おむつや拭き取りに使用したペーパータオル等は、ビニール袋に密閉して廃棄します。

ノロウイルスは乾燥すると容易に空中に漂いこれが口に入って感染することがあるので、吐物や便は乾燥しないうちに床等に残らないよう速やかに処理し、処理した後はウイルスが屋外に出て行くよう空気の流れに注意しながら十分に喚気を行うことが感染防止に重要です。




感染症対策の基本
新型コロナ感染症も同様ですが、日常の感染拡大予防は、換気、マスク着用、手指洗浄や消毒が基本となります。必要に応じて、エプロン等の着用や帰宅後の速やかな着替え等となります。また、汚染された可能性のある手などで、自分の顔の目や鼻や口を触らない様にすることも大切です。また、「汚染が予想される物の取り扱いについての細心の注意」が必要です。




考えてみよう

嘔吐や下痢のある人が二次的になってしまう症状に対する対応として、ご本人に声掛けをすべきことは何だろう。(現場判断で簡単に対応できることです)


紙ふうせんだより 12月号 (2023/01/17)

人は一人では生きてはいない

皆様、いつもありがとうございます。コロナ禍はいっこうに収まらず、皆様には負担やストレスを強いた一年だったと思います。申し訳なく思っていますが、一方でその大変さが一人ひとりのたくましくしさを育み、それぞれの人生にとっての良い学びともなっていくようにと願っています。

一年間本当にありがとうございました。年末年始に稼働して下さるヘルパーさんは、本当にありがとうございます。皆様、良いお年をお迎え下さい。

 

人生の価値を決める自身の「態度」

「良いお年を」との挨拶を交わす時、私は本当に「良い」とは何だろう、と考えることがあります。悪い事が起こらないこと? 良い事が多いこと? しかし、悪い事は良く変わるきっかけかもしれないし、良い事に浮かれていれば慢心に足を掬われることもあるかと考えると、良し悪しを一方的に決めつけてしまうことはできません。

例えば、「喜怒哀楽」の「怒哀」を悪い事として感じない様にしてしまえば、人ではなくロボットになってしまいますし、「生老病死」の「老病死」の否定は、人間存在自体への否定になってしまいます。介護の仕事を通じて見えてくることは、手放しで納得できる「老病死」を送っている人などほとんど居ないという事実です(※1)。

そうであれば、悪い事は少ないに越したことはないのですが、生老病死の中にあるトラブルに泣いたり怒ったりしながら生きることが“人生”なのだと観念し、人生の良し悪しはその間に起こる「出来事」の量や内容に本質があるのではなく、出来事に対する自身の「態度(※2)」にこそあるのだと腹をくくらなければなりません。人生の価値の決定権が「出来事」にあるのであれば人生は運任せであり、結果的に「老病死」を恨むことになってしまいます。「出来事」に右往左往するところから主体性を取り戻して自分の人生を生きるためには、出来事に対する自分自身の「態度」にこそ注意を払うべきなのです。

※1 だからと言って納得のいかないケアを利用者さんに強いて良いとは限らない。

※2 V・E・フランクルが重視した人間が最後まで実現しうる人生の価値としての「態度価値」と通ずる。(紙ふうせん便り:令和3年6月号参照)

 

「いいことはおかげさま」

 書家であり詩人の相田みつをさんの言葉に『いいことはおかげさま 悪いことは身から出た錆(さび)』というものがあります。「良い事」が起こった時に、自分の運や力を誇示する「俺様」態度では、「良い事」が終われば取り巻きは離れ自信は吹き飛んでしまいます。自分の存在は、自分ひとりで成り立ってはいないのですから、良い事だからこそ誰かの「お蔭様」という気持ちが大切なのです。

では、悪い事はどうでしょう。そもそも、そういった事はあることだと受け入れる態度でいれば、その中にある良い意味にも気が付いていきます。悪い事を「誰かのせい」にせず、自分の今までの態度を見直す契機とすると良いでしょう。これが心の錆落としです。

