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紙ふうせんだより 12月号 (2018/12/18)

一陽来復(いちようらいふく) 終わらない歌をうたおう
ヘルパーの皆様、一年間ありがとうございました。年末年始に稼働して下さる方、大変お世話になります。ありがとうございます。風邪をひかぬように、良い新年をお迎えください。
今年の冬至は12月22日です。古代では、冬至を一年の始まりとしていました。
太陽の死と再生
小田急線が多摩川を渡るころ丹沢山塊が一望できる。山塊の左に大(おお)山(やま)、背後に冠雪の富士。右に遠く奥武蔵の山々。そして山塊中央、最高峰の蛭(ひる)ヶ岳。蛭(ひる)ヶ岳にヤマビルはいないので「蛭」は当て字らしい。京王線多摩境駅近く多摩丘陵の台地の端から、西方の相模川が作った平原の後ろにどっしと横たわる丹沢山塊が見える。縄文人は今から3500年前、この地に石を環状に並べて祭祀場とした。直径7~9mのこじんまりとしたこのストーンサークル(田端環状積石遺構)に立つと、冬至の日に一番高いとがった頂きにちょうど太陽が沈む。そう、蛭(ひる)ヶ岳は日向(ひるが)岳なのだ。この日は一年の間で昼が最も短い日、太陽が一番弱まる日だ。縄文人は、沈みゆく太陽に向かって再び太陽に力が戻るようにと願う。その夜、縄文人は夜通し火を絶やさずに祈っただろうか。最も長い夜の間に太陽は生まれ変わり、再び陽は昇る。冬は去りやがて春がくると約束された。これで、悪いことも良い方へ向かうと約束された。
人々の死と再生
日向(ひるが)岳に日が沈むと新しい一年が始まる。縄文人は死と生の交わるこの地に、死者を祀り周囲に住居を配して集落とした。やがて土壙(どこう)墓(ぼ)の上には環状に石が積まれ、伝承を再現し受け継ぐ舞台となった。先祖に見守られながら太陽や人々や動物の再生を祈り、感謝した。狩りで奪った命は授かり借りたもので、殺した命は自然(カミ)のもとに戻れるよう祈りながら解体し、頂いた命は生きるものの力となるように願い太陽の分身の火で煮炊きした。その願いは土器の装飾美となっている。生と死は同居し、人々は大いなる循環の中で生きた。
昨日、集落のおばあが死んだ。竹籠作りを教えてくれたおばあだ。自然から生まれたものは、形を変えて再び自然へと帰る。おばあにもう会えないのは悲しいけど、それは自然な事だ――。縄文人から死は何も奪わなかった。縄文人に奪われるものは何も無かった。自然からの恵みは誰のものでもなかった。出土する縄文人の人骨に、殺し合いの形跡は無い。
いつから人々は死を恐れるようになったのだろう。弓矢や槍で全身を突かれた人骨が多量に出土するのは、弥生時代に入ってからだ。稲作の指導や蓄えの分配の役割をもった者が、本来自分のものではないものを、自分のものと思い込んで威張りだした。“富と権力”を独占する者は、それを奪われる“死”が怖くなった。呪術によって政(まつりごと)(政治)を行い、人々に命令を下した。奪われる前に隣国の王を殺して奪ってやれ! 自分のものではないものを自分のものにしようとして戦争が始まった。沢山の死が人の手によって作られるようになり、兵士として駆り出された人々は自然ではない死を恐れた。そしてどんな大王も必ず死んだ。

人心が乱れると強調された「メメント・モリ」=“死を想え”死を忘れるな!
古代ローマに「メメント・モリ」という警句がある。“死を想え”「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから。」そうやってローマの将軍たちは戦争に励み凱旋した。本来この警句は“勝者の傲(おご)りの戒め”だったが、“どうせ死んだら終わり”が意識され命は生から死への一方通行となった。領地や奴隷を獲得し富を奪って“今を楽しむか”もしくは死か。
死は石器時代と変わらず日常だった。乳飲み子が育つのは難儀で、疫病で死ぬことも多かった。その日常に兵役や奴隷制度や階級差別が加わり理不尽な生死が増えていった。生と死は対立するようになった。生が快楽であるならば、それを奪う死は悪いものとなった。一方、生が絶え間ない苦しみであれば、死は救済となった。“天国”が渇仰(かつごう)され、虐げられた人々の願いは死のその先に向けられた。どうしたらそこに入れるのか。「メメント・モリ」が再び逆の意味で現れた。死を想え! 必ず人は死ぬから“現世の快楽や贅沢や手柄は虚しいもの”と心得よ。徳を保ちつつましく善良に生きなければ、救済の御手にはすくわれない――。
日本にも「メメント・モリ」がある。煩悩を払うために死を想え! 現世の肉体を不浄で無常なものと知るために、死体が朽ち変貌する「九(く)相(そう)」を観ぜよ。奈良時代に行なわれるようになった「九相観」は現世の生や欲望への“執着”を戒めており、死は恐れるものではなかった。しかし鎌倉以降に制作された「九相図」は、その異様さから死への恐怖をかき立てた。穢(けが)れた世間を厭(いと)い離れて極楽浄土での“救済を求める信仰心”を起こさせる目的があった。三途(さんず)の川や閻魔(えんま)大王の裁きなどを説く仏典(偽教)や地獄絵図が創作されて、死への不安はますます高まった。
生と死の断絶からの再生 その最前線にある“介護”
文明の果実を食べた人間の生死は自然の懐から引き離されてしまった。あるがままの自然との一体感は、死んでしまったのだろうか。縄文人の平均労働時間は一日3時間だったというが、文明は労働を下々に強いて“生産か死か”という状況で人々は生きてきた。生産性向上と私欲追求が経済成長(資本主義)の正義となり、生と死の断絶は現代人にとって三途の川よりも深くなってしまった。そして発達した医療によって、生産性はないが“まだ終わらない”というライフステージが長くなり“介護”が生じるようになった。ここから再生するものは何だろう。介護を受ける者は自然と命の終わりを意識し、“制約のない時間”だからこそ時に痛みを伴いながらも“生きている事実”が大きくなる。身体感覚によって頭に刷り込まれた先入観から解放される。ヘルパーさんがやってきてひと時を共に過ごし、死にゆく者とまだ少し生きる者の気持ちが交わり、互いの心に流れ込む。自他を立て分けていた何かが消え“祈りにも似た感謝の気持ち”が口に出る。ああ、この光景はずっと前から知っていた。私の中にあるこの思いは、先人から受け継いだものであって私だけのものではない。思いは再び種となり、あなたの中に静かに受け継がれていくだろう。死んだら終わりではない――。
繰り返し続いていく何かがあって自然には終わりが無いように、新しい一年が始まる時には、自身の介護観・死生観を捉え直してみたい。介護や福祉が社会で共有されていくならば、生老病死のありのままを受け入れられる世の中となるだろう。その一端を担いたいと思う。

想像の視点を拡げてみよう

ともかくもあなたまかせの年の暮れ     小林一茶

この句には、誰かにお願いしないとままならない年の瀬の侘びしさと、おまかせできる人が居るという温かさが同居していてしみじみとします。一人暮らしの利用者さんを想うとぐっときます。ここでの「あなた」とは一般には阿弥陀如来とされており、一茶が念仏者のならではの解釈ですが、俳人の作品をどのように味わうかは本来自由です。一般論や先入観を捨ててみましょう。困っている人にとって、おまかせできるヘルパーさんは“仏さま”です。
大晦日と言えば紅白歌合戦。歌謡曲と言えばオトナの色恋、やれ不倫だ逢引きだとドロドロ成分多めのイメージです。一方、ポップスは若者の葛藤や純愛や失恋、恋に恋してる感や自意識過剰さは否めません。さて、そのような先入観を捨てて想像を拡げてみましょう。コツは“熟年の火遊び”“思春期の苦悩”などの自分の思い込みに気が付くこと。試みに以下の歌詞の主人公を、障害者や要介護高齢者や死が目前に迫った人やマイノリティーなどいろいろな人を想像して、その人の視点になって読んでみましょう。想像が拡がりませんか? そこに思い出される自分はありましたか?本当にギリギリの切羽詰まった時、人は“大切なもの”“頑張った時のこと”を思い出して気持ちを奮い立たせるものなのかもしれませんね。

「星影のワルツ」

別れることは つらいけど 仕方がないんだ 君のため 別れに星影の ワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ 冷たい心じゃ ないんだよ 今でも好きだ 死ぬ程に

一緒になれる 倖せを 二人で夢見た ほほえんだ 別れに星影の ワルツをうたおう
あんなに愛した 仲なのに あんなに愛した 仲なのに 涙がにじむ 夜の窓

さよならなんて どうしても いえないだろうな 泣くだろうな 別れに星影の ワルツをうたおう
遠くで祈ろう 倖せを 遠くで祈ろう 倖せを 今夜も星が 降るようだ

作詩・白鳥園枝 作曲・遠藤 実
歌・千 昌夫

「終わらない歌」

※終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため 終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

世の中に冷たくされて 一人ボッチで泣いた夜 もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった

真実(ホント)の瞬間はいつも 死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは 今まで何度でもあった

(※繰り返し)

なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない
それでも僕は君のことを いつだって思い出すだろう

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため 終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 一人ボッチで泣いた夜 終わらない歌を歌おう・・・・あつかいされた日々

(※繰り返し×2)
作詞・作曲 真島昌俊 歌・THE BLUE HEARTS

どんな人のどんな状況を想像しましたか? そこから何を感じましたか?
もしこれが自分だったら、どんな風に声をかけて貰いたいですか?
他人の気持ちを理解するために、自分ができる事はなんだろう。

【自転車事故に注意して下さい】
1.遅れそうだと思ったら、まず電話。
いつもの通り慣れた住宅街の路地などで、左右確認を怠ってしまって出会い頭の“思わぬ事故”が起きてしまいます。急いでるからこそ焦らない。焦りを感じるなら、あえてしっかりと左右確認。常に心に余裕を持つこと。
事務所に「遅れます」の電話を一本頂ければ、事情を利用者さんに伝えます。
まずは一呼吸を置いて電話下さい。