そして「自分のせい」にし過ぎてしまうことも決して良くはありません。自分ではどうにもならない運不運や自分の失敗に悲嘆に暮れるのではなく、自分も他人も責めるのではなく、これからをどのようにしていくのかを態度で示していくことが大切です。誰のせいにもしない「お互い様」であれば、自分も他人も切り捨てないで済むのです。

 

 人は繋がりの中で生きている

  『日本人は「人に迷惑をかけちゃダメ!」と子どもに教えることが多い。

それに対してインドでは「お前は人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそうです。

【迷惑をかけながらでしか生きられない】

そう思うと周りの全てのモノに感謝できそうな気がする。』

 

この言葉はTwitterで注目を集めた投稿です。ここにも「困った時はお互い様」の考えが根底にあります。日本には「情(なさ)けは人の為ならず」ということわざがあります。他人に情をかけるのは「自分の為」でもあるという意味です。一見、自分の利を捨てて他人に尽くすような「利他」の行動も本当は「利己」の行動となるという考えです。

ここには、自他の利害関係が対立している様な偏頗(へんぱ)な捉え方から離れ、本当の人間関係は「互恵(ごけい)的」なものであることに気が付きなさい、という意味が込められています。誰かに迷惑をかけたと思ったら、その分誰か困った人の支えに自分がなればいいし、迷惑をかけられたと思ってもその分だけ自分は「徳」を積ませてもらったのだから、またいずれ誰かに徳を還元すればよい。そんな考えを自分の芯にしていけば、人の顔色を伺って「敵だ味方だ」「損だ徳だ」と右顧左眄(※3)する必要はなく、人と人の確かな繋がりが感じられる人間関係となっていくのです。

人間存在の本質を教えられるということ

2008年に発売されたCDの曲「手紙 ~親愛なる子供たちへ~(※4)」が、一時話題となりました。歌詞には次のようにあります。

『年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解して欲しい / 私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい / あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた』

ここには、子供の成長と老いていく自分を重ね合わせながら、大人になった子供に何かを教え遺して去っていこうとする親の気持ちが語られています。人間は、「生まれ育っていく」事にも「老いて死んでいく」事にも、人の手を借りなければならない存在なのです。この曲の歌詞は、もともとは作者不明のポルトガル語のメールだったそうです。

英語には「お互い様」を含意することわざに、「片手(一人)では手を洗えない」One hand washes the other.というものがあります。人は一人では手を洗えません。私たちの介護は、利用者さんにとっての「もう一つの手」となります。そうして差し出される手は、あたかも自分の手と手を洗うような無理のない振る舞いとなることが自然体です。

そもそも人間存在の本質として困った時に助け合うことは自然なことで、良い事をしてやろうと気負うことも申し訳ないと身を縮める必要もありません。二つの手が重なる時、どちらの手が「やって「あげて」「貰ってる」のかを区別する必要もありません。「人は一人では生きることができない」という人間の本質を教えられることは、最大の幸せでもあるはずです。

 

※3【うこさべん】右を見たり左を見たりしてためらい迷うこと

※4レーベル:タクミノート(テイチクエンタテインメント)、原作詞:不詳、訳詞:角 智織、補足詞・作曲・歌:樋口了一 2009年度日本レコード大賞優秀作品賞

 

紙面研修

人生の最晩年の意味について考えるために


「手紙
~親愛なる子供たちへ~」

 

年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

 

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても

あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

 

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は

いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

 

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように

見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい

 

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

 

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

 

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の

準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

 

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない

足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら

 

あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

 

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

 

私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです

 

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

 

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ 愛する子供たちへ

 

【態度価値】

フランクルによれば人間が実現できる価値は創造価値、体験価値、態度価値の3つに分類される。

 

創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値である。仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。

 

体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりすることでこの価値は実現される。

 

態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。

フランクルはアウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人がいたことを体験した。フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである。(Wikipedia)
 
考えてみよう

この詩の「私」が示すことができている「態度価値」はあるだろうか?

あるとしたら、それは何だろう。

食べ物をこぼし、同じ話を何度も何度も繰り返し、下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがる人から、私たちが学べることはなんだろう。

「旅立」が「祝福」となるためには、何が必要だろう。
 


2023年 新年のご挨拶 (2023/01/13)

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のお引き立てをいただき、誠にありがとうございました。

本年も紙ふうせんスタッフ一同、ご利用者様および関係各所の皆様のために精一杯力を尽くして参りたいと思います。

皆様のご健康とご多幸をお祈りし、新年のご挨拶とさせていただきます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

 


紙ふうせんだより 11月号 (2022/12/20)

より良く生きるための「理想」と「他者」

今年も残すところあとひと月となりました。皆様、本当にありがとうございました。「終わりよければ全て良し」とするために、一年を振り返りつつやり残したことやこれから生じるであろう課題を見直して、取り組みの端緒を年内にも開いていければと願っています。

「現実」を「想い」の方へと手繰り寄せていくために

振返ってみると濃密な一年でした。私としましては令和3年度介護保険制度改正を会社として実態を伴うものとすべく業務継続計画など様々な作成に携わりました。就業規則の大幅改訂では、虐待やハラスメントや差別を「人権」という大きな軸で包括的に示すことによって、全ての人に「他人事」ではなく「自分事」として考えて貰いたいという想いがありました。壁となったのは、「どうせ文章を作り込んだところで、“建前と本音”が異なるように計画と現実は異なってくるのだから、テキトーにやっておけばよい」という声が自分の中からも聞こえてくることです。

しかしそれで本当に良いのでしょうか。理想が無ければ計画は最初から形だけであり実効性のある有意義な行動は生じてはきません。杜撰な計画でも意味のある成果が組織に生じているのなら、それは中の誰かが人知れず個人的な努力をしているからです。介護現場には、そのような心労を厭わずに利用者さんに寄り添って下さっているヘルパーさんが多くいます。それに応える為にも精一杯の努力をすることが私の務めです。

介護の在り方や介護業界や社会をもっと良くしたいという理想を描いても、その実現には何十年もかかるかもしれません。それでも理想を語る必要があるのは、より良い方向に向かっていくためには、人や社会には「理想」が必要だからです。理想はたいていぼんやりとした想いから始まって、無理にでも言葉を紡ぎだしていかない限り形は見えてきません。そして、明確に文章化されて共有されたものは「理念」となります。そこに具体的な取り組み内容が加われば「計画」へと発展します。

理想から理念へ、さらには計画へと押し進めていくためには、言語化と共感、共有と実行が必要です。これは全ての組織に言えることです。人類文明というマクロなものからケアチームというミクロなものまで、さらには自分自身の身心の中の「認知・想像・解釈・再認識・行動化」などの意思決定プロセスも同様です。

「想い」を形に変えていく

 

理想がなければ人は、日々をただ生きるだけとなります。昨日から今日、今日から明日への変化は、歳月を重ねただけということになってしまいます。しかし実際は、人は無為に見えるような間にも何かを学んでいくことができています。全ての人は、自覚の差はあるにせよ「より良く生きたい」という想いを持っているからです。

その本能のような原初的な理想を自覚し、他者にも同じような理想があることを知って、本当は「何が良いのか」と問い直しをした時、人は主観を脇に置いて「理想」の視点から自身を見つめ直します。そうやって見えてきた「想い」に形を与えていった時、人は良い方向へと大きく変わっていくのです。

 

「自己」の可能性を拡げる「他者」

一方で、「どうせ俺はダメだ」との諦めに沈むセルフネグレクトの方もいます。「より良く生きよう」という気持ちはなぜ失われてしまったのでしょう。「より良く」という対象に「自分」しか入っていない状態が長く続けば自分しか見なくなり、諦めてしまうことも簡単になります。命の危険から逃げる時に、背中に子供をおんぶしているのといないのとでは、生存への執念は異なってきます。おぶさるものは子供である必要は無く、社会的な責任や責任感を持っていることも同様です。どうやら社会的な動物である人類は、「他者」との関わりによって、「自己」のポテンシャルが最大化されるようになっているようなのです。