2.寒くなると体が硬くなって、反応も遅れがち。
寒くなると気がせいて、視野が狭くなります。暖かい時ときは発見・回避できる危険も、冬はオーバースピードとなってしまいます。ゆっくりめを心がけましょう。

3.慌てないために
早め早めの行動を心がけましょう。スケジュールの確認は怠らず、寝る前に目覚ましセットと天気予報の確認を。安眠してしっかりと体を休めて下さい。

4.夜が早いです
夜道では、危険を察知するのが昼間よりもずっと難しくなります。

5.先が見えない所では、誰かいる・何か来ると思っておく
「曲がり角」や「視界を遮るもの」の向こう側には何があるかわかりません。出合い頭の衝突に注意する。しっかりと確認して進行する。

6.漫然と運転しない
緊張感を持っている時よりも、ぼんやりと考え事をしているような時がヒヤリとする事は多いはず。交差点での確認不足の飛び出しは大事故のもと。自転車運転中は、運転に集中すること。

◎大雪の予報が出たら、スケジュール調整(キャンセル、振替、時間短縮、時間変更)を行います。調整して欲しいサービスについて事務所までご相談下さい。安全第一です。大雪や台風でバスや電車を利用した場合は、申請があれば交通費をお支払いします。※ただし、遅延やストップにご注意下さい。

~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2019年 1月22日 火曜日 18:30~
梅丘の事務所内にて(祖師谷・梅丘含む訪問介護全体のMTGです)
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

【研修会】 関連項目 倫理・法令遵守(本郷)
(関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です)


紙ふうせんだより 11月号 (2018/12/18)

紙ふうせん10周年の節目に
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。「紙ふうせん祖師谷訪問介護事業所」を11月1日に開設する事ができました。皆様のおかげです。感謝いたします。この日は経堂に「紙ふうせん」を開設してちょうど10年です。
10年前を振り返って
この10年を皆様はどのように生きて来られましたか。2008年は、1月に大阪府知事に弁護士の橋下徹氏が当選。9月は福田首相辞任で麻生首相に交代。リーマンショックの発生。世界経済の混乱の中で、11月にはオバマ氏が黒人初のアメリカ大統領となり「Change」や「Yes, we can」のメッセージに、新しい歴史が開かれいくようでした。日本でも新しい時代の機運が高まり、翌年、旧態依然の顔をした麻生内閣が度重なる失言で倒れ、民主党政権が誕生。是非はともかく、10年前には、今に繋がる今の基礎となるものと、今とは違う昔があります。
十年一昔を9回繰り返すと、大抵の人は寿命を迎えます。10年の間に、自分の中で変ったものはあるでしょうか。また変わらなかったものは何でしょうか。変わったところは発展として自己の挑戦を称え、変らなかったところは本質として、謙虚に受け止めつつも誇りたいと思います。そして、そう思おうとした時に、ちくりと刺さる呑み込みにくい棘があったとしたら素直に自分を反省し、自分自身に何かを語りかけて、これからの10年へ向けて新しい一歩踏み出していきたいと思います。
私(佐々木)が訪問介護の管理者として「紙ふうせん」に入ってからもうすぐ6年です。その時から今も願い続けている事があります。それは、ヘルパーの皆様に、「介護の仕事をやって良かった」と感じていただきたい一点です。それは、その人にとっての何かの新しい発見や出会いでしょう。仕事の“対価”を得るだけのためなら、どんな仕事でも良いはずです。それが、介護を必要とするようになった方自身にも家族の方にとっても“負い目”や“負担”としてネガティブに理解されている介護の世界なのですから、だからこそ皆様には、対価以上に意味のある何かを見つけて欲しいのです。介護にネガティブさがつきまとうのはそこにある死のイメージからですが、そこから何かを見つけるとういう事は、“死と再生”という命の営みに直に触れる事であり、死の中に生の輝きを見つける事であり、ひいては自分自身の人生にも命の輝きを見出す事になるでしょう。介護の仕事をもっと好きになれば、自分の生も、それを取り巻く環境をも、もっともっと好きになっていくと思うのです。

願いを叶える力
社名を問われて『紙ふうせん』と答えると、「冬が来る前に」や「翼をください」の楽曲ので知られる夫婦デュオの「紙ふうせん」を連想される方がいます。その前身となるフォークグループの「赤い鳥」は、黒田三郎の現代詩「紙風船」に曲を付けて歌いヒットさせました。「紙風船」は小学校の教科書にも載っています。
ある授業では、子供たちに「『美しい願いごと』が落ちてくるというのは、どういう意味ですか?」と問うと、紙風船をふくらますように、「願い」を“ぱんぱんに詰め込む”と願いが実り“落果”として落ちてくるという意見と、「願い」はなかなか叶わないから、落ちてくるたびにその願いを“繰り返す”という二つの意見に割れたそうです。
「パスッ」と手で跳ね上げた紙風船はゆっくりと落ちてて、「パスッパスッ」と繰り返すとだんだんひしゃげて弾まなくなります。そうしたらもう一度「ふーっ」と息を吹き込んで膨らませて……。私としては、熱中して無心に繰り返すという事の中に瞬間の純粋な美しさを、それが続いて欲しいという願いの中に無垢さを感じ、またそれらと同時に、全ては流れ去っていくという儚(はかな)さも見てしまいます。いずれにしても、「何度でも」「もっともっと高く」という直向(ひたむ)きさが、「願いを叶える力」なんだと思います。
自分自身にもう一度息を吹き込もう
テクノロジーで“魔法”を実現させたスティーブ・ジョブズは、「素晴しい仕事をするたった一つの方法は、自分のやっていることを好きになること。まだそれを見つけていないのなら、探し続けなさい。安住してはいけない」と言っています。私たちの介護の仕事は、他者の人生に深く関わりますから、関わった人に良い変化が生じてこそ「良かった」となります。他者の人生に対して影響を及ぼす責任は重大ですから、他者と自己が切り離されているような“表面的な”関係を好む現代の風潮を破っていく覚悟が必要です。それは、一見嫌いと感じるような人に対しても「好き」になってみようとする努力なのかもしれません。
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットは、「私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない。」と述べています。他者と自己はその究極において切り離せないのです。自身に対して願う事は、他者に対しても願うべき事であり、他者に対して願った事は自分にも還ってきます。利用者さんの本当の願いをくみ取ろうとする努力は、同時に、自分の人生に対する向き合い方となります。
「人生という本には、うしろのほうに答えが書いてあるわけじゃない。」これは漫画「ピーナッツ」(スヌーピー)の登場人物チャーリー・ブラウンの言葉。“死”に向かって歩を進める介護という状況から価値ある何かを見つけるという事は、見つけようとして答えをただ待つのではなく、今この瞬間にも自分自身と利用者さんを触発させて、そこから喜びを“創造”しようとする事ではないでしょうか。その触発の刹那に、命が火花のように輝くのです。
「人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。」これは劇作家バーナード・ショーの言葉。皆様と一緒にすばらしい事業所を創っていきたいと思います。

将来の介護を想像してみよう
現在、正社員になりたくてもなれない「不本意非正規」の割合が若年層で増えていると言われているが、その遠因はどこにあるのだろう。2000年に開始された介護保険制度の訪問介護も、残念ながら非正規雇用を前提にしているような制度設計となっている。
派遣労働法は何度も改正されているが、特殊な専門業種に限定されていた派遣労働が、1999年(小渕内閣)には派遣業種の原則自由化となり、2003年(小泉内閣)には例外扱いで禁止だった製造業および医療業務への派遣が解禁となる。そこには、生産設備の稼働率に合わせて簡単に雇止めができる“雇用の調整弁”を必要とする経済界の強い要請があった。1989年の冷戦終結の後、中国(改革開放)やベトナム(ドイモイ)の市場経済導入が加速し、中国は“世界の工場”となっていったが、経済格差を前提とした『安い労働力』に日本の製造業は太刀打ちできないと言うのだ。1991年にバブル崩壊が始まり1993年には「リストラ」が流行語となった。日産のゴーンCOO(最高執行責任者)が2万人の削減に着手したのは1999年。労働者や下請け企業の現実は、国内や海外の『安い労働力』との競争となった。“国際競争力”を維持するには、原価(人件費)を下げなければならないと言われ、製造業の海外生産比率は1985年の3 %から2009年の17.8 %へと上昇。労働密度を高め一人のアルバイトに何でもやらせて人件費を切り詰めて価格競争に打ち勝ち利益を上げるというビジネスモデルが飲食業界で流行し、デフレを牽引するとともにブラック企業のモデルとなった。従業員は財産ではなくコストとなり、企業経営は顧客や従業員よりも株主の利益が第一となった。勝ち組・負け組がささやかれるようになった“失われた20年”に失敗があるなら、目先の利益確保に腐心して理念が歪んでしまった企業や政治や人々だろう。
そして今、日本では「外国人技能実習生」をどんどん拡大させる案件が取りざたされている。タテマエでは『開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的』という外国人技能実習制度は、実際には単純労働に従事させ、労働基準監督署の目が届かない事を良いことに“時給300円”“不当な給与の天引き”“無休”など、現代の奴隷かと思われるような人権侵害が横行している。
『安い労働力』との競争という軋轢は、実はヨーロッパが先取りをしている。1992年のEC(欧州連合)の発足により旧東欧諸国から『安い労働力』が流入し、仕事の無い若者が人種差別や排外主義に傾倒しネオナチなどが台頭、暴力が路上に溢れた。格差を是正しない社会は差別が肯定され、抑圧が“最底辺”に向かう。将来の日本の労働環境はどうなるだろう。あえて最悪のケースを想像してみよう。
“団塊の要介護世代”の需要が激増する2028年。介護労働の多くを外国人が担うようになり、差別感情から介護職は最底辺が固定され、社会保障費抑制のために低賃金に据え置かれ、日本人従業員はますます減っていく。訪問介護でも中間管理職は日本人が担うもののヘルパーの多くは外国人となる。困ったのはコミュニケーションだ。利用者とのトラブル防止のため、手順が徹底され指示に無い行為は厳禁となり、中間管理職とヘルパーの間にも差別と対立が生じる。利用者と打ち解けて気を利かせられるヘルパーは“命令を聞かない悪者”としてイジメられ排除される。給付抑制政策でプランはますます硬直化、利用者の不満を“法律ですから”と力で抑え込むマネジメントが普通となり「もし融通を利かせて欲しいなら“私費”を入れなければダメです」と脅して「私費を組み込んで利益確保」が常態化する。「私費だから」とヘルパーは下男下女のように酷使される。利用者は、私費を利用して十分な介護を受けられる層と、お金が無くてプラン自体が敬遠されて介護がなかなか受けられずに放置(生存権侵害)される層へと二極化し、後者には介護虐待が頻発する状況となる。人権侵害を放置する社会は差別と対立が蔓延し、心の断絶の溝に怨念が流れ込み怒りと暴力が溢れ出す―。(外国人労働者を許容しても、こんな介護や差別や人権侵害は許容できません!!自分が流されないために想像してみよう。)