遺伝子の一部をホモ・サピエンスに残しながら絶滅してしまった別種の人類に、ネアンデルタール人がいます。なぜ絶滅したのか。諸説ありますが、ホモ・サピエンスが使用する石器をより良く工夫させていくことに対して、ネアンデルタール人はほとんど石器を進化させていませんでした。強靭な身体を持っていた為か、ネアンデルタール人は小集団で生活しており、他者や社会の拡がりがホモ・サピエンスよりも狭かったと考えられるのです。

もし自分が何かを諦めそうになった時、自分の心を励ますためには、内側に向かっていく自分の気持ちを外に向けてくれる「他者」が必要です。まずは自分が何かをすることによって「笑顔」になる誰かの顔を思い浮かべること。しかしその顔は、必ずしも具体的である必要はありません。具体的な対象にしか興味がなければ「自分の仲間の幸福の為には、知らない人を犠牲にしても構わない」という“自己中心”になるからです。

「誰かの為に」ということの本当の意味は、未だ知らない他者によって自分は支えられているということを知っていくことであり、「他者の大切さ(※1)」とは見ず知らずの人を考慮に入れ考慮対象を拡げていくと共に、既に知っている仲間のような人でさえも本当は依然として「他者」であり、浅い考慮を改めて深い理解に至ろうとすることの大切さなのです。

このような「他者性」の拡がりを持っている人は、“信じていた人”との食い違いがあっても全否定に傾かずに、問題を冷静に考えられます。自己に対する他者の意味の本質はその「予測不可能性」にあり、それは良く変わる「可能性」でもあります。可能性を否定してしまう時、人は孤独になるのです。

私たちが利用者宅に赴く時、孤独な人が「反発」をするということがあります。自分が予測可能な世界に閉じこもろうとしている時に邪魔をする「他者」が現れたから、「毅然とした自己」を他者に見せつけようとして気持ちを奮い起こしているのです。そうしながらも訪問を受け入れていった時、その人の心の中には新たな可能性という「他者」が生じてきています。奮い起きた「他者」は、もう一度生きてみようという気持ちを起させるのです。

 

※1 他者を追究することは、一方で確立した自己意識を常に脅かされることであるが、その脅威が私を変化させ他者もまた私によって変化を受ける。(略)寿命の延長が、私たちに変化というタームを取り込む哲学の必要性を促している(略)。他者理論の要請は、長い人生を送るなかで変化する私自身を理解する必要性からも生まれている

「21 世紀の展望と他者論」関未玲
 

人権という「理想」

より良く生きる為には、人は自分と同じように「他者」をも守らなければなりません。「他者と自己」の中に共通して存在する「守るべきもの」とは何でしょう。

歴史的な積み重ねの中から言語化してそれを原理として示したものが「人権」です。1948年の「世界人権宣言(※2)」の採択を記念して、毎年12月10日は「国際人権Day」となっています。戦争への誘惑は常に人権の軽視と共にあるのですから、人権を守ることを世界の共通認識としていくことによっても、平和な世界という「理想」に現実を近づけていくことができるのです。

※2 「私には、人間の至上の価値に関するコンセンサスが生まれた、まさに歴史上の一大事に参加しているというはっきりとした認識がありました。その価値は、世俗的な権力者の決定ではなく、人間の存在という事実それ自体に由来するものであり…」起草小委員会のメンバーを務めていたエルナン・サンタクルス(チリ)の言葉。50カ国を超える国が原案の策定に参加した。

 

 
紙面研修
世界人権宣言
 
世界人権宣言は,基本的人権尊重の原則を定めたものであり,初めて人権保障の目標や基準を国際的にうたった画期的なものです。(法務省HPより)

20世紀には,世界を巻き込んだ大戦が二度も起こり,特に第二次世界大戦中においては,特定の人種の迫害,大量虐殺など,人権侵害,人権抑圧が横行しました。このような経験から,人権問題は国際社会全体にかかわる問題であり,人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になってきました。

そこで,昭和23年(1948年)12月10日,国連第3回総会(パリ)において,「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として,「世界人権宣言」が採択されました。

世界人権宣言は,基本的人権尊重の原則を定めたものであり,それ自体が法的拘束力を持つものではありませんが,初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものです。