日本の入国管理局の現状 (ハーバー・ビジネス・オンラインの志葉玲氏などの複数の記事から引用・再構成)
2018年4月、牛久入管で収容中のインド人男性クマルさんが自殺した。翌月には同入管で日系ブラジルなど3人が自殺未遂した。入管では、少しでも被収容者が反抗的な言動をすると大勢の職員が飛びかかり、何人もの体重をかけて床に押さえつける“制圧”という暴行が日常的に行われている。被収容者はアザだらけにされ腕を折られる事もある。この10年間で制圧による窒息死は1人、医療放棄が疑われる病死は7人を数える。自殺死は4人。自殺未遂はもっと頻繁に起きている。2016年頃から入管に収容される人数が急増し、被収容者の処遇は目に見えて悪化しているという。
クルド難民として6歳の時に来日し日本で少中高に通った22歳の女性は、在留資格のある男性と結婚したところ突然入管に拘束された。持病の薬の内服が許されず発熱・痙攣・吐血が頻繁に起きるようになった。発作を起こし「私はのたうち回りながら、何度も『誰か助けて!』『救急車を呼んで!』と叫んでいたのに、結局、誰も来ず」放置された。
「トルコ籍クルド人が、盲腸の手術の後に腹痛を訴えていました。ところが、その人は1か月もの間放置され、手術痕からは黒い膿が出ていました。耐えきれずに本人が救急車を呼んだら、東京入管は救急車を追い返した」
「17年3月、収容されていたベトナム人がくも膜下出血で死亡した事案、当初から頭痛などを訴えていた。収容から2日後、口から血を吐き、泡を噴き、失禁。ほかの被収容者によると、『痛い、痛い』と叫ぶN氏に、見回りの職員はそのたびに『静かにしろ』と言うだけ。被収容者の方々は眠れなくなるほどずっとN氏の叫び声を聞いていた。」
ネパールからの来日した留学生は、学費用の180万円を盗まれ大学を続けられなくなり、心を病み帰れなくなって滞在期間を超えてしまったため入管に拘束された。紛争地から命がけで逃げてきて、日本に助けを求めて難民申請を行っている“罪のない人”も入管に拘留されている。その方々が人権を無視され、犯罪者以下・刑務所以下の扱いで長く留め置かれているのだ。日本の入管の闇は、国連の人権委員会や拷問禁止委員会から度重なる是正勧告が出されている。「多数の暴行の疑い、送還時の拘束具の違法使用、虐待、性的いやがらせ」や「無期限・長期収容」は拷問の疑いがある。長期化する拘留に追い詰められてしまった被収容者の自傷行為も増えているようだ。
牛久入管では、クマルさんの死に抗議して被収容者140人以上がハンガーストライキを実行。抗議も命がけだ。
「昨年5月、品川の東京入管で被収容者たちが抗議のハンガーストライキをしていた頃のことです。共用スペースから雑居房に戻ることを拒み、座り込みをした私たちに対し、大勢の入管職員が硬いブーツを履いた足で、何度も激しく蹴りつけてきたのです。あれ以来、片目の視力がほとんどなくなってしまいました……」(中国人男性)
入管の被収容者を支援しようと、牛久入管や東京入管の前では日本人市民による抗議も行われ、クマルさんの死の真相解明や医療環境の改善、長期収容の見直しを呼びかける署名には1万7千筆(2018.6現在)が集まっている。

【発展研修】 会場:祖師谷 12/18(火)16:00~
構成的グループエンカウンターの手法で行います。梅丘・祖師谷のどなたでも参加できます。
(担当/佐々木)

~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 平成30年 12月14日 金曜日
忘年会(研修会)と同時開催。(案内は別紙)
当日は、懇談が中心となります。ざっくばらんに話し合いましょう。
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。


紙ふうせんだより 10月号 (2018/11/09)

2018年(平成30年) 10月  神無月月号

紙ふうせんだより

雨の後は上天気
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。銀杏の葉が色づいて寒くなってきましたね。神無月です。俗説では八百万(やおよろず)の神が出雲に集まるので、日本中から神々が居なくなるとか。身体が寒さに慣れていないと筋肉が強張って、ぎっくり腰をやってしまうのもこの季節です。どうぞご自愛下さい。入浴時にふくらはぎなどのマッサージをしたり、ストレッチなどで腰痛を予防しましょう。また、体幹の筋肉を鍛える事も有効です。
壊れたからこそ強くなるもの
アスリートがトレーニングをして筋肉に負荷をかけると、実は筋肉に微小な破壊が生じます。その損傷が自己治癒される時、筋肉は以前よりも強くなります。これが筋トレによる筋肉強化のメカニズムです。壊れたからこそ強くなるものは、他に何があるでしょうか。
ことわざの「雨降って地固まる」は、「揉め事の後はかえって良い結果や安定した状態を保てるようになる」との教えがあります。人は雨を嫌がるものですが、その嫌なものこそが良い果報をもたらすのですから、目の前の物事に“好きだ嫌いだ”と一喜一憂するのは空回りかもしれません。類語には「雨の後は上天気」「諍い果てての契り」「喧嘩の後の兄弟名乗り」「破れりゃ固まる」などがあり、英語のことわざにも「嵐のあとに凪が来る」「うまくつながれば折れた骨は以前よりも丈夫になる」などがあります。これらの言葉の中には、「破壊と創造」や「死と再生」のように相矛盾するものが“対”になっているという考えがあります。それらは、互いに相手に勝とうと対立しながらも互いに無いところを補いあい、陰と陽のように相克(そうこく)と補完(ほかん)を繰り返しながら発展していくと考えられています。
古代から人々は考えてきました。生きている人が死ぬのはなぜだろう。春に草木が芽吹くのはなぜだろう。短い昼が長くなってまた短くなると一回りで、それを繰り返すのはなぜだろう。死んでゆく人が、その直前に清明な意識を取り戻し昔を懐かしみながら赴く事があるのはなぜだろう。万物は螺旋(らせん)のように円環しているらしい。そうなる原動力は何なのだろう。破壊の中には創造が、創造の中には破壊が、ある物事の中には一見それと矛盾するような性質も、実は種のように含まれているのではないか――。「破壊と創造」は本源的には同一のものではないのか――。古代インドでは、根源の神聖な存在が「創造、維持、破壊」という三つの機能として現れると考えました。それは「ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ」というヒンドゥー教の三大神(三神一体論)となり、この三柱の神は仏教や日本の八百万(やおよろず)の神にも取り入れられました。このようなアジアの思想の系譜が背景にあり、実際の経験でも理解しているからこそ「壊れたからこそ強くなる」という意味のことわざ多いのではないでしょうか。また、“壊れたらそれで終わり”ではつまらないし、何かが終わってしまってもそこから何かが始まっていて欲しいし、一見悪いことのように見えるものの中にもの良いことがある、と願うのが人の素直な気持ちではないでしょうか。
「それで終わり」の一面的な視点からの逆転
何かの選択を迫られた後に結果が満足だった場合、「正解だったね」と言っている方いますよね。口癖なんだと思いますが、何だか“唯一の正しい答え”に縛られているような窮屈さを感じます。ランチがおいしくなかったとしても、それは不正解を選んだ事になるのでしょうか。選択が仮に“失敗”だったとしても、そこには「私の価値観を再発見した」「自分に無い感性に気が付いた」など何らかの発見があり、必ずしも「失敗=不正解」とはなりません。破壊には創造があるように、失敗にも創造があると考えてみる事は一面的な視野を拡げてくれます。衝突を回避しては何も始まりません。失敗したらそれで終わり、喧嘩したらそれで終わり、つまずいたらもう立ち上がれない、という考えはつまらないと思うのです。
しかし今、そのつまらない考え方が蔓延しているように感じます。随分前から巷間でささやかれる“勝ち組”“負け組”もそう。絶対に自分は負け組になりたくないと怯えている者が“卑怯者”の場合、(小学校などでも見られる光景ですが)勝手にルールを作ります。自分勝手なルールで他人を一方的に裁いて卑怯な“差別”をし、自分を“勝ち組”にしようとするのです。某国会議員の “生産性が無い人に行政の支援は不要”的な主張もそうです。どうしてそんな卑しい事をと思うのですが、一度手にした“勝ち”や“権力”を絶対に手放したくないため、誰かを“負け”に突き落としたい強迫観念があるのではないかと思います。負けたら「それで終わり」では、一度“確定”したものはなかなか挽回できません。一方で、「破壊と創造」などは円環するという考えを持つ人は、「失敗は成功のもと」「七転び八起き」となります。さらには“現世”の失敗ももしかしたら、死と共に生じる再生の中で、“それは本当は失敗では無かった”という真逆の視点に立てるかもしれません。
あるご夫婦利用者さんの夫が先に旅立たれました。夫婦が共に介護が必要な状況の中での必死の介護生活でした。その大変さに奥様は、“私は昔からこの人の下女(げじょ)だった”と自嘲ぎみにこぼしていました。奥様に言わせると、午前4時頃小さな呟きが聞こえたそうです。「・・・す き」と奥様の名前を呼ばれたそうです。早朝に、あの呟きは何だったろうと夫の方を見ると亡くなっていました。「急に亡くなって寂しいけど、あの呟きを思い出したら頑張っていける…」と奥様は言われました。夫の死から再生したものは何でしょう。雨上がりには、澄んだ空気に水滴の一つ一つが光り輝き風景は新しい色合いに包まれるのです。

創造と破壊の両方を見つめる
私たちの介護は、“悪いことのように見えるものの中の良いこと”を探していく仕事です。ならば逆に、良いことのように見える中にある悪いことにも注意を払う必要があります。祖師谷の訪問介護という新しい創造の中で、何かを傷つけてはいないか、真摯に問いながら進んでいきたいと思います。