この宣言は,すべての人々が持っている市民的,政治的,経済的,社会的,文化的分野にわたる多くの権利を内容とし,前文と30の条文からなっており,世界各国の憲法や法律に取り入れられるとともに,様々な国際会議の決議にも用いられ,世界各国に強い影響を及ぼしています。
 

 

【世界人権宣言】外務省仮訳文

前文(要点の抜粋)

・人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である。

・人権の無視及び軽侮が人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらした。

・言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言された。

・人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要である。

第一条 

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第二条 

1すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

2さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

第三条 

すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。

第四条 

何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

第五条 

何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

第六条 

すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

第七条 

すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。

第八条 

すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

第九条 

何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。

第十条 

すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

第十一条 

1犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。

2何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

第十二条 

何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

第十三条 

1すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。

2すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。

第十四条 

1すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する。

2この権利は、もっぱら非政治犯罪又は国際連合の目的及び原則に反する行為を原因とする訴追の場合には、援用することはできない。

第十五条 

1すべて人は、国籍をもつ権利を有する。

2何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。

第十六条 

1成年の男女は、人種、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。成年の男女は、婚姻中及びその解消に際し、婚姻に関し平等の権利を有する。

2婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。

3家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。

第十七条 

1すべて人は、単独で又は他の者と共同して財産を所有する権利を有する。2何人も、ほしいままに自己の財産を奪われることはない。

第十八条 

すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。

第十九条 すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

第二十条 

1すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する。

2何人も、結社に属することを強制されない。

第二十一条 

1すべて人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。

2すべて人は、自国においてひとしく公務につく権利を有する。

3人民の意思は、統治の権力の基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によって行われなければならない。

第二十二条 

すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。

第二十三条 

1すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。

2すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する。

3勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。

4すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに参加する権利を有する。

第二十四条 

すべて人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する。

第二十五条 

1すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。

2母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。

第二十六条 

1すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。

2教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。3親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。

第二十七条 1すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。

2すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。

第二十八条 

すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する。※

第二十九条 

1すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。

2すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。

3これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。

第三十条 

この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。

 

※「この宣言が口先だけで終わらないような世界を作ろうとする権利もまた、わたしたちのものです」

詩人の谷川俊太郎による世界人権宣言の訳文の第28条には、このように書かれています。

(※谷川俊太郎の訳文はアムネスティーインターナショナルのHPに記載されています)

 
考えてみよう

世界人権宣言の理想を理想で終わらせないためには、自分には何ができるだろう
 

 


紙ふうせんだより 10月号 (2022/11/21)

荒海の航海者たち

皆様、いつもありがとうございます。急激に寒くなってしまいました。体調を崩してはいないでしょうか。10月4日から10日は、国連が定めた「世界宇宙週間(※1)」ということです。せっかくの秋の夜長ですから、想像の翼をもっと遠くへと飛翔させてみたいものです。

※1 米ソ冷戦激化の中、人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げを1957年10月4日にソ連が成功させたことに由来

 

どうやってこれからを生きるか

「2040年までに人類が火星を歩けるようにするのがわれわれの計画だ」米航空宇宙局(NASA)のネルソン局長は2023年度の予算要求に際してそう語っています。一方、中国運搬ロケット技術研究院の王院長は、中国政府が2033年にも「有人火星探査」を計画していると発表しています。人類の到達目標が先へ先へと進んでいくことに夢を感じながら10年後を想像すると、人類を火星に行かせられる時代にありながら、きっと私たちは利用者一人をデイサービスに行かせることにも四苦八苦していることでしょう。

科学技術の進歩は巨大ロケットの制御を可能にはしましたが、一人の人間を「思うがまま」に制御することは出来ないのです。また、「人間誘導装置」のようなものは発明されてはならないのです。一人の人間の「心の中の自由」や「独立性」を考えると、10年後も私たちが利用者さん対応で四苦八苦していることは、とても良いことなのだと考えられます。願わくばその四苦八苦が、介護側の要求を利用者さんに「どうやって呑み込ませるか」といった対立的な押し付けの構図ではなく、「これからを生きる楽しみを一緒に見つけよう」というような、利用者さんの気持ちを明るく元気にさせるようなものでありたいと思います。

 