紙面研修
腰痛予防
足の疲れは腰に出ます。自転車こぎの疲労がふくらはぎなどに蓄積すると、足の筋肉が固くなり膝が十分に伸びなくなります。そのため、重心が前かがみになり、まっすぐ立とうとすると「反り腰」(慢性腰痛の原因)になってしまいます(高齢者はバランスを取ろうとして逆に腰が曲がります)。そんな時に背中を無理して伸ばしてギクッっとなるのです。

【下半身のストレッチ】
① 息を止めずにゆっくりと吐きながら伸ばしていく
② 反動・はずみはつけない
③ 伸ばす筋肉を意識する
④ 張りを感じるが痛みのない程度まで伸ばす
⑤ 20秒から30秒伸ばし続ける
⑥ 筋肉を戻すときはゆっくりとじわじわ戻っていることを意識する
⑦ 一度のストレッチングで1回から3回ほど伸ばす
←素足で壁からかかとを5㎝ほど離して真っすぐ立つ。頭、尻、背中を壁や柱にぴたっとくっつけ、と腰の隙間に手がすぽっと入り余裕があるようなら、骨盤が前傾して反り腰になっています。
【体幹を鍛える】
右のような態勢をつくり、しばらく保持します。決して反り腰にはならないように。呼吸はゆっくり行います。ただ同じ姿勢をしているだけなのに、なぜ疲れるのか?片足立ちも同じですが、体幹を支える筋肉を使っているからです。(ぷるぷるしますよ。最初は30秒も持たないかも。徐々に長くできるようにしましょう。)
身体の筋肉は、主に身体の表面にある腕や足を大きく動かす筋肉と、身体が様々な動作や姿勢をしている時に体幹を支え骨格や関節を守る筋肉(身体の内側・深層)とがあります。

★最近、出勤簿の記載漏れ・誤記入が増えています★
★十分確認した上での提出をお願いします★

①11月中旬頃から年末年始の準備に入ります。年末年始のお休み希望は、できるだけ早目(11月15日までに)にお願いいたします。(サ責が梅丘と祖師谷に分散するため、お休みの交代が難航する可能性があります。あわせて、利用者さんの年末年始のサービスの要不要などを大まかに聞いて、事務所までご連絡頂けると助かります。
②上記を伺ったらケアマネにも打診して年末年始スケジュールの作成作業に入ります。時間変更や振替の提案などがありましたら(→事務所とのコミュニケーションが必要です)、「年末年始スケジュール」(事務所へ提出用)を同封しましたので、①の情報と併せて記入し11月末まで(出来るだけ早めに)に提出をお願いします。書面で確認させて下さい。
③提出をもって、年末年始のスケジュールの確定ではありません。12月中旬には、「年末年始スケジュール」を発送します。それをご確認下さい。
④また、月末は請求業務が大変になりますので、サービス実施記録は、出勤簿に記入した上での小分け複数回の提出をお願いいたします。実施記録を月半ばで提出する際は、できるだけ、提出物と対応する「出勤簿」のコピーも一緒に提出をお願いします(祖師谷は必須)。“仮”の出勤簿として実施記録との突合せに使用します。月末には正式な出勤簿が必要です。(月末にあと1日のサービスを残すのみというような場合は、未提出となるサービスも仮記載し、鉛筆などで“仮”として頂ければ、正式の出勤簿として受領します。)
⑤寒くなると視野が狭くなり気がせいてきます。事故にはくれぐれもご注意ください。遅刻はしないように早めの行動開始をお願いします。もし訪問時間に遅れる場合は、事務所までご連絡下さい。事務所より利用者様に一報入れますので、落ち着いて移動して下さい。





紙ふうせんだより 9月号 (2018/11/09)

2018年(平成30年) 9月  長月号

紙ふうせんだより 

銀色の月が自分を見下ろしているように
ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。うろこ雲が霞んだ空の高い所に浮かんでいます。気が付けば秋の風、油断すると風邪をひいてしまいます。利用者さんの寝具や衣類の入れ替えなど頼まれた時は、プランの中(生活援助や共に行う衣類整理)で行えるものはお願いします。また、そのような提案があれば事務所までご連絡下さい。

想像の視点をもっと遠くへと羽ばたかせながら
いわし雲が黄色に光り始めるとそろそろ夕方です。もう帰ろうか、まだ遊ぼうか。あとちょっとだけ、何か一つだけ遊べます。空全体がオレンジ色に染まったら、カラス空を横切ったら、帰る時間。子供の頃のそんな記憶は、不思議にも利用者さんの生活と接点を持ちます。黄昏(たそがれ)時になると“尋ね人”になってしまう方もそう。子供たちは朝日に照らされている一方で、高齢者は夕日の中にたたずんでいて、どちらも同じ色彩の世界に生きています。
子供と高齢者が不思議な親近性を持っている事は、河合隼雄やユング心理学が指摘するところで、その背景には東洋の円環(えんかん)の思想があります。万物は円環している。生も死も円環し繰り返すという考えです。還暦のお祝いに着せられる赤いちゃんちゃんこは“赤ちゃんに生まれ直す”という意味があります。この考えからみた時、高齢者の発達課題(成熟)は“どうやって上手に子供に戻るか”という逆説を含みます。とすると、老いの課題に直面して悩む利用者さんは、“大人”である事に捕らわれたままであるとも言えそうです。この気持ちは“大人”である私たちが、時に自分の“プライド”に捕らわれてしまうように、我が身に置き換えても理解できます。だから(利用者さんや自分自身が)どうしたら良いか方向性を見失ってしまったような時は、子供だった頃は一体何を喜び毎日をどうやって生きて、何に悔しがったのか、一緒に思い出してみるのも一つの手かもしれません。目の前の利用者さんと向き合っていく事は、関わる私たち自身の生い立ちまでも振り返る事になるでしょう。
また、例えるなら次のようにも言えます。目の前の利用者さんをもっと理解したい時は、もっと全体を見てみよう。その方の誕生と生育から今に至るまでの全体を想像するような、巨視的な視点に立ってみよう。雲を見てみよう。雲は近寄って見るとはっきりとした形など無く、水蒸気が霧となって風に流れていくだけです。しかし遠くから見た時、雲というまとまりをもった形あるものとして現れます。近くで凝視して見えるものは一断片でしかなく、遠くから眺めてみる事によって、関わりあう全体の姿が初めて見出されるのです。
実際、生や病や老いや死といった課題に翻弄される人生の意味は、雲を掴むように掴みどころのないものです。しかし掴めないのは、自分が近視眼的になっているのだけなのかもしれません。そんな時は朱色に染まる遠くの空の雲を眺めるように、銀色の月が自分を見下ろしているように、自分の来し方を眺めてみましょう。想像の視点をもっと遠くへと羽ばたかせながら。介護の仕事は、自分を再発見するきっかけを与えてくれます。

紙面研修
【自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助】
3月号で既報の通り「老計第10号」が改正されました。(改正されても発出日は「平成12年」と以前のままで紛らわしいんです。)今回の改正の追加点はゴシック体のところです。あと、「痴呆性の高齢者」の言葉が「認知症の高齢者」に変っています。趣旨は変わりません。キーワードには下線を引いてみました。自立支援(身体介護)を算定する時は、キーワードがプランに必要になってくるかと思います。

1-6 自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)

○ベッド上からポータブルトイレ等(いす)へ利用者が移乗する際に、転倒等の防止のため付き添い、必要に応じて介助を行う。
○認知症等の高齢者がリハビリパンツやパット交換を見守り・声かけを行うことにより、一人で出来るだけ交換し後始末が出来るように支援する。
○認知症等の高齢者に対して、ヘルパーが声かけと誘導で食事・水分摂取を支援する。
○入浴、更衣等の見守り(必要に応じて行う介助、転倒予防のための声かけ、気分の確認などを含む)
○移動時、転倒しないように側について歩く(介護は必要時だけで、事故がないように常に見守る)
○ベッドの出入り時など自立を促すための声かけ(声かけや見守り中心で必要な時だけ介助)
○本人が自ら適切な服薬ができるよう、服薬時において、直接介助は行わずに、側で見守り、服薬を促す。
○利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う掃除、整理整頓(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む)
○ゴミの分別が分からない利用者と一緒に分別をしてゴミ出しのルールを理解してもらう又は思い出してもらうよう援助
○認知症の高齢者の方と一緒に冷蔵庫のなかの整理等を行うことにより、生活歴の喚起を促す。
○洗濯物を一緒に干したりたたんだりすることにより自立支援を促すとともに、転倒予防等のための見守
り・声かけを行う。
○利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行うベッドでのシーツ交換、布団カバーの交換等
○利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う衣類の整理・被服の補修

★支援を行っている利用者さんで、自立支援を積極的に取り入れるとADLやIADLやQOLが向上する方は誰だろう。
★今のやり方をどのように工夫すればば、自立につながる支援になるだろうか。また、ここに記載されていないような自立支援の工夫や取り組みは、何があるだろう。
★時間に追われながらも自立支援につながる適切な声かけは、どうしたらできるだろうか。

『生活歴の喚起』とは
日常生活の過ごし方は、どんな事でもその方のやり方というものがあります。
利用者さんが“認知症になったから”“身体機能が衰えたから”と安易に家事等の代行をしてしまうと、とたんに今までの自分のやり方が継続できなくなり、ますます衰えてしまう事があります。そのような時、利用者本人の今までのやり方や考えに基づいて、ヘルパーが一緒に行う事を試みる事によって、本人の生活の継続性や一貫性が保たれ、本人が自信を取り戻すという事があります。
それは、本人が生活の切り盛りの主役に返り咲く事であります。生活の継続性や一貫性は自分らしさの要素でもあります。老いという困難を迎える時、利用者さんに「今までどのように生きてきたのか」「どうやって困難を乗り越えてきたのか」「昔の自分はどんな自分だったのか」等、『回想法』を意識した会話を心がける事も生活歴の喚起につながっていくでしょう。