人類史から利用者さんの嘆きを考える

「これからの楽しみ」について利用者さんと一緒に考えようとすると「こんなに長生きするとは思わなかった」という嘆息を聞くことがあります。その利用者さんが特別にネガティブだからでしょうか。そんなことはありませんから、この嘆きは個人を取り巻く社会構造の問題であることが伺えます。

医学の進歩は人々に長命の約束をしましたが、延長された時間を「どのように過ごしていくか」ということについては、回答を示してはいないのです。「長生きもあんまり良いもんじゃないね」という「生きづらさ」の表明は、この社会が窮屈で利用者さんの肩身を狭くしていることを示しています。医学の進歩による超高齢化社会に対して、人々の倫理観や人生観の成熟、社会保障制度の発展等が追いついていないのです。

古代の人類が農耕を開始すると、集住や余剰生産物の蓄積といった社会構造の変化が生じましたが、他所を襲って蓄えを奪う「戦争」が起こるようになりました。中世の封建制は更なる増産を可能にはしましたが、戦争は絶えず農奴は不自由な生活を強いられました。産業革命という生産技術の革新は、膨大な富を生じさせながらも人間の欲望と貧富の差を更に拡大させていきます。科学や技術の進歩やそこから生じる経済規模の拡大や社会構造の変化に対して、人類の倫理観の発展が常に遅れをとることは、人類史を見ても明らかなのです。

 

人間は後悔しないと反省できないのか?

欲望を剥き出しにした国家間の競争が第二次世界大戦となり8500万人もの人命を奪った後、1948年に「世界人権宣言」が国連で採択されました。二度の大戦の惨禍の反省を人類史に刻み、万人が、国家から独立した「人権」を生まれながらにして持っているということを世界の共通認識にしていこうという宣言です。

多くの人命が失われてからでないと、私たち人間は学ぶことができないのでしょうか。科学の粋を集めた原子爆弾が1発で何十万もの人間を殺傷できることを実地に証明してみせた時、原爆開発の提唱者の一人であるアインシュタイン博士は、その提言を「大きな誤り」として後悔したといいます(※2)。しかし米ソは核軍拡競争に突入していきます。核戦争が現実の脅威となり、1984年に放映開始のTVアニメ「北斗の拳」は、毎週木曜19時のお茶の間に「199X年、世界は核の炎に包まれた!」と告げ、食料や水を奪い合って暴力が支配するようになった終末後の世界を描いていました。

1986年に世界が保有する核弾頭数は、ついに7万374発(※3)となります。地球そのものを何回も木っ端みじんにできるような破壊力の総量、その“狂気”に米ソが我に返って「核戦争に勝者はありえず、核戦争は決して戦ってはならない(※4)」と反省し、1987年に核軍縮(※5)が開始されます。2022年、現在の世界の核弾頭保有数は1万2705発です。

 

※2 ナチスが核爆弾を開発し実際に使用するのではないかという恐れから、複数の科学者と連名でフランクリン・ルーズベルトに宛てた書簡から原爆開発計画が開始された。

※3 最大規模の核弾頭は1発で広島・長崎の原爆を合わせた威力の1500倍

※4 1983年レーガン米大統領来日時の国会演説「貴重な現代文明を維持するには政策はたったひとつしかないと私は確信している」に続く言葉

※5 1985年にソ連書記長となったゴルバチョフは核軍縮に積極的で翌年に米ソ首脳会談、1987年に中距離核戦略全廃条約調印

 

人類文明の最先端の孤独

私たちが作り出した複雑な社会システムは、「一度方向づけられると大きな問題が無い限り立ち止まることができない」自動機械のようなものなのでしょうか。私たち一人ひとりは、社会の荒波に呑み込まれ木っ端のように流されて、自分一人の心の安定を守ることがやっとの存在なのでしょうか。そうはなりたくありませんし、そうならない方法もきっとあるはずです。

命や人生に対して確実な視点から俯瞰することができれば、人類の諸問題に対して解決の糸口が見えてくるかもしれません。全ての人間に確実に言えるのは「やがて老い確実に死ぬ」未来です。死者の視点、命を大切にする視点、死に臨む人の視点を持って、自分自身や社会の在り様を再検討すること。それができれば後悔に沈む前に改めることができるのではないでしょうか。死に近接した視点を持ち得ることは介護職員の特権です。その意味では私たちは、利用者さんと共に人類文明が抱える問題の最先端にいるのかもしれません。

宇宙の旅の最先端にある人工天体はボイジャー1号(※6)です。この旅人は、2012年には太陽風の到達する限界のヘリオポーズを突破して太陽系を完全に離脱しています。現在地は地球から235億キロメートル。ボイジャー1号は、地球の生命や文化の存在を伝える音や画像を収録した金のレコードを人類の代表として搭載し、茫洋(ぼうよう)たる星間空間の中にありながら今も観測結果を地球へと送信し続けています。私たちもまた、介護現場で見聞きし感じたこと、そこから考えたことを、後の人類文明が良きものとなるように発信していきたいと思います。

 

 ※6 Voyagerは航海者、冒険者、旅人の意。1977年打ち上げ、木星と土星を探査し太陽系外に向かう
 


紙ふうせんだより 9月号 (2022/10/21)

「希望」を語ることの大切さ

皆様、いつもありがとうございます。台風が秋の空気を連れてきました。雨の中を訪問して下さったヘルパーの皆様、お疲れ様でした。近年なんだか雨の降り方が変ってきています。まるでスコールのような土砂降り。海水や大気などの地球規模の温度上昇が、海からの蒸発量や大気に含むことができる水分量を増やしてしまい、今までより大規模な雨雲を発生させるようになってきたからです。雨は「しとしと」とかせいぜい「ザーザー」と降るものと思っていましたが、爆撃のように降る雨。雨を肯定的に捉えたことわざに「雨降って地固まる」とありますが、こんな極端な雨では「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し(※1)」です。

※1 論語の「過猶不及」が原典

「不安」に呑み込まれてしまうと状況は悪化する

「たとえば食物の要は身体を養うに在りといえども、これを過食すればかえってその栄養を害するがごとし」 これは福沢諭吉の「学問のすゝめ」にでてくる「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の説明です。行き過ぎたことは足りないことと同じで、道理には適(かな)いません。このことわざは、物事には中庸(ちゅうよう)(ほどほど)があるということを示しています。介護でも時々これは「過ぎたるは…」ではないかな? と感じるプランが見られます。そうなってしまう理由の第一をあげるなら「不安」ではないでしょうか。

利用者本人が不安な気持ちでいっぱいでサービスを望む場合は、本人が支援に依存してしまい自立から遠ざかってしまったり、より不安が強化されてしまわないように注意が必要です。しかし、不安に寄り添いながら本人が自分でできることを「再発見」していくような支援を行っていけば、不安はヘルパーを待つ楽しみに変わり、サービス利用は「依存」ではなく「生きがい」となっていくでしょう。

問題は、利用者さんの生活状況に不安を感じた家族やケアマネジャーが、利用者を説得してサービスの導入や増回を求めた場合です。支援内容を工夫して自立支援につながっていけば、拒否的な感情もやがては楽しみや安心に変っていくでしょう。しかし、本人の望まぬタイミングに本人の望まぬ内容で、複数の人に繰り返し訪問されたら利用者さんはどう感じるでしょう。

「何で来るの!?要らないって言っているのに!」と言われてしまったらどのように理由を説明するでしょうか。「ご家族から頼まれているんですよ」と言えば利用者さんの「自己決定権」の没収宣言となりますし、「○○さんの生活で××ができていないから必要なんですよ」と言ってしまえば利用者さんへのダメ出しとなってしまいます。ご本人の気持ちを解きほぐすには、「あなたに会いたくて(お話したくて)来た」という“気持ち”を伝える必要がありますが、それには訪問してから終始一貫して利用者さんのペースに合わせなければならず、なかなか難しいものです。

やむを得ない状況もありますが、支援の枠組み自体が利用者さん自身を「否定」する構造になってしまっていないか、点検が必要です。自らが「否定」される関係が続けば、利用者さんの身心はおかしくなっていきます。「介護」という行為は「諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」であることを自覚しなければなりません。

 