寒くなってきましたので風邪にはご注意を。
インフルエンザの予防接種を受けた方には、1000円を助成します。
領収書を事務所までご持参下さい(なるべく当月以内)。


<健康診断の受診のお願い>
★健康診断は年1回!! 平成30年度の診断書未提出の方は受診をお願いします。
★対象 介護保険訪問介護従事者(※雇用形態に関わらず全ヘルパー対象)
★診断書のコピーと領収書(原則当月内)を持参して頂ければ、その費用の全額をお支払いします。(※オプションは自己負担でお願いします。)

健康診断についてヘルパーさんに伺うと、「他の会社で受けた」「区の検診を受けた」等、伺っています。他事業所で受けたものを提出して頂いても構いませんし、区の検診でも構いません。コピーの提出をお願いします。
40歳以上の国民健康保険の方は、世田谷区の「特定健診」が便利です。毎年5月から6月に区から「受診券」が送られてきます。大抵のかかりつけ医で検診をやってくれます。問い合わせの上受診しましょう。(「受診券」は4~8月生まれの方は5月中旬頃、9~3月生まれの方は6月上旬頃発送で、緑色の封筒には「受診券」「受診票」「特定健診のご案内」「医療機関名簿」が入っています。)

(区ホームページより)
健診名 対象 健診内容 費用 (問合せ)総合支所
特定健診・特定保健指導 世田谷区国民健康保険に加入している40歳~74歳の方 問診、診察、身体計測、血圧測定、血液検査、尿検査、心電図、眼底検査、胸部X線等
500円 健康づくり課
(世田谷)
03-5432-2893
(北沢)
03-3323-1731
(烏山)
03-3308-8228
(砧)
03-3483-3161
区民検診 区内在住で16歳以上39歳以下の方
お勤め先等で健康診断を受ける機会のない方 問診・計測・診察・血圧測定・尿検査・血液検査 ※診断書無し
検診項目も少なく診断書もないので、39歳以下の方はどこで受診するかご相談下さい。
※世田谷区外の方など、どこで受診すればよいか解らない方は、ご相談下さい。定期健診の一般的な相場は1万円前後のようです。

~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~
【日時】 2018年 10月24日 水曜日 18:30~
梅丘(本社)の事務所内にて、梅丘・祖師谷含む全体のMTGです。
★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項 
会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

【基礎研修】 関連項目 プライバシー保護等(佐々木)
ヘルパーMTGと同時開催の研修です。(内容はいろいろ膨らむ予定です)

【発展研修】 会場:祖師谷 10/12(水)16:00~
構成的グループエンカウンターの手法で行います。梅丘・祖師谷のどなたでも参加できます。(担当/佐々木)


お知らせ
 紙ふうせん祖師谷訪問介護事業所世田谷区祖師谷4-25-20ぺルラ祖師谷102号
 ☎03-6411-9132 FAX03-6411-9140 080-9185-4882
 処遇改善加算(Ⅱ) 特定事業所加算(Ⅱ)

「紙ふうせん祖師谷訪問介護事業所」の指定申請を東京都に9/25、世田谷区に9/26に提出してきました。審査が順当ならば、11月1日に指定予定です。(10月最終週に事業所番号が判明します)
 つきましては一部の利用者様の一部のサービスが、11月1日から「祖師谷」からの派遣となるよう準備を進めています。ヘルパーさんに混乱が無いように、「祖師谷」への移行は、第一弾としてはヘルパーさん単位で行います
 社員の祖師谷移行は、佐々木管理者・小泉サービス提供責任者・伊藤非常勤サービス提供責任者となります。
 利用者さんの移行は、“移行”と言っても梅丘に加えて祖師谷と追加契約をして頂く形なので、当面はヘルパーさんのお休みをフォローする体制は、梅丘と祖師谷両方で対応できます。移行する利用者さんには10月中に順次サ責よりお願いしてまいります。
 ※サービス実施記録の提出は従来通り祖師谷で構いません。
 11月以降、祖師谷対応となったサービスは、そのサービス実施記録を祖師谷用(梅丘用と色が異なる)に順次変更していく事を検討中です。また、出勤簿も祖師谷用を明確に表示して、祖師谷と梅丘の混同が起きない様にしていく事も検討中です。これは、シフトに祖師谷と梅丘が混在するヘルパーさんへの対応のためです。検討中の内容については、皆様のご意見をお申し出ください。
……………………………………………………………………………………………………………………………
 梅丘・祖師谷と別れても、どちらの事業所も全てのヘルパーさんの為のものです。どちら所属などとこだわらずに、両事業所にお気軽にお越しください。また、佐々木は訪問介護の全体の責任者となります。
 利用者さん・ヘルパーさん・ケアマネさん(ケアプラン・提供票)にはご迷惑をおかけしますが、ご協力をお願いいたします。また、利用者さんより何かお声を頂いた際は、事業所までご連絡下さい。


創立10周年 (2018/09/10)

お陰様で弊社は平成30年9月9日をもちまして、創立10周年を迎える運びとなりました。

これもひとえに皆様方の厚いご支援と温かい激励の賜でございます。

ここに心よりの感謝を申し上げます。

これを機にスタッフ一同決意を新たにし、従前にもましてサービスの向上に努めてまいります。

今度とも、なにとぞご支援ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。


紙ふうせんだより 8月号 (2018/09/06)

2018年(平成30年) 8月  葉月号

紙ふうせんだより

想像してみよう

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。暑さのなか夏バテしていないでしょうか。平成最後の8月です。「今年も陛下は “過去の反省”と述べられましたね」など呟くと、利用者さんはその体験を話してくれるかもしれません。特に戦争の話題は、利用者さんから見れば「若い人は軍国主義だった日本を知らないだから話しても理解されない」と思っているので、ヘルパーさんの側から理解を示すと安心して話して下さいます。

静かにこの世から消えて行く前に

ある方は、以前戦争体験を「身の周りで亡くなった方はいました?」の問いに「親戚で亡くなった方がいましたよ」と言われていました。すぐには他人に気軽に話せるような内容では無かったのでしょう。その後、話を聞いているうちに「上の兄が南方で戦死して…」と話をして下さいました。この方の断片的な話から当時の状況を想像してみましょう。

南方といえば、食料や武器の補給もなく戦略のプロセスを無視した精神論頼みの無謀な作戦で、多くの病死者・餓死者を出しています。現地の悲惨な状況は検閲で引っかかるため家族に知らせる事ができません。やがて補給の断たれた部隊からは手紙も来なくなります。日本本土以外(沖縄を含む)の戦没者約240万人のうち、遺骨(指などの一部)が帰還したのは約127万柱と言われています。遺骨が持ち帰れなかった場合は白木の箱に個人の持ち物などを入れていたようですが、それもかなわない時は石や砂が入っていました。しかし空き箱も多かったようです。多くの餓死を出して餓(が)島と呼ばれたガダルカナル島撤退など、1943年以降遺骨が帰還しない事が常態化、部隊全滅の数年後に紙きれ一枚の「戦死公報」が家族の元に届くばかりとなってきました。お兄さんの戦死をどのように知ったのか聞けませんでしたが、一片の骨でも辛かったことでしょう。それが石や紙きれ一枚となった時、南方戦線の地獄のような噂を聞いた時、悲しみの底から湧き上がる怒りはやり場が無かったことでしょう。私たちの大切な家族を奪ったのは誰? 単純に“敵”を憎めればまだ救いもあったかもしれません。国家の称揚した崇高な戦死とは程遠い240万の6割以上が餓死と言われる馬鹿げた行為の責任は、一体誰にあるのか。うちの人を連れて行って殺したのは一体誰? その問いは禁句でした。公に口に出したとたん特高警察に連れていかれるからです。この時の悲しみと怒りは、状況を知らない人にはなかなか語れるものではありません。多くの方は戦争体験を細部までは語らず、それはほとんど誰にも明かさないまま、静かにこの世から消えていく記憶なのです。私たち介護職は、そのような記憶を受け継ぐ最後の人間関係となるでしょう。利用者さんの発言の断片から想像を膨らませ寄り添い、生きた記憶を継承する事が私の願いです。その為には想像する事が必要です。硫黄島からのある手紙には、検閲されないための婉曲的な表現で「内地には食べられる草もたくさんあるのでしょう」と。例えばこのような一言から、何があったのかどんな気持ちだったのか、想像してみよう。

自分はその瞳で何を見ようとして、何を感じるだろうか

「父の友達の家族と家族ぐるみの付き合いをしていて、歳上の男の子と仲が良かった。その子は学徒出陣で航空兵になった。『かんちゃん、生きて帰ったらかんちゃんをお嫁に貰ってあげるよ』と言って帰って来なかった。私は『生きて帰ってきて』とは言えなかった…。」当時、年頃の男女が仲良く会話をしたり手を繋いだりする事は、“日本男児”にあるまじき行為だった。“日本男児”の本分は兵隊としてお国のために戦死する事だった。

昭和12年の軍歌『露営の歌』には『弾丸(たま)もタンクも銃剣も / しばし露営の草枕 / 夢に出てきた父上に / 死んで還れと励まされ / 覚めて睨(にら)むは敵の空』とある。親も死んで帰れと言った。いや、言わされたのだ。そんな世相の中でおどけながら言った『生きて帰ったら…』との言葉の中にどれほどの想いがあったのか。微かな希望の中に生への切ない願いがあった。それを察した方も、運命を前にして一体どんな言葉を返す事ができようか。想像してみよう。人生に定められた未来は、国の命令によってただ「死」しか無かった時代があった。想像してみよう。自分が年頃の時、異性と仲良くする事も心を打ち明ける事も叶わなかったとしたら。それを願う事も表現する事も禁止されていたとしたら。想像してみよう。「死」が目前に迫ったその時、自分はその瞳で何を見ようとして、何を感じるだろうか。

失敗を未来に活かすために

何か失敗があったとしよう。介護の現場でもよくある事だ。何が原因か解らないけど、利用者さんとの関係がぎくしゃくしてきた。そんな時は想像してみよう。利用者さんはどんな気持ちで今まで生活していたのか。自分のどんな態度が言葉が、利用者さんの心の痛みをそれとは知らずに無視してしまったのか。人は想像することができる。想像とは、自分が経験していない事を考えることだ。人は、現実には存在しない事柄も心の中に思い描き感じることができる。SFの父ジュール・ヴェルヌは「人間が想像できることは、必ず実現できる」と述べたと言われている。1865年の作品『月世界旅行』から104年後、アポロ11号は月面に着陸を果たした。「失敗は成功のもと」とは、失敗してもその原因を追究したり、欠点を反省して改善していくことで、かえって成功に近づくことができるという意味だ。失敗を成功に繋げるものが想像だ。人は想像によって地球の外の宇宙にも行けた。人は他人の気持ちも想像できる。“理解できた”とか“理解できない”とかはどうでも良い。完全なんてあり得ないし、それが正解か誤解かもどうでも良い。月に行く方法がたった一つしか無いなんて事は無いように、答えは一つじゃない。大切なのは想像する事。想像し続ける事によって、他人の痛みも悲しみも想像する事ができる。この世界には、痛みや悲しみを知れるチャンスに満ちているのだから、“自分自身の事で精一杯だ”と自分の周りに防御壁さえ作らなければ、沢山のチャンスがそこにある。想像できないのは想像していないからだ。想像は、科学を新しい発見に導き芸術を開拓し、政治や文化を変革してきた。負の歴史も想像する事によって未来に活かされる。想像してみよう。昨日から明日へとつながる自分の転換点も今ここからだ。思い出してみよう。その時どんな声だったか。どんな瞳だったか。

想像してみよう。自分の一番辛かったり嬉しかった記憶を頼りに、傷つけてしまったかもしれない誰かの心を。これから喜ばす事ができる誰かの心を。

利用者さんの生きてきた時代を想像してみよう

紙面研修
マーティン・ルーサー・キング・Jr

「私には夢がある!『全ての人間は生まれながらにして平等である。これが自明の理であることをここに保証する』、この国家の基本理念を真の意味によって実現する日が来るという夢が。私には夢がある! いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。私には夢がある! いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。私には夢がある! いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。」
太平洋戦争が終わった翌年には第一次インドシナ戦争が始まった。その2年後には朝鮮戦争が勃発、朝鮮戦争は1953年に休戦協定が結ばれたものの米ソ冷戦は激化する。インドシナ戦争はアメリカが傀儡(かいらい)政権を作って介入しベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)となった。世界初の人工衛星が宇宙を飛んだのは1957年、科学が想像の翼を宇宙に広げても、大国は自国の利益に精一杯だった。東アジアでは1931年の満州事変(日中十五年戦争)から48年間ずっと戦争が続いた。これらは因果関係で連鎖しており宇宙的な視点からは一つの戦争と言える。一度始めた戦争はなかなか終わらない。

朝鮮戦争ではGHQの命令で極秘に戦争に参加した旧日本軍の掃海艇部隊で戦死者が出ている。民間動員の輸送船等を含めると日本人の死者は56名を数える。ベトナム戦争ではアメリカが核の使用を匂わせても、ベトナム人は独立と統一を諦めなかった。二つの戦争では日本中の基地がアメリカ軍の後方支援を行った。今でも日米密約により沖縄の米軍基地には核ミサイルが配備されている。1959年には沖縄で広島型と同規模の核ミサイルの誤発射事故が起こり黒人米兵に死者が出ているが極秘とされた。
ジョン・レノン「Imagine
想像してみよう そこに天国は無いと

やってみよう 簡単だよ

僕たちの下に地獄なんて無く

僕たちの上には ただ空がある

想像してみよう 全ての人々が

今日のために生きている

想像してみよう そこに国なんて無いと

それは難しくないよ

殺したり殺されることも無く

そして宗教も無い

想像してみよう 全ての人々が

平和のうちに生きている

君は僕を夢想家って言うだろう

だけど僕一人じゃないよ

いつかきっと君も仲間になって

世界はひとつになるんだ

想像してみよう 財産なんか無いと

君に想像できるかな

欲張ったり飢えることも無く

人はみんな兄弟だって

想像してみよう 全ての人々が

世界の全てを分かち合うんだ
1955年、バスの白人専用座席にあえて座った黒人女性ローザ・パークスが逮捕。アメリカでは建国の精神に反し『全ての人間』に有色人種は含まれてはいなかった。ベトナムでは黒人が白人の弾除けになっていた。1963年8月28日、公民権を求めるワシントン大行進でマーティン・ルーサー・キング・Jrは自分の想像する世界を「I(アイ) have(ハブ) a(ア) dream(ドリーム)」と25万の聴衆に語り、5年後差別主義者のテロに殺された。キング牧師は「人種偏見と軍国主義には、密接な関係がある」と主張、反差別運動は日米欧のベトナム反戦運動に発展する。大国のベトナム介入に抗議して勲章を英国に返上したジョン・レノンは1971年、「Imagine(イマジン)」を歌い「想像してみよう」と呼びかけ、9年後銃弾に倒れた。第三次インドシナ戦争が終わったのは1979年。その後、東アジアで戦争(Hot wor)は起きていない。

想像してみよう。キング牧師やジョンの想像は、

実現できただろうか。

想像してみよう。利用者さんに介護目標を聞く前に、

利用者さんがどうやって生きてきたのかを。

想像してみよう。自分の想像が本当に実現するのなら、自分は何を願うだろう。

★ご存じですか?「生活扶助費」が10月から削減されます。

生活保護受給者に支給される「生活扶助費」が今年の10月に段階的に削減されます。国費分で最終的に5%削減し(3/4が国、1/4が自治体)、受給世帯の67%が減額となります。生活保護とは、働けないなどの事情があり財産等も無く、生活扶助基準額を下回る収入しか無い場合は、生活扶助基準額との差額を生活扶助費として支給する制度です。生活保護受給世帯の内訳は、51%が高齢者、傷病・障害世帯が26%、母子世帯が6%で、これらで約83%です。私たちの仕事と大きく関わる上に、私たちもいつ必要になってもおかしくない大切な制度です。

生活扶助費の支給水準(生活扶助基準)は5年に一度見直されることとなっていますが、今回の見直しで、一般低所得世帯と生活費(消費支出)が均衡するように計算される事になりました。(一般低所得世帯は、生活保護を受けていない世帯で年収が下位10%の層。生活扶助基準以下であるにもかかわらず生活保護を受給していない世帯も含まれる。)今回の減額は昨年の12月に方針が示されたものですが、当初は最大で13.7%の減額が試算されていました。13.7%の試算の意味するところは、政府の主張する“景気回復”とは程遠い、低所得者の“貧困”が拡大しているという現実です。

支給基準を貧困層に合わせてしまえば、貧困が拡大してしまわないか? その通りで、国連人権理事会は、2018年5月24日に今回の見直しに対して「高齢者の貧困と社会的排除により、またも多くの人々が声を上げられないまま苦しむことになろう。これらの政策が修正されなければ、貧困に最も影響を受けやすい人々、特に女性の高齢者、女性世帯主世帯、女性の障害者などを傷つけるだろう」と、日本政府に見直しを求める声明を出しました。国連の専門家は、今回の方式では日本はますます多くの人々を貧困に陥れることになるため、国際義務に基づき生活扶助費の引き下げについて人権の観点から包括的な評価を行い、負の影響を緩和するための必要な対策を講じるよう要請しています。

世間の一部には「生活保護は働きもせず税金で暮らしている」という差別・デマまがいのバッシングがありますが、それらを見過ごしているうちに「社会保障費なんて削減されて当然」「介護も福祉も自己責任で」という風潮が拡大していきます。正しく理解したいところです。社会保障は基本的人権の一つで、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と憲法第二十五条に“生存権”として規定されています。

生活扶助基準の引き下げと算定方法の変更は“中間層”にも関わる問題です。年金制度や社会手当制度の給付額は生活扶助基準を算定基礎にしているため、社会保障制度全体の切り下げになるのです。行政サービスの自己負担の減免や減額の基準もそうですし、最低賃金額も生活扶助基準が参考にされています。生活扶助費は「最低限度の生活」を営むために必要とされる額ですから、世の中の様々な尺度が「最低限度」を基準にしていくと、“中間層”も「最低限度」の方へと追いやられていく事になりかねないのです。しかも今回、「最低限度」の生活扶助基準を、生活保護を受けていない“最低限度以下”を基準にして切り下げてしまったのです。現在、生活保護世帯は164万世帯ですが、現実には約800万世帯が生活扶助水準以下の収入で生活保護を利用せずに生活しています。捕捉率は15~30%と言われており、この低さは国の責任です。その上に受給者バッシングが重なれば困窮しながらも支援を受けようとしない最低限度以下の層がますます増え、その貧困層の消費支出と連動した生活扶助基準はますます引き下げられ、セーフティーネットの機能は麻痺して社会は衰退してしまいます。そして、生活扶助基準が下がれば捕捉しなければならない保護を受けるべき世帯数が減るので、国は責任を放棄できてしまうのです。このような制度の在り方に、国連の専門家が「最低限の社会保障を脅かすもの」と警告を発しています。しかし日本政府は「一方的な情報に基づく発表だ」とし、加藤厚労相は「大変遺憾であり、国連人権高等弁務官事務所に対して抗議を行った」と述べています。

~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 2018年 9月18日 火曜日 18:30~

梅丘の事務所内にて

★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。

【研修会】 関連項目 認知症及び認知症ケア研修(小泉)

(関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です)


ヘルパー研修@梅ヶ丘 (2018/07/24)

7月20日(金)梅ヶ丘事業所にてヘルパー研修を行いました。

暑い日でしたが、10名の方々に参加して頂きました。

テーマは『熱中症対策』

座学の後に熱中症予防のために栄養満点の【キウイスムージー】をみんなで作りました!

簡単手軽で大好評でした(^^)/

<材料> キウイフルーツ  1個

塩     ひとつまみ

水     100ml~150ml

<作り方>

ビニール袋に皮を剥いたキウイと塩をいれて揉みもみ潰して水を加えるだけ!!

 

皆さんもぜひお試しください。


そうめんパーティ@梅ヶ丘 (2018/07/13)

暑い日が続きますが皆様いかがお過ごしですか?