予言の自己成就

「角を矯(た)めて牛を殺す(※2)」ということわざがあります。曲がった牛の角を無理に矯正しようとして、肝心の牛を殺してしまう。小さな欠点を直そうとして全体を台無しにしてしまうことの譬えです。利用者さんの生活を正そうとしてあれこれやっているうちに、利用者さんをより悪い状態にしてしまったら、全く意味の無いことです。

例えば、自分が人や物事に対して、「ダメなところをちゃんとしないともっとダメになるぞ」と言い聞かせ続けて、本当に「ダメになる」ということがあります。無根拠な思い込みであっても、そうなりそうだと思って行動することによって、本当に実現させてしまうこと。これを社会心理学では「予言の自己成就(※3)」と言います。

このプロセスを大まかに言えば次のようになるでしょう。まず始めに、思い込みや不安などの強い感情的な動機があります。そのような時、人は自分の感情の不確かさ(不確かなものは人にとって「不安」)を確かなものにしようとして、自分の思い込みに合致する情報ばかりに注目してしまいます。これを「確証バイアス(※4)」と言います。

ダメだと思ったら、ダメなところばかりが目につき、良いところが見えなくなってしまいます。何とか「良くしよう」と思って実施することは「ほどほどさ」を欠いていますが、ダメだと決めつけている自分に気が付いていないので、極端な対応になっていることにも気が付きません。そうして「やり過ぎて」しまった結果、本当にダメになってしまうのです。

※2 同様の意味の英語のことわざに「ネズミを追い出そうとして家を焼くな」がある。

※3「自己成就予言」とも言う。ロバート・A・マートン(米国)が提唱

※4 認知バイアスの一種で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

 

生きることを「あきらめさせない」ために

紛争地から命がけで逃れてきた難民の子供達が「あきらめ症候群(※5)」になってしまうことがあります。絶望的な状況を乗り越えて命は助かっても、自由が制限され将来の展望が全く見えない収容先での生活に希望が絶望へと変わってしまったのか、子供達は次第に周囲に無反応になり食べなくなります。身体を動かそうとせず寝たきりとなり経管栄養に繋がれます。意識レベルが低下し呼びかけに反応しなくなります。それでも身体機能には異常がみつからないのです。根本的な治療は「将来の希望を示すこと」や「安心感」だと言われています。

利用者さんを元気にさせる「本当に必要なケア」とは何でしょう。利用者さんは自然現象として低下曲線をたどるがことが自明であるため、私たちの介護業界は、利用者さんの状態を人為的に低下させてしまうことに鈍感になっています。確証バイアスによって支援者側は「言ったとおりに悪くなった。だから、悪化を見越したあのやり方で良かった」というような考えになってしまい、自己批判的検証が難しくなるからです。人為的な悪化を防ぐためには、ケアの方向性について複数の意見を交えて、あらかじめ原理原則に基づいて理性的に検討しておかなければなりません。

原則に立ち戻る「問い」をいくつか挙げてみましょう。

  • その判断は「不安」に基づいていないか、それは「誰の」不安か?
  • 利用者の「弱み」を基に判断していないか?
  • 利用者の「強み」を知っているか?
  • 利用者の「強み」に基づいて判断しているか?
  • 利用者の希望を聞いているか?
  • そのケア内容は利用者の望んでいる内容か?
  • そのケアの内容は利用者の自尊心を回復させるか、傷付けてしまうか?
「生きる意欲」とは何でしょう。「生きていても良い」と思うこと。「もうちょっと生きていたい」と思えること。どんなケアでも利用者さんの生きる意欲となるように、生きる「意味」や「希望」をお互いに語りながら、ケアを楽しめる工夫をしていきたいと思います。

※5  2000年代初頭からスウェーデンに亡命した難民の子供に度々見られ、生存放棄症候群とも言う。ホロコーストでも同様の症状が確認されている。

「次第に周囲に無反応になり、食事せず体も動かさず、ほとんど植物状態のようになる。医師らは、難民申請が通らなかったり収容が長期化したりして、生きる希望が失われたことが原因だと見ている。」(Buzz Feed Newsより抜粋)

 


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