7月13日(金)梅ヶ丘事業所でそうめんパーティを行いました。

暑くて食欲が無くなりがちですが、

たくさん食べて夏の暑さを乗り切りましょう(^^)/


紙ふうせんだより 6月号 (2018/07/06)

2018年(平成30年) 6月 水無月号

紙ふうせんだより

「リーダーシップ」から「フォロワーシップ」へ

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。熱中症にはご注意ください。じめじめとしていましたが急に真夏の日差しになりましたね。それにしてもスッキリしないのは嘘まみれのモリカケ問題。上の人間が責任を下に押し付けるのは日大アメフト部も同じで、“忖度”などの場の論理で責任者への責任追及を阻止しています。敗戦直後の“一億総懺悔(ざんげ)” と同じ構造です。(東久邇宮内閣が支配層の責任を不問にするために“国民全員に戦争責任がある”とした。)そんな日本のビジネスパーソン1,000名に聞いた「リーダーとして望ましい行動・マインド」の1位は「責任を取る・責任感」(2011リクルート調べ)です。

時代によって変遷してきたリーダーシップ論

5月の発展研修では、サービス提供責任者等と「リーダーシップ」について結論を用意せずに話し合いをしました。『「リーダーシップ」は経営者や幹部だけではなく、組織に属するメンバーのひとりひとりが身に付ける必要があります。なぜなら地位や肩書きが示す「役割」としてのリーダーではなくとも、リーダーシップを発揮することは誰にでも可能であり、チーム内における自分の責任を明確にし、業務を率先してこなし、時に優先順位を明確にし、的確な判断を得るために指示を仰ぎ、他のメンバーと協力して結果を作り上げていくことは、全員が行うべきことだからだ。』以上は研修資料から。

初期のリーダーシップ論は、第二次世界大戦中のアメリカで軍事や産業で優れたリーダーが要請され、「優れたリーダーは天性の才能が有るのか?」無いならば「どのような行動が有効なリーダーを作り上げるのか?」を発見し、模倣しようというものでした。結果、優れたリーダーに共通なのは「天性の才能」でも「特定の行動」でも(もちろん血統でも)無く「環境や部下の要因によってリーダーシップスタイルを変化させている」というものでした。1980年代以降は、リーダーシップスタイルの多様なモデルが提案されます。

現代経営学の発明者ピーター・ドラッカーは「リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない。優れたリーダーは、常に厳しい。ことがうまくいかないとき(中略)その失敗を人のせいにしない。」(『現代の経営』1954)と述べています。リーダーシップとはカリスマ性の発揮でも、強引に牽引していく手法でも無いのです。

ここまでの考えをまとめると“リーダーは責任を持つ、リーダーシップは各自で持つ”という方向性が良さそうです。これは、旧来の日本的な“上からの命令と下の精神論的服従(実行責任は下にある)”とは発想が真逆になりますから、実現させていく為には必然的に組織構造の変化も求められます。ここでも各個人の自立が鍵となります。これも各分野で起きている「一極モデル」から「自律分散モデル」への変化の一つでしょう。

“日本一オーラの無い監督”の指導論

1月号で取り上げた「プロジェクト・アリストテレス」では、チーム内の「心理的安全性」がポイントとなっていました。日大アメフト部のような暴力(圧倒的な力関係の差のよる一方的な働きかけ)による支配は、一時的な成果が出てもメンバーは疲弊して辞めてしまい、人材育成とは程遠い“使い潰し”となり長続きはしません。暴力や“使い潰し”は旧日本軍の体質そのものですが、それを受け継ぐ「運動部」が今もって多い事は議論の一つとなっています。そんな中で、今までと真逆のスタイルで注目を集めるリーダーがいます。

監督らしい威厳が無い事から、早稲田大ラグビー部の部員から「日本一オーラのない監督」というあだ名を付けられた中竹竜二監督は、メンバーの話を徹底して聞くというスタイルで就任翌年から2年連続で全国制覇を成し遂げています。中谷さんの言葉を引用します。

『「日本一オーラの無い監督」が語る、リーダーの条件』

日経DUAL

「どんなことがあっても怒らずに相手の話を聞く」というのが私のスタイルでした。ここ最近になって「怒らない指導が正しい」と広くいわれるようになりましたが、私はまさにそのパイオニアだったわけです。「怒らない指導」よりハイレベルで、「怒られる指導」をしていました。つまり、監督が選手から怒られてしまうわけです。』そして暴言を吐いてきた選手からじっくりと話を聞き最後にこう述べました。『「お前が言いたいことって一つだよね。『なんで俺のこと、見てくれないんですか?』だよね」私は続けました。「私はおまえが頑張っているのを知っているよ。でもおまえを今、上にあげるとまたすぐ手を抜くでしょ。おまえにずっと言ってきたよね。大事なのはスキルじゃなくて、スタイルだって。おまえは試合で調子がいいときと悪いとき、頑張るときと頑張らないときの間にブレがある。プレイヤーとしてスタイルをちゃんと持ってほしかったんだ。だからもう1週間は、4軍で頑張ってほしいと思っていたんだ」彼の目から涙がポロポロと落ちました。
『これまでのリーダー像は「ピラミッド型」と言えるものでした。トップダウンで指示を出すので、物事が伝わるのが速く効率がいい。でも、リーダーが解けない問題に出合うと、そのチームは立ち往生してしまうという欠点がありました。これからの時代に必要とされているのは「プラネット型」の組織です。この組織ではメンバーは縦方向ではなく、横方向につながり合い、課題に応じてリーダーが流動的に変わります。』『逆境は不意に向こうからやってきます。ですから調子がいいうちに、「自分のスタイルは何か」と考えておくことが大切です。』

“こうあるべき”という正解が先にあるのではなく、自分らしさを発揮した個人の自立(=スタイルの確立)に最も重きを置くのです。そして、リーダーに必要に必要なのは「リーダーシップ」ではなく「フォロワーシップ」にあるとしています。“主役”はメンバーです。メンバーの自立を促し、その能力を活かして活躍していけるようにフォローする事がリーダーの役目なのです。

介護現場の「フォロワーシップ」

介護の現場でも主役は利用者さんです。しかし主役がもう舞台に立ちたくないという時があります。必要な支援を利用者さんが拒否してしまう時、主役の意向そのままに放置しておいたら良いのでしょうか。主役が何かに追い込まれて行き詰まってしまったら、支援も立ち往生してしまうというのは、支援の枠組みに柔軟性や多様性が無いのかもしれません。そんな時は、支援者側のフォロワーシップの在り方を検討していく事から解決のヒントが見つかるかもしれません。要介護状態という人生の壁を、自己実現に向けて乗り越えていけるようにフォローしていく事が私たちの務めなのです。
紙面研修
多様なリーダーシップ理論】

代表的なもの

変革型リーダーシップ(1980年代~現代)

激しく変化する経営環境の中で、組織を変革的に発展させるリーダー行動に焦点をあてた理論。ビジョンや戦略などを積極的に変えようとし、組織内に危機感を醸成し組織に変革をもたします。

サーバント・リーダーシップ (1980年代~現代)

サーバントとは「奉仕者」という意味で、リーダーは部下に奉仕し、支援する者であるという理論です。サーバント・リーダーの特徴として、「自身を支援者として認識する」「第一に傾聴する」「説得と対話を通じて業務を進める」「組織のコミュニティを形成しようとする」などがあり、従来の皆をひっぱっていくようなリーダーシップとは反対の特徴をもっている。

オーセンティック・リーダーシップ (2000年代~現代)

直訳すると「本物のリーダーシップ」となります。エンロン事件をきっかけに、アメリカ全体でコーポレートガバナンスが問われるようになり、リーダーには高い倫理観や道徳観が必要とされました。オーセンティック・リーダーの特徴としては「道徳的判断」「公平な人間関係」などがあげられます。

トランザクショナル・リーダーシップ (1990年代~現代)

トランザクショナル・リーダーシップでは組織の管理と課題達成に重点をおき、リーダーは報酬と罰を与えることで、部下を管理、統率します。変革型リーダーシップ理論とは違って、トランザクショナル・リーダーは未来を変えようとしているわけではなく、保守的な考えを持っている人が多い。

 

 

 

【中谷竜二さんの提唱するリーダーシップ論】 リーダーは「ピラミッド型」から「プラネット型」へ

リーダーというと「何でも知っていて、常に正解を持っていて優れている人」というイメージがあるかもしれませんが、これからのリーダーは違いますので安心してください。
中谷竜二  企業のリーダー育成トレーニングを提供するTEAMBOX設立                  ラグビー日本代表(U20)元監督
私自身、ラグビー部の監督に就任した当初は「コーチングはしたことがないので、教えられない」「最近の戦術はよく分からない」というのが本音でした。最初の半年間は選手やコーチから、ため息と舌うちしか聞こえてきませんでした。ところが半年くらい経ってくると、だんだんみんな分かってくるのです。「監督だってすべてを分かっているわけではないな」と。そこは時間が解決してくれます。    日経DUAL

多職種連携による協同型を理念とするケアチームは、プラネット型組織と似ています。利用者さんを中心に、各職種が職責を発揮して多様な意見や視点が語られ、自ずから最適解が導かれれば良いですね。
【お願い】平成30年度の健康診断の受診をお願いします。

※オプションは個人負担になります。
お知らせ

紙ふうせん祖師谷の訪問介護事業所を今年の秋にもオープン予定で動いています。

早ければ8月1日とも考えていましたが、準備に時間をかけていきたいと思います。祖師谷地域が近い利用者さんを祖師谷の契約とし、ヘルパーさんの一部の方は、祖師谷と梅丘を掛け持ちという形になります。祖師谷の利用者さんの記録は、原則は祖師谷提出ですがどちらでも取り扱いできるようにしたいと考えています。そのため、祖師谷と梅丘の「サービス実施記録」や「出勤簿」も祖師谷と梅丘の区別がつきやすいように、変更していく予定です。ご協力をお願いします。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 2018年 7月20日 金曜日 18:30~

梅丘の事務所内にて

★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 関連項目 熱中症・感染症・食中毒の予防(荻野)

(関連項目はあくまで関連であり、内容はいろいろ膨らむ予定です)
サービス提供責任者(介福)誰か良い人いませんか?か?
【紹介料】紹介者10,000円  本人20,000円(面接します)
[文書の引用文や注目すべき箇所の要約を入力してください。テキスト ボックスは文書のどの位置にも配置できます。抜粋用テキスト ボックスの書式を変更するには、[描画ツール] タブを使用します。]
[文書の引用文や注目すべき箇所の要約を入力してください。テキスト ボックスは文書のどの位置にも配置できます。抜粋用テキスト ボックスの書式を変更するには、[描画ツール] タブを使用します。]
◎紹介して下さった方に3,000円

◎登録して下さった方に3,000円

 

★実際にサービスに入っていただいたら……

◎紹介して下さった方にプラス5,000円

◎登録して下さった方にプラス5,000円
紹介料

合計

¥16,000
お願いします!
 


紙ふうせんだより 5月号 (2018/07/06)

2018年(平成30年) 5月  皐月号

紙ふうせんたより

「公の論理」と「場の論理」と「個の論理」

ヘルパーの皆様、いつもありがとうございます。GWはありがとうございました。今年の5月は雨が多いようで五月(さつき)晴(ば)れが台無し、梅雨のような時もありました。ところで梅雨の異名は五月雨(さみだれ)ですから、なんか変ですね。五月晴れも五月雨も本来は旧暦で現在の6~7月にあたるので、本当の五月晴れは梅雨の晴れ間を言うんですね。でもNHKではこれを五月の晴天に使うんだとか。そろそろ「五月晴れ」とお別れし「五月雨」の季節です。季節の変わり目は体調を崩しやすいのでお気をつけ下さい。五月(ごがつ)病という名称もあるくらいですから。

何を判断基準とするのか? 空気を読まなければならない息苦しさ

「五月病」とは新入生や新社員が、GW明けごろからわけもなく憂うつな気分になってしまうことがよくあるために付いた名前で、日本特有なんだそうです。精神医学での診断名は「適応障害」、新しい環境に適応しようとして疲れ果ててしまった状態と考えられます。個人のライフステージの変化の結果として社会生活の場が変わっていくのは、文明社会であれば当たり前なのですが、それが日本では“病気”を作り出してしまうのは一体なぜでしょう。最近では、4月から我慢を重ねて慢性化してしまい6月になってうつ病と診断される「六月病」も増えているそうですから、日本の社会の構造的な問題と考えられます。

よく言われる事ですが、欧米では自由・平等な個人を前提とし個人と社会の関係を契約のような対等な関係と考え、その関係のルールは自ら変更可能と考えています。そのルールは、個人の自由(個の論理)に強く関わるため普遍的人権を基礎として、民主主義的合意によって合理的に「公の論理」として発展させていきます。そして、何かあった時の判断基準は、公の論理に照らし合わせた「善悪」です。

一方で日本では、「場の論理」に対して個人が従属するべきであるとの考えが根強く、判断基準は場の論理に合致しているかどうかです。「そんなことしてるお友達いないよ、恥かしいよ」という幼児に対する母の小言も街でよく耳にします。場の論理は、人権や法律や公共の福祉や共通善などの公の論理に対しても優位に働きます。『赤信号皆で渡れば怖くない』『長いものには巻かれろ』がそれです。場の論理は不文律であるために責任主体が曖昧で、変えようにも変えるための手続き自体がなく、皆がおかしいと感じていてもどうしようも無いという不合理さも生じます。場の論理は言わば“群れ”の論理で自然発生的な強い序列意識を持ち、“新入り”を仲間として認めるどうかの踏み絵としても働きます。このような中で必死に“空気”を読んで、“自分を殺して”息苦しい「場」に合わせようと我慢した結果、本当に自分が窒息死してしまったような状況が五月病や六月病と言えるでしょう。適応障害という言葉で表すならば単に適応できないのではなく、むしろ優等生的に“過剰適応”しようとしたために“自分自身が見失われてしまった状態”とも考えられるのです。これは日本の社会が未成熟で、「個人」と「公の論理」を育んでこなかった表れでもあります。

「場」に呑み込まれる「公」や「個」

社会の問題を構造的に提示すると、「俺たちの時代はそんな病気は無かった」「今の若い奴らは甘えてる」というような、場と同化したオジサンの声が聞こえてきそうです。それこそが場の論理の強要(ハラスメント)です。財務省トップのセクハラ問題でも「被害女性にも非がある」かのような発言が責任者から聞かれ、男が女に手を出すのは“当たり前”という男尊女卑の場の論理によって、セクハラが正当化されていました。昨今の公文書隠蔽改竄や虚偽答弁問題もバレなきゃ良いといった態度に終始し、公の論理を易々と破り“赤信号”を渡っています。度を越えた『郷に入りては郷に従え』は『出る杭は打たれる』です。公の論理をもとに不正を正そうとする人は場を追われ、居直る人は『寄らば大樹の陰』となり、個人は自らの「自立」を放棄して場の論理と同化し『朱に交われば赤くなる』となります。皆が“赤信号”を渡っても「自分は渡らない」、もしくは「皆が渡ってなくても、安全確認をして私は自己責任で渡る」というものが個の論理であり、責任を負わないところに「個」の確立は有りません。“個人未満”の人が、同調圧力のストレスか嫉妬からなのか自己主張をする個人(場を乱す“外敵”)に向かって、「出しゃばり」などと攻撃を仕掛けるのもよくある光景です。学校などでは、誰かが「あいつ、何かムカつくからライン外しちゃえ」と発信し、他の子が無批判に同調してイジメが始まります。注目すべきは、主導した子も同調する子も場の論理に従ったまでという意識で、それがイジメや悪だという事に無自覚なのです。「何でムカついたの?」の問いには、「何となく…」といった合理性のなさです。

エンパワーメントに必要な「個の論理」

介護保険法には、要介護高齢者が「その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう」にと「自立支援」が促されています。これが介護の公の論理です。一方で、投げやりに「俺の介護はオマエがやればいいんだ」と言い張る亭主関白や、「家族やヘルパーさんに迷惑をかけたくない」と自らの希望を呑み込んでしまう方などには場の論理の優位が見られます。「本音のところどのような生活を送りたいですか、ご自身の本当の希望は何ですか?」と問いかけてみても、“どうしたら良いか自分でも解らない”と困惑されてしまいます。そのような方は、相手や場面によって希望内容をころころと変え支援者を振り回します。仕方なく便宜的に、家族の要望を一番にして計画を立案し、本人への説得も「みなさん〇〇していますよ」と場の論理を用いる時もあります。

このような難しい状況の時、“プランにはこう書かれているから”“これが介護の常識だから”と現場が疑問を持たないような雰囲気になってしまったなら、介護は発展の機会をほとんど喪失してしまうでしょう。突破口は現場のヘルパーさんの「個性」です。個と個の触発によって、病気や介護に“過剰適応”している“利用者さん”の中から「自分らしい生き方」を発掘して欲しいのです。「個の論理」とは平たく言えば、「自分自身はこうしたい」という意思を持ち表明する事です。「個」が場の論理に呑み込まれてしまった時、人は意欲を奪われます。意欲を引き出す(エンパワーメント)為には、その逆をやれば良いのです。自立支援とは、「今までどのように生きてきたんですか?」と伺いながら「どのように生きたいか?」を一緒に考え実行する事によって、お互いが元気になってくる支援です。

紙面研修
『自立』を目指すための『自立した支援』
【各方面からの「場の論理」の指摘】

第二次世界大戦中に日本を研究した文化人類学者ルース・ベネディクトは、『菊と刀』で日本の文化を“外的な批判を意識する「恥の文化」”と規定、GHQはこれを占領性政策の参考にした。

戦後の保守論壇の山本七平は日本文化を改宗し難い「日本教」であるとし『空気の研究』を書いている。

河合隼雄は『母性社会日本の病理』等でユング心理学や臨床事例や古事記・日本書紀などの考察から日本文化の元型はグレートマザー(地母神=分け隔てなく受容し育くむ反面、抱え込んで自立を妨げ同一化させようとする)であるとして、西洋文化のグレートファーザー(自と他を峻厳に切り分け自立を促す反面、自他の一体感は失われる)と比較している。
豪華客船が沈没しそうな時に船長が乗客に退避を呼びかける。「沈没船ジョーク」と呼ばれるエスニックジョークだ。船長は、アメリカ人に「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」と言い、ドイツ人に「規則ですから飛び込んでください」と言い、日本人には「みなさんもう飛び込んでいますよ」と言う。かくも日本人は場の雰囲気に流されやすい。日本では「場の論理」から「自立」」するのは容易ではない。

一見、公や個の論理のように見える弁舌にも場の論理はある。立場や地位に依存しなければ主張できないようなもの、「お前のモノは俺のモノ」や「反則したら試合に出してやる」「私は権威なんですから、私は正しい」等は、自らが場と一体化した強者の論理であり、場の中の弱者は従わざるを得ない。そこに本当に「個人の確立」があるならば、他者の中にも尊厳ある「個」を認め、それを侵害しないように尊重するはずだ。上下関係による強要はあまりにも原始的だ。誰もが暮らしやすい社会の為にも、“公の論理と格闘して確立された個人”という主権者一人ひとりの創発によって発展する民主主義の為にも、国際社会で外交やビジネスを展開する為にも「個人の確立」=「自立」は、欠かすことはできない。そしてこの「自立」は、身体的・社会的な“外的な自立”以上に自己覚知などの“内面的な自立”が望まれる。仮に身心に障害などがあっても「自分はどうしたいか」という気持ちを主張する事が出来れば「自分らしい生き方」を目指して行けるからだ。

介護現場でも、寝たきり対応したために、本人もそんなもんだと思って受け入れ、結果的に本当に寝たきりになってしまったケースがある。“利用者さん”が受け身になって依存してしまった方が(してくれた方が)楽に思えてくるような状況があるからこそ、場の論理を乗り越えて「自立」のイメージを本人の中に見出していく努力が必要だ。それは、場に関わる支援者自身の『自立した支援』でもある。詩『表札』には、「精神の在り場所」を“自分で決める”“ハタが決めたら拒否をする”という自立への峻厳な覚悟がある。
~~ヘルパーミーティングのお知らせ~~

【日時】 2018年 6月21日 木曜日 18:30~

梅丘の事務所内にて

★担当利用者さんの状況等・支援計画の変更の必要性の有無 ★今月の議題・伝達事項

会議参加手当(ミーティング)は1回につき1370円です。
【研修会】 関連項目 移動・移乗の介助(担当・本郷)

(ヘルパーミーテイングと同時開催。個別研修計画に基づく研修会です)
【お願い】平成30年度の健康診断の受診をお願いします。

※オプションは個人負担になります。
 


